欲は食うもの
※ちょっといかがわしい
すっかり暗くなった街の中を歩き、新しく住み始めて少し経ったマンションへと足を向ける。7階建てのそれは所々明かりがついていたが、無人ではない筈の自分が住む部屋は暗いままだった。またか、と息を吐いてから呆れたような笑いを溢した。大方、仕事関係の本や論文などを読み漁り時間を忘れているパターンだろう。
エレベーターに乗り込み、ボタンを押した時、手に下げたビニールの袋がかさりと音を立てた。いつもの癖でお菓子の割合の方が野菜や肉類などよりも多くなってしまったが、まあいい。呆れながらも彼女は笑ってくれる筈だ。
部屋に入って予想通り真っ暗な部屋に勢いよく電気を付けた。これまた予想通り、小さなテーブルランプを付けただけで本を読んでいるナマエさんに声をかける。
「また夢中になって」
「あ、おかえり」
「ただいま。目ェ悪くなるよ、もう」
「うん」
頷いた彼女は全く反省する様子が無く、ぐっと腕を上げながら伸びをした。そのままカーテンの引かれていない窓の外を視界に入れ「うわ真っ暗」と笑っていた。
「いまなんじ?」
「19時」
「わあ、夜じゃん」
「夜だよもう、ナマエさんどうせ碌にご飯食べてないでしょ」
ほら、と帰り道に寄ったスーパーのレジ袋を見せると拍手しながら感謝された。彼女とこうして一緒に住むようになってから、しっかり者のナマエさんが仕事関係の本を読み始めると時間も食事も忘れて没頭してしまう癖がある事が判明した。
「何買ってきてくれたの」
「んーなんか、コレとか」
適当に買い繕った食材を冷蔵庫に入れていく。基本的に料理上手なナマエさんなので、僕が好き勝手に買った食材も問題なくさらっと調理してくれる。ただ、彼女一人になると碌な食事をしないらしいので、どんなに忙しくても食事はなるべく二人で摂ろうと約束していた。
「なに食べたい?」
「ビーフストロガノフ」
「何時間かかると思ってるわけ」
けらけらと笑ったナマエさんに「冗談だよ」と口を尖らせると、背伸びをした彼女が尖らせた唇に軽く自身のそれを押し当ててきた。
「…」
「固まらないでよ」
突然の戯れに思わず硬直すると、またナマエさんに笑われてしまった。これも生活を共にするようになってから分かった事だが、ナマエさんは意外とスキンシップが多い。それも家の中限定だ。外に出るといつものピシッとした解剖医の顔になる。そのギャップがまた堪らないんだけど、まあまあ遊んできて女の人の扱いには慣れていたつもりの僕でも、このナマエさんの天然ギャップにはかなり振り回されている。知れば知るほど沼にはまっていく感覚に底知れぬ恐怖が襲う。恐るべし。なんでこれで男に振られ続ける人生だったんだよ、振った男は何なんだよ。
はあ、とため息をついた僕に首を傾げながら「カツでも揚げようか?」と豚肉を手に取るナマエさんを後ろから体ごと包むように抱きしめ、いい香りのする髪の毛へ顔をうずめた。同じシャンプーの匂い。なのにどうして彼女が使うとこんなにも甘ったるい香りになるんだろう。
「なんですか〜」
気の抜けた声を出しながら、夕飯の支度をする手を止めないナマエさんの細い腰に巻いた腕に力をいれる。柔らかくて、心地良い。そのまま意味ありげに身体を撫でると「こら」と嗜められてしまった。
「ご飯食べてからです」
「…ご飯食べたらいいの?」
「うーん…いいよ」
あ、でもちゃんとお風呂入ってからね。とこちらを振り返ったナマエさんの唇に今度は僕から軽く押し当てた。触れるだけのそれに少し物足りない気分になりつつも、彼女に逆らえない僕は待てをされてしまったら我慢するしかない。
「カツなんて面倒な事しなくていいよ、なんか適当にパパッと焼いて食べようぜ」
「…」
下心が隠しきれない提案は無言で却下されてしまった。ちぇっ、早く食べて風呂入ってイチャイチャしたかったのに。
△▼△
「そう言えばね、この前神倉さんに貰って食べた和菓子がすっごいおいしかったの。悟くんにも食べさせてあげたいなと思って」
彼女の手によって綺麗に揚がったカツを食べながら、ふと思い出したようにナマエさんが口を開いた。
「へえ、買ってきてくれた?」
「ううん」
「なんでよ」
「今度一緒に買いに行こうか」
口いっぱいにご飯を詰めてへらりと笑ったナマエさんの可愛さに誤魔化されたような気分になるが、別の場所にいても僕の事を思い出して、一緒に食べたいとか一緒に見たいとか、そう思ってくれるだけで嬉しいと感じた。いつかナマエさんに言った"特別"になれているような気がしてそれだけで心臓のあたりがむず痒くなる。
「ねえ、今日お風呂一緒に入っていい?」
「いや」
「けち」
溢れる気持ちに気分が高まり、その勢いのまま誘ってみたが、彼女は誤魔化されてはくれなかった。手強い。
「ね、もういいでしょ?」
結局別々に風呂に入り、お互いの髪をドライヤーで乾かした後、意気揚々と布団へ入った。うつ伏せになり、肘を立てて顔を置きながら首を傾げて聞くのは狡いだろうか。
仕方ないなあ、と少し困ったように笑うナマエさんに手を伸ばした。彼女を意のままに出来るのはセックスの時だけかもしれない、と頬に手を当てながらゆっくりとしつこいキスを落としていく。それだけでナマエさんは僕の手が添えられた頬を紅潮させて蕩けたような表情になる。かわいい。好き。欲しい。そんな言葉で頭の中が占められていく。服の上から膨らみをやんわりと掴むと、小さく声が漏れ出た。
「っあ、」
「かわいい、ナマエさん」
「ん、っ…すき、悟くん、」
こう言った時にしか聞けないナマエさんからの言葉に微笑む。そしてゆっくりと焦らすように、彼女の服へと手を掛けた。
△▼△
「…明日仕事なのに」
ぐったり、と言った様子で力尽きたナマエさんにごめんごめん、と口先ばかりの謝罪をする。だって、止められなくなっちゃうんだもん。これナマエさんのせいじゃん、僕は悪くない。
「もう、」
また、仕方ないなと笑ったナマエさんのこの顔はよく見る。呆れたような表情の裏にどこか愛しさみたいなものを感じるから、僕は存外嫌いじゃない。子どもを見る親みたいな慈愛に近い感じがするけど、それでも僕の事を受け入れて、ちゃんと愛してくれていることが分かるのだ。
「ナマエさん」
「…うん?」
「いや、うん…何でもない」
「ふふ、…なに、それ」
仕事人間だと言っていたし、それが原因で振られ続けたとも聞いていた。だけどこうして一緒に過ごしていると、節々で彼女からの愛情を感じることが出来る。
「骨抜きだなあ」
背中が剥き出しになったナマエさんに薄手の毛布を掛けながら呟くと、まだ顔を赤らめたままの彼女がそれはこっちの台詞だと唇を尖らせた。
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title by alkalism
すっかり暗くなった街の中を歩き、新しく住み始めて少し経ったマンションへと足を向ける。7階建てのそれは所々明かりがついていたが、無人ではない筈の自分が住む部屋は暗いままだった。またか、と息を吐いてから呆れたような笑いを溢した。大方、仕事関係の本や論文などを読み漁り時間を忘れているパターンだろう。
エレベーターに乗り込み、ボタンを押した時、手に下げたビニールの袋がかさりと音を立てた。いつもの癖でお菓子の割合の方が野菜や肉類などよりも多くなってしまったが、まあいい。呆れながらも彼女は笑ってくれる筈だ。
部屋に入って予想通り真っ暗な部屋に勢いよく電気を付けた。これまた予想通り、小さなテーブルランプを付けただけで本を読んでいるナマエさんに声をかける。
「また夢中になって」
「あ、おかえり」
「ただいま。目ェ悪くなるよ、もう」
「うん」
頷いた彼女は全く反省する様子が無く、ぐっと腕を上げながら伸びをした。そのままカーテンの引かれていない窓の外を視界に入れ「うわ真っ暗」と笑っていた。
「いまなんじ?」
「19時」
「わあ、夜じゃん」
「夜だよもう、ナマエさんどうせ碌にご飯食べてないでしょ」
ほら、と帰り道に寄ったスーパーのレジ袋を見せると拍手しながら感謝された。彼女とこうして一緒に住むようになってから、しっかり者のナマエさんが仕事関係の本を読み始めると時間も食事も忘れて没頭してしまう癖がある事が判明した。
「何買ってきてくれたの」
「んーなんか、コレとか」
適当に買い繕った食材を冷蔵庫に入れていく。基本的に料理上手なナマエさんなので、僕が好き勝手に買った食材も問題なくさらっと調理してくれる。ただ、彼女一人になると碌な食事をしないらしいので、どんなに忙しくても食事はなるべく二人で摂ろうと約束していた。
「なに食べたい?」
「ビーフストロガノフ」
「何時間かかると思ってるわけ」
けらけらと笑ったナマエさんに「冗談だよ」と口を尖らせると、背伸びをした彼女が尖らせた唇に軽く自身のそれを押し当ててきた。
「…」
「固まらないでよ」
突然の戯れに思わず硬直すると、またナマエさんに笑われてしまった。これも生活を共にするようになってから分かった事だが、ナマエさんは意外とスキンシップが多い。それも家の中限定だ。外に出るといつものピシッとした解剖医の顔になる。そのギャップがまた堪らないんだけど、まあまあ遊んできて女の人の扱いには慣れていたつもりの僕でも、このナマエさんの天然ギャップにはかなり振り回されている。知れば知るほど沼にはまっていく感覚に底知れぬ恐怖が襲う。恐るべし。なんでこれで男に振られ続ける人生だったんだよ、振った男は何なんだよ。
はあ、とため息をついた僕に首を傾げながら「カツでも揚げようか?」と豚肉を手に取るナマエさんを後ろから体ごと包むように抱きしめ、いい香りのする髪の毛へ顔をうずめた。同じシャンプーの匂い。なのにどうして彼女が使うとこんなにも甘ったるい香りになるんだろう。
「なんですか〜」
気の抜けた声を出しながら、夕飯の支度をする手を止めないナマエさんの細い腰に巻いた腕に力をいれる。柔らかくて、心地良い。そのまま意味ありげに身体を撫でると「こら」と嗜められてしまった。
「ご飯食べてからです」
「…ご飯食べたらいいの?」
「うーん…いいよ」
あ、でもちゃんとお風呂入ってからね。とこちらを振り返ったナマエさんの唇に今度は僕から軽く押し当てた。触れるだけのそれに少し物足りない気分になりつつも、彼女に逆らえない僕は待てをされてしまったら我慢するしかない。
「カツなんて面倒な事しなくていいよ、なんか適当にパパッと焼いて食べようぜ」
「…」
下心が隠しきれない提案は無言で却下されてしまった。ちぇっ、早く食べて風呂入ってイチャイチャしたかったのに。
△▼△
「そう言えばね、この前神倉さんに貰って食べた和菓子がすっごいおいしかったの。悟くんにも食べさせてあげたいなと思って」
彼女の手によって綺麗に揚がったカツを食べながら、ふと思い出したようにナマエさんが口を開いた。
「へえ、買ってきてくれた?」
「ううん」
「なんでよ」
「今度一緒に買いに行こうか」
口いっぱいにご飯を詰めてへらりと笑ったナマエさんの可愛さに誤魔化されたような気分になるが、別の場所にいても僕の事を思い出して、一緒に食べたいとか一緒に見たいとか、そう思ってくれるだけで嬉しいと感じた。いつかナマエさんに言った"特別"になれているような気がしてそれだけで心臓のあたりがむず痒くなる。
「ねえ、今日お風呂一緒に入っていい?」
「いや」
「けち」
溢れる気持ちに気分が高まり、その勢いのまま誘ってみたが、彼女は誤魔化されてはくれなかった。手強い。
「ね、もういいでしょ?」
結局別々に風呂に入り、お互いの髪をドライヤーで乾かした後、意気揚々と布団へ入った。うつ伏せになり、肘を立てて顔を置きながら首を傾げて聞くのは狡いだろうか。
仕方ないなあ、と少し困ったように笑うナマエさんに手を伸ばした。彼女を意のままに出来るのはセックスの時だけかもしれない、と頬に手を当てながらゆっくりとしつこいキスを落としていく。それだけでナマエさんは僕の手が添えられた頬を紅潮させて蕩けたような表情になる。かわいい。好き。欲しい。そんな言葉で頭の中が占められていく。服の上から膨らみをやんわりと掴むと、小さく声が漏れ出た。
「っあ、」
「かわいい、ナマエさん」
「ん、っ…すき、悟くん、」
こう言った時にしか聞けないナマエさんからの言葉に微笑む。そしてゆっくりと焦らすように、彼女の服へと手を掛けた。
△▼△
「…明日仕事なのに」
ぐったり、と言った様子で力尽きたナマエさんにごめんごめん、と口先ばかりの謝罪をする。だって、止められなくなっちゃうんだもん。これナマエさんのせいじゃん、僕は悪くない。
「もう、」
また、仕方ないなと笑ったナマエさんのこの顔はよく見る。呆れたような表情の裏にどこか愛しさみたいなものを感じるから、僕は存外嫌いじゃない。子どもを見る親みたいな慈愛に近い感じがするけど、それでも僕の事を受け入れて、ちゃんと愛してくれていることが分かるのだ。
「ナマエさん」
「…うん?」
「いや、うん…何でもない」
「ふふ、…なに、それ」
仕事人間だと言っていたし、それが原因で振られ続けたとも聞いていた。だけどこうして一緒に過ごしていると、節々で彼女からの愛情を感じることが出来る。
「骨抜きだなあ」
背中が剥き出しになったナマエさんに薄手の毛布を掛けながら呟くと、まだ顔を赤らめたままの彼女がそれはこっちの台詞だと唇を尖らせた。
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