天馬


重たくかたまった瞼をよいこらせと開くと、目の前には見慣れたいつもの天井がそこにあった。
随分長いこと寝てたんだろうなあ、まぶしさを我慢して暗がりの中携帯を開くとまだ午前4時過ぎだった。頭に貼り付けたぬるい冷えピタを外してうつ伏せにベッドへ倒れこむ。そういえば明日だっけ明後日だっけ、今度から新しい学校なんだよなぁ。転校するなんてこと私の人生では結構大きなことなのに、ここ数日熱でぐらぐらする頭で考えているからかとても重大なことには思えない。こんなときに風邪引くなんて運が悪すぎてもうなにも言えない喉痛い。挨拶のときに言う文句はどうしよう。制服のボタンは二つ開けていいのかな。もし今日が登校初日だったらどうしようかな。てかまだ熱あるのかな。まあどうでもいいや喉痛い寝よ。




「春ー!起きてる?」

遠くから母さんの声がする。もう朝なのか。つか今しゅんって言ったな。昔、女の子がよくするおままごと遊び?それで男の子役をするときに名前の読み方をしゅんに変えて呼ばれてたんだけど、なんで娘が熱出て倒れてんのにそんな名前で呼ぶかなぁ。

「春!起きてるなら返事しなさい!あ、もしかして喉が痛くてしゃべれないの?だったらホラ、飴食べなさい飴。それともう熱は下がった?あらその顔色なら大丈夫そうね。今日のうちに体調整えとかないと明日色々大変よ〜。休ませないからね!」

ノックもなしにドアを開けるなりいきなりしゃべりまくりながら飴を差し出す母さん。今日もエプロン似合ってますね。
しゃべれない程じゃないんだけど押し付けられた飴を受け取ると、口の中に放りこんだ。うわ、これソーダ味じゃん喉いてえ。

「明日はアンタがずっと行きたい行きたいいってた念願の雷門中なんだからね!しっかりしなさいよ」

はーいはいわかったよと聞き流したかったのだけれども、母親の言葉に出てきた馴染みのない単語にぴく、と眉が引きつったのを感じた。

「はぁー?何いってんの母さん雷門中って。アニメと現実を混同させてもらっちゃ困りますうー」

「アニメ?アンタがアニメなんて言うの珍しいわね。今何かアニメが関係あったの」

はい?いたって普通に返事を返すエプロンの母さん。今日4月じゃなかったよね1日じゃないよね。ついにおかしくなっちゃったかと少し心配しながら雷門中?と聞き返すとアンタが行く学校よと言われた。

「えと、雷門中って。あれ、もしかしてリアルに雷門中っていう中学校あるのかな。いや、ない絶対なかったあるわけない……」

よね。え、なに私がおかしいの。いやそんなはずない、しかも私高校生じゃなかったっけ。100歩譲っても雷門高校のはず。意味わかんないと母さんに言うと私もアンタがなに言ってるのかわからないわと言われてしまった。

「まあとりあえず、元気になったなら学校の準備しなさい。制服はクローゼットの中に入ってるから、サイズ合うか試しておいてね」

そのあともたぶん私に言っているだろう命令をぶつくさいいながら部屋を出て行ってしまった。
一人になった私は、さっき母親が言っていた不可解なことを解明しようと部屋の中を歩き回って考えていると、マイルームに違和感があることに気が付いた。……というか、なにこれ全然違うんですけど。
まずカーテンの色が違う。見るだけで温かくなってくる陽だまり色のカーテンは、無残にも無機質でまっ黒な布に変わってしまっている。そしてこの間まで使っていたランドセル(クローゼットに押し込めるのは悲しいので棚に置いていた)も、きれいなトマト色ではなく傷だらけのブラック一色になっていた。そのほか机に置いている筆箱ベッドの脇のクッションよくみればさっきまでかぶっていた掛け布団さえもすべて黒色に変身していた。ばっと見て唯一変わらない色は白い壁と木製の勉強机と……たんすの上に置いてある、黒と白で基準されたサッカーボール。とまあ一言でいうと暖色ばかりだった元のお部屋がボールに合わせたかのように白黒白。ここ誰の部屋だよ、と思ったけれども置いている物はほぼ変わっておらず。ほんと意味がわからないの一言だよ。さっきは母さんの口からいきなり雷門中なんて言葉が飛び出るし。あの人アニメ反対派だったよね?私が寝込んでる間になにがあったんだよおもう。

ああこれ私1人で考えてても埒が明かないパターンだな。母さんに聞きに行こう。そうだよ最初から聞きに行けばよかったんだよーばかやろー。

一階に降りる階段横の鏡の前を通ったとき、ちらりと弟の姿が見えたような気がした。

「あれ、あいつもう帰ってきてるのかな」

それどころじゃないからとても気にしていられず、母さんがいるはずのリビングへ向かった。

「あら、こんどはどうしたの」
「母さん、もしかして寝てる間に勝手にリフォームした?」

ばさばさと本当に読んでいたのかわからない新聞を折りたたんで床に置いた母さんは、さっきよりもっと訝しげな顔をしていた。

「リフォーム?うちにそんなお金あるわけないじゃない」
「あっ、いやリフォームというより、模様替え、みたいな」
「なにもしてないわよ〜。アンタもしかしてまだ熱でもあるんじゃない」

ほらしゃべり方もおかしいし、と続ける母さん。
しゃべり方、って。いつもこんな風だったと思うんだけどなぁ。母さんの言うとおりまだ熱あるのかもしれない。もう一回寝てみよ。
昼飯まで仮眠しますわぁ〜と言うと、しっかりねーと返されてしまった。



あれ。
場所はさっき通った鏡の前。弟が見えたはずの鏡の前。

「えっ、どうしたの弟」

今度はあろうことか、鏡の中に弟が、いる。閉じ込められて、いる。鏡の前に立っている人物を反射して、いる。

「あれ、おとうと……」

と、呟くと、鏡の中の弟もはっきりと口を「おとうと」の形に動かしていた。

「えっ、弟?あなた、おとうと。わたし、も、おとうと………」

えっと、鏡ってその前にある物を左右対称に映し出す物、だよね。
私が口を動かすと、鏡の中の弟も同じように口を動かす。私が勢いよくしゃがむと鏡の中の弟も一瞬のタイミングでしゃがみこんでいる。私がへんな踊りを踊っても、また鏡の中の弟は振りコピ(ミラーのほう)を完璧にやってのけている。
というか、コピーというよりさ、鏡の中の弟というよりさぁ。

「つまりは私が、おとうと、だって、こと……でしょ」

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