横笛と鉦鼓の音色が交じり合う、軽快な祭り囃子が、絶えず聞こえる。

 鳥羽みゆり(とばみゆり)は駄菓子屋の店先にいた。

 みゆりは、今年の春からここ『なつ菓子屋』でアルバイトをしている。
 ことに駄菓子屋に憧れていたわけではなかったが、高校にいた頃から時たま通りかかっては、ここのレトロな店構えに目を惹かれていた。それから大学に入ってアルバイトを探していた折り、偶然、求人誌で見付けた募集記事に応募して、見事採用されたのだ。

 今日は、土曜日だ。

 みゆりは朝からシフトが入っていた。

 店舗責任者を任されて今年で二年目になる女性、今橋秋子(いまばしあきこ)を始め、数人のスタッフ達が、あちこち忙しなく動き回っている。

 『なつ菓子屋』は、町の商店街の中程にある。さっきから絶えず耳に入ってくる祭り囃子は、その組合で放送されているものなのだ。

 それというのも今日からちょうど一週間後、七月七日は、七夕だ。
 この商店街では、毎年その日、七夕祭りが催される。当日は、広場にちょっとした出店が並んで、有志で募った協力者達の歌と舞踊が披露される。

 しかるに商店街全体が、早々に、お祭り気分になるのだ。あちこちに笹の葉が飾られて、大和らしい音楽が放送される。

 『なつ菓子屋』も、祭りに乗じる。
 この店では祭りの時期や年末年始、店先で祭りの出店を気取ったような企画を催す。客の前で綿菓子やかき氷を作って売ったり、スーパーボール掬いを出すのだ。それから、今のように夏に祭りシーズンに差しかかると、スタッフ全員、自前の和服をまとうのである。

 みゆりは自作の浴衣を着ていた。

 義務教育を受けていた頃から裁縫を齧っていただけに、少し、縫い物にはこだわりがある。

 先週仕上げたばかりの二部式浴衣は、ヴィンテージ加工して見える色味の青地に薄紅色とクリーム色の小花が散って、月とウサギがプリントされた綿素材で仕立ててある。ボトムはウエストにたっぷりギャザーを寄せて、膝丈の裾からドロワーズをちらと覗かせていた。
 帯は、赤い縮緬に芯を貼った簡単なものだ。フリルレースをあしらった、総レースのリボンを上から巻いて、蝶結びした。
 着物の襟元、袖口には揃いの花柄のフリルレースをあしらって、胸に、シフォンの巻き薔薇を寄せたコサージュを挿していた。
 髪は、後頭部にまとめてロープウィッグを被せている。ほんのりヘアカラーした栗色の地毛に合わせた巻き毛に、帯と同じ縮緬で作った赤いリボンを留めていた。

 みゆりは木造建築の店の前で、今朝出した綿菓子メーカーの側に控えていた。そうしながら目の前を行き交う女子グループや家族連れ、カップル達を眺めていた。

 出店の業務は基本的に交代制で、現在、みゆりの番なのだ。

 「日、出てきたねぇ」

 凛とした、鈴を転がすような声が聞こえた。

 振り向くと、同じ出店の当番に当たっている、みゆりと同期の滝瀬裕(たきせゆう)がいた。

 裕は、いわゆる美人の類に入る。
 彼女の引き締まった目許は濃い睫毛で囲われていて、ハイライトをはたいたようなまばゆい面に、鼻梁がすっと通っている。姫カットのサイドの髪だけ下ろして、ツインテールに結った黒髪が、細い肩にさらりとかかっていた。

 みゆりには、彼女のまとう浴衣に見覚えがある。
 裾一周に、星の暖簾を見上げるプードル達がプリントされたピンク色のそれは、みゆりも好きなブランドから出ていた広告で、見かけたことがあるからだ。

 裕も、この春『なつ菓子屋』に入ったばかりの大学一回生だ。
 同い年で、しかも仕事中を覗けばロリィタ服をまとっているという共通点があったから、二人、すぐに意気投合したものだ。

 「ほんとだ、もうすぐ十二時かぁ。浴衣指定で良かったー。日焼け止め、顔だけで済むし。身体用って、たくさん塗り直してるとすぐなくなるもん。もう、扇子でずっと顔隠していたいよぉ」

 「みゆちゃん太陽嫌いだもんね。その日焼け止めスプレー効く?」

 「うーん、夜顔洗った時、ちょっと肌の調子良いかも。裕ちゃんは何にもしないねぇ。何で白いの?」

 みゆりは、さっきから初夏の日差しを浴びながら、少しも肌を守ろうとせず、淡々とかき氷を売っている裕に疑問を投げかける。

 真昼の業務はとにかく暑い。

 楽しい反面、直射日光を喰らうから、日焼けしないかと気が気でなくなる。

 「そんなに白くないよ。そう見えるなら、化粧下地のお陰様。あっ、いらっしゃいませー」

 みゆりが今日四度目の日焼け止めスプレーを顔に吹きかけていると、初老の女性二人が、かき氷のお品書きの側に足を止めた。

 ──嘘ばっかり。

 みゆりは、にこやかにかき氷の注文を受ける裕を横目に、いかにしても彼女が化粧下地に頼りきっているとは信じ難かった。







 正午になると、それまで閉まっていた隣の店のシャッターが開いた。
 そこは、先月オープンしたばかりのパワーストーンの専門店だ。何もかもレトロに演出された『なつ菓子屋』と違って、ガラス張りのショーウィンドウがあって鉄筋コンクリートがとりあわせてあるという、現代的な店構えである。

 今し方、みゆりは注文を受けていた綿菓子を作り終えた。

 父親に連れられた五歳になるかならないかの年端の少女に袋の柄を選んでもらって、空気と一緒に綿菓子を詰める。
 それから口を輪ゴムで絞めて、少女のあどけない小さな手に、風船みたいな袋を渡す。

 瞬間、胸がざわっと音を立てた。

 一人の女性が、みゆりの視界の端に触れたのだ。

 「おはようございます!」

 軽く前髪を整えてから振り向いて、よそ行きの微笑みを振る舞う。わざとらしくなりすぎないよう、堅くなりすぎないように、意識する。

 もっとも、みゆりが笑顔一つにどれだけ思い煩うものか、この隣の店に勤める女性に、きっと知る由もない。

 それでも女性は、路面に出したばかりの看板から顔を上げて、にっこり笑い返してくれた。
  
 「おはよ。わぁ、和ロリちゃん?」

 「はいっ。七夕祭り、近いので……」

 「笹の葉たくさん見るもんね。可愛ーい」

 女性が自分の後頭部の近くに手を遣って、みゆりのつけているようなリボンの形を指で作る。

 ふくよかなのに締まった頬、濃く細い眉はくっきりしていて、オレンジが基調の化粧が映える顔かたちが、くしゃっと相好を崩す。
 アップにセットされた黒髪が真昼の陽を浴びて、赤い艶をほんのり浮かべていた。

 コケティッシュでいてとびきりチャーミングな一面を併せ持つこの美女は、名を、宇坂なお(うさかなお)という。

 「なおさんこそ……今日もとってもお綺麗です」

 「またまたぁ。お世辞言ってばかりいたら、閻魔様に舌抜かれるよ。今日忙しい?」

 「そこそこです。店に四人出てる割には暇っていうか……あっ。そちらは今日は、なおさんと真潮さんお二人ですか?」

 真潮というのは『Miracle world』のもう一人の従業員、小隅真潮(こすみましお)だ。
 年端のほどは、見た感じなおと同じくらいで、三十前後といったところか。いつでもシックな、いわゆる大人の魅力をまとったなおに比べて、真潮はまるで小動物だ。小柄な体躯に大きな目、内巻きカールの栗色の髪をいつも一つに結い上げているその風貌は、喩えるなら猫に似ている。

 「土曜日だしね。オーナーはたまに来るけど、あの人現場は苦手みたいで、休日は逃げてる。一時から真潮と私の二人で回すよ。『なつ菓子屋』は賑やかだね。人件費平気?」

 「んと、平日はあたし達学生は、短時間入ってるだけなんです。だから、平気みたいです」

 「そっか。みゆちゃん大学生だったね。……っと。いらっしゃいませ」

 なおが、すぐ脇を通り過ぎて店に入っていった、二人組の男女に声をかけた。今日初めての客が見えたのだ。

 「じゃあね、みゆちゃん」

 黒い七分袖から伸びた白い腕が、力強く拳を握る。

 みゆりが半ば夢見心地で頭を下げると、なおが店に戻っていった。

 今日は、いくつ、なおと言葉を交わしたろう?

 およそ一ヶ月前、『Miracle world』がオープンした頃は、みゆりはなおと挨拶するのでやっとだった。
 挨拶の類に入る以外の言葉を初めてかけてくれたのは、なおからだった。みゆりは、それからもなおと接する度に力が入って、喉が詰まって、まともに声も出なかった。頑張って話せるようになったのは、更に数日後のことだった。
 今では暇があれば言葉を交わす。もちろん、互いに名前を知る仲だ。

 頑張ろう。頑張って、話したい。

 みゆりはそれだけの思いを力に変えて、なおと言葉を交わしていた。

 交わした言葉の数だけ胸が満たされて、安らいで、苦しくなる。恥ずかしいほど切なくなる。

 みゆりはなおがどんな風に生きてきたのか、どんな人を愛してきたのか、どこに住んでいたのかも知らない。
 目に見えるところしか知らないのに、なおのまとう見えない何かに惹きつけられる。
 なおとこうして話した後は、まるで恋する乙女のように、口に出せない妄想ばかりが頭を巡る。

 みゆりはなおに少女漫画のように一目惚れして、どんなドラマや映画も色褪せる、恋をしていた。

* * * * * * *

 昼の休憩を挟んで午後は店内の業務に回っていると、あっと言う間に日が暮れた。

 みゆりは裕と、『なつ菓子屋』から二分ほど歩いた先にある、喫茶店にいた。二人、早上がりだったから、お茶をすることにしたのである。

 広々とした店内に、深い蜜色の明かりが満ちている。しめやかにクラシックが流れる中、あちこちに観葉植物やオブジェが飾られていて、テーブル席のほとんどが仕切きってある。
 極めて落ち着く空間だから、寛ぐのに丁度良い。

 みゆりはアイボリーのビスチェにドットチュールのパフスリーブ、ウェストからサックスと白の水玉模様、ストライプのバーバリー素材の生地が交互に重なるスカートが広がるデザインの、とりわけ涼しげなワンピースをまとっていた。

 が、動きっぱなしだったからか、暑い。

 裕も浴衣姿のまま汗ばんでいて、二人共、アイスティーを注文した。

 「お疲れ様。乾杯」

 みゆりは運ばれてきたばかりのグラスを掲げて、ミントベリーティーを味わう。

 甘く冷たいアイスティーが、身に染みる。

 「みゆちゃん」

 つと、裕と目が合った。

 みゆりはストローから口を離す。

 「ん?」

 「みゆちゃんが最近、ブログで書いてる片想いの人って……ずばり、なおさん?」

 「…──!!」

 「別にあの、詮索するつもりとかなかったけど。パワーストーンの専門店でお隣さんって言えば、反対側のお漬け物屋のお婆ちゃん達じゃないなーって。それに、みぃちゃんの文章見てる限り、真潮さんって感じはしなかったから」

 裕がたおやかに袂をよけて、氷の浮かんだグラスを混ぜる。

 また、あの感覚が押し寄せてきた。

 胸が詰まる。息が苦しくなって、もどかしくて、どうして良いか分からなくなる。

 それなのに、まるで甘い綿菓子を頬張るような、ふんわりした安らぎに包み込まれる心地に落ちてゆく。

 「……うん」

 みゆりは頷く。

 裕に隠すつもりはなかった。

 巷間には、同性に惹かれる本能を隠したがる人間が、数多(あまた)いる。口にして、面倒なことになりたくないのだ。

 みゆりは、隠さねばならないことが不自然に思えてならない。

 異性にしか恋を出来ない方程式が出来上がっているような世の風向きが、受け入れ難い。
 男に生まれなければ女に恋をしてはいけないなんて、随分な男女差別ではないか。
 一昔前、ある大手の運送会社が女性を宅配員に雇用しなかったというが、今は改善されている。恋愛における風潮も、改善されるべきなのだ。

 みゆりは面倒臭くてヘテロを気取ることはあっても、一生付き合っていきたいような相手には、ありのままの心を見せる。

 カミングアウトして、それで綻ぶ人間関係ならいらない。
  
 「やっぱりねぇ」

 裕の、水面を見つめる凛とした目許がやんわり微笑む。

 「短冊に書いてみれば?」

 「ふぇ?!」

 「商店街の組合から、飾って下さいって配られたやつ。今橋店長が言ってたよ、うちもそろそろ笹出して、短冊書かないとあっと言う間に七夕になるねって。短冊に、なおさんに好きって言えますようにって、書けば良いじゃない」

 「良いじゃないって……」

 裕は美人だから、失恋という経験がないのだろう。砕けた気質も幸いして、きっと自然に他人を寄せつける。
 失敗を怖れたことがないからそんな無茶なアドバイスを寄越してくれるのだろうが、いかんせん、みゆりにそれだけの度胸はない。

 「笹って、店先に飾るんでしょ?うちなら多分、いつも綿菓子を出してるすぐ側だよ。なおさんに見られるー」

 「見られるから、そう言ってるの。本人の顔見て、直接告る手間が省けるかも。満更じゃなかったら、みぃちゃんが告ってもらえるかも」

 「…──!!」

 「ほらほら今、素敵な未来の映像が、頭の中に浮かんだでしょ?映像だけじゃ物足りないでしょ?」

 「うぅ」

 「なおさんはクールだし、美人だし、付き合ってる人いるかも知れない。そんなことばかり心配していたら、今みたく、一生、話すだけで満足しなくちゃいけなくなるよ」

 それで良い。否、良くはないが、今はそれで満たされる。

 洋服の費用を稼ぐために始めたアルバイトだったのに、それ以外の喜びに出逢えた。

 みゆりはなおと会うために、『なつ菓子屋』にいる。

 なおが可愛らしいと言ってくれるから、シフトの入っている日はいつも、どんなに時間の迫った朝でも、髪を高く結って必ず大振りの髪留めをつけていく。

 ベリーミントティーの味が、だんだん、綿菓子のそれのようになってゆく。
 なおの姿を、声を、オーラを想って感じるだけで、身体中の感覚が、綿菓子の如くとけて麻痺してゆくようだ。

 「今は良いかも知れないけど……」

 裕が、ストローの口をもてあそびながら息をつく。

 「普通に会えることに感謝しなくちゃ。会えるのが当たり前じゃない。私達、ずっと『なつ菓子屋』にいるわけじゃないんだし」

 「──……」

 「なおさんだって、もし今フリーだとしても、ずっとそうなわけじゃない」

 一理ある。しかしながら、裕の言う未来はまだまだ先だ。

 少なくともみゆりは入学したばかりだし、今はまだ、先を急ぐことはない。

 それでも、ベガとアルタイルは急がなかったばかりに分かたれたのだ。

 いつもは思い出しもしない、夜空にまつわる古(いにしえ)の悲話が、ふっと頭を掠めた。

* * * * * * *

 裕に無茶なアドバイスをもらってから、四日が過ぎた。

 今日は、文月最初の水曜日だ。

 毎週、この日は午前で講義が終わる。

 みゆりは午後から『なつ菓子屋』のアルバイトに入っていた。

 そうして夕方が近付く頃、休憩時間があてられたから、『なつ菓子屋』でうずまきキャンディを買って、近くの公園に散歩に出た。

 平日の公園は、人気(ひとけ)が少ない。

 みゆりはベンチに落ち着いて、うずまきキャンディの袋を開ける。
 パラソルの中で、初夏の木々を眺めながら砂糖を固めただけのシンプルな甘味を味わっていると、突然、気配を感じた。

 公園の出入り口の柵の側、大きな樹木の幹の陰から、女性の影がふっと覗く。

 「みゆちゃん?」

 みゆりは聞き覚えのあるメゾの声に、反射的に顔を上げる。

 「なおさん……!」

 なおが、相変わらず淡白な色香をまとって、缶珈琲を抱いていた。
 仄かな赤を帯びた黒髪がさらさらたゆたって、黒いシフォンのチュニックが、風に靡く。黒で斑染めしてある白いパンツが、なおのスタイルの良さを引き立てている。

 「お隣、良い?」

 「はっ、はい……」

 みゆりはキャンディを握ったまま、ベンチを横に少しずれる。

 「えと……日、強いですし……」

 パラソルが邪魔にならないよう、半分を、なおに被せた。

 「ありがと。私は焼けても変わらないから、気、使わないで」

 「いえいえ!ダメです、なおさんのお綺麗なまばゆいお肌が!」

 「あはは、みゆちゃんって面白ーい。それ、うずまきキャンディ?懐かしい」

 なおの目に、みゆりの食べさしのキャンディが映る。

 「美味しいですよ……『なつ菓子屋』に、置いてます。今度……良かったら差し入れさせて下さい」

 「有り難いけど、大きいね」

 「甘いもの、苦手ですか?」

 そう言えば、なおの手にある珈琲を見ると、無糖と印字されている。

 みゆりはしゅんとした気持ちを引っ込めて、キャンディを舐める。

 棒を握った左手に、ふんわり、人肌が重なってきた。

 「味見、させてもらいたいな」

 「えっ……」

 「あ、無理ならごめん。はは、うち三人姉妹でね、カクテル回し飲みしたりおつまみつまんだり、しょっちゅうやるから。癖でつい」

 「──……」

 「全然、深い意味はないの、ほんと。みゆちゃんが可愛いからって、その……そういうわけじゃ……。キャンディ、今度、買いに行く」

 なおの指先が離れていった。

 どくどく、心臓の一部にでもなったようだった左手が、やけに冷えた風に震える。

 真夏なのにおかしい。みゆりの指が、まるきり暖を失っていた。

 『今は良いかも知れないけど……』

 四日前の裕の声が、耳の奥でこだまする。

 『普通に会えることに感謝しなくちゃ。会えるのが当たり前じゃない』

 明明後日(しあさって)は七夕だ。

 晴れればベガとアルタイルは逢瀬出来るが、催涙雨が降れば、また一年、二人は会えない。

 みゆりも、なおといつまでこうして気軽に顔を合わせられるか、分からないのだ。

 「──……」

 商店街のある方向から、軽快な祭り囃子が微かに聞こえる。

 「なおさん」

 みゆりは、日傘を握った拳にぎゅっと力を込めた。
  
* * * * * * *

 一週間が経つのは早い。

 あっと言う間に週末がやってきて、土曜日になった。

 商店街は、すっかり祭りのランドスケープとなっていた。

 今日はいよいよ七夕祭りだ。

 色とりどりの短冊に彩られたある笹の葉が、どの店先でも風にそよいでいた。いつになく、人の行き来も甚だしい。

 みゆりは、今日も綿菓子の製造販売をしていた。
 かき氷を担当しているのはやはり裕で、二人、一週間前と同じ和服に身を包んでいた。

 隣の『Miracle world』は、さっきシャッターが開いたばかりだ。今日の早番は真潮らしい。

 客が途絶えて、みゆりは木造建築の店に振り向く。

 秋子が甚平の裾を揺らして、忙しく駆け回っていた。
 数人の男女が菓子を吟味している店内で、三日前、みゆりが休憩時間に食べていたうずまきキャンディがやけに目立つ。カラフルな着色料で可愛らしく模様がつけてあるキャンディは、なるほど、余程好きでもなければ一人で食べるには大きかろう。

 あのキャンディを、なおと、一緒に味わったのだ。

 まるで夢のようだった。あの夕刻を、思い出すと、もう何もかもが手につかなくなる。

 みゆりが味わったところをなおが味わって、なおが味わったところをみゆりが味わっていた。
 同じパラソルの下で、二人、ベガとアルタイルの如く睦ましく、一つのキャンディを平らげたのだ。

 今の状況に満足しても、何も変わらない。

 分かっているのに、三日前の思い出を大切に胸に仕舞って生きていけるなら、それはそれで、生涯満たされていられる気がしなくもなくなっていた。

 頭の中が、日増しになおでいっぱいになってゆく。

 なおの姿を声を思い出すと、顔がみるみる熱を帯びてゆくようだ。手に、汗が滲む。

 みゆりは、胸の前で拳を握った。

 つと、綿菓子の品書きが貼ってある看板の側に、誰かの立ち止まった気配がした。

 「いらっしゃ……なおさん?!」

 みゆりは客の姿を確かめた途端、思考の機能が停止した。

 なおが、勤務時間より何十分も早いはずの今、ここにいたのだ。

 みゆりが口をぱくぱく開閉していると、とびきり美人な風貌が、笑みをこぼす。

 「なぁに、驚いてるの?みゆちゃんのキャンディが食べたくって、買いに来ただけだよ」

 「だって、だってっ……早……」

 「キャンディっていってもね、うずまきちゃんはこの前分けてもらったし……他のが食べたいなぁ。とにかく、あれで『なつ菓子屋』さんの砂糖は美味しいって分かったし……今日は……」

 みゆりが混乱している側で、なおが腰を屈めて品書きに見入る。

 ああ、この女性を、いつまでもいつまでも眺めていたい。

 なおの視線を独占している、品書きの文字さえ羨ましくなる。

 みゆりが落ち着かない心地を持て余していると、切れ長の目許に映える瞳が、ふっとこちらに向いてきた。

 「みゆちゃん」

 「はぅっ?!」

 「決めた」

 「──……」

 なおが、『なつ菓子屋』の出した笹の葉の側に歩いていく。
 二日前、秋子や裕、みゆりが短冊を飾った笹の葉だ。みゆりは結局、短冊に「願い事が叶いますように」としたためただけだ。

 「私、みゆちゃんに訊きたいことがあったの」

 なおが青い短冊を指でつつく。
 みゆりの書いた短冊ではない。

 「それ、書いたのは……」

 「知ってる。そちらのお嬢さんでしょ?滝瀬裕さん。『同期のアルバイトちゃんの恋が叶いますように』、なんて。気になること書いてくれるね」

 「なっ?!」

 思わず変な声が出た。

 「裕ちゃん!何てことしてくれ──」

 「あ、お客さんだ。いらっしゃいませー」

 みゆりの涙で霞んだ視界の中で、裕が、器用にかき氷を削り始める。客がいては責めるに責められないではないか。

 「まぁまぁみゆちゃん」

 「なおさん……」

 誤解です。

 そう言って弁解すれば、きっと、軽く事は収まる。

 それなのに、みゆりは声が出なかった。

 「私も真潮と飾った短冊に、願いを込めた。うちは二人しかいないから、短冊全部を願い事で埋めるのは大変だったけど……」

 「──……」

 「みゆちゃんが今着ているみたいな水色の短冊に書いた願い事が叶うなら、他のは、全部外れたって関係ない。とっても大事な夢を、願ってみたの」

 「それって……」

 呟くと、みゆりの腕に、なおの三日振りの手のひらが、重なってきた。

 「みゆちゃんの目で、確かめて欲しい」

 「…………」

 「今日の仕事が終わったら、恋の話に付き合ってくれない?」

 「…──っ」

 みゆりははっと目を瞠る。

 なおの瞳が優しくて、真っ直ぐで、みゆりのそれを映し出したような色をして見えたのだ。

 「なおさん……」

 時が止まったようだ。

 商店街のアーケードの隙間から、晴天の青い空が覗いている。今宵、ベガとアルタイルは涙を流すことなく会える。

 みゆりも、なおと、初めての逢瀬を約束しようとしている。

 言葉を交わすだけでは足りない。キャンディを持ち込んだ、あどけない口づけだけでは全然足りない。

 もっともっと、欲張りたい。

 みゆりの作る綿菓子は、なおに、想いを伝えてくれるだろうか?うずまきキャンディがみゆりをなおと引き合わせてくれたように、綿菓子が、二人の星を結びつけてくれようか?

 「なおさん」

 みゆりはイチゴ味のザラメを選ぶ。計量スプーンの半分にそれを入れて、残り半分はバニラ味のザラメで満たす。

 「綿菓子、ご馳走させて下さい」

 「えっ……」

 「今夜、あの公園で待っています。一人で食べるには大きいですけど……今日は、ウサギさんの形のキャンディを、持って行きます」

 綿菓子メーカーにザラメを入れる。
 手が緊張して、少しばかりこぼしたが、問題ない。

 みゆりが割り箸に甘い綿を巻きつけ出すと、なおが、ふんわり笑ってくれた。







──fin.
妖精カテドラル