こざっぱりとしつつ落ち着いた雰囲気の店内にゆったりとしたクラシックが流れている。店員も客も店の雰囲気と同様に穏やかで、外の煌びやさや喧しさとは隔絶されていた。木製のアンティーク調なテーブルの上にはタルトタタンと紅茶がシンプルな食器に行儀よく乗せられて給仕される。
レイジュは目の前の男がタルトタタンを大きく切り分けて口に放り込むのを観察した。そんなに一口が大きくてはあっという間に食べ切ってしまうだろう、などと考えながらレイジュも手元にある同じ菓子を一口、口に運ぶ。
バターの豊かな香りとりんごの甘さとほのかな酸味がバランスよく口に広がった。生まれた時からプロの料理人による食事で育ち、舌が肥えている自覚のあるレイジュも納得の味だ。

「……美味しい」
「そうか。よかった」

レイジュが思わず溢した言葉に男は静かに返す。その表情は相変わらずどう見ても真顔なのに嬉しそうに見えるから不思議なものだ。男は早々に空にしてしまった皿を脇によけて、今は無骨な手で華奢なティーカップを持ち上げ紅茶を飲んでいる。
あまりのアンバランスな光景に気が抜けるのを感じながら、レイジュは次の一口を味わった。

男はカメ車を運転しながらグラン・テゾーロには過去に何度か訪れたことがあると話した。いずれも仕事による滞在で地図はある程度分かるが店には然程明るくない、とも申告がある。それでも最初に立ち寄る店だけは自分に任せて欲しいと言われ、連れられて来たのがこのカフェだ。
結果として良い意味で期待を裏切られた。店の雰囲気も菓子や紅茶の味も申し分ない。よくもこの男はここまで自身に似合わない店を知っていたものだと感心してしまう。

小さなカップすら空にしたらしい男はタルトタタンを口に運ぶレイジュをじっと見つめた。食べている所を見つめられる趣味はないので、相手を咎めるつもりで目線を上げた。当然のように視線が絡む。

「そんなに見られると食べにくいのだけど」
「む、すまない。あんたが美味そうに食べるからつい見てしまった」
「分けてあげないわよ」
「ああ。それはあんたの分だからあんたが食べてくれ」

レイジュの言葉に男は生真面目にそう返すとこちらを気にしながらも露骨に視線を逸らす。それはそれで気になるが、埒があかないので気にせず食べ進めることにした。
そうして2人の間に静かな時間が訪れること暫し、男が口を開いた。

「ポイズンピンク、おれはあんたに大きな恩がある。その礼を言いたくてずっとあんたを探していた」

レイジュが手元から目線を上げると、男もレイジュに顔を向けた。必然的に視線がかち合う。これが男の本題なのだろうと直感した。

「おれはあんたに命を救われて、だから今こうしてここにいられる。ありがとう」

そう言って深く頭を下げた男をレイジュはじっと見つめた。
レイジュは自身の記憶を掘り起こしてみるものの、これまでの人生で自分が能動的に助けようとした人間はたった一人だけである。そしてそれは目の前の男ではない。
だとすればジェルマとしての任務が結果として男の命を救ったということだろう。
戦争屋は酷く憎まれ恨まれ恐れられる仕事だが、同時に深く感謝されることもあった。ジェルマの手によって国がめちゃくちゃになり多くの人間が死んでも、戦争を勝利で終わらせられたことに喜び感謝の念を抱く者は一定数いる。感謝の言葉を直接聞いたこともあった。目の前の男もきっとそういう意味合いで恩を感じているのだ。

「成り行きでそうなっただけよ。お礼を言われる筋合いはないわ」
「そうか。だが、おれはあんたに恩返しがしたい」
「じゃあ貴方もジェルマで働く?たまにいるわよ、そういう人」
「む。そういう手もあるのか……いやしかし……うーむ……」

これまで淡々と言葉を紡いできた男がはじめてペースを乱した。

「………………ジェルマでは適宜、一ヶ月ほどの長期休暇を取れるだろうか?」

長考した末に投げかけられた質問に、レイジュはタルトタタンの最後の一欠片をフォークで刺しながら答える。

「取れるわけないでしょ」



▲▽



喫茶店を後にした2人は高級エリアで買い物がしたいというポイズンピンクの言葉を受けて、再びカメ車でダウンタウンエリアの通りを移動していた。金色に彩られた街には多様な人が行き交い、いかにも中立区といった様相を呈している。

「そういえば貴方その格好どうしたの?そういう格好をするタイプには思えないけれど」
「今回の雇い主から、賞金首を連れていると思われたら困ると支給された。結局おれの顔が怖いから女が寄って来ないと別行動を言い渡されたが」
「あらそれは——ちょっと停めて」
他愛のない会話をしながら街並みをゆったりと眺めていたポイズンピンクが、ハンドルを握るマンフレートの肩を叩いた。
「どうした?」
何かに気付いた様子の彼女の言葉を受けて、マンフレートはすぐさま路肩にカメ車を停めた。ポイズンピンクの視線の先を辿ると、細い路地で若い女2人がいかにもガラの悪そうな男たちに囲まれている。大通りは人が大勢行き交う上に電伝虫が監視しているのだが、路地はこのグラン・テゾーロにおいても治安が悪くなりがちだ。

「あそこで絡まれてる2人、うちのメイドなの」
「分かった。おれが行くからあんたはここで待っててくれ」

そう言ってカメ車を降りようとするポイズンピンクを制止してマンフレートは路地に向かう。彼女がジェルマ軍の一人として荒事に慣れているらしいことはマンフレートも分かっているが、だからと言ってみすみす危ない場所に行かせるわけにはいかない。特に下心満載のガラの悪い人間の目に触れるようなことは想像しただけで許しがたかった。
路地に近づくと抵抗する女2人の声と理不尽で下卑た男たちの声がする。

「おい」

マンフレートは大通りへの進行方向を塞ぐような布陣でジェルマのメイド2人に絡んでいる男たちの背後から声をかけた。

「ひっ!」
「あ?何だァ?」

メイドの片方が短い悲鳴を上げ、もう片方も怯えた顔をしている。2人の反応を皮切りに男たちがマンフレートの方を振り向いた。

「邪魔だ。今すぐ消え失せろ」

この時のマンフレートは手早く解決してすぐにポイズンピンクの所に戻らなければ、という使命感に満ちていた。ついでにせっかくのドライブの邪魔をしやがってという恨みもやや含んでいた。
つまるところ、元々厳つい顔つきが更に凄みを増し、高い身長と顔面の大きな傷と合間って凶悪なことになっていたのだ。ガラの悪い男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去るほどには。

「おい、あんたたち大丈夫か?」
「ひぃっ!!なっななっな……」
「た、た、たた、だれかたしゅけ……」
「貴女たち怪我はない?」
「む、ポイズンピ……」
「「レイジュ様!!!」」

よほど怖かったのか男たちが去った後も震えるメイドに声をかけるも要領を得ない。どうしたものかと思った所に、ポイズンピンクがマンフレートの後ろからメイドたちに声をかけた。驚くマンフレートとは対照的にメイドはすぐに表情を明るくして彼女を見つめる。
しかしここでマンフレートは首を傾げることとなった。"レイジュ様"というのは彼女のことなのだろうか。

「貴女たちが絡まれてるのを偶然見かけたのよ。大丈夫だった?」
「怪我もしていませんし盗られたものもありません!」
「助かりました、ありがとうございます!」
「そう、それは良かった」
「それで、あのぅ……レイジュ様、そちらの方は……?」
「彼は臨時の運転手兼荷物持ちよ。それより貴女たち、ああいう輩がいるから遊ぶなら人通りの多いところを選びなさい」
「はい。レイジュ様にはご心配をおかけしました」
「路地には近寄らないよう気を付けます」
「どうせ船に暇な兵隊がいるだろうから護衛を頼むと良いわ」
「「ありがとうございます!」」

女3人寄れば姦しいとはよく言うが、マンフレートが口を開く間もなく会話は進みメイド2人は深く頭を下げて大通りへと去っていった。その場に残されたのはマンフレートと"ポイズンピンク"だけである。

「……車で待っててくれと言っただろう」
「貴方の顔が怖くてうちのメイドが怯えてるんじゃないかと思って。絡んでた男たちなんて声かけただけで逃げ出してたでしょう」
「ああ、あの2人はおれを怖がってたのか」
「そうでしょうね。貴方、客観的に見ると怖いもの」
「……そうか」

女子供に怖がられることは多く、雇い主にも先刻そう告げられたマンフレートだが、本来であれば気にすることはない。しかし、彼女にそう思われるのはかなりショックであった。普通に接してくれていたが本当はずっと怖いと思われていたのだろうか。伺うように目を向けると"ポイズンピンク"は目を細めた。

「ふふ、気にした?」
「いや、怖がられることはよくあるからな。ただ……あんたもおれが怖かったから"本名"を教えてくれなかったのか?おれはあんたを何と呼べばいい?」
「それってそんなに重要なことかしら」

マンフレートとしては一大事である。実は名前すら知らなかっただなんて。

「おれにとっては重要だ。おれはあんたの名前を呼びたい」
「…………。レイジュ、よ。"ヴィンスモーク・レイジュ"、それが私の名前」
「レイジュ」

少し前までのマンフレートはレイジュと再会して礼を言いたいという願うだけだった。しかし実際に会えると恩に報いたい、彼女のことを知りたいと思うようになった。今は己がレイジュに怖がられることを恐れている。

「変なヒトね」

マンフレートは不思議そうに笑うレイジュを見て、己がより欲深くなっていくのを感じていた。