OP カク夢/男主



偉大なる航路にあるセント・ポプラ。別名、春の女王の町。普段はその別名通りの温暖な気候と快晴の下に咲く花々が売りなのだが、今日は強い雨が降っていた。

おれは盛大に暇を持て余しながら、その雨を降らせている分厚い雲を病室の窓から見上げる。
ここはセント・ポプラの中心街のはずれにある病院だ。それも設備はボロく、医者の腕もギリギリセーフのヤブ医者寄りの病院である。しかし何と言っても入院費が安いので、そんな病院でも今日まで存続しているというわけだ。
かく言うおれも諸事情で脚の骨を折ったわけだが、高額な入院費を惜しみここに担ぎ込まれるに至った。今思えばナースの可愛い所に入院すべきだったと悔やまれる。この病院、よりによってナースまでもアレなのだ。
先日までいた同室の患者は回復して晴れやかな顔で退院していったので話し相手もいない。そりゃこの病院、良いところを探そうと頑張っても本当に入院費が安い以外の長所が出てこないからな。見舞いに来た知り合いも口を揃えて「椅子の座り心地が最悪」と言い、見舞いもそこそこに帰っていく始末だ。退院できるとなれば晴れやかな顔にもなるのも頷ける。

さて、昼寝をするにも午前中寝まくったせいで全然眠くないし、新聞は世経新聞も地元新聞も隅から隅まで読み尽くした。見舞いで貰った品はバナナばかりで、食べ飽きた今となっては見るのも嫌なほどだ。箱の上にタオルをかけることで視界から遮断してある。
おれが見飽きた黄色を思い出して思わず遠い目をしていると、俄かに廊下の方が騒がしくなった。
不思議に思い松葉杖を使ってベッドから立ち上がる。ギプスを嵌められた左脚を庇いながら病室の出入り口から廊下を覗くと、新たな患者が運ばれてきたようだ。
どうやら余程の急患のようで、ずぶ濡れの巨漢が腕に抱えた布の塊を医者に見せていた。その巨漢の後ろにも何人かずぶ濡れの男たちが立っている。何だかよく分からないが、ただ事ではないなということだけはひしひしと察せられた。
暇を持て余していたおれは多少の野次馬根性がくすぐられた。くすぐられたが、そのまま病室に引き返した。
好奇心は猫を殺す。藪を突くと蛇が出る。君子危うきに近寄らず。とにもかくにも先人たちは面倒ごとに首を突っ込むなと言っているのだ、おれもそれに倣うべきである。
ベッドに戻ると俄に賑やかになった廊下の声をBGMに、隅から隅まで読んだ地元の新聞を再び手に取って広げた。
一面にはウォーターセブン市長の暗殺未遂事件の記事が載っている。地元新聞は海列車で繋がっている近隣の島の事件も扱うことがあるのだが最新号はあまりに他にネタがなかったのか、この事件のことが事細かに書かれていた。
「麦わら海賊団かあ。こーんな呑気な顔してんのにおっかねぇなあ。1億越えの海賊なんて絶っっっ対に遭遇したくない」
記事に載ってる写真を眺めて思わず愚痴をこぼす。のんびり安全な場所で療養できることの幸運に感謝しながら新聞を折りたたんだ。
ちょうどよくあくびが溢れる。ようやく忍び寄ってきた眠気に任せて目を閉じた。
外は雨。病室は貸切状態。左足は骨折中。暇つぶしになりそうなものは病室の外で起きてる面倒ごとだけ。となればやはり入院生活は寝るに限るのだ。


「い゛っつーーーー!」
「すまん!確認不足じゃった!医者を呼ぶか?」
昼寝から起きたおれはのろのろとトイレに向かい、のろのろと用を足し、のろのろと出てきた所で痛みに悲鳴をあげることになった。というのも、人とぶつかりそうになり避けようとしてうっかり負傷している左足に全体重をかけてしまったからだ。
痛みに呻くおれを相手が気遣ってくれるが、主にぼーっとしていたおれの自業自得だ。しかも相手はコケそうになったおれを咄嗟にしっかり支えてくれていた。コケていたら多分もっと大変なことになっていたので非常にありがたい。
「いやこっちこそぼーっとしてて、すんません。支えてくれてありがとうございます」
「なんのなんの。ナラの木材に比べたら大したことないわい」
「うーん、共感しにくい例え。木材屋さんっすか?」
落とした松葉杖を拾ってもらい体制を立て直す。そこでようやくまともに相手の男を見た。というか男の鼻を見た。鼻が、すごく、長いです。
「木材屋ではないが、まあ、昔似たような仕事をしていての」
「はあ…」
鼻に注目するばかり思わず生返事をしてしまう。相手の言葉も右から左だ。
いやだって、そんなに長い鼻、さすがに気になる。鼻をまじまじと見つめるおれを具合が悪くなったと思ったのか、男が目の前で手を振って意識確認をしてくる。
あなたの鼻を見つめてました、と正直には言えず「大丈夫です。意識あります」と返した。不躾に鼻を見ていたおれを気づかってくれるとは善い鼻だな。
「それじゃ、おれ病室に戻りますんで。すんませんした」
「わしの方こそすまんかっ」
その時鼻の男の言葉を遮って、ぐおーーーだか、ごおーーーーだか獣の唸り声のような音がした。何事だと驚いて周囲を警戒していると、鼻の男が言った。
「すまん、わしじゃ。ほぼ丸一日何も食べてないんじゃ」
その発言にふと面倒ごとの予感がしたが、何しろ壮絶な腹の虫の音を聞いてしまった所である。もしかしたら腹の虫の断末魔だったのかもしれない。それくらい悲痛な音を目の前で聞かされて黙って立ち去るのも人としてどうだろうか。
そしておれは自分のベッド脇の棚に積み上げられた忌々しい黄色のあいつらを思い出した。
目の前の男は腹が減っている、おれはあの黄色を向こう1年は見たくない。完全に利害は一致した。
「甘いもの好きですか?」


鼻の男改め、カクは患者ではないらしい。大怪我をした知人の付き添いでこの病院に来たそうだ。そのわりに本人も服の下から包帯が見え隠れしているのだが、患者でないとすればこれはそういうファッションなのだろうか。だとしたら気まずいのでそこには触れないことにした。
聞けば同い年らしいので苦手な敬語を使うのはすぐにやめた。口調が仙人のそれだったので、すっかり爺さんがすごい若作りをしているのかと思ったのに。紛らわしいやつである。

おれはカクを連れて自分の病室へと戻り、ベッド脇に積まれた箱の1番上を覆っていたタオルを外す。
「バナナばっかりだけど好きなだけどうぞ」
「わしバナナ大好きじゃ!」
今時幼児でもバナナごときでそこまで喜ばんだろ、と言いかけたがどうにかその言葉は飲み込む。空腹が過ぎて大袈裟なことを言ってるのではとも思ったが、目を輝かせて嬉しそうにしているので嘘ではないらしい。バナナも傷む前に喜んで食べてもらえたら本望だろう。
カクは見舞い客用の椅子に腰を下ろし、さっそくバナナを食べはじめた。
「うまっ!ナマエのバナナうまいぞ」
「待て待て待て、その言い方は何か嫌だ!」
おれの抗議にも全く気にする様子はなく、カクは2口で早々に1本完食すると流れるように2本目、3本目と手にとる。あっという間に5本ほど完食してしまった。もしやフードファイターなのだろうか。
バナナだけでは喉が渇くだろうとベッド脇の小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを差し出す。カクはありがとうと言いながら受け取ると勢いよく飲んだ。水を飲んで一息ついたら余裕が出てきたのか、カクが怪訝そうに口を開いた。
「この椅子……座り心地最悪じゃな」
「いや、今更?」
改めてベッドの端に座るおれの隣に座り直し、大量に積まれたバナナをしげしげと見つめた。
「しかし何でこんなにバナナばっかり……もしやバナナ農園の人か?」
「そう思われても仕方ない状態なのは認める。いや、見舞いに来た奴らがみんな示し合わせたようにバナナばっかり持ってくんだよ」
「なるほど、ナマエが余程普段からバナナ好きをアピールしておったんじゃな」
「んなわけないだろ」
「じゃあバナナを助けた恩返しとか」
「うっ、当たらずとも遠からずなのが悔しい……」
「なんじゃ、本当にバナナを助けたのか?」
カク丸い目を更に丸くしてこちらを見るので、おれはバナナ富豪となった経緯を語って聞かせることにした。しかしおれは誓ってバナナを助けたわけではないのだ。


その日、おれは多忙な職場から久々に数日間の有給休暇をもぎ取って、故郷であるこのセント・ポプラに帰ってきていた。実家でのんびり過ごそうと計画していたのだが、久々に帰ってきた息子を母は容赦なくこき使うのである。なんなら上司よりも数倍容赦がない。すっかり参ってしまったおれは実家から一時撤退し、街中を散策して現実逃避に勤しんだ。
ところで、セント・ポプラは温暖な気候ながら稀に強い突風が吹くことがある。アクア・ラグナを伴った嵐に比べたら全く大したことはないが、それでも時折事故や怪我人が発生する厄介な現象なのだ。
つまるところ散策中にその突風が吹き、固定が甘かったらしい大きな看板が落下した。その落下する看板の真下にいた婆さんを庇っておれの左脚はぽきりといったのである。

「——で、その時助けたのが八百屋の看板娘(87歳)だったってわけだ。それでその看板娘が突風から守ろうとしてたのがその下に積んであるやたら立派な箱のバナナで、まあ、結果としておれは間接的にバナナを助けたことになるんだけど……。その時に何故かおれがバナナを守って大怪我をしたって話が広まってこんなことになってる」
「まさか、この箱はもしや!?」
「えっ何?聞いておいて興味なし?」
別に褒められるために人助けをしたわけではないが、偉いぞ良くやったの一言を言ってくれても罰は当たらないだろう。カクはすっかりバナナの入った立派な箱に近寄り眺め回している。
「それ、助けた看板娘が持ってきてくれたんだよ。ちょっと良いバナナらしいんだが、追熟が必要とかでまだ食べてないんだよな。しかも知り合いが全員こぞってバナナ持って来るから食べる気なくなったし」
「もったいないぞ!せっかくの南の海サウスブルー産のカモメ印バナナを食べないなんて!」
「有名なバナナなのか?」
「めちゃくちゃ美味い」
「ああそう……」
バナナを食べ飽きたおれからするとメロン味のバナナとでも言われない限り食指が動かないのである。しかしカクはおれの薄いリアクションも物ともせず、いかにこのちょっと良いバナナが美味いかを力説し始めた。おれは相当ヤバいやつを病室に入れてしまったのかもしれない。
ちょっと後悔しながらこの力説を止めるためにある提案をする。
「このままおれの病室に置いといてもダメにしそうだし、持って帰るか?」
「え!?!?!?」
「うわ、うるさっ」


「ほ、本当にいいのか?小腹が空いた時用に2、3本必要になったりせんか?」
カクは木箱いっぱいのバナナを抱えておろおろとしていた。ベッド脇に鎮座していたそれを全部丸ごと渡した結果だ。
「むしろ全部持ってってくれないと困る。このままだとおれは日に日に黒くなっていくそいつらと生活を共にすることになるんだぞ」
「傷む前に全部食べれば良いじゃろ。しかしそこまで言うならありがたく貰っていくが……礼をするにもあいにく今は持ち合わせがなくてな」
「いいって、いいって。おれもうバナナ見てると食欲減退するところまで来てるから、片付けられてせいせいする」
きっぱり言い切ったおれを、カクは探るように見つめてくる。察しの良いおれはバナナフリークがこちらを言いくるめてくる時の顔だなと気付いた。何を言われても絶対バナナは手元に残さない所存だ。
「……カモメ印バナナは1本1000ベリーはくだらないんじゃが、本っっっ当に後悔せんか?」
「マジか………」
「マジじゃ」
「………………」
結局おれは高級バナナを1本だけ手元に残すことにした。これは決して値段に踊らされたわけでも、バナナフリークの言葉に負けたわけでもない。看板娘の厚意を無碍にしてはいけないと思った結果である。
「じゃあ、お大事にの。ナマエ」
「ああ」
カクは大事そうに木箱を抱えてこちらを何度もちらちらと振り返りながら立ち去った。それを見届けて、おれはベッドに入り直す。何だか急に病室が広くなったような気がしたが、きっとベッド脇を占拠していたバナナがなくなったからだろう。
決して鼻が長くて仙人みたいな話し方の、全身黒服でその下に包帯巻いてるバナナフリークがいなくなったから寂しいわけではない。ちょっと暇を持て余しすぎてセンチメンタルになっているだけである。



この時のおれには考えも及ばなかったのだ。1本1000ベリーのバナナが本当にめちゃくちゃ美味いことも、カクが翌日から妙に座り心地の良い自作の椅子を携えて毎日のように訪ねてくることも、この日の出会いがきっかけで仕事で思わぬ大昇進することも。今はまだ。





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