高潔な瞳が好きだった。
イアン・レヴィナスのファンになることは、そんなに奇特なことじゃない。だって少なくともスリザリン寮にいる大概の女の子は、彼を悪くは思わないのだから。
そうじゃなかったらアフター・ディナー・ティーの時に、いつもあんなに彼の名前が挙がることはない。彼女達は他の量の女の子達のように彼の腕に自分の腕を絡ませたり、まさか寄り掛かるなんてことはしない、彼と同寮なのをいいことに一挙手一投足を見逃さず、ちょっとの話題に──例えば、彼が、あの彼が!魔法史の時間、少し居眠りをしていたことだったり!──するのだ。
二つ年上─つまりは彼と同い年─のミス・ミドルトンは、クスクスと笑って彼女お気に入りのディンブラをカップに注いだ。
「レイブンクローの…何と言ったかしら。3年生の、ブルネットをアップにした、目と鼻の大きな子」
「ビアンカ・トインビーのこと?」
「ああそうだわ、聞いたかしら?彼女、イアンを次のホグズミードへ誘ったらしいわ」
「まあ、彼とそんなに仲が良かったかしら?」
「トインビーは彼の妹のほうとよく話すようね、何が目的かなんて知れているけど」
「彼女とホグズミードへいくのかしら」
「まさか」
クスクスと今日も談話室で響く笑い声をBGMに私はあのうつくしい瞳を思い出すのだ。
ピーコックブルーの、あの瞳。見事な孔雀の羽根のように鮮やかで、しかし静かな、あの瞳。
「ミス・グリーングラス、よろしければ僕と」
穏やかな波を携えたようなあの、ピーコックブルーが私を捉えて離さない。彼の瞳に映る私はどんなに拙く、どんなに滑稽だったろう。
「い、今なんと?」
「ミス・グリーングラス、よろしければ僕と踊って頂けませんか」
その時、パンジーもミリセントも、アステリアも、ミス・ミドルトンもみんな口を開けて、私達をみていた。呆けたように目を見開いた私を、彼は困ったように、しかし優美に、ただ笑っていた。
「…ええ、もちろん、喜んでお受け致しますわ」
「ありがとう」
よろしければお手をと差し出された手に、震える手を重ねた。信じられない。ダンスのステップは何度も何度もレッスンして染み付いているはずなのに、何も思い出せやしない。背に回された彼のしなやかでそれでいて骨ばった男性らしい手と、ずっと遠くから見るだけだったおとぎ話より美しい彼の顔を意識するのに精一杯だった。
背が高い、並んでみるとよくわかる。脚の長さも全然違って、彼の脚に蹴躓きそうなところを、何度もフォローして貰った。
彼が穏やかに、──なんて甘く、美しい声なんだろう──何か言ったが、それもよくわからなかった。たぶん、緊張しなくていい、などといった声掛けだっただろう。そうは言われても、出来ないものは、出来ないのだ。
だって信じられないことに、私の手を取る彼は、かの有名なイアン・レヴィナスなのだから!
「僕はアルフォンスのように上手く言えないのがもどかしいが、ドレスとても似合っているよ」
「あ、ありがとう」
光栄だわ、あなたも素敵よ。そう言えれば良かったのに、お礼を言うので精一杯だ。彼はいっそう綺麗に笑うので、私はまたクラクラしてしまった。
「ダフネ、ありがとう」
彼の手を離し帰ってきた私にパンジーやミリセントは揃ってどういうことなのと詰め寄った。誰よりも私が聞きたい。ミス・ミドルトンはすかさず彼に近寄ったが、彼もまた、ミスター・ヴィオネに呼ばれて、あえなく断られたようだった。
何故私だったのだろう。私はそればかりを気にしていた。あの会場にいた女性は──言うならばミスもミセスも問わずに──誰ひとり彼の誘いを断らないことだろう。ミス・ミドルトン達が彼の誘いを待っていて、熱い視線を送っていたことも、きっと彼は分かっていたはずだ。
グリーングラス家は確かに聖28一族に入る立派な純血一家だ。だから私を選ばれたのだろうけど、もっと相応しい人はいたはずだ。特別美人でもない私より、背も高くて綺麗なミス・ミドルトンを横に置いたほうが映えることぐらいフランス生まれの彼だってわかっただろう。あぁ、周りには、どんなに滑稽に映っただろう。
それからのことは何も覚えていない。何人かと踊ったような、パンジー達と何か話したような気がするけれど、何一つ覚えてないのだ。
それから彼は何の戯れだろうか、度々私に話かけてくれるようになった。授業はどうか、だとかそんな他愛ない小さな話だ。彼によく会うのは図書館で、彼は暇な時間は大体ここの奥のほうの席にいるからわからないことがあれば来てくれて構わない、と彼は言った。
窓側奥の席が彼の特等席なことなんて、図書館に来る人や彼のファンならきっと知ってる。その席でよくハッフルパフのハンサムな彼の友人、ディゴリーと勉強をしていたり、窓の外をひどく穏やかな顔で眺めているのもファンの間じゃ少しばかり有名なお話だった。
けれど私はまるで初めて聞いた話かのように、そうなのねきっと行くわと彼に返事をした。
変身術の宿題に詰まっていたある日、息抜きに散歩でも、と図書館を抜けたところ彼と会った。
「変身術?」
「ええ、実技はまだマシだけれど、理論が」
「理詰めな科目だ。皆が得意としないよ」
いい名前だ、と彼は言った。
「ギリシャ神話という伝承を?」
「いいえ、知らないわ」
彼は聡明で、また博識だった。様々なことに造詣が深く、まるで彼には知らないことなんてないようだった。品のいい唇を優雅につりあげ、彼はゆっくりと言葉を連ねる。
「そうだね、知らなくとも無理もない、マグルに伝わる伝承だ。ダフネとはギリシャ神話に出てくる美しい女神の名だ。ダフネは芸術・太陽の神アポロンに求愛され、迫られ河まで追い込まれる。自らの父、河の神に月桂樹へ変身させてくれと頼むんだ。彼女の父はその希望を聞き入れ、彼女を月桂樹へ変えた。アポロンは酷く悲しみ、永遠の愛の証としてその月桂樹より月桂冠を作り、身につけたそうだ。ダフネとは、つまり月桂樹を指す、栄光と勝利のシンボルだ」
彼は1つ花を摘んでクルクルと杖先を回す。花の茎は次第に伸びて輪をつくり、同時にまた茎から新たな花を咲かせた。彼は綺麗な花冠を作ってみせると、月桂冠ではないけれどねと笑って私の頭に乗せた。
「アポロンはなぜ彼女が好きだったのかしら」
「エロスという性愛を司る神がいる。エロスがもつ弓矢の黄金の矢は、そうだな、言わばアモルテンシアのようなもので、この矢に射られたものは激しい愛情にとりつかれる。アポロンは彼を揶揄し、その報復にこの矢をエロスに射られた。反対にダフネはエロスに鉛の矢、これは射られると恋情を嫌悪するようになるんだが、これで射られたんだよ」
「あなたは、どちらの矢を射られたの」
ひどいひと。
指先の熱は今日もくすぶっている