真夜中の密会
ゆるり、と空を漂う煙をぼんやりと目で追いかけていた。こんな船尾になど誰も来やしないというのに、隠れるように膝を抱えて小さくなっていた。大きな布へ皺を刻むように、船は真黒い海を進んだ。船内から溢れる光と月光だけが、ぼんやりと私の吐き出す白を照らしていた。
船頭の甲板では、クルーが月見酒だと騒いでいた。シャチだろうか、独特な笑い声がここまで届いてきた。微笑ましく思いながら、再びそれに口をつけた。優しく吸うたびに小さく鳴る葉の焼ける音が何故だか大きく聞こえた。ああ、なんだかセンチメンタルだ。



「…お前、煙草吸ってたのか。」



突然降ってきた声に、ビクリと身体が強張った。蒸せそうになったのを何とか堪えて、細く煙を吐き出した。ちらりと声の主を見やった。船長だ。その鋭い目が、私を咎めている気がして少し居心地が悪い。



「足音も立てずに、どうしました?」



そう尋ねると彼は大変機嫌が良いようで、返事もせずに私の隣にどかりと座り込んだ。



「煙草の匂い、移りますよ。」



彼はただ、じいっと海の向こうを見ていた。何か考え事をしているのだろう。それから目を閉じると、ゆっくりと深呼吸をして、俯いた。副流煙なぞ身体に悪いと、医者である彼は知っているはずなのに。何故?奇行に目を瞬かせていると、彼は小さく笑った。



「…随分と懐かしい匂いだ。」



小さくそう呟いた彼の声はこんな静かな所では筒抜けだった。どこまで踏み込んで良いのか分からない私は、聞こえないふりして、新しい煙草に手を付けた。さっきまで吸っていた煙草は灰皿から細く煙をあげている。普段はごしごし揉み消すそれをそのままにしておいたのは、何となくだ。煙草を咥えライターを取り出す。オイルの切れかかった安いライターはカチカチと音だけは立派で、なかなか火を灯さない。少しイライラしてきて、もういいかと口に加えた煙草をはずそうとした時だった。隣でぼうっとしていた彼が小さく笑った。驚いてちらりと彼を見れば、彼は能力を使い出していた。何故?



「Room」

「何を、」



彼が能力を使い、取り寄せたのは古いジッポだった。キラリと月光を浴びて光ったそれをと一撫ですると私に向けた。



「船長も煙草を吸っていたんですか?」



手のひらを上に向けて出すと、ポイと乗せられた。なんだこれとまじまじと観察してしまった。掘られいる絵柄は船長の刺青と同じハートで、彼のものであることは明白だった。



「いや、俺じゃない。」

「…私ジッポなんて素敵なもの使ったことないです。」



じゃあ誰なんだ、と言いかけたが、考え直してそのまま飲み込むことにした。彼がこの煙の匂いを懐かしんだことと同じように、それも触れてはいけないような気がしたのだ。まるで自分は地雷探知機か?しんみりとした場に似合わず、なんだか面白くなってきてしまった。



「…しかたねえな。」



そう言って彼は再びジッポを手にとると、火を灯しこちらに向けてきた。



「え、」

「早くしろ、熱い。」

「し、失礼します…!」



船長に火をつけてもらうクルーが何処にいるんだ…?そう思いながらも、本人が早くしろと急かすので遠慮なく顔を近づけ煙草に火をつけた。じっとこちらを見る視線が痛くて、目を合わせられなかった。ふう、と煙を吐いて、横目でちらりと見た。まだこちらを見ていたようで、しっかりと目が合った。



「す、すいません。」

「何故謝る?」

「船長に火をつけてもらうなんて、」

「気にするな。」



しますとも。そう心の中で泣きながら煙草を吹かす。きっと彼は酔っているのだろう。でなければこんなこと、するわけがないのだ。次に視線をやった時には彼はじっとその手に収まるジッポを見ていた。大切なものなのだろう、そんなもので私なんかが煙草を吸っていいのだろうか。そんなことを考えてグルグルと目を回していると、先ほどと同じようにそれをこちらに差し出した。



「え?」

「貸しといてやる。」

「え、いや、そんないいです!大事なものなのでしょう?それに私使えませんし!」

「いいから持ってろ。」



そういって私の手に無理やり握らせると、その上から私の手を強く握った。



「ゾウで返せ。それまで持ってろよ。無くしたらバラす。」



驚きすぎて返事もできない私に彼は笑うと、船頭へと戻っていった。灰皿に転がっていた煙草の煙がピタリと止んでいた。




「ア、アイアイ、キャプテン。」