昔々、あるところに一羽の子カモメがいました。
子カモメはまだ飛ぶのが上手くなかったので、毎日飛ぶ練習をしていました。
ある日いつものように子カモメが飛ぶ練習をしていると、とっても大きな嵐がやってきたのです。
大きな嵐は強い風と強い雨で子カモメに襲いかかります。
子カモメは飛ばされまいと一生懸命翼を動かしましたが、強い風と雨に押し流されるまま落ちてしまいました。



子カモメが落ちたのは立派なお城のある島でした。
子カモメはこんなに立派なお城は初めて見るので、すぐに自分が知らない島に落ちてしまったことに気が付きました。
とても不安で泣きそうになりましたが、嵐が止むまでじっとしていました。
やがて嵐が通りすぎたので子カモメは空を飛んでお家に帰ろうと翼を広げようとしました。
しかし困ったことに左の翼が痛くて広げられないのです。
どうやら強い風に飛ばされた時に左の翼を痛めてしまったようでした。
痛くて心細くて泣きそうになりましたが、怪我が治るまでじっとしていることにしました。



子カモメが木のそばで静かにうずくまっていると、そこに猫がやってきました。
猫はじろじろと子カモメを見ます。
子カモメは何だか嫌な予感がして身をかたくしていました。
そ嫌な予感は的中して、猫は子カモメが怪我をして逃げられないことに気付くと襲いかかってきました。
子カモメは飛べないので一生懸命走って逃げますが、猫の足の速さにはとても敵いません。
どうにか怪我をしていない右の翼と硬い嘴を振り回して戦います。
しかし猫の牙や爪は鋭くて、子カモメはたちまち傷だらけになってしまいました。
もうダメだ、と子カモメが思ったその時です。

「こら!何してるの!」

女の子の声が聞こえました。



女の子は猫を叱りつけて追い払ってくれました。
それから子カモメのところへ駆けつけます。
子カモメはぐったりして女の子を見上げました。
女の子は子カモメがあちこち傷だらけなのに気付くとそっと子カモメを抱き上げました。

「手当をしてあげるからじっとしてるのよ」

子カモメは驚きました。
女の子は優しくて、温かくて、そして何よりとびきり可愛いかったのです。
子カモメは一目で女の子のことを好きになってしまいました。



女の子は立派なお城に子カモメを連れてきました。
女の子はお姫様だったようです。
お姫様はこっそりと子カモメを自分の部屋に入れました。
それからあちこちにできた子カモメの傷を丁寧に手当してくれました。

「他の人に見つかったらきっと追い出されちゃうわ。だから誰にも見つからないように静かにしていてね」

お姫様がそう言うので子カモメは頷きます。
お姫様は子カモメの為に籠とタオルを用意してベッドを作ってくれました。
子カモメは籠のベッドでゆっくりと静かに怪我が治るのを待つことにしました。



それから子カモメはお姫様の部屋でこっそり静かに過ごしはじめました。
お姫様は熱心に子カモメの世話をしてくれました。
お姫様が小さく切ったリンゴを嘴まで運んでくれた時は、恥ずかしかったけどとても幸せでした。
子カモメはリンゴが大好物になりました。
それからお姫様は子カモメに色々なお話をしてくれました。
遠い国で見たサーカスのこと、面白い見た目の動物のこと、絵本に描かれていた昔の冒険家のこと。
キレイだけど食べてはいけない魚のこと、薬になる植物のこと、毒で具合が悪くなった人の手当ての仕方。
お姫様は色んなことを知っていました。
子カモメはお姫様のお話をする時の楽しそうな顔が好きでした。

「あなたにも家族はいるの?」

お姫様の問いかけに子カモメは頷きました。
子カモメは遠くの島にいるであろう家族のことを思い浮かべました。
家族はきっと突然いなくなった子カモメのことを心配しているはずです。
子カモメは急に寂しくなって俯きました。
そんな子カモメを見てお姫様は言います。

「家族のことが好きなのね。きっとすぐ良くなって帰れるわよ」

そうしてそっと子カモメを撫でてくれました。
傷に障らないように恐々と撫でる手付きに、子カモメはますますお姫様のことを好きになってしまいました。



お姫様は毎日、お勉強やお稽古のために部屋の外へお出かけをします。
ある日、お部屋に帰ってきたお姫様はそっと子カモメを抱きしめました。
それから小さな小さな声で呟きます。

「私もカモメだったら良かったのに」

子カモメにはお姫様の言葉の意味は分かりませんでした。
でもお姫様が悲しい気持ちになっていることは分かりました。
だから子カモメはお姫様の頬に頭を擦り付けて励ましました。
子カモメがしばらくそうしているとお姫様は笑って「ありがとう」と言ってくれました。
お姫様の笑顔が子カモメは一番大好きだと気がついたのでした。



子カモメの怪我はお姫様にお世話をしてもらったおかげで、すっかり良くなりました。

「顔の傷だけ残っちゃったわね」

お姫様が指先で子カモメの顔を撫でます。
ただ一つだけ子カモメの顔には猫と戦った時の傷が残っていました。
でももう全く痛くありません。
ただ猫に負けた時の傷だと思うと少し恥ずかしい気持ちになりました。

「他の怪我は治ったはずだけど、ちゃんと飛べるかしら?」

お姫様が心配そうに言うので、子カモメは翼を動かしてみせました。
子カモメの翼はちゃんと空気の流れを掴んで飛ぶことができました。
お姫様はそれを見てとても喜びます。
子カモメも嬉しくなってお姫様のお部屋の中をぐるぐると飛び回りました。



その日の夜のことです。
お部屋に戻ってきたお姫様は辛そうな顔をしていました。
子カモメが何事かと飛んでいって顔を覗き込みます。
お姫様は伏せていた顔を上げました。
子カモメを見つめて笑います。

「あなたはそろそろ、自分のお家に帰りなさい」

にっこりキレイな笑顔だったけれど、子カモメには笑顔じゃないとすぐに分かりました。
子カモメがお姫様の言葉に首を横に振ると、お姫様は眉間にしわを寄せます。

「ここにいたら、あなた家族に会えなくなっちゃうのよ!だから言う通りにして!」

お姫様の目からぽろりと涙が落ちました。
子カモメはとても驚いて、そしてとてもショックを受けました。
お姫様が泣いてしまったのです。
子カモメには事情は分かりませんが、お姫様が泣くくらいなら何でも言うことを聞こうと思いました。
それから子カモメはお姫様の涙を拭うように頬に頭を擦り付けました。

「明日になったら早いうちに出発しなさい。島の端まで送っていくから」

お姫様の言葉に今度は子カモメは頷きました。
子カモメが頷くと、お姫様はいつかのように子カモメをそっと抱きしめました。
その日はお姫様のベッドで一緒に寄り添って眠りました。



次の日の朝早く、お姫様は子カモメを島の端に連れて行きました。

「さようなら。元気でね」

お姫様は子カモメを空へ放りました。
子カモメは翼を動かして空へと登ります。
大好きなお姫様とお別れするのはとても悲しかったけれど、家族に会いたい気持ちもありました。
だからお姫様にはきっとまた会いに来ようと決めました。
子カモメは「またね」の気持ちを込めて空で大きく3周してから、遠くに見えた島を目指して飛び立ちました。
お姫様の手を振る姿が遠く見えなくなる頃、子カモメはちょっとだけ泣きました。



子カモメはいくつかの島の木や船の帆桁で休みながらお家に帰ってきました。
子カモメの家族は子カモメが帰ってきたことを泣きながら喜びました。
子カモメは家族の元に帰って来れたことにほっとして、お姫様と離れ離れになってしまったことを寂しく感じます。
だから子カモメは家族とお姫様のもとを行ったり来たりできるように、長く飛ぶ練習をはじめました。
それから猫にも嵐にも負けないように強くなる特訓もはじめます。
大きく強く長く飛べるようになって、お姫様に会いに行くという夢を叶えるために。





月日が経って子カモメは立派なカモメになりました。
嵐にも猫にも負けないくらい強いカモメになったのです。
カモメはあの立派なお城のある島を目指して旅に出ました。
カモメはお姫様の名前も島の名前も知りませんでしたが、どの島を通ってお家に帰ってきたかはしっかり覚えていたのです。
それを逆に辿っていけばまたお姫様に会えると信じていました。
いくつかの島と時々船の帆桁で休みながらお姫様の住む島を目指しました。
カモメは道順を忘れないようにしっかり記録もつけていたので、順調に旅は進みました。



そうしてカモメは立派なお城のある島があるはずの海域まで辿り着きました。
でもどこを探してもお城のある島はありませんでした。
どこまでも青い海が広がるばかりで、カモメは遂にお姫様に会うことはできませんでした。