そのエステサロン運営会社は、国道線近くに分布している住宅街に、ひっそり紛れて構えてあった。
立地は郊外というだけあって、長閑なところだ。昼間はショッピングモールやパチンコ店が開いていて、そこそこ明るい。
波多見詩世(はたみしよ)がここの社員寮の家政婦募集の広告を見付けたのは、数時間前のことだ。
詩世は、訪問ヘルパーを生業にしていた。恋人と二人、都内の小さなマンションを借りて、昨日までのおよそ五年間、夢見心地の毎日を謳歌していた。
幸せは、一夜にして崩壊した。原因は、喧嘩だ。
部屋は、元々、恋人の持ち物だった。それで詩世は、最低限の荷物だけをまとめて出てきたのである。私物のほとんどは持ち出すことを諦めた。
とにかく、住むところだけでも必要だ。
詩世は、家政婦募集の広告に記してある電話番号にダイヤルした。さすれば、存外にすみやかに、面接のアポがとれたのだ。
エステサロン運営会社の社員寮は、外観はビジネスホテルを聯想するものだった。一階にラウンジやサロンがあって、地下にサウナや浴場がある。社員達の起臥しているのは二階から五階で、どの個室も、窓を可愛らしいカーテンや観葉植物、ぬいぐるみで飾ってあった。
詩世は社員寮に到着すると、門倉立季(かどくらたつき)という名の女性に迎えられた。そして応接室に通された。
立季は、エステサロンの代表取締役に代わって、社員寮を管理している人物だ。
詩世は、立季の落ち着いたトーンの声から、さっき電話に出てくれたのは彼女だったのだと覚った。
立季は、とても美しい風貌だ。
力強い妖艶な眼差しを湛えた目許は、薄化粧なのにくっきりしていて、シャープな頬は柔らかそうで、張りもある。薄い唇は優雅に口角が上がっていて、自然な曲線を描いた黒髪が、白いスーツに固められた肩に柔らかな影を落としていた。背丈はあって、出るところは出て締まったところは締まっている。その身のこなしは洗練された感じがあった。年のほどは、管理人を始めて二十年近いらしいところから憶測すると、四十代前半といったところか。
詩世は立季と、テーブルを挟んで向かい合っていた。
二人の真ん中にティーセットと茶菓子が並んでいて、苺の甘酸っぱい匂いが、洒落た密室を華やがせていた。
「波多見さん。訪問ヘルパーのお仕事では、どんなことをされていたんですか?」
それは履歴書に書かなかった項目だ。
詩世はティーカップをテーブルに戻して、姿勢を正した。
「お年を召した方の着替えやお手洗いのお手伝いと、ご飯の準備と、洗濯と、掃除と、買い物と、マッサージです」
「それでは、家事はお得意なんですね。お若いのに、人は外見だけで判断出来ないものです」
「はい、意外だと言われますけど、本当です」
詩世は、今日までの人生を振り返る。とりわけ着道楽に見られがちな外見から、大抵の初対面の相手に、アパレル業界の人間だと勘違いされてきたものだ。
詩世は、腰まで伸ばした栗色の髪をふわふわにカールさせていて、いつでも造花やリボンで飾っていた。一重の目許に低い鼻、生まれつき日本人の中の日本人らしい醤油顔は、いつも完璧に化粧していて、装いのメインに置く定番は、フリルやレースのたくさんあしらってある洋服だ。
訪問ヘルパーという職業柄、制服の給付はなかったし、今日もその習慣から、面接につきものらしいスーツは着てこなかった。詩世は、クリームとピンクの小花の散りばめてある赤いフリルのワンピースにネイビーのレース付きニーハイソックス、それに黒いレース編みボレロを合わせて、十センチヒールのレースアップショートブーツを履いて、とびきり華やかな淡い薔薇柄トランクを携えていた。
「ご覧の通り、うちはエステサロンを運営しており、社員も最低ラインをクリアした容姿の女性で揃えております。お客様に、施術における信頼を集めるためです」
「はい」
「ですから、たとえ寮の家政婦として入社していただく方でも、家事が出来るだけの女性では、採用出来ない方針です。勤め先にうちの社名を出してもらうわけにはいきませんから。その点、貴女は華やかで、体型は普通だけれども……うちの社員達の好みに合うでしょう」
「好み、ですか?」
「波多見さん、明日から宜しくお願いします。荷物はそちらだけでしたよね?お部屋に案内しますから、今日はごゆっくり休んで下さい」
「えっ?!」
「波多見さんを採用します。本来、結果は一週間以内にお電話させてもらうのですが……、帰るところもないのでしょう?」
「はい」
「それにうちも困ってたんです。家政婦が同時に二人、急に辞めていってしまって。私も肩の荷が下りますし、助かりました」
立季の優しげな唇から、ほっ、と息がこぼれた。
面接は電話した当日に入ったし、即採用だし、何だ、この棚からぼたもちは。
「有り難うございます!まじで家事は得意ですから、何でもお申しつけ下さい!これから宜しくお願いします!」
「ええ、宜しくお願いします。もっとも、お付き合いしていらした方との仲違いの経緯をお聞きした限り、貴女が悪いと思います。本当に謝るつもりはないんですか?」
「私が謝って、はいそうですかって、納得するようなお人好しではありません。あのわがままロリィタは!」
「納得させるもさせないも、貴女は謝るべきだと思うんですけど。まぁ、良いでしょう。家政婦は貴女の他にもう一人、今朝雇った方がいてね、お二人だけでやってもらいますから、上下関係はないと思います。……多分。気楽でしょう?」
「もう一人の家政婦さんは、どんな方なんですか?」
「清楚でとっても良い身体をしている方です。声が可愛らしくて、それから、お料理は目玉焼きとお茶漬けがお得意なんですって」
「そうなんですか……」
そう言えば、何故、前の家政婦は辞めていったのだろう?しかもいきなり二人揃って辞職するとは、もしや、ここは問題でもある職場か?
詩世は一抹の不安を覚えたが、とにかく紅茶を飲みきった。
そして立季に案内されて、今日から住み込む部屋に向かった。
* * * * * * *
夜が明けて、例の喧嘩から二晩経った。気分は大分、落ち着いていた。
詩世は昨夜、友人達とメールをしていた。
皆、詩世の愚痴を、文句も言わないで聞いてくれた。新しい恋を求めようと言って合コンに誘ってくれた友人もいたし、偶然にも失恋したばかりで、一緒に嘆いてくれた友人もいた。恋愛運は最悪だが、友人には恵まれている。胸奥に潜んでいた喪失感も、爆発しないで済みそうだ。
詩世が最近まで恋人と呼び合っていた女性は、名前を生咲いろは(きざきいろは)という。年は二十六才で、詩世より一歳年下だ。
出逢ったのは、六年前だ。
詩世の贔屓にしている姫系ショップの近くに、ゴシックロリィタスタイルを提案しているメゾンの直営店があった。いろはの行きつけの店だった。詩世は、屡々、その近辺で、いろはの姿を見かけていた。いろはは、長い黒髪に黒いドレス、まるでビターチョコレートのデコレーションケーキを聯想する甘くクールな装いばかりをしていたが、その素肌はマシュマロみたいに白くて、まとう雰囲気は、地上に舞い降りた天使みたいに白かった。
ある日、詩世が休日のカフェに立ち寄ると、いつにも増して混雑していた。それで相席に案内されて、同じテーブルについたのが、いろはだった。二人、その日の内にメールアドレスを交換していて、翌週デートの約束をしていた。
詩世はピンクやウサギや苺を愛でる姫系で、いろはは、ほんの少し毒のある、古き良き貴族的なものを愛でるゴシックロリィタだ。二人の好みはまるで違うのに、瞬く間に惹かれ合っていった。
交際して同棲して、ずっと一緒にいるものだと信じていた。それなのに、些細なことで喧嘩になった。
いろはは、日頃から、気まぐれで血の気の多いところがあった。詩世は多分、いろはのそういうところに鬱憤が募っていた所以もあった。
詩世は、それでも今日から新たなスタートを切る。
朝食の後、昨日の応接室を訪ねていった。立季が家政婦の仕事に関して、色々教えてくれるということだった。
「皆さんの出勤は朝八時。それまでラウンジは混んでいるから、私達はそれ以降に朝食をとりましょう。それから、一日置きに十一時頃、クリーニング業者の方が、洗濯物を取りに来られるの。波多見さんは、もう一人の家政婦さんと手分けして、個室や銭湯から洗濯物を集めてきて、渡して。個室は入室許可をもらっているから、勝手に入って大丈夫。皆、ドアの近くの分かるところに置いてくれているわ。その後は、二時まで休憩。二時半に清掃会社の方がお見えになるからお迎えして頂戴。こちらは毎日。四時に清掃が終わるから、お礼のお茶を準備して」
詩世は立季の話を聞きながら、メモにペンを走らせていた。
「皆さんの帰宅は五時以降。大体、六時から八時にかけて、ラウンジや浴場が込み合うわ。だから、夕飯や入浴も、その時間を避けることをお勧めする。……ここまでで、質問はある?」
「はい。清掃会社の方がお掃除されている時とか、その他とか、結構、空き時間ありますよね?どうしていれば良いんですか?」
「電話に出たり、たまに社長のご家族が遊びにお見えになるから、話し相手をして差し上げて」
「それだけですか?」
「ええ、それだけ」
「──……」
「ねえ、波多見さん」
詩世が、一日振りのストロベリーティーを味わっていると、立季のしとやかな声に呼ばれた。
「女性が美しくなれる最も簡単な方法を、貴女は聞いたことがある?」
「エステですか?」
「半分正解」
「あと半分は?」
詩世は、カップをソーサーごとテーブルに戻して顔を上げた。
立季がももをすり合わせた。その開いた襟ぐりから大胆に覗いた鎖骨はいとも匂いやかで、今は、火照った質感さえ帯びて見える。立季の凛とした双眸が、心なしか濡れて見えていた。
詩世は、あっ、と、声をこぼした。
立季に、テーブル越しに右手をとられて、彼女の胸に引き寄せられていったのだ。
詩世の手のひらに柔らかなものが収まってきた。
「私を、好きにして」
「どういう意味ですか?」
「抱いて」
「何を、言って……」
「恋人とは別れたんでしょう?戻って謝りたくないなら、世のため人のため美のためにサービスしたって、誰も文句は言いやしないわ」
「門倉さんに言われたくありません。……それに、私、年下が好きなんです」
「私、リバなの。たとえ新入社員でも、バリタチより私の方が、貴女とは相性が合うはずよ」
「何で知ってるんですか?!」
「家政婦を募集して、今まで応募してきた八割は、リバだったから」
「私は残りの二割組です」
「今、何で知っているのかって、言わなかった?」
「──……」
詩世は、立季の手をやんわりほどいて、自分の手を引っ込める。
どうりで話がうますぎたはずだ。
多分、ここで断れば、採用の話は取り消しになる。一度期待させられた上での陥落は、なかなか堪えるものだが、仕方あるまい。
「波多見さん、何か誤解していない?」
「え……」
「私は、波多見さんと裸の語らいをしたいだけ。私達、気が合うと思うのよ。一度だけ抱いてくれたら、他に何も求めない。それに、ここの家政婦さんがどんなお仕事をするのか、貴女、知りたがってたじゃない」
立季がソファから腰を上げて、詩世の側にやってきた。そして、詩世の側に膝をついた。
「ここのドア、悪いけど、さっき鍵をかけさせてもらったわ。鍵は私が持っている」
「警察呼びますよ?!」
「携帯電話、お部屋でしょ」
そうだった。
詩世が落胆していると、唇にしっとりしたものが押しつけられてきた。無味無臭なのにやたらと甘い蜜をまとったものに舐められながら、指と指の間に、さらさらの指が割り入ってきた。
詩世は、まるで条件反射的に立季のキスに応えながら、そのスーツのボタンを外しにかかっていた。
* * * * * * *
立季のキスは媚薬みたいに官能的で、その肉体は淫魔に憑かれたドールの如く、中毒性に溢れていた。
詩世は、立季にあれをやれだのこれをやれだの注文をつけられながら、その肉体をまさぐった。それらは立季自身を虐げる作業ばかりだ。
詩世は、立季の注文に応じている内に、ある違和感を覚えるようになっていた。
快楽で思考が弾けることはよくある。それでも、こんな初対面の、しかも全く好みとはかけ離れた女性を相手にエクスタシーにいざなわれるなんて、ありえない。
だのに詩世は、半ば強制されて始めた遊戯に、溺れきっていたのである。詩世の、詩世自身の意識の行き届かない本能(ばしょ)が、立季の本質を貪っていた。
「あっ……あぁぁ……」
立季の亀甲縛りにしてその自由を封じた身体が、汗にまみれて震えていた。両手首は枷に繋いだ鎖で天井から吊るしてあって、立て膝にさせた太ももは、棒枷の左右に嵌めて開かせてあった。
詩世は立季の乳首を舌で撫でては吸い上げて、蜜壺から引き上げてきた愛液を、陰核に塗りつけていた。肩をキスでなぞっても、腋を撫でても、立季の身体は既に全てが性感帯になっていた。
「いかがですか?門倉さん。私に恥ずかしい姿を見てもらって、気分は?」
「最高……最高……あっ、ああん……ダメ、あっ……そこっ!!」
「……いろははこういうのに興味のない人でした。私も興味なかったです。ただ、知らなかっただけなんです。だって私、門倉さんに、不覚にも……感じちゃってますもん」
「ならっ、お願い!あっ……あぁっ中、中、触って……」
「我慢の顔、いやらしくて好きです。私のために、もうちょっと耐えて下さいよ。そうしたら、門倉さんのはしたないここ、思いっきり犯してあげます」
「あああっ」
詩世は乳首の愛撫をやめて、キスを陰核に移した。
愛液にまみれた陰核は、最初に見た時より膨張していた。
詩世は立季の蜜壺からその泉を啜っては、舌先で敏感な豆粒を撫でる度、頭上から、まるでこの世の終わりが垣間見えてでもいる風な悲鳴を浴びた。
詩世は、立季をぎりぎりまで焦らした末、その膣口を指で塞いだ。熱い肉壁をいじってこすって、その性器を引き裂かんばかりにかき混ぜた。
十時を過ぎると、二人、痛烈な名残惜しさと息切れを残しながら、互いにテーブルを挟んだ位置に戻っていった。
「私の見込んだ通りだわ」
詩世は立季が衣服を整えるのを眺めながら、湯気の消えたティーカップに口づけた。
「うちの社員寮は、家政婦さんに、社員達の性的な欲求を満たす役目をお願いしているの。要は性感マッサージ。それで私が、こうしてまず実験台になってみるのよ。家政婦さんが、彼女達を満足させられるかどうかを見極めるために。女性は、官能が作動している時が、一番美しくなれる瞬間なのよ。化学でも証明されている。たまに異性しか愛せない社員もいるけれど、そういう社員は、よそで相手を見つけてくるみたい」
「採用はお断りします」
「悪くない仕事よ。今はネコの社員はほとんど恋人がいて、家政婦さんの性感マッサージはいらないようだから」
「でしたら、私は必要ないのでは?」
「本来ならね。ただ」
立季が身嗜みを整え終えた。スーツは少し皺が入って、黒髪の毛先がほんの僅か跳ねていたが、さして不自然な程度ではない。
「波多美さんには、タチ専門の家政婦さんの調教をお願いしたいの」
「はい?!」
「もう一人の家政婦さん。彼女にはネコを任せたいのだけれど、例にもれなくリバで、しかもMじゃなくて困っているのよ。うちの社員はサディストやマニアックプレイを好んでいるタチがわんさかいるのに……。外見が良いから、何とかしてうちで働かせたくって」
「何度も言いますけど、犯罪です。やめた方が良いと思います」
「分かったわ」
立季の顔が、初めてしおらしくなった。ようやっと、非合法的な業務の見直しを考える気になったようだ。
詩世がほっとしたのも束の間、立季の口許が不敵に歪んだ。
「なーんて」
「えっ……」
「さっきの、録音していたの。上手い具合に編集すれば、私が波多美さんに襲われたって主張することも可能だわ」
「…──!!」
「嫌なら、今日から同僚になる娘を、サディストなしでは生きられない身体にすること。折角の週末だもの、今夜、公開SMでもしてもらいましょう。皆、酒飲みながらそういうどんちゃん騒ぎをするのが大好きなのよ」
「待って下さい……私、恋人がいるんですけど?!」
「謝りに戻るの?」
「それ、は……」
詩世は立季の勝ち誇った双眸から、目を逸らす。
今、詩世の口が勝手に動いたのは、ここから逃げたかったからではない。
詩世は、いろはを、まだ、恋人と呼びたがっている深層心理に抗えなかった。
* * * * * * *
夜、詩世が立季にラウンジに連れられていくと、そこに思いがけない女性がいた。
女性は、もう一人の家政婦だ。但し、実際、二人は初対面の間柄ではない。
詩世が立季に紹介された同僚は、いろはだ。
清楚な容姿に愛らしい声、それから得意料理はほぼ調理の仮定がないもので、スタイル抜群、マゾヒストの気が皆無の人物だ。
立季にあれだけ伏線を寄越されていたのに、何故、今の今まで気付かなかったのだ。
「詩世……?何でいるわけ?」
案の定、詩世はいろはに、強烈な非難の目を向けられた。
いろははベビードールとパンティだけの格好にさせられていて、拷問台と思しき寝台に、首輪で繋がれていた。
「いろはとあんなことになって、私、住むところがなくなったんだもん。貴女こそ何でここにいるの?」
「部屋を引き払ったからだよ。詩世が私物を放ったらかしにして出て行くから、住みにくくって」
「別の部屋を使えば良かったんじゃない。マンションは叔母さんの持ち物なんでしょ」
「その叔母が、今空き部屋がなくてここで働けって言ってきたの」
いろはのむすっとした眼差しが、ラウンジの一角を示した。
詩世がいろはの視線の先を追うと、美しい社員達の並んでいる中に、同じく美しい管理人がいた。言わずもがな、立季だ。
「門倉さんが、叔母?」
「詩世に紹介したことはなかったね。家政婦の仕事がこんなのだったなんて、知らなかった。私は騙し討ちに遭ったの。詩世こそ、何?そんなにピンクが好きな女と出逢いたいわけ?」
「何でそうなるの」
「だって、詩世と私が険悪になった、そもそもの原因。家具をようやっと地味な茶色から新調することになって、私は黒で揃えたいのに、詩世はピンクが良いって聞かなかったじゃない。私を愛しているなら、私の意見を尊重してくれるとこじゃない?」
「カーテンは黒、クッションも黒、今まで私は折れてきた」
「カーテンやクッションはすぐ変えられる。家具は、何年使うか分からないもん」
「尚更でしょ。いろはこそ、ピンクにしてくれないのは、私を想う気持ちがその程度だったからじゃない。この前だって、SF映画が混雑していたからって、どうしてあんなに怒れたわけ?」
「詩世は、あんなに眠たくなるような恋愛モノに固執した」
「デートと言えば恋愛モノ」
「発想、古っ」
「門倉さーん。いろはのこんな本性を見ても、私が謝らなくちゃいけないって、思われますかー?」
「私は、いつでも親族の味方なの」
「門倉さーん、いつ始まるんですか?幹子、待ちくたびれましたぁ」
「お二人とも、痴話喧嘩は後回しにして、さっさとやってくれません?」
詩世は、立季のみならず、ここの社員らまで血も涙もない人間だったのだと覚った。
「あっ、おやめなさいっ波多見さん……ああっ……」
詩世は、いろはから首輪を外して、立季にそれを嵌め直した。立季の手首に手錠を嵌めて、拷問台の脚に巻きつけておいた鎖に繋いだ。
いろはは、社員らの輪の中で、カクテルグラスを傾けている。スケルトンカラーのベビードールに、いろはが平素なら絶対にチョイスしないピンク色のボレロが羽織ってあった。詩世が貸してやったのだ。
詩世は、公開SMの相手を立季に変えた。
詩世がいろはを調教するよう命じられたのは、立季が彼女を、この社員寮の慰み者にしようと企んだからだ。いろはが従順なマゾヒストにでもなったものなら、今度こそ彼女が帰ってこなくなる。詩世は、それで、立季ならどこで誰と何をしていても何の損害もない所以から、彼女を今夜の見せ物に選んだのだ。
「ほーら、門倉さん?貴女の美しい淫乱なヴァギナが、皆さんから丸見えですよ?私が触れなくても、これで一晩はおもらし続けるんじゃないですか?」
「いやっ、言わないで……あっ、はぁぁんっ……レコーダー、コピーしてばらまいて……あん、やるから……ああっ」
「門倉さんは、私に感謝して下さいね?いろはがネコならこんなに簡単にはいきませんよ。いろはは、門倉さんと違って私のものではありませんから」
「私っ……あぁぁ貴女の、はぁっ、ものになったの?はあんっ……」
「人様の前で乳首とクリをこんなにして、下から涎を垂らしている淫乱なんて、もの扱いで十分です」
「くぅぅっ……もっと……もっと私を罵って下さいぃぃ……あっあぁあんっ……」
詩世は立季の左乳首からクリップを離して、その膨らみにかじりつく。そして、バイブレーターをその淫核にあてがって、スイッチを入れて押しつけた。
「あああっ、ああぁああっ」
「逃げんなよ」
「来る……来るぅっ、イクぅぅぅ……っっ!!」
「ほら、腰引かないで、私にすがって踏ん張れば?」
「あっ、はぁ、あっあっ」
「ちなみに外でイッたらお仕置きです。皆さんにお尻向けて犬みたいに振ってもらうので、頑張って下さい」
「詩ー世ー」
ふっと、詩世は斜め後方から、可憐なソプラノの声を聞いた。
「詩世と叔母さんにこんな好みがあったなんて、知らなかったわ。詩世、まさか本気になったりなんて、してないよね?」
「何言ってるの?」
「してない、よね?」
「いろは。疑わないで、写メをちゃんと撮って。いろはが材料つくってくれなくちゃ、私が解放してもらえないの。いろはが門倉さんの写真を撮って、私はそれを引き合いに出して、門倉さんに、レコーダーのデータを消してもらう。私はそれしか考えてない」
「詩世が浮気しなかったら済んだことじゃない」
「今朝はフリーだったの!貴女の所為で!」
「私のこと、そんなにころっと諦めたの?!詩世、最低!明日は私の鞭捌きで泣かせてやるから」
「二日振りに帰るのに?味噌汁食べて、ミルク風呂に入って、自宅を満喫するのが普通でしょ?!」
「ダッサ。詩世、二日振りに一緒に帰る恋人に、性欲も湧かないの?」
「性欲の前に新しい家具を選びたい」
「同感。ってか、ピンクで良いよ」
「ほんと?」
「また詩世が家出して、叔母みたいな女に引っかかったら面倒だもん」
「……それだけ?」
詩世もいろはも、二日前の件は水に流した。
互いを一度失って、二人で暮らした五年間がどけだけ大きかったかを、見つめ直す良い機会になったのかも知れない。
詩世は、今ならいろはの気性も長所と認める。人形みたいな相手より、野生みたいな相手の方が、一緒にいて楽しいし、魂(こころ)から触れ合える。どれだけ身体の相性が良くても、立季では足りない。与えてくる喜怒哀楽も、一緒に暮らしてきた年月も、何よりその存在感は、いろはに優る人はいない。
「いろはさん」
社員の一人が、いろはに咎めるような目を向けた。
「そういうことは、二人きりになってから伝えたい。そういうことでしょ?」
「…──っ」
「いろは」
「……何」
「いろはとは、急ぐことないと思うんだ。明日眠ったって、明後日がある。明後日がダメなら、十年後でも、二十年後でも、五十年先まで時間はある」
「──……」
「だから、明日は、昨日のこと、話そう?いろはが何をしていたのか、私に知らせて。私もいろはに話す」
「うん……」
「門倉さんのこと、ごめんね」
「ううん、私も……下着脱いで見せちゃったんだ。ごめん」
「ごめんで済むなら、警察も探偵事務所もいらないけどね」
社員の一人から苦笑がこぼれた。
それでも、と、詩世は思う。
全てが思い通りにならないから、生きている実感を得られるものだ。いろはは最高の心地をくれる。否、たとえそんなものをくれなくても、一緒にいたい。いろはと一緒にいることに、全てがある。
夜が、次第に更けていく。
きっと何度喧嘩をしても、この最愛の人のの隣以外に、帰りたい場所はない。
──fin.
妖精カテドラル