ヒメナ・ハイネスは、小国シスベノラの首都マレノに聳える宮殿にいた。

 シスベノラの王族、並びに貴族らが共同生活を営んでいるここナシュタイン宮殿は、活気溢れる庶民らの行き交う城下町を望める立地にあって、瑞々しい緑が青々と繁る小さな森に囲まれて、ずっしりした石垣に守られていた。
 城内は、厳めしく壮大なだけの外観と打って変わって、こまやかな趣向が凝らされていた。広々とした庭園は緑豊かな散歩道になっていて、柔らかな日差しの降り注いでいる足許は、きめ細やかな白い砂で覆い尽くされている。キューピッドの像が矢を構えている噴水が涼を振り撒いていて、心地良いほどの涼風が、肌にまとわりついてくるようだ。

 ヒメナは本殿に入っていった。

 顔見知りの下働きらに挨拶するのもそこそこに、王女の部屋へ直行する。

 直視し難いほどのシャンデリアから降り注いでくる金色の光に浮かび上がった、豪華絢爛な広間を抜けても、いかにも王達の生活の場に相応しいような回廊が続く。そのまばゆさは、社交界にデビューにしてまもないそこいらの少女達なら圧倒されて、腰の一つも抜かそうものだ。

 城の内部は把握している。王女の名前も知っている。

 ヒメナは、伊達に社交界に出て三年と少し経っていない。それと同時に、ヒメナは、ハイネス家と懇意の間柄にある、さる侯爵家の令嬢の侍女だ。
 ヒメナの主は世話好きで、幼い頃から良くしてくれている。姉のような存在でもある彼女の知識は、きっとどんな家庭教師にも優る。

 もっともヒメナは、自ら生まれ育ったここシスベノラの王女の顔を知らない。

 それというのもヒメナには、国一番の高貴な少女の実態を知ずに育った理由があった。

 シスベノラは、王の上に神が君臨している国だ。
 神はこの国に属する民達を、貴族も庶民も分け隔てなく慈しみ給うているの都と同時に、その運命を握っている。
 神通力を宿した人間や巫女達曰く、その昔、神がまだ地上で人々と共存していた時代、かの存在は一つの文書をしたためたという。その文書は世界の在り方、天地人の関係性、そして歴史の向かうべき運命のしたためてあって、現代も、一部の人間の手許にのみ存在している。

 文書には、終末論が含まれていた。ある年号に達すると、宇宙の均衡が歪み出して、シスベノラの崩壊は無論、地上の多くの生命が塵となろうといった、不吉な箇所だ。但し、そこには、そのような惨劇を予防するための唯一の方法も記してあった。

 ──ここに定める法を用いて、星を持たない乙女の生き血を白の章に滴らせよ。さすれば歴史は道を拓き、破滅の影は塵と消える。

 文書の示す、星を持たない乙女。

 神通力を宿した能力者やら巫女やらは、それを特定することが出来る。ヒメナの家系も、代々、貴族でありながらその道に精通した人間が多く存在していた所以、文書の示した世界終演の年号は疎か、星を持たない乙女が誰かも、容易く割り出せたのだ。

 もっとも、条件に合う乙女の生き血は、いくつか板書された文書の一冊を選んでその白紙の頁にただ染み込ませるだけでは、何のミラクルも現象も起きない。乙女の生き血に、文書の原本を浸けるのだ。

 儀式の柱とされた乙女は命を失う。

 その乙女こそ、シスベノラの王位継承者にして王女であるこの宮殿の小さな主と、そしてヒメナの二人なのだ。

 ヒメナが先に王女を殺めなければ、いずれヒメナが力ある人間に狙われる。

 それ故ヒメナは、王女にまつわるほぼ全ての情報を遮断されて生きてきた。ヒメナが同じ運命を背負った王女に情を持てば、将来、彼女を殺せなくなる。両親始めハイネス家に近しい人間は、皆、それを危惧していたのだ。

 夢のような回廊を渡り歩いて、うっとりするような装飾の施された扉をいくつか抜けた先に、果たして王女の私室はあった。

 「──……」

 ヒメナは私室の扉を開けた。

 その瞬間、神経も灼かれようほどにまばゆいものが、視覚を超えて目に飛び込んできた。眩暈をしかねんばかりの馨しい匂いに第六感を襲われる。

 「どちら様?」

 背を向けて佇んでいた部屋の主は、地上に光臨した女神を聯想する存在の如く、神秘的な光をまとっていた。

* * * * * * *

 桧渡姫希(えわたりひめき)は、とある駅前にある、繁華街の表通りを一筋外れた路地裏にいた。

 路地裏でも、ここら一帯は比較的人が集中しやすい。ハンドメイドの雑貨店や駆け出しの画家のアートギャラリー、老舗の飲食店や小さな文房具店といった店屋が所狭しと並んでいて、客足のほどは芳しい。

 姫希も、ここでひっそり店を出していた。懇ろにしている雑貨店の店主に頼んで、店先を少し貸してもらっていたのである。
 昼間は私学の高校に通って、夕方になると、かしこまった制服からデコラティブな和服に着替えて、天然石とアロマオイルをここに並べて、占い師という稼業に徹していた。

 姫季は、物心ついた頃から、石や香りからメッセージを読み取る力を備えていた。その能力は、主に他人の過去だの未来だのといった運命を始め、世界をたなびく見えない力の動きを感じ取るのに適しているようだったのだ。

 「ひめ」

 つと、頭上から、メゾともソプラノともつかない、澄んだ柔らかな声がした。

 姫季は敷物を敷いた簡易テーブルに並んだ色とりどりの石や瓶から、顔を上げる。

 目の前に、そこいらではちょっと見かけないような美少女が、どこか茶目っ気ある笑顔を浮かべていた。
 少女のすらりとした長身に端然とした顔かたち、凛とした相貌はきめこまやかな素肌によく映えて、その風貌は、ただ美しいと称えるだけではばちが当たろうほど奇跡的だ。柔らかな色をした栗色の髪は胸にかからない程度の長さがあって、爽やかな空色をしたチュニックに細身の白いパンツという装いが、その艶やかな身体のラインを引き立てていた。

 この少女こそ、姫季の最も親しい人間だ。同居人にして恋人未満の関係で、多少複雑な間柄ではあるものの、唯一無二の存在だ。
   
 彼女は、名前を矢里茉絃(やりまいと)という。

 茉絃は年のほどは姫季より二つ上で十八歳、今年高校を卒業したばかりだというのに、早くも就職先のオフィスにて、幹部の座を任されたというキャリアを持つ。

 「あわっ、あわわっ、お姉様!」

 「ああ、座って座って。それじゃお姉様じゃなくて姐さんになっちゃう」

 姫季は浮かせた腰をすとんと下ろす。

 下ろしっぱなしのセミロングの黒髪は、今日もこめかみにブーケを模したコサージュを飾っただけだが、前髪の毛先がちゃんと眉のところで一直線に揃っているか気になって、今更ながら指先で触れて確かめる。薄紅色のレースのあしらってある小花柄の振り袖が、しゃらんと揺れた。

 「くれあちゃん、今日は来た?」

 「ううん。専門学校生だから、課題忙しいみたい……。お洋服とか自分で作るんだってぇ、すごいと思うのー」

 「ひめだって。いかさまじゃない占い師なんて、君の他に何人いるかいないかじゃん?しかもこーんなに可愛い」

 「あはは。私は、ほら、その……」

 「んー?」

 甘ったるい声がすぐ耳許に近付いてきて、姫季の右手に、くすぐったくてあたたかい指先がまとわりついてくる。

 近い。姫季の顔と茉絃のそれが近い。

 「お姉様、の、意地悪……」

 ようやっとの思いで口先だけの文句を絞り出して、美しい少女から顔を逸らせる。

 姫季が占いに長けているのも、茉絃が引き立ててくれるのも、運に過ぎない。姫季自身の力や魅力の所以ではない。

 姫季には前世の記憶がある。

 それというのもこの広大な宇宙の歴史は、知られざるところで、何度も何度も今日まで繰り返されてきた。天地創造の時代に始まって、超古代、紀元前から西暦に切り替わってある一定の数十世紀が経過すると、再び時代はリセットされて、天地創造の世界に戻るのだ。それから、またいにしえの時代が明けて、同じ歴史が無意識の内に模倣される。
 変わり映えしない歴史を繰り返しては果てる宇宙の運命は、本来、神のみぞが知るものだった。だのに姫季の魂は、その繰り返される運命を、断片的に刻み込む。

 姫季が、西暦に訪れるある定められた年代、すなわち終末という名の始まりに、大きく関わっているからだ。

 石や香りからメッセージを読み解く力も、同じ魂を宿した少女(まいと)と何度生まれ変わっても出逢うのも、その運命があるからだ。その証拠に、姫季には、西暦の今という時代に受けた生の記憶のみが残る。

 「文書に残った終末論、星を持たない乙女の儀式……。宇宙をこんな理に仕立て上げたのは、幻の王国、繰り返される歴史の中で、その最初にだけ存在した王国シスベノラの神様だと聞いている。お姉様と私が、今生、あの国にいた頃の記憶を持って生まれてきたということは、定められた西暦も近いということ」

 「シスベノラの神を密かに信仰している人間は、いつの宇宙でもいるからね。不吉な文書も現れる。原本は、何故か、運良くこっちに渡ってくる。……王女様の生まれ変わりを見付け出して、やられる前にやらなくちゃ、私達の他に儀式のことを知っている人間が、きっとひめを狙いに来る」

 「生贄を手にかけて、世界を救った関係者には、栄光が約束される。儀式を知っている人達が、王女殿下の魂を持った子や私を狙いに来るのは、この世の終わりを回避するためだけじゃない。その栄光とやらが、魅力だからでもあるんでしょうね」

 もっとも姫季は、世界を救った人間に与えられる栄光の詳しいところを知らない。

 宇宙は歴史を繰り返している。

 つまり、姫季を含め星を持たない乙女らに、世界のために血を捧げた前例がない。奇跡すら、果たして本当に起きるものかも分からない。

 「お姉様が私を殺して試してみるとか?折角、文書もあるんだもん。次どこかで出逢ったら、お姉様なら私に、何がもらえたか教えてくれるでしょ」

 姫季は自由な片腕で頬杖をついて、茉絃を上目遣いで見上げる。

 綺麗な顔に、明らかな動揺の影が掠めた。

 「くだらない」

 「──……」

 「私が儀式を急ぐのは、栄光が欲しいからじゃない。姫季との未来が欲しいから」

 「お姉、様……」

 「出逢って、一緒にいられて、それなのにすぐ約束の終焉(とき)が来る。次に姫季と出逢っても、君が誰かも思い出せないで、不可抗力で恋に落ちていたとしても、その記憶は引き継げない。こんな風に、終末が近い時代じゃなくちゃ、君が君だって分からない」

 かげろうの如く儚い恋は、いつも、不吉な運命の前にくずおれる。

 「──……」

 「姫季は、優しいからねぇ」

 「…………」

 「くれあちゃんが本当にそうなら、尚更、躊躇うのは分かる……けど……」

 姫季の右手と茉絃の左手がもつれ合う。

 その時だ。

 「あのー……」

 聞き覚えのある声がして、心臓が、いやにびくんと跳ね上がった。

 姫季は茉絃の肩越しに小路を覗く。

 思った通り、今まさに話に上っていた少女が遠慮がちにこちらを見ていた。

 城出くれあ(しろでくれあ)だ。

 くれあは気高く強い意思を湛えた大きな瞳に、自然な笑みの浮かんだ優雅な面差しが印象的な少女だ。長い亜麻色の髪には柔らかなウェーブがかかっていて、そのたおやかな風采に、臙脂と生成のロリィタ服がよく馴染んでいる。

 お伽噺か、或いは歌劇の中でまみえるようなプリンセスが、そのまま抜け出てきたようだ。

 姫季は、とてもくれあが同い年とは信じ難い。彼女の少女らしい瑞々しい生気は健在ながら、どこか大人びた雰囲気は、いっそ妖しい色香さえ伝わってくる。

 姫季は今度こそパイプ椅子かからすっくと立って、学校でもこれだけ親しくなった試しのない友人に、にこにこ手を振る。

 「こんばんは、くれあちゃん。差し入れ二人分持ってきて良かった」

 「あっ……、あ、えと……お構いなくっ」

 姫君を彷彿とするアンティークドールの如く少女が、わたわた両手を左右に振った。

 姫季は、さっきから茉絃の腕に不自然にかかっていたコンビニ袋を彼女に渡されて、颯爽と立ち去るその背を追いかける機を逃した。
    
* * * * * * *

 姫季は店を切り上げて、くれあが起臥しているマンションの部屋を訪ねていった。

 くれあはこの町で生まれ育ったのではない。ファッションデザイナーを志望して、専門学校に通うため、故郷から遥々移り住んできたのだ。しかるにこの部屋の住人は、彼女だけだ。

 姫季は、いつでも埃一つ見かけない整頓の行き届いた部屋に落ち着いて、卓袱台を挟んでくれあと向かい合っていた。

 「こういうの、私にしては珍しい」

 姫季はたった今まで味わっていたプリンを卓袱台に戻して、そのスプーンをソーサーに預けた。
 さっき茉絃が差し入れしてくれたプリンは、フルーツの風味豊かな紅茶によく合っていた。

 「放課後ね、友達と外を歩いたり、家でお茶して話したり。私、全然しなかったんだぁ。中学にいた頃まで、人見知りすごくって。今も同じ。一緒の学校の人達と、話せない」

 「あの……、矢里さんだったかしら。あの方は?」

 「お姉様は別。付き合い、長いの」

 もっとも、それは遙か昔の記憶を辿ったところを含めてのことだ。そもそも姫季は、茉絃が相手だと、極度の人見知りから来るものとはまた違った類の焦燥に駆られる。

 しかしながら、その辺りは割愛しておく。

 「──……」

 「私も」

 神さびたソプラノの声がふんわり耳に触れてきたのとほぼ同時、陶器の軽くぶつかる音が、心地好い程度に聞こえた。

 「私も、お友達とは、あんまり深く付き合えないわ」

 「えっ……」

 「そんな風に見えない?よく言われる……けど」

 本当に、本当。

 くれあがふっと顔を伏せると、ぱっと見より長い睫毛が、ほんのり淡い色をした小さな頬に影を落とした。

 「姫季ちゃん」

 「うん?」

 「私が町で占いをしていた貴女と、緊張せず話が出来たのも、こうしてお友達を続けていられるのも、貴女が他の皆とは違うからだわ。私……、遠い昔、どこかで貴女と深く関わっていた気がするの」

 「…──!!」

 「私ね」

 実家の地元に、と、くれあが微かに目を細めて、そこで一端ひと呼吸置いた。

 「姫季ちゃんみたいに仲良くしてくれていた幼馴染みがいるの。今もよくメールしている。彼女と、ちょっと……似ているかしら……姫季ちゃん」

 「──……」

 どこまでが空想でどこまでが予感だ。

 姫季はくれあのいつもなら耳に心地好い声が、今は怖い。くれあの中で煌めくものこそ、プリンセスのそれではないかといった予感が迫って、底なしの恐怖に引きずり込まれる思いがする。

 「くれあちゃんは、その、幼馴染みの方を……」

 「大切」

 「──……」

 「とっても、大切。最初で最後の、親友……みたいなものかしら……多分」

 「…………」

 姫季は言葉が出なかった。

 何故、そんなに切なそうな双眸をして、愛おしそうな声色で、遠い故郷にいる少女を語る?何故、親友なら親友だと、彼女との間柄を断言しない?

 姫季は、自分がどうして悲しいのか分からない。
 くれあの一番になれないからか。それとも、遠い昔、姫季がヒメナとしてあの幻の国にいた頃、自ら殺しに行ったはずの王女すなわち星を持たない少女を庇って、自分に刃を向けてきた彼女の護衛の存在を思い出したからか。

 ヒメナが世界の犠牲になるか、王女がその役目を負うか。どちらが民らのためになるか、それは考えるまでもない。

 姫季が、かつてまみえた騎士に言われた理屈だ。

* * * * * * *

 「ただい……」

 決まりきった帰宅の文句を口にして、玄関の扉を後ろ手に閉めたつもりだった。

 だのに姫季は、キッチンの方から鳴り響いてきたけたたましい物音に、一瞬にして声を押さえ込まれた。

 「帰れっつってんだろ?!貴様に姫季をどうこう扱う資格はねぇよ」

 茉絃の声だ。但し、普段の柔らかな優しいそれとはかけ離れた調子をしている。

 聞こえてくるもの、伝わってくる気配から察するに、茉絃は、今姫季の足許に揃えてある靴の主に、相当機嫌を損ねられたと見える。

 姫季には、招かれざる来客が誰か瞭然だ。

 茉絃と同じ会社に勤務している井沢龍樹(いざわたつき)という人物だ。

 龍樹は事務員にしては厳めしい風貌で、年のほどは三十半ば、職場ではなかなかの辣腕らしい。

 「まじで帰りな。もう家(ここ)に来るな。あんたが年上で同じポストの人間だからって、私が何でも言うことを聞くとでも思っているわけ?」

 「聞かせられると思っている。なァ矢里?お前は俺と仲良くやっていれば、一生安泰だ。もっとも、星を持たない乙女の血を採りゃ、遊んで暮らせるだろうがな。可愛いお姫様を俺に任せろ。そうすればお前の持っている古書にあるように、俺達は救世主になれる。儀式は俺がやろうとお前がやろうと、報酬は山分けだ」

 「報酬……、ね。興味ない」

 「そう言い続けて、お前は獲物を手懐けた。よくやるなぁ、その努力、今実らせねぇでいつ実らせる?」

 「ひめが欲しいなら私の屍を越えることだな。……おかしいと思ってた。入社して三ヶ月。私みたいな新入りが、あんたの片腕に指名されたのは、あんたがシスベノラの神の信者で神通力を持っていたから。私が持って生まれたものを見抜いて、それを狙った。終末の章の原本と、ひめと出逢う運命を」

 「それだけじゃないぞ。と、言ったら?」

 「…──?!」

 「お姫様みたいな小娘より、俺は守ってやる必要もないくらいの女の方が──」

 いやに卑しい男の声がねちっこさを増した瞬間、鈍い音がした。

 茉絃が龍樹に迫られて、殴り飛ばしたのだ。

 姫季は気が付いていた。

 龍樹が姫季を狙ってくるのは、彼にとって、犠牲になるのがくれあであっては無意味だからだ。彼が救世主になりたいのに偽りはない。ただ、それは姫季という邪魔者を排除した上で、茉絃と一緒に到達せねばならない未来だ。

 茉絃は、今にストーカーと化しかねない同僚に、姫季以上に脅かされていよう。

 姫季は、常々身につまされていた。
  
* * * * * * *

 授業中も、放課後になって店を出している間も、くれあのことばかりを考えていた。

 それで見えない力が働きでもしたのか、或いはそれだけしょっちゅう顔を合わせられる仲になっていたのか、昨日と同じ黄昏時、例の小路の雑貨屋の店先に、いにしえ姫君を彷彿とするドールの姿をした友人が見えた。

 姫季は、今日もくれあと、彼女の部屋に場所を移した。

 くれあの部屋は、相も変わらず本棚に並んだ資料集の一冊に至るまで、少しの乱れも目につかない。きちんと整頓されたここはいつでも明るくて、そんな空間にとけ込んでいる部屋の主も、とびきりまばゆい。

 お茶とお菓子を嗜みながらの二人の話題は、とりとめない今日あった出来事、そして大好きなレースやリボンのあしらってある洋服のあれこれ、それから恋の話に向かっていった。

 姫季の恋は、茉絃で始まって彼女で終わる。記憶の残らない生はどうにも断言しかねるが、それでも、あの優しい少女の魂にのみ惹かれていよう確信がある。

 そう信じていなければ、生きていられ
ない。

 「私、は……」

 くれあの声が、心なしかはにかんだようなトーンを帯びた。

 「多分、もうすぐ、彼女に会いたくてたまらなくなる」

 「彼女……」

 「姫季ちゃんは羨ましいわ。すぐに会えるだけじゃなくて、好きな人と一緒に暮らせているんだもの」

 くれあの努めて明るめても聞こえる声が、痛々しい。

 彼女の求めて焦がれる「彼女」が誰を指すのか、確かめるのも野暮というものだ。

 「…──っ」

 姫季は卓袱台に身を乗り出して、くれあの双眸を覗き込む。
 本当に美しいその眼(まなこ)は、吸い込まれてしまいそうに澄んだ色をしている。いつまでも恍惚としていたい煌めきがある。

 「くれあ、ちゃん……」

 デジャヴする。何万年もの時を遡った、あらゆるさだめを生きた記憶のひとひらが、蘇ってくる。

 姫季はくれあの肩に恐る恐る腕を伸ばして、ありったけの愛おしさをキスに込める。罪の味しかしなかろう口づけは、信じ難いくらい甘くて、今度こそ大丈夫だと自分に言い聞かせられる。

 「ごめん……私、くれあちゃん……貴女を……」

 愛さなくちゃいけない運命みたい。

 姫季は胸が張り裂けんばかりの痛みを振り払うようにして、くれあの唇をこじ開ける。触れるだけのキスから深いそれに変えながら、しなやかな腕を指先でなぞって、柔らかすぎる素肌をまとった片手を捕らえる。姫季は、そうしてくれあの隣に移って、レースのたくさんあしらってあるブラウスの上から、彼女の温かな鎖骨を撫でさする。

 「ゃ……姫季ちゃ……」

 「ごめん……どうしても……でも、どうしても……」

 「……シスベノラの文書に、書いてあるから?」

 「…──!!」

 「星を、持たない乙女……ほんの微妙な時間差で、貴女と……私みたいに、星座のない、ホロスコープの空白の位置に生まれる人間がいる……一般に云われる十二星座は、大雑把な計算に基づいたもの……本当は、一人一人、皆、違う星を持っていて……」

 「──……」

 「星を持たない私達の内どちらかの血が、世界を救う……だから狙われるの……世界が終焉に近付けば、シスベノラを知っている人間に、私達は……」

 文書に基づいて命を奪われる危険に晒される。

 王女だった少女の言葉が、熱い吐息にとけて消えた 。それは、声にならなくても伝わってきた。

 知っていたのか。

 否、知らない方がおかしいのだ。
 あの国に生きて、且つ、神がこの世に残したかくも残酷な理に関係している人間は、記憶を残して生まれ変わる。くれあも姫季や茉絃と同様、かなしい運命に囚われていたのだ。

 姫季はくれあのブラウスのボタンに手をかける。
 この王女の生まれ変わりが今の状況を理解出来るなら、話は早い。姫季は文書に従って、星を持たない乙女と契って、彼女を四度目の快楽の波にさらった瞬間(とき)、その心臓を血の蛇口にするのみだ。生贄の胸を引き裂く方法は定められていない。多分、血さえ搾り取れば儀式は成り立つ。

 「くれあちゃん……くれあちゃん……」

 首筋を唇で啄みながら、着実に、うたかたの友情を築いてきた少女の着ているものを剥いでゆく。

 大好きだ。想いとかたちは違っても、 茉絃と天秤になどかけられないほど、姫季はくれあが大好きだ。

 ヒメナが王女のまとう煌めくものに気圧されたのと同様、あれ以後も、姫季はかの魂を引き継ぐ少女に出逢う度に、かけがえのない何かに触れる。愛おしくて怖ろしくて、怖ろしくて愛おしい。

 こんな輪廻は終わりにしたい。終末を回避さえすれば、きっと、今度こそ茉絃と添い遂げられる。くれあとも、来世のどここかでまた巡り逢える。
 生まれ変わって記憶は残らなくなったとしても、姫季が星を持たない乙女の価値さえ失くせば、かなしい諍いは二度と起きまい。

 「矢里さんの、た……め……?」

 「──……」

 「利用されてる!そういう風にし向けられたんだわ。星を持つ乙女の理を知っている人間なんて、皆……どんなに優しい人だって、世界より、たった一人の人間を選ぶはず、ない……ひ、め、姫季ちゃ──」

 「良いの」

 「…──っ」

 「私には、お姉様が必要だから」

 初めて愛させてくれた人。初めて必要としてくれた人。

 姫季には、茉絃が全てだ。たとえ自分に星座がなくても、遙か彼方のそれなどいらない。姫季の居場所は茉絃がいつも用意していてくれる。

 昨夜、決めたのだ。

 姫季がくれあに明日(みらい)を譲れば、茉絃を守れる人間はいなくなる。最愛の人を、これ以上、汚い男(たつき)の目に晒したくない。

 「ヒメナもそうだったわね」

 「──……」

 「あの人でしょう?私が王女だった頃、貴女が侍女をしていた……貴女が私を殺すために私室に忍んできたあの時も、貴女の帰りを待っていたっていう……」

 「…………」

 ええ、そう、と、姫季は頷く。

 「だから私」

 「──……」

 「この魂が血に染まっても、怖くない。お姉様がきっと認めてくれるから」







──fin.
妖精カテドラル