「だめじゃっ、シグルーン!!」
私の腕から逃れようともがくサナキ様に、申し訳ありません、と謝った。そして素早く自分が降りた天馬にサナキ様を乗せ、『サナキ様を頼みます』と天馬に言付ける。すると、了解したとでも言うかのように天馬は一鳴きし、翼を広げ飛び立った。
無理をなさって何時の間にか前線に出ておられたサナキ様を、急いで後方へ下げるには、この手段しかない。
「シグルーンっ……!セフェラン、セフェランッ!!」
サナキ様の悲痛な声と、天馬が羽ばたき去っていく音を背に、私はすぐ後ろにいた“敵”を振り返り見た。
だんだんとサナキ様が離れていくのを音で感じ取りながら、その“敵”に槍を向けた。
「……私を殺せますか?シグルーン」
目の前に立つ“敵”の男は、ついこの先日会った時と同じように、私に微笑んだ。
この“敵”は――サナキ様には直接は攻撃してこなかった。だが、この場にいる全員を一度に攻撃してきた魔法だけは、サナキ様も攻撃対象のようだった。そしてその威力はどうやら術者との距離が近いほど高まるらしい――そう気が付いた私は、サナキ様を後方へ下げた。いくら魔法攻撃とはいえ、サナキ様にも致命的な傷を与えうる威力であるのは目に明らかだったのだ。
そして“精霊”というのか……私は初めて見るものだが、それも敵意をもって私たちを攻撃してくる。それでも、それらの強さは、戦った感じからしてこの目の前にいる“敵”の比ではなかった。
サナキ様は魔法に対する耐性は高い、おそらく後方にいれば精霊の攻撃に晒されても重傷には至らぬだろう。これで不安要素は取り除かれた。つまり、
「もちろんですわ――、セフェラン様!」
刹那、魔法を発動しようと詠唱し始めた“敵”の懐へ踏み込む。
相手は魔道士。こちらは天馬無しとは言え、騎士としてありとあらゆる訓練を受けている。
神使親衛隊隊長としての自負もある――この間合いでは、負けはしない。
「はッ!」
「……っ!」
流石と言うべきなのか、繰り出す槍はひらりと躱され、易くは届かない。そうして普通の魔道士とは比べ物にならぬ早さで発動しかけた魔法を、魔道書を槍で払い落としどうにか阻止する。しかし“敵”も素早い動きで体制を立て直し、距離をとって再び詠唱を始める。
――魔道書無しでも、魔法を発動できるということ?それでも、
「そうは……させません、ッ!!」
一気に距離を詰める。手にもった槍を、渾身の力で突き出す。
その瞬間、私は勝利を確信した。…セフェラン様は、驚くほど隙だらけだったから。
そう、それはまるで――
――鈍い音。肉を裂く感触。
流れる赤い血、揺れる身体。刺さった槍。その決着は、一瞬でついた。
死に至る傷を与えたはずだ――間違いなく、そう狙ったから。
それでも、なんとか自らの力で立ち踏みとどまった“敵”は、そっと私に寄りかかってきた。そうして囁くような声で言った。
「強く、なりましたね……。シグルーン」
血ですべりそうになった槍を握りなおすと、やけにその赤いものが生温かく感じられた。
「……いいえ。わざとだったのでしょう?」
先ほど、私が勝てるようにと、隙を作っていたのは。
そう返すと、セフェラン様はいつものように、柔らかく優しげに笑った。
「それが……わかる、のだったら……、やはり、あなたは……強く、なりましたよ……」
「――っ」
私があなたのその笑顔に弱いと、きっと、知っているのでしょう?
それなのに、こんな時でさえ私に微笑みかけるのですね。あなたという人は。
「私は……っ。いえ……私も、サナキ様も、あなたが……!」
私が声を荒げると、セフェラン様は弱々しく頭を振った。もう、力が入らないのだろう。
それは拒絶の合図だった。これ以上は、何も言うなという。
「最後に……、ひとつだけ……あなたに頼みます」
聞き取れないほど小さく、掠れた声だった。
「サナキ様のこと……おねが、しま……す……」
それだけ言うと、セフェラン様の身体から力が抜けた。
私が抱きとめていたこの人は、急に重くなり、今、人から物になってしまった。
「……もちろん、ですわ……。セフェラン、様……!」
……ああ。
今、あなたを殺して生きている私が、こんなにも苦しくて痛いのなら。
今、槍に貫かれ死んで逝ったあなたは、どれほど辛かったのだろう。
寄りかかってきていた“それ”の重さに耐え切れなくなった私の体は、だらしなく崩れ落ちる。床にぶつかった槍は、嫌な音を反響させた。
私の上に覆い被さった“それ”とは対照的に、私の下にある床はひどく冷えた感触を与えた。
そうしてその“上”からは、赤くて生温かい液体が滂沱に伝ってきた。
「……、こんな、想いなど……」
――そう。あなたを恋い慕い愛しく想う、私のこんな気持ちなど。
あなたと共に、
「殺してしまえればよかったのに」
(I was not able to kill it...)
END
08/03/30 掲載
20/09/06 修正
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