彼女はあまり感情を言葉にしない。
 元々口数が少ないということもあるので特に気にしていなかったが、最近になってそれが照れ隠しである事に気が付いた。
 嬉しいだとか、寂しいだとか。好きだとか愛してるだとか。そういった感情の表現を言葉として現さない。特に、後半の言葉なんて付き合ってから聞いた事がない。
 でもそんな彼女の控えめな所が好ましいと思っているし、僕が気持ちを素直に言葉にすると気まずそうに目を逸らして耳を赤くする所なんて他の奴等には絶対に見せたくないと思っている。

 ただ、偶には聞きたくなるのだ。彼女の口から、僕への愛の気持ちを。






 珍しく2人の休日が被ったので、何処かへ行かないかと彼女が作った朝食を摂りながら提案すると、「天気が良いから散歩がしたい」とおばあちゃんみたいな答えが返ってきた。いいよと頷くとじゃあこの前買ったお揃いの靴を履かないか、と今度は彼女から提案される。もしかしてそれを履きたくて散歩がしたいだなんて言ったのかな。可愛いなと思いつつ、嬉しそうな彼女を見て「そうしようか」と再び頷いた。



「気持ちいいね」

 外は薄い上着を羽織れば充分なくらいで、少し歩くには丁度いい気候だった。手を握りながらゆっくりと春らしくなった近所の公園まで歩いていく。こうやって人前で手を繋ぐ事に関して抵抗する素振りは見せず、寧ろ嬉しそうに彼女の方から繋いできてくれる事が多い。
 少しだけ前を歩くナマエに首を傾げる。どうしてスキンシップは良いのに、想いを言葉にするのは駄目なのか。

 ねえ、と言葉をかけると、なあにと彼女が振り返る。日差しを浴びた髪が薄く茶色に透き通って綺麗だ。少し眩しそうに目を細める彼女の睫毛が涙袋に影を作っていた。
 繋いでいる手を柔らかく握り直すと、ふふ、と笑いながら同じ強さで握り返してくれる。彼女の口から聞きたいことを、我慢できずに声に出してしまいそうだった。

「すき?」

 なんの脈絡も無く尋ねた言葉に少し驚いた表情を見せながらも、ナマエは控えめに微笑んだ。

「うん」

 頷くだけでも耳を若干赤く染める彼女にじわりと心の奥が温かくなって、幸せな気持ちになる。だけどね、僕はきちんとした言葉で君の愛を確かめたい。


「んーそうじゃなくて、好きって言って欲しいな」

 こてん、と首を傾げながらお願いしても、ナマエは一瞬固まった後、苦虫を潰したような表情になった。どうしてそんなに眉間に皺寄せるのさ。


「…どうして?」

「ちゃんと聞きたいなって」

「うーん…うん、そっか」

 うんうん唸りながら目線を下へと落としたナマエは、握られた僕達の手を見た。そのまま僕の手の甲を指の先で撫でたり、力を入れて握ったり緩めたり、その間も唇は真一文字に結ばれたままだった。
 どうしても言いたくないんだろうか、それとも僕の事をそれ程好きじゃないとか?いやそれは無いな、有り得ない。無い無い。

 ぶんぶん、と心の中で頭を振った僕の左腕をナマエがぐっと引っ張る。これは少し屈んで、の合図だ。殆ど無意識に近い状態で少し腰を折ると頬にナマエがそっと触れる。思考が別の場所へ行っていた僕は突然感じた温かい掌の感触にびくりと肩を震わせた。頬に手を伸ばしたナマエは、そこから特段何を始めようと言うわけでは無く、ただそっと僕の頬に手を当てていた。じんわりと感じる温かさに心地よくなって思わず目を閉じた。子どもみたいに温度の高い掌。僕の頬に触れたそれがゆっくりと溶け合っていくみたいで、心地よかった。

「ええと、…。」

 まだ戸惑う声がして、ぱちりと目を開けると喉仏を上下させながら恐る恐るといった様子でナマエが此方を見ていた。

「言えない?」

「は、恥ずかしいから」

 こうやって外で頬を触ってくるのに?そんな意地の悪い事を言ったら二度と彼女は僕に触れてこなくなるだろうから言わないけれど。

 頬に触れていた手が離れて、今度は繋いでいた手を包み込むように小さな左手が重ねられた。「ううん、」と唸るナマエはなんだか必死で可愛かった。
 そわそわと落ち着かない様子なのに、小さい掌だけはしっかりと僕の手を握っている。そこからナマエの気持ちが流れ込んでくるみたいで、ああなんだ、言葉にしなくたって伝わるじゃん。と突然腑に落ちた。耳を赤くして、唇をきゅっと結んで視線はあちこちに彷徨っていて。それでも僕に触れる手は離れないようしっかりと握りしめている。こんなの、言葉にされるよりも嬉しい事かもしれない。

「ナマエ」
「は、はい」
「すきだよ。僕も、すき」

 言葉にしなくても伝わってきたよ、君が触れた所から沢山の愛が。
 眉を下げながら笑い、「伝わった?」と聞いてきた彼女に、今度は僕から触れた。
Oyasumi
eyes