天馬


○バレンタインネタ


今日もくるくるの髪がすてき、松風天馬くん。風になびいた茶色の髪が、子犬のようでとても愛らしいわ。

こんなに朝早くからサッカーの……ドリブルというのかしら、あまり詳しくないからわからないのだけれど、一人で練習をしているなんて。気合入れて早起きしてよかったわ。用意もばっちり。今日こそ松風天馬くんに話しかけるのよ。そして、この、見た目は貧相だけど頑張ったんだもの、きっと松風天馬くんなら喜んで受け取ってくれるわ。うん、きっとそう。どうやって渡そうかしら。下駄箱に忍ばせる?それとも机の中に入れておく……やだ、私ったら話しかけるって決めたじゃないの。直接、直接渡すのよ。そうよ、今って絶好のチャンスじゃない?こんなに早い時間、誰も同級生なんていないわよね。うん、大丈夫。彼、とても練習に夢中だけれど、私に気付いてくれるかしら。大きい声で呼ぶのよ、さんはい、

「天馬ー!」

もちろん私が呼んだ訳じゃないわよ。斜め後ろから突然大声がしたの。あの声は空野さんね。大丈夫、木陰に隠れているから私の姿は見えないわ。彼女もこんな時間に登校するのかしら。

「あれっ、葵?」
「おはよう、天馬。今日も練習、頑張ってるね」

松風天馬くんも彼女が来たのが意外だったみたいで、少し驚いた顔をしているわ。だけどすぐいつもの笑顔になって、仲が良さそうにおしゃべりをする2人。ああ、一度でいいから私にも、あんな風に笑いかけてほしいものだわ……。いけない、受け身じゃだめだって今までの経験で学んだじゃないの。私から行くのよ、突撃するの!でも今は空野さんが来てしまったからどうしようもないわ。あの2人に割って入るほどの度胸はあいにく持ち合わせてないの。ここはひとまず退散ね。もうそろそろ校門も開く時間のようですし、一足先に教室へ行って待ってましょうか。



おかしいわ、あんなに早くに家を出ていた松風天馬くんがまだ来ていないわ。てっきり早く来るだろうと踏んでいたからそのときに渡そうと思っていたのに……。もうみんなが登校してきてしまっているからここでは渡せないわ。よく考えれば朝1番に教室で渡そうとしても一緒に空野さんがいたじゃない、最初から教室では渡せなかったのよ。いえ、違うわ、彼女の前で渡すことによってアピールすることができるじゃないの。私とあなたはライバルなのよ!あなたの方がとっても有利だけれども、私も負けていられないわ、と。
そうよ、その手でいきましょう。なにも渡すのは朝じゃなくて全然いいのよ、放課後でもいいじゃない。あの2人は西園くんと一緒にサッカー棟へ行くはずだから、そのときに渡しましょう。
そういえば、勝手にライバルだなんて言ってしまったけれども、空野さんは松風天馬くんのこと、恋愛の感情として好きなのかしら。わからないわ。



わりと重量感のあるチャイムが響く、雷門中。さあ、運命の時間がやってきたわ。このチャンスを逃せば後は部活が終わるまで待っていなければいけないの。好きな人を待つために夕暮れの中一人佇むのも雰囲気があっていいと思うわ、でもこの寒い2月に運動も何もしないでぼーっと突っ立っていれるわけないじゃない。急ぐのよ。

「天馬ー!葵ー!行こう」

一足先に廊下に出たらしい西園くんが呼んでいるわ、今ならクラスメイトも少ない、絶好のタイミングよ!

「あっ、天馬信助、ちょっと待って」
「うん?なになに」
「ほら、今日バレンタインでしょ?作ってきたの。二人のぶん、先に渡しておくわ」

はい、と笑いながら二人にかわいいラッピングのチョコレートを渡す空野さん が 視界に うつった。

「うわああああおいしそうだね!ありがと!」
「葵、ありがとう!」

私がボーゼンとしている間に三人手作り?すごいね!そんなことないよ。とゆっくりとした足取りで教室を出て行こうとしていた。
い、いけない、ライバルに先を越されてしまったわ……。
三人はもう教室から出ていってしまったわ。急がないと!箱のリボンは綺麗に結べているわね、準備万端!歩くのの倍のスピード、駆け足でドアを抜ける、前に、慌てた顔の松風天馬くんとドアの前でどかーんとぶつかってしまった。尾てい骨が痛いわ、尻もちをつくなんて何年ぶりかしら、ハッ、それどころじゃないわ、私、今、松風天馬くんとぶつかったのよ!どうしてかしら!

「いててててて……ごめんね苗字さん!立てる?」

私より先に立ち上がったらしい松風天馬くんが目の前に手を差し伸べる、手を、差し伸べる?これは私が、握ってもいいのかしら……。名前も、初めて呼ばれたような気がするわ。今日は人生始まって以来の記念日ね。
初めて握った松風天馬くんの右手は、予想とは違って少しごつごつしていて、これが中学生の、スポーツをしている男の子の手なのね、色々な意味で感動だわ。

「こっ、こちらこそごっ、めんなさい!お怪我はありませんか!」

掴んだ手に力を入れるとひょいっと引き上げられた。わ、わわわわ、想像以上に距離が近いわね、こんなに近付いたことなんて今までにあったかしら。

「大丈夫だよ!ぶつかったのはオレなんだし! あ、これ」

にひひ、というような顔で松風天馬くんが渡してきたのは、私がずーっと渡そうと思っていた、チョコレートの箱。落とした衝撃でか、少しリボンが折れてしまっている。贈る相手からはいこれと贈り物を渡されるなんてこんなシチュエーション、あっていいのかしら。

「あ、ああああの!そは、それは……」
「え?」
「それはっ、松風くんの、よ!」

箱を精一杯押し返して廊下の端に逃げてきてしまった。今のは、タイミングがいいといえるのかしら。なにはともあれ、渡せてよかったわ。
そのまま帰ろうとすると、ふと、かばんをまだ教室においてあることに気がついた。
どうしよう、松風天馬くん、教室にいるのよね。もしかしたらもう行ってしまったかも。
そろりそろりとさっきの教室に近付いていくと、カシャンとドアが鳴って、松風天馬くんがぴょいっと飛び出てきた。

「あっ、苗字さん!」
「っ!」
「チョコ、ありがとう!」

こちらに大きく手を振りながら、向こうに走って行った松風天馬くん。
なにはともあれ、渡せて、よかったわ。


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