「セフェラン!今日の午後の予定じゃが――」
「はい?どうしましたサナキ様」
「全てキャンセルじゃ!!」
「却下です」
「じょ、冗談に決まっておろう……その……そんな怖い顔をするな」
そんな、ベグニオン帝国の皇帝であり神使であるサナキと、それを補佐する宰相セフェランとの、ある麗らかな日のやりとり。
「もちろん、そんなことは分かっておりますよ」
「そ、そうか……?それにしては目が……笑っていないような……?」
「そうでしょうか?ふふふ……」
そしてその傍らに、目を細め、眩しそうに二人を見ている女性が一人。
「こらシグルーン!笑ってないで助けるのじゃ!」
自らの仕える主からの無茶な要求に、苦笑いで応じる。
「まあまあセフェラン様、このくらいで」
「そうですね……では、サナキ様?そろそろお時間ですよ?」
「う、うむ……」
そのさも嫌だというぎこちない少女の動作に、宰相の男はやっと、いつもの自然な微笑みを浮かべた。
それに合わせてか、神使サナキも、観念したようにてきぱきと歩みだす。
そして、それを見ていた、神使親衛隊の隊長たるシグルーンは、主の幼き日の情景を重ねながら、思うのであった。
この――セフェランの微笑みは、まるで魔法のようだ、と。
それは恐らく、この男が忽然と現れ、めきめきと頭角を現し、いつの間にか現在の地位に収まっていた今日の日まで、神使を取り巻いていた多くの者たちが等しく感じたことであろう。
事実、当時皇帝サナキは、この男の手によってのみ泣き止み、そのためにここまでの大抜擢をされたようなものなのだから。
それにしても、それだけではない。――と、シグルーンは思った。
もちろん、セフェランのその類稀なる美麗な容姿は目を引くし、無視できない要素であろう。しかしそれ以上に、なにか惹きつけられるものがあるのだ、この男には。
現に、お飾りとして扱われると思われたこの宰相と神使は、いつしか実力をつけ、支持者を集めるようになった。それは自分たち神使親衛隊のみならず、民衆にとっても同じで、絶大な求心力を持つに至ったと言ってもいいだろう。
それに――個人的な感情を付け加えるならば。
シグルーンは、並んで歩いて行く二人の背中を、一歩後ろから見つめながら、思う。
この人が微笑むと、ひどく安心するのだ。私自身。
そう、それは本当にまるで、魔法のように。
***
一日の執務を終え、宰相の男は、自分の配下の男を呼びだした。
「――お呼びでしょうか」
すぐにそれに応じてやって来た男に、彼は笑みを向けた。
「ええ、ゼルギウス、ご苦労さまです。今度また、動いてほしい件があります」
宰相の忠実なる部下であるゼルギウスは、しばし彼の言葉に耳を傾けた。
「……承知しました」
「そう、あとそれから」
「何でしょうか」
「先日あなたの耳に入れた件ですが……やはり私の方で、先に片づけておきましたので」
主が微笑みながらのたまった言葉に、ゼルギウスはしばし絶句する。
それからどうにか、「わかりました」とだけ答えて退出すると、彼もまた、思うのであった。
主の――あの微笑みは、まるで魔法のようだ、と。
先程言っていた件については、とてもじゃないが「私がやっておきました」で済むようなものではなかったはずだ。それを、あんな風に、いとも簡単に、雑作もないように言われては、そう思うのも仕方がないだろう。
そう、あの方の笑みは、まるで魔法のようだ。
ゼルギウスは、心の中でその言葉をまた呟く。
自らもまた、その魔法にかけられて、いつの間にかここまで来てしまったような気さえしている。
現に、彼が、「私も君と同じです」、そう言って微笑みを浮かべたとき、自分はこうなることを決めてしまったのだから。
そして主は、いつもその微笑みを身に纏って、周囲を惑わす。
神使も、その親衛隊も、元老院の議員どもも、民衆も、そして私も。
――しかし、とゼルギウスは思う。
そんな主の微笑みにも、どこか哀しさを感じずにはいられないのだ。
それはまるで、その微笑みで本当に惑わしているのは、自分自身だと言わんばかりの。
自分はそんな、主の孤独に惹かれたのかもしれない。
だが――と、さらにゼルギウスは付け加える。
あの主の微笑みを見ていると、それすらも分からなくなる。
そうして、人々を、私を引き寄せようとする、その哀しみさえも、あるいは、
――そこまで考えて、廊下の曲がり角で、向こうから誰かがやって来るのが見えた。
「あら……お疲れ様です、ゼルギウス将軍」
神使親衛隊隊長の、シグルーンだった。
それから少し、立ち話をした。彼女は、今日あったことをいくつか話してくれた。
「そういえば、ゼルギウス将軍はどちらへ?」
なんとなく、確信ありげな彼女のその声色に、ええ、と返す。
「つい先程、呼び出されてしまいましてね……我らが宰相殿に」
彼女は私がこちらへよく来ていることを知っているし、特に漏らして不味い情報でもないので、素直に話す。
「そうでしたか」
それを聞いてわずかにゆるんだ彼女の表情に、私は少し恐ろしくなった。
「それにしてもあの方の――セフェラン様の微笑みは、まるで魔法のようですわね」
全く、その通りだ。そう、ゼルギウスは心の底から思う。
この目の前の彼女のように――主のあの微笑みは、どうしようもなく、人を惹きつけずにはいられないのだから。
END
12/08/12掲載
20/05/17修正
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