暖かい柔らかな日差しが降り注ぐ中、高専の広い庭にあるベンチに座る姿を見付けた。
 最近、よく見る光景だ。此方を向いている背中は随分頼りなく見える。背中だけじゃなく、きっと俺が声を掛ければ抜け殻の様に頼りなく笑うのだろう。
 元来、ミョウジナマエはよく笑う女だった。竹を割ったような性格で、硝子とも馬が合っていた。呪術の力も強く、華奢な体からは想像も出来ないくらい近接戦が得意。俺と一緒に七海を揶揄って遊んで、硝子と一緒に授業をさぼる。傑はナマエの事を大切にしているようだったし、ナマエが傑を見る目は恋慕を含んでいた。二人がお互いの想いを告げる事は無かったようだが、それでも二人の間に流れる空気は柔らかで、耽美だった。

 しかし、傑は居なくなった。沢山の人間を殺し、大義を抱えてナマエを捨てて、俺達の元を去った。
 俺は彼女に、何と声を掛けていいのかその術を知らない。




『傑お前、ナマエの事はいいのかよ』
『――頼んだよ、悟』


 きっとあの男は、ナマエの気持ちも俺の気持ちも分かった上で、自分の気持ちを殺したのだろう。大義の為、と自身の両親まで手に掛けるあの男が、心から愛した女を手放したのだ。これから自分が向かうであろう地獄の道へと来させない為、彼女が道を外してしまわない為。
 去っていく背中を見つめる事しか出来ないまま、拳を握り締めた。掌の皮がぷつりと切れ、じんわり血が滲んでいく感覚がした。それでも、あいつが居なくなってから痛む心臓より耐える事は容易かった。

 そんなに大切なら、奪ってしまえばよかったのに。
 そんなに想うなら、一緒に生きればよかったのに。
 例えそれがナマエを傷つけることになったとしても、今のナマエの状態よりはよっぽどましだと思えた。


 どうにかしてやりたいのに、どうしたらいいか分からない。
 ナマエの傑への想いを考えると、やるせない気持ちで一杯になった。彼女の心に空いてしまった穴を埋めるのは、俺じゃない。









 ゆっくりと歩みを進め、小さい背中を見つめる。いつも伸びている背筋は頼りなく丸まっていた。
 何も掛ける言葉が見つからないままナマエの隣に座ると、気配にも気付いていなかったのか肩がピクリと揺れた。さとる、と小さく呟くナマエは目の下に硝子のような隈を携えている。

「久しぶりだね」
「・・・そうか?」
「うん、何か最近話してなかった気がする。」
「ああ・・・任務、立て込んでたから」
「そう、」

 最強は大変だね、と笑うナマエは少し痩せたように見えた。陽の光に当たって青白く見えたその顔色の悪さに、思わず手を伸ばしかける。――駄目だ、触れられない。中途半端に止まった右腕をナマエが笑った。

「なに」
「いや、お前ちゃんと食べてるか?ゾンビみてぇな色してるぞ、顔」
「大丈夫だよ」
「・・・信用できねぇ。」
「え?」
「大丈夫って言葉」

――ちょっと痩せた?大丈夫か?
――ただの夏バテさ、大丈夫。

「っ、」

 目を大きく開いた後、くしゃりと顔を歪めたナマエはきっと思い出したのだろう。そう言って、俺らの元を去った男の事を。

「さと、る」

 噛み締めた唇を薄く開いて、俺の名前が零れる。涙を目に浮かべたナマエの頬に、今度こそ触れた。しっとりとしたそこへ触れてしまえば、思ったよりも簡単だったと感じた。

「なに」

 自分でも驚く程、優しい声が出た。泣いていい。俺の前で、俺の前だけで、泣いて欲しい。そんな気持ちを込めた。

「私、傑が」

 好きだった。堪え切れなくなった涙を流しながら想いを吐露する女は扇情的で、そして綺麗だ。明るく誰にでも真っ直ぐな、強くて優しいナマエは、想いを寄せるたった一人の男の事を思って泣いている。本人に直接伝えられなかった気持ちは、皮肉な事に男と同じように彼女を想う俺の前に吐き出された。
 好きだった?そんな事くらい知ってるよ。俺はお前が好きで、ずっと見ていたんだから。
 ナマエが傑を見つめる目も、傑がナマエを優しく撫でる掌も、二人が笑い合っている顔も、全部知っている。

 濡れた睫毛が、泣いて赤くなった目尻が、俺をどうしようもなくたまらない気持ちにさせた。だけど、きっとどんなに優しい言葉を掛けても、どんなに優しく彼女を抱きしめても、ナマエの心は手に入らない気がした。

 ――何が頼んだよ、だ。
 だったらお前が空けたナマエの心の穴を塞いでから行ってくれ。


「そうか」


 ただ只管にナマエの幸福を願う俺は、彼女の心の傷口になる事しか出来ないじゃないか。
 彼女に触れている反対の掌を、ぐっと握り締めた。
 柔らかい日差しが、真っ直ぐに俺達を包み込んでいる。









僕が傷口になるよ
Oyasumi
eyes