レイジュは新世界の只中に浮かぶ巨大なカジノ船"グラン・テゾーロ"へと向かっていた。

事の発端は一週間ほど前に起きた"司法の島エニエス・ロビー崩壊事件"である。どこぞの海賊が世界政府の直轄施設である司法の島を襲撃し、島は跡形もなくなったという大事件だ。この事件に伴い世界政府は大変な混乱と人手不足に陥ることになり、いくつかの重要任務を他に頼らざるを得なくなった。
そこで白羽の矢が立ったのが、世界政府加盟国の一つでもあり世界一の軍隊を擁するジェルマ王国である。政府から報酬を得ていくつかの仕事を代わりに請け負うこととなったのだ。

そうしてレイジュが割り振られた仕事がグラン・テゾーロの天上金の護送である。全長10kmあるという巨大な船の姿を確認するとレイジュは自室のワードローブを開けた。

そこそこの大きさを誇るジェルマの船だが、それを問題ないとするほどグラン・テゾーロは巨大である。真正面に設けられたゲートを潜ると窓の外が一面黄金色に輝いた。自室に控えていたメイドたちが思わずと言った様子で驚嘆のため息をつく。黄金帝と呼ばれる男の船だけあって、これでもかという具合にあちこちが黄金で彩られている。運ぶ金額のことを考えればこの豪奢な造りも少しも不思議ではなかった。

「私は一日出ているから貴女たちも船の移動時間まで楽しんできて。でも久々の休暇だからと言ってハメを外しすぎないようにね」
「はい!」
「ありがとうございます!」
リトルブラックドレスを纏ったレイジュがにこりとメイドたちに笑いかけると、嬉しそうに顔を輝かせて部屋を退出していく。
本来であれば天上金を輸送する特別ルートに直接乗りつける手筈だったが、航海が順調に進み予定よりも一日早く到着したのだ。レイジュとしてはそのまま任務を前倒しで遂行してもよかったのだが、「それならば是非我が船を楽しんで頂きたい」とは黄金帝ギルド・テゾーロの発言である。その言葉通りにカジノのカモになる気はないものの一日は休暇に充てることにしたのだ。

アクセサリーを吟味してパールのものに決めたところで自室の扉が強めにノックされた。入室を促すと困惑顔をした兵隊が入ってくる。その様子に何かトラブルかと眉を顰めると、兵隊は「報告します」と言葉を続けた。

「外にレイジュ様を訪ねてきた不審な男がいるのですが、如何しますか」
「私に?」
「同業者の"渡り鳥"とか言う顔に傷のある男のようです」
「…………ああ。いいわ、私が直接対応するから」

クラッチバッグを持って甲板へ出ると船の縁から港を見下ろした。体格の良い兵隊3人に囲まれても全く見劣りのしない厳つい男が一人。
数ヶ月前に降り立った紛争地で少し会っただけだが、特徴的な顔の傷と妙な振る舞いで印象に残っていたのだ。今は黒のスリーピーススーツを着ているものの、間違いようもなく"渡り鳥"と呼ばれている男である。レイジュは兵隊たちに不審者扱いされている男へと声をかけた。

「本当にまた会うとは思わなかった。まさか追いかけてきたの?」

男はすぐにレイジュの方を見上げた。顔に大きな傷のある切長の眼の男の真顔など怖い要素しかないはずなのに、何故か少しの恐怖も感じない。相手に敵意がないからだろうかとレイジュは内心不思議に思った。

「追いかけようとしたのだが結局色々立て込んで別件でここに来た。ジェルマの船が見えたから、もしかしたらあんたがいるかもしれないと訪ねたんだ」

全く悪びれもせずそう答えを紡いだ。レイジュからすれば半ばストーカー予備軍だと名乗り出ているようなものである。周りの兵隊たちはより不審そうな顔で男を見るが、相手は少しも気にした様子はない。

「そんなに私に会いたかったの?」
「ああ、ポイズンピンク。あんたに会いたかった」
「…………」

揶揄うつもりで発した一言は豪速球となって帰ってきた。以前会った時も意図の読めない言動をしていたが、今回もそれは健在のようだ。
男からは少しも敵意や警戒心を感じられないのでこの場は放っておいても問題はないだろうが、今後この男がレイジュにとって何かしらの障壁になる可能性も捨てきれない。ちょうど時間を持て余しているのだ、相手の意図を探るには良い機会である。

レイジュは暫し逡巡した後、こちらを見上げる男の横に降り立った。兵隊たちがあからさまに戸惑った顔でこちらを見ているのを問題ないと告げて持ち場へと戻らせる。
それから、お得意の微笑みを浮かべて男に向き直った。


▲▽



マンフレートがグラン・テゾーロにやって来たのは不本意な成り行きによるものだった。
北の海でジェルマを追いかけようと決意した矢先に、少し厄介な相手から仕事を持ちかけられたのだ。断ることもできたが、面倒な報復を受けることは予想できたので渋々請け負った。その仕事がこのグラン・テゾーロまでの船旅の護衛をすることであり、つい数刻前に雇い主から明日の出航まで別行動を言い渡されのだ。
以前に数回、仕事で訪れた場所なので突然放り出されても困りはしないが、歓楽街に興味がないので時間を持て余すこととなる。家族への土産を探すことを思いついてあちこち見て回っていた時にジェルマの船が入港するのを見つけたのだ。ポイズンピンクが乗船しているかどうかは賭けだったが、無自覚ストーカーであるマンフレートは一切の躊躇をしなかった。
最終的にはポイズンピンクと再会できたので、不本意な仕事も受けて良かったと現金なことを考える。

船から颯爽と降りて来た彼女はマンフレートを見上げてにこりと微笑みを浮かべた。わざわざここに降りて来たということは何かマンフレートに言いたいことがあるのだろう。そわそわとした気持ちを抑えながら彼女の言葉を待つ。

「そう言うことなら暇潰しに付き合ってくれるわよね」

願ってもない話にマンフレートは即座に頷く。雇い主からの突然の別行動宣言に感謝すらした。
それから過去数回の訪問で得たグラン・テゾーロの情報を何とか掘り起こして、良さそうな店があったことを思いつく。リンゴの菓子が美味いと評判の店だ。

「おれもあんたと話がしたい。茶でも馳走させてくれ」
「ふっ……ふふふっ……あははっ」

マンフレートが意気込んでそう言うと、彼女は思わずと言ったように声を上げて笑い出した。マンフレートは思わずその様子をぽかんとして見つめる。何が彼女の琴線に触れたのか疑問に思ったが、それよりもその笑顔に惹き込まれていた。笑った顔がとびきり可愛い点は昔から少しも変わっていないらしい。

「…………」
「ふふっ、普通そんな真顔で誘う?いいわ。その分きっちり荷物持ちしてもらうから」

まじまじとポイズンピンクを見つめるマンフレートに彼女はそう言い放つ。もちろんマンフレートは素直に頷いた。

その後、彼女は迎えに出て来たコンシェルジュの同行を断って2人乗りタイプのカメ車だけ借り受ける。ジェルマともなるとVIP対応になるのかと感心していたのだが、あまりにあっさりと同行を断ったので驚いた。どう考えても本職の方が道案内の面では役に立つだろう。コンシェルジュは女だったから買い物の荷物持ちにするには不安要素が残るかもしれないが、そこはマンフレートの役割なので問題ないはずだ。

「コンシェルジュがいた方が何かとスムーズに過ごせるんじゃないのか」
「監視されながら余暇を過ごす趣味はないの。それとも、あの女コンシェルジュともお話したかったかしら」
「?おれが話をしたいのはあんたとだけだが」

監視とはどういうことか、どうしてマンフレートがコンシェルジュと話す必要があるのか、などと思いつつもポイズンピンクが不要だと言うのなら特に異存はなかった。

「あ、少し待ってくれ。これを」

カメ車に乗り込む前にマンフレートが己の上着をポイズンピンクの肩にかける。彼女のドレス姿が隠れるのは勿体ないが、薄着に風が直接当たって寒い思いをするより良いと判断したのだ。それから助手席側のドアを開いて乗車を促すとポイズンピンクはまたもくすくすと笑い声をあげた。

「?何かおかしかったか」
「いいえ、何でも」

笑顔を大盤振る舞いする彼女を横目にキーを回せばエンジン役のカメたちが働き出す。2人を乗せたカメ車は黄金の街へと滑り出した。