ゆっくり、ゆっくり。
 秋色に変わりつつある近所の並木道を、口元に笑みを浮かべて歩く彼女のなんと美しいことか。
 酷かった悪阻も落ち着いて、散歩がしたいという彼女と一緒にどこへ行く目的があるわけでもなく、ただただ歩く。
 おれとしては彼女の体調が不安で仕方ない為、先程から寒くはないか、具合が悪くなってはないか、と定期的に質問するのだが彼女はその度笑って大丈夫だと答えた。

「天気、良いねえ。夏は暑くて辛かったけど、最近涼しくなってきて過ごしやすいよね。私、秋が一番好きだなあ」

 にこにこと笑い、ナマエさんは気持ちが良いほど晴れている青空を見上げながら言った。

 ああ、そうだなと答えるが空を見上げたまま歩く彼女が転んでしまわないか不安で仕方がない。
 視線を感じ取ったのか、此方を向いたナマエさんは俺の顔を見るなり声を出して笑った。

「大丈夫よ、転ばないから。サンジくん心配しすぎだよ。」

 ほら、と彼女は自身の足元を上げて見せた。ぺたんこのスニーカー。ヒールが好きだった彼女は自分のお腹に新しい命が宿ったと分かったその日から履くのをやめた。彼女が言うにはそんなの当然らしいが、おれはすでにあの時からナマエさんが母として変わっていく事に小さな感動を覚えたのだ。
 こんな小さな彼女が、母親になるのだ。


「ねえ、聞いてる?」
「え?あ、悪い」
「もう、サンジくんは良いお父さんになるねって褒めたんだけど」
「おれが?」

 彼女が良い母親になることは間違いないと言えるが、おれが良い父親になるとはどういうことなんだろうか。ナマエさんに出会うまでなんてレディの為に生きる事こそがおれの宿命、全ての女性に愛を注いでたような(それは言い過ぎかもしれないが)、そんな碌でもない男だったんだぞ。

「だって、ほら。」

 そう言ってナマエさんは自分の唇をトントン、と叩いた。それだけでは何か分からず、ん?と首を傾げたおれにナマエさんはふふっと笑った。あ、今の表情、すごく可愛い。

「煙草。我慢してるんでしょう?」

 私の前では吸わなくなったよね。という彼女にそりゃあ気付くよなあと思った。あれだけ好き放題に吸っていた煙草の本数が自分でも驚く程減ったのだ。
 分かりやすい行動だったが、彼女に見透かされていた事になんだか恥ずかしくなり、苦笑いしながら頬を掻いた。

「お腹の子にわるいだろ、」

 それにナマエさんにも。と付け加えると彼女は嬉しそうに笑った。そしてまだ膨らみは目立たないが、順調に成長している自身のお腹を優しく、撫でた。

「楽しみだね」

 産まれてくるのはまだ先だというのに、ふわりと優しく笑ったナマエさんがどうしようもなく愛おしくて胸がじんわりと熱くなる。
 はやく会いたいという気持ちが無いわけではない。でも、ナマエさんとふたりで過ごせる時間が減っていくと考えると、我が子に少しだけ嫉妬してしまう気持ちもある。
 こんなんで父親になれるのか、自嘲するがきっと彼女がなれるというので間違いはないのだろう。

 少し前を歩くナマエさんの小さな背中を見つめる。小さな背中はこれから沢山のものを背負って歩いていくのだ。勿論、おれと一緒に。
 新しい命がおれ達の間に誕生するまで、おれは存分に彼女を独り占めしてやろうと決めた。

「ナマエさん」

「ん?なあに、サンジくん」

 くるりと振り向いた彼女が転んでしまうのではないかとまた不安になった。この心配性は自分でも酷いと思うが仕方ない。

 ナマエさんと、ナマエさんとの子どもと。守れるのはおれだけなのだ。

 はい、と差し出した手を彼女は迷わずに取り、そして微笑んだ。手を繋いで、再び歩く。
 これからもずっと、こうして歩いていければいい。そう思った。









前サイトより。加筆修正行いました。
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Oyasumi
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