海洋の片隅にぽつんとある小国リテスキュティージは、冬の存在しない島国だ。

 春は長い。ほぼ一年中、甘やかな香りがそよ風にとけてたゆたって、青々と繁る緑葉が、蒼穹から降り注いでくる淡い黄金色を浴びて、瑞々しい色をまとう。

 霜月に入って第一週目の月曜日、リゼット・バシュレは王の宮殿に呼ばれていた。リゼットの属する王室付きの軍隊、エリシュタリヴ・オルレの隊長、エメ・カントルーヴも一緒だ。

 謁見室の扉を開くと、アルフリダが数人のメイド達に囲まれて、優雅にカップを傾けていた。

「ご機嫌麗しく存じます、アルフリダ陛下」

 リゼットの傍らで、エメの聞き心地の好いアルトがこぼれた。

 東部の人間らしいホワイトブロンドの短髪に、ほんのり翠を帯びた碧眼、その頬は白亜の如くきめこまやかでまばゆくて、鍛練された長身は、柔らかな線を備えていながら頼もしい。
 エメは、こうして休日、さらっとした平服に身を固めたいる時でさえ、軍人らしい凛々しさがある。

「よく来てくれたわ、二人とも。就業時間外にごめんなさいね。どうぞ、座って?」

「あっ、え……」

 リゼットは、ソファに座って視線をテーブルに移したやにわ、はっとした。

「あらあら、そんなに驚くなんて。私だって、日頃お世話になっている方の好んでいるスイーツくらい、覚えているわ」

「いえっ、でも……」

「リテスキュティージ東部のエリート軍隊、エリシュタリヴ・オルレの副官ともあろう貴女が、まさか、こんなに可愛らしいウサギさんの形のラズベリーモンブランを好んでいるなんて。東部は広い。まとまった休みがなければ、ここのお店へ行くのは大変でしょう」

「はい。来週のお休み、ようやく行けるわね……と、エメと話し合っていたところです」

「そのお休みの前に、大事なお仕事をお願いしたいの」

 アルフリダの端然たるかんばせが、ふっと憂いだ。

 パステルピンクのモンブランの並んだテーブルに、一枚の文書が出てきた。

「これは、何ですか?」

「テロ予告」

「えっ」

「署名はなし。怪しいのは西部だわ」

「あ……」

「週末、このリテスキュティージの名物イベント、東秋フェスティバルがあるのはご存じの通りね?海外の観光客にも人気があって、今年も経済の活性化が期待出来るわ。西部からこっそり遊びに来るお客さんが紛れていたって、色んな人種が集まるんだもの、毎年、誰も気付かないで楽しんでいるんですって。ただし、リテスキュティージの東西は、古くからいがみ合っている。東はこのシャンデルナが、そして西は、今のところヤーデルードの王家が統治している。ここ百十数年は、表だって戦は起きていないだけ」

「つまり、そういうところで大量の死傷者が出れば、東部の打撃になる。西部にとって好都合……と。しかも西部の人間は、普段と違って潜入しやすい」

「そういうこと。だからね」

 アルフリダのテーブルの下から、また、今度はやけにカラフルな印刷のされた用紙が出てきた。

「これ……は、何ですか?」

「東秋フェスティバルの人気イベント、ベストカップルコンテストの応募用紙」

「は……い……」

「この手の刺客は、派手な警備だと必要以上に刺激を与える。或いは行動を中止して、日を改めて、今度は予告なしでやって来る。危険だわ」

「──……。まさか地味に警備して、怪しい者を片っ端から調べろと?」

「ご名答」

「…………」

「少なくとも、エメとリゼットは、西部に顔が知れている恐れがある。けれども、プライベートで祭りに参加しているだけなら、敵は油断する。貴女達はこのコンテストのステージに立って、そこから怪しい人間を絞り出して捕まえて」

「それは、無理です。手がかりがありません」

「陛下。私、ウサギさんのモンブランは好きですわ。けれど……、あっ、一口食べてしまいましたけど、お返しします。申し訳ありません」

「リゼット」

「…………」

「ここでエメを他の女性とコンテストに出場させれば、貴女を貶めたがる貴族達の思うツボ。こんなこと言いたくないけれど……、リゼットのエリシュタリヴ・オルレでの立場を、貴族達がどう噂しているか知っているわよね?」

「陛下。あたしはリゼットに、皆さんの想像されているような利害関係を求めたことはありません。今後もそうです。……ってか、何であたしにそういうイメージが付いたんですか」

「もちろん、私はエメがリゼットの実力を認めて、右腕に指名したんだと分かっているわ。ただし、社交界は愉快であればそれで結構。もしエメだけが今度の任務を引き受けたなら、リゼットは、やはり貴女に本気にされていなかったのだと揶揄される」

「──……」

 あんまりだ、と、リゼットは悔しさでいっぱいになる。

 リゼット自身は馬鹿にされるも陰口も、馴れている。
 だが、エメまで品位のない噂話に巻き込みたくない。

「……分かりました」

 エメの、誰もが知るストイックな軍人の表情(かお)が、主に決意を表明していた。

「陛下とこの国をお守りするのが、あたし達の務めです。つい、弱音を吐いてしまいました。やるからには、必ずこの実行犯を阻止して、捕らえます」

* * * * * * *

 リテスキュティージ東部の名物イベント、東秋フェスティバルは、金曜日から日曜日にかけての三日間、開催される。

 城下町は期間中、さしずめアトラクションパークに化す。商人達はこの祭りのためだけのサービスやら商法やらを考案して、貴族も市民もごっちゃになって、屋台や催し物の娯楽に明け暮れる。

 リゼットがエメと、アルフリダから内密な任務を引き受けて、四日が経った。

 二人、この東秋フェスティバル初日の午後、再び王宮に招かれた。そしてアルフリダの生活している彼女の私室で、例のベストカップルコンテストの出場に備えて、身支度していた。

 アルフリダの私室に備えてある家具やら調度品やらは、どれもやんごとなき婦人が使うに相応しい、重厚な品格の備わったものばかりだ。
 リゼットが今、アルフリダの手前に腰を下ろしているドレッサーの鏡の枠も、本物の金箔で塗装してあって、シェルのロカイユ模様が埋め込まれていた。

 リゼットは、一生無縁だと思っていたような鏡の向こうに、更に無縁だと思っていた自分の姿を認めていた。

 東部の人間にしてははっきりとした目鼻立ちの顔は、いつもよりしっかり化粧してあって、色素の強いホワイトブロンドのロングヘアは、カチューシャ風の三つ編みを渡らせたところにブーケのコサージュが飾られていた。
 光の加減でピンク色にも見える白いワンピースは、ローブ・ア・ラ・フランセーズ仕様だ。広く開いたスクエアカットに、小さなリボンや小花のケミカルレースがたたいてあって、ウエストから大胆に広がったスカートの襞は、これでもかと言わんばかりにギャザーがたくさん寄せてある。コルセットもパニエもドロワーズも、軍服より遥かに重い。耳朶と、首元で、ジルコニアが光っていた。

「似合うわ、リゼット。ワンピースもアクセサリーも、私が貴女くらいの年端の頃、とても気に入っていたものなの」

「恐れ入ります。……ですが、陛下。私は陛下の一家臣です。それに、バシュレ家は社交界から離縁した一族です。お借り出来ません」

「貴女の家庭の事情は、私が一番知っているわ。けれど、フェスティバルは社交界ではないし、コンテストに出てもらうのはエリシュタリヴ・オルレの任務のため。私の頼みを聞いてもらうのに、ドレスまで新調させられないわ」

「普段着で行きますわ」

「それはダメ。パートナーに失礼でしょう。エメだって、貴女のためにお洒落させたのだから。……ね?」

 リゼットは、アルフリダの視線の先を追う。

 メイド達に囲まれたエメの姿を見た瞬間、いつになく胸がどきんとした。

「あ……」

 エメは、ただでさえ貴族の令嬢達の熱い視線を集めやすい。それなのに、今の普段より豪奢なブラウスに、繊細なトーションレースと刺繍の施されたフォーマルなジャケット、すらりとした身体の線を引き立てるロングパンツを合わせたその姿は、まるで神話にまみえる皇子を聯想する。
 思い上がった貴族の紳士の盛装とは、全然、違う。令嬢の部屋に大切に籠め置かれたドールのまとうようなその洋服は、たおやかなその容姿にしっくりしていた。

「──……」

「陛下。あたしは服、別に用意出来ましたけど」

「そうね。でも今日はそれを着て頂戴。どう?リゼット」

「どうっ、て……仰られても……」

 リゼットから、エメの気まずそうな双眸が逸れていく。

「あたしは、リゼットがどんな姿でも好きです。でも……」

「──……」

「こんな、可愛い格好見せられて、ありきたりな誉め言葉なんて寄越せません。いくら言ったって足りないから、……リゼットには、どんな言葉も粗末なだけです」

「…………」

 これが自惚れでないなら同じだ。

 リゼットは、エメの言葉の余韻が耳の奥から胸が満たされてゆくのに苦しみながら、拳を握る。

 リゼットだって、エメを想うこの愛おしさは言葉に出来ない。姿だけではない。世界中の、否、宇宙のどこを探してもまみえられない、その透明であたたかな魂の滲んだ恋人を称賛するには、どんな言葉も及ばない。

 お祭り騒ぎも晴れ舞台も、馴れない。

 リゼットは、それでもこれがシビアな任務のためでも、アルフリダの気遣いに感謝したい。

* * * * * * *

 東秋フェスティバルのベストカップルコンテストは、白昼の日差しが落ち着く頃、城の麓の草原近くで始まった。

 特設のステージは色とりどりの風船でデコレーションされて、扇状に並んだ客席は、今年もあらゆる人種の客で満席だ。
 審査員席に、見知った文部省の役員と外交官が並んでいて、特別審査員席に、アルフリダの姿もあった。

 リゼットは、ステージの上手側にエメと並んだ。

 同じく挑戦者のカップル達が、他にざっと十組いた。

「お待たせいたしました。今年も東秋フェスティバルの人気イベント、ベストカップルコンテストが開幕しました!司会はわたくし、モントワール伯爵の家内、リタ・モントワールでございます。今日はよろしくお願い申し上げますわ」

 リタが優雅にドレスを抱えて会釈をすると、客席から歓声と拍手が起こった。

 それから審査員達の紹介が始まって、出場カップルの自己紹介が続いていった。

「初めまして。ミリス・アドゥールです。十九歳、リテキュスティージ国立大学に通っております。彼とはお互い商家の生まれで、小さい頃から仲良しでした。昨年、この秋東フェスティバルで恋人同士になりましたので、今年は交際一周年の記念にエントリーしました。どうぞ宜しくお願いします」

「同じく十九歳、ジョン・ベレスクです。昨年までミリスとは客席にいましたが、いつか彼女とこのステージに立ちたいと願っていました。今年は貴族の皆さんが多くて、華やかですね。俺達も、負けないよう頑張ります」

「有り難うございました。このコンテストはどなたでもご参加いただけますから、市民の方、これからもふるってご応募下さいね。さて、次に自己紹介をしていただきますのは──」

「はい」

 艶のあるアルトの声がして、ミリスとジョンの右手側にいた女性の片手が上がった。

 リゼットは、今しがた返事をした女性に目を遣る。

 女性は、思慮深い垂れ目がちな目許が印象的な、気の強そうな顔立ちをしていた。ブロンドの巻き毛は赤い羽飾りが留めてあって、その肉感的な肢体を飾ったアイボリーのドレスは、たゆたう度に、きらきらとラメの輝きを放つ。

 派手ではない。ただ、女性の存在感は圧倒的で、得も言われぬ気品があった。

「あら、海外のお客様ですね。お国はどちら?」

「イングランドですわ。私はオリア・ヤデルード。四十九歳。彼女とは公認の仲です。東秋フェスティバルにベストカップルコンテストがあると聞いて、異国でも私達を祝福していただけるか挑戦したくて、エントリーしました」

「同じくイングランド出身です。イルヴァ・リードホルム、二十三歳です」

「美女カップルでございますね。フェスティバル事業部にミスコンを提案しなかったこと、誠に口惜しく思いますわ」

「有り難うございます。司会のお姉さんこそ、とってもお美しいですよ」

 リタの顔が真っ赤に染まった。強かな貴族らしい双眸がうるっと揺れて、細いウエストがふらついた。

「あっ、ああ……有り難うございました」

 リタが上ずった声でマイクを引いて、次のカップルのところへ移っていった。

 リゼットは、さっきイルヴァと名乗った女性をちらちら見る。

 とても綺麗なソプラノだった。その容姿も垢抜けている。
 栗色に近いブロンドは、さらさらのミディアムシャギーに整えてあって、奥二重の目許に煌めく双眸は、スモーキークォーツの深みを湛えた清冽なトパーズの色だ。通った鼻梁にシャープな頬に薄い唇、そのかんばせは西部らしいはっきりした感じがありながら、儚げだ。背丈はリゼットと同じくらいか。マーメイドラインのタイトなドレスが、たおやかな身体によく馴染んでいた。

「さて、次のカップルの方、自己紹介をお願いします」

「あっ、……」

 マイクが、いつの間にかエメのところにまで回ってきていた。

 リゼットは、姿勢を正して、エメとリタのやりとりに耳を傾ける。

「まぁ。それではお二人、今日はプライベートでご参加なさったんですね」

「はい。リゼットは右腕としても恋人としても、唯一無二です。今日は、彼女と気軽に、楽しい思い出作りをしたいと思っています」

「有り難うございます。次はリゼットさん」

「はい。……リゼット・バシュレ。十七才です。今日は、エメと一緒に参加出来て嬉しいです。よろしくお願いします」

「有り難うございます。今日は頑張って下さいね」

 リゼットからマイクが離れていった、その瞬間だ。

 客席の一角から、数人の耳打ちし合う声が聞こえてきた。

「ちょっと……」

「あれ、バシュレ家の子じゃない?」

「先代の家長が謀反で投獄されて以来、社交界から弾かれたんでしょう?何故、こんな華やかな場所に……。リゼットが働いて家計を支えなくちゃいけないほど、落ちぶれたって」

「まともに働いてなんていないでしょう。ちゃんとした軍人の家系ならともかく、あんな細腕の子よ?噂だと、エメ様があの子を同情して、施しの代わりに身の回りの世話をさせていらっしゃるんだとか」

「さすがエメ様……お優しいわ。こんなことなら、私もおちぶれた方が幸せだったかしら」

「貴女の血筋では無理よ。高貴すぎるわ。ということは、あのドレスも?リゼットの家では、あれだけ揃えるなんて無理でしょ。それとも、あの胸だけは立派な身体を使って、他の金持ちの相手までしているのかしら……」

「あの髪の色と顔じゃあ、よほどの物好きでなければ無理よ。本当に東部の生まれかも分からないし、気味が悪いわ」

「──……」

「リゼット」

 リゼットの片手に、ほんの少し骨太な、されどくすぐったいほどきめ細やかな皮膚にくるまれた指が絡みついてきた。

 すっと身体を引かれてエメの肩に凭れかかる。

 ウエストが、とても優しい力に支えられた。

「……皆さんの、前だわ……」

「皆の前だからだよ」

「──……」

「あたしはリゼットを誰にも渡さない。誰の目にも触れさせたくない」

「……あ……」

「こうさせていて。あたしも、君以外、見たくないから」

「──……」

 出場カップルの自己紹介が、終わっていく。

 リゼットは、マイクから聞こえてくる音声に耳を傾けながら、エメに溺れきっていた。

 この腕の中にいれば怖くない。今だけは、このぬくもりがリゼットのものなら、どんな誤解にも耐えられる。

 リゼットは、やにわにステージの下手側から視線を感じた。

 エメの肩越しに前方を見ると、さっきのカップルの一方、イルヴァの方が、すっと顔を逸らした気がした。







 ベストカップルコンテストは、出場者達が次々と課題をペアでこなしていく方式だ。そして審査は、各ペアに対する客席の反応と、審査員の評価で、その優劣がつけられる。

 自己紹介の後、いよいよ審査が始まった。出場者達の提出した一筆箋からパートナーの筆跡を当てる競技に始まって、毎年人気のカラオケデュエット、それから最近のデートの思い出披露と、コンテストが進んでいった。

「皆様、盛り上がっていらっしゃいますことね。次の課題です。四つ目の課題は……」

 一同が注目する中、リタの唇が再び動く。

「恋人のどこが好きか!出場者の皆さんに、思う存分のろけていただきましょう。では最初にイデリーご夫妻、どうぞ!」

「そうですね、私はこの人の──」

 指名された婦人の口調は、侯爵家の人間らしい優雅なものだ。そして、婦人に続いてパートナーの話が終わる頃、客席にうっとりしたような甘ったるいものが満ちていた。

 イデリー夫妻は、審査員らに高い評価を送られた。

「続きましてオリアさん、お願いします。イルヴァさんのどこが好きですか?」

「顔よ。彼女は美しいわ」

「外見に惚れられたのでございますね。イルヴァさんは、オリアさんのどこが好きですか?」

「身体です」

「…──っ!!」

「オリア様は敏感で、とっても貪欲。外では偉そうなくせに、そのギャップが可愛くて」

「…………。はぁっ、……」

 リゼットは、否応なしに熱の昇った自分の顔を客席から逸らす。

 リゼットは、最近になってようやっと、エメと手を繋げるようになったくらいだ。イルヴァの話はあまりに刺激が強すぎる。

 審査員達がマイクを握った。

「はっきりしたカップルですな。清々しい」

「そうですね。私は、お二人に十点」

「あら、満点?私はもうちょっと初々しい方が好きだから、こうするわ」

 アルフリダが三点のプレートを表に向けた。

 それからまたリタが次のカップルにマイクを向けて、更に次、次へと進んでいって、とうとうリゼット達に番が回ってきた。

「エメさんから。お願いしますわ」

「はい、えっと……」

 リゼットは、エメにちらと視線を向けられる。

 凛とした優しい双眸に、胸が苦しいほど疼く。恋を覚えたばかりの思春期の少女みたいに、恥ずかしくなる。

「──……」

「全部、好きです」

「具体的にお願いします」

「じゃ、リゼットがここにいる事実。出逢って、一緒にいてくれる彼女に感謝します」

「……あっ、……熱いです!これは高得点が期待出来ます!リゼットさんは?」

「あ、はい」

 リゼットは、リタのマイクに向かって背筋を伸ばす。

 エメの、どこが好きか。そんなもの分かるはずない。
 好きだとか、一緒にいて安心するとか、見つめていてうっとりするとか、そういう自覚をする前に、エメの他、誰にも目が向かなくなっていた。

「…──す、……」

「す?」

「好きに理由はありません!!」

 リゼットは、勢いに任せて喉元から押し出した自分の声に、はっとした。

  いけない。緊張やら恥ずかしさやらで、思考が働かなくなりかけている。

「初々しいカップルですね。審査員の皆様、いかがですか?」

「インパクトに欠けますな。観客に対するサービス精神を感じられない故、わしは二点」

「リゼット程度の回答なら、物心ついた幼子だって出来ますわ」

「そう?審査員やお客様に媚びていない。正直で、私は好きだわ」

「まぁっ、陛下が初めて満点をお出しになりましたわ!」

 客席から、歓声やらブーイングやら、色んなどよめきが沸き起こった。

* * * * * * *

 ベストカップルコンテストの前半戦が終わって、途中休憩が挟まれた。

 リゼットは、自由時間も片時も離れないカップル達の散らばるバックステージに、一人とり残された。エメが会場を離れたからだ。

 こういう賑やかな場所は苦手だ。特に、自らの地位や身分を誇りたがる類いの貴族達の中にたった一人で混じっていると、心細くなる。

 謀反人の父を持って、貴族としては落ちぶれた暮らしを余儀なくされてきた。
 その上リゼットの容姿は、この土地の人間らしからぬものだ。リゼットは、軽蔑か、同情か、好奇心のいずれかに当たる目を、幼い頃から向けられてきた。

 エメだけは、一緒にいて安心出来た。母や姉にも覚えなかった安らぎを、幸せを、あの女性(ひと)はくれた。

 この想いが身のほど知らずでも構わない。
 リゼットは、自分のどこに、エメみたいな完璧な人に優しくされる理由があるのか分からない。
 それでもこの愛さえあれば、どんな栄華も、どんな美しいものに囲まれる幸福も、いらない。

「──……」

 後半戦が始まるまで、三十分近くある。

 リゼットは、広場を抜けて、シャンデルナの城の聳える丘の麓の小路をとりとめなく歩いていった。

 どれくらいの距離を歩いたろう。

 ややあって、普段は踏み入る機会もない植え込みの向こうに、誰かの気配がした。

「──……。……っ」

 リゼットは、細い木々の幹と幹の間を覗くなり、エメとオリアの姿を見付けた。

 ただならぬ雰囲気が、二人をとり巻いていた。

「先日、アルフリダ陛下に物騒な予告を見せられた。送りつけてきたのはお前だろう?吐け。爆弾はどこに仕掛けた」

「…──!!」

 リゼットは、口を覆った。声を上げそうになったのだ。

 あの美女が、テロ予告の犯人?

 オリアが優雅にドレスの裾を翻して、エメに妖しく微笑んだ。

「なーんだ。こんな人気(ひとけ)のないところに呼び出されたと思ったら、そんなご用件なの。私は、厄介な時期に入国したようね。この平和なリテスキュティージに、そんな予告状が届けられていたなんて」

「とぼけるな、オリア殿。……否、オリアーヌ・ヤーデルード。リテスキュティージ西部の現国王」

「…──っ、……。バレていたの?」

「さっきのコンテストの一個目の種目で。お前の筆跡は、あの予告状に一致していた。それに、お前達の言葉の訛りは、イングランドよりリテスキュティージに近い」

「なるほど。名前を変えるだけではつめが甘かったのね。…──っ?!」

 オリアーヌの顔がひきつった。

 煌めくアイボリーの袖から伸びた片手がエメに引かれて、その手首に手錠が嵌められたのだ。

「──……。彼女を待たせているの。今日は、見逃して頂戴 」

「事情は後で聞く。お前の連れも、……取り調べ所でな」

「…──っ、私は──」

 オリアーヌが口を開いた、その瞬間だ。

 リゼットは、後方から、ひときわ優しい春風の如く匂いを感じた。

「イルヴァ、さん……?」

 リゼットは、振り向くなりそこにいた美女を見つめる。ある可能性を見出だしていた。

 オリアーヌは国王だ。いくら東西が不仲でも、王自らが手を汚すか?

「爆弾を、どこに仕掛け──」

「何も仕掛けていないわよ」

 イルヴァの代わりに、オリアーヌの声が割り入ってきた。

 リゼットは、植え込みの向こうに振り向く。

「こちらにも事情があるの。爆弾は仕掛けていないし隠者も潜ませていない。分かったら、この物騒なものを外して頂戴」

「ただの悪戯でも悪質だ。とにかくお前は取り調べる」

「…──っ、こんな……お前みたいな貴族がいるから……!!」

 オリアーヌの垂れ目がちな目許にぎらりと光る眼光が、リゼットの最愛の上官に、ぞっとする憎悪をぶつけていた。







 オリアーヌがエメに話した話は、拍子抜けするほど平和なものだった。

 テロ予告は、やはりオリアーヌが送りつけてきたものだった。ただし、実際に犯行に至るつもりはなかったようで、その目的は、東部の警備を一般客から逸らせるというものだ。

「だから言ったのに。カムフラージュになんて仕掛けたら、余計に大事(おおごと)になるんだって」

「…………」

 リゼットは、イルヴァの呆れた風な視線の先にいるオリアーヌを、今一度、遠目に見る。

「私はイルヴァと、水入らずで休暇を過ごしたかったの。城にいれば仕来たりや家名に縛られて、ろくに休みらしい休みを過ごすことも出来ない。ここのフェスティバルは以前から来てみたくてね。けれど、そのために、ただでさえ犬猿の東部だもの……周りの目を、私達から逸らせる必要があった」

「なるほど、物騒な予告をすれば、普通、警備は大がかりになる。怪しいやつならともかく、一般人は目をつけられない」

「ええ。少なくとも、私達はしおらしい旅行客に見えるでしょう?」

「──……。調査は内密だったとは言え、城の一部を動揺させた。無罪で帰れるとは思うな」

「貴女に、私の気持ちは分からない」

「どういう意味?」

「王というだけで貴族の娘と普通に恋をすることも出来ない。私の身分は西部の誰もをかしずかせる。富みも、人の心も、望めば手に入る立場にいるわ。こんな王という肩書きに、私は自信を喪失させられてきた。本当に愛されてるか……そして彼女を、口汚い貴族達の刃から守れるか。貴女のように、このピラミッド社会で不自由な思いもしてこなかった、どの令嬢にも親しげにちやほやされて生きてきたような人間に、私の孤独は分からない!」

「…──っ」

「…………」

「それで、知り合いのいない東部(ここ)で、密かに羽根を伸ばしたかったって?」

「──……」

 オリアーヌがエメに頷いた。その顔は恋にやつれた女の顔で、とても嘘をついている風ではない。

「…………」

 心だけではどうにもならないことがある。

 原初の昔、誰もが自由のはずだったのに、今は違う。人間社会が栄えてゆけば栄えてゆくほど、ルールが増えて、欲が社会を蔓延って、柔らかな魂ほど歪められるし踏みにじられる。

 リゼットは、オリアーヌが身分や国籍を隠してまで、あんな罪深い目眩ましを用意して、イルヴァと出掛けたかった気持ちが分かる気がした。

「随分、見くびられたものだな。甘ったれるなよ」

「──……」

「お嬢様達の好意は……、申し訳ないけど、あたしには、重いだけ。だってあの子しか側にいさせたくないから。この先、もし彼女が離れていっても、きっとあたしは想い続ける。無様でも、この執着がリゼットを苦しめても、彼女の他に、この想いの使い道はない。同情だって決めつけられても、……。いつか、事実で証明してみせる」

 リゼットに、と、エメの唇が動いた気がした。

「──……」

「…………」

「なら、……貴女も、私の気持ちを……分かるつもりなら……」

「…──!!オリア──」

 イルヴァが声の上がりかけた口を覆った。

 リゼット達の前方で、オリアーヌが、しおらしくエメに頭を下げていた。

「先日は、ご迷惑をかけたこと、お詫びします。罪は私にあります。ただ、お願いします。彼女は見逃して下さい。あの文書に関与しておりません」

「…………」

「オリアーヌ様ってば、まじ可愛い」

「健気な人ですね。ですが、イルヴァさん。取り調べ所にご同行願います。貴女に証言を頂いた方が、オリアーヌさんの罪も早く晴れると思います」

「リゼットさん」

「ぁっ、はわっ?!」

 リゼットの、淡いピンク色の袖にくるまれた手首が、イルヴァにすっと引き寄せられた。

 ブルートパーズの透明感を湛えた双眸、甘ったるくて優しい眼差しが、間近に迫った。

 リゼットに、どこかで感じた覚えのある、柔らかで懐かしいものがまとわりついてくる。胸が騒ぐ。

「あ、の……前に、どこかでお会いしたこと……」

「エメさんを、好き?」

「──……。はい」

「信頼出来る?」

「…………」

 分からない。リゼットは、エメと一緒にいて幸せなのに、そこにはいつも不安が伴う。エメに逢って、初めて愛だの恋だのを意識するようになったのに、リゼット自身は、あの完璧な優しい人に、未だ自分の全てが愛されているわけではない気がしていた。

 それなのに、また、首が縦に動いてしまう。

「良かった」

 リゼットから、イルヴァの手が離れていった。

「貴女は幸せになるべきだ。あんな格好良い人、逃がしちゃダメだよ」

「──……」

「顔を上げて下さい」

 植え込みの向こうから、リゼットの大好きな声が聞こえてきた。

 リゼットが振り向くと、オリアーヌの手首から、重々しかった手錠が外れていた。

「今回だけ、折れます。アルフリダ陛下には、あの文書を、不良な一般人の悪戯だったと報告します。次はありません」

「本当?」

「貴女を捕らえれば、事は穏便に終わらない。あたしはリゼットと、この国で、生きたい。この東部に余計な血を流したくはない。……それに」

「──……」

「コンテストの途中で出場者が二組も抜けては、観客からブーイングが来る」

「…………」

 オリアーヌの口許から、ふっ、と、安堵にも嘲笑にもとれる息がこぼれた。

 ややあって、ベストカップルコンテストの後半戦開始を告げるアナウンスが聞こえてきた。

* * * * * * *

 リテスキュティージ東部の町が橙色の西陽に染まって、ベストカップルコンテストが終わっていった。

 リゼットは、シャンデルナの王城の聳える丘の麓の、エメの屋敷を訪ねていった。
 そして客室に通されて、一人、アルフリダから借りた洋服やらアクセサリーやらを外した。それから着馴れたシャツと簡素なハーフパンツに着替えた。

「リゼット」

 ノックの後、エメが部屋を訪ねてきた。彼女もあの盛装を解いていた。

「お疲れ様、エメ。やっぱり、ドレスを脱ぐと、軽くなったわ」

「お疲れ様。肩、凝った?」

「そうね。少し」

「でも、リゼットほんとに似合ってた。だからって、あれは無理があったかな」

「ふふっ、告白の思い出を再現した、あの課題?エメが私のドレスを誉めてくれたって……。私、こんな格好、今日が初めてだったのに」

「他人に本当のところを教えることないじゃん。話して減るものでもないけど。あたしは、リゼットと過ごした時間を、ひとひらだって他人に分けてやりたくないんだ」

「──……」

 エメの手が、リゼットの腕に抱えてある、もう一生袖を通すことはなかろうようなドレスの生地に、伸びてきた。

「…………」

「今度は」

 エメの指先が、ガラス細工を愛でるが如くの力加減で、そっとドレスを撫でていく。

「…………」

「いつか、リゼットもあたしも、エリシュタリヴ・オルレを引退して……ありきたりな貴族になって。サロンだのオペラだの、暢気な娯楽に耽るようになるんだろうな。そうしたら、また、リゼットの、こういう格好が見たい」

「に、似合わないわ……」

「あたしの私室の隣の部屋に、君の私室。クローゼットは、綺麗なものでいっぱいにしたい」

「…………っ」

 それは、つまり、そういうことか?

 永遠なんて期待してはいけないはずだ。

 ましてや貴族同士の結婚は、同棲でさえ、国王陛下の許可がいる。

「リゼットの、……由緒ある貴族の家名。それをなくさせるのは惜しいけど。もし、あたしの武家の名前をもらってくれたら、……。あたしは、最高のパートナーに恵まれたんだって、きっと皆に羨まれる」

「…──っ、……」

「不覚だな。敵(かたき)の王に、負けた気がした。地位だの身分だのが当たり前だって思ってて、望みは何でも叶ってきた。……気が付いたら、欲しいものだとか興味とか、そういうものに鈍くなってた。リゼットに逢って、君だけは、力ずくで手に入れたくないって……今でもそう思ってる。こんな風に思わせてくれる、君が好き」

「エメ……」

「今はまだ、自分のことで手いっぱいだけど。ちゃんと、いつか必ず」

 ああ、いつもなら、ここで怖くて首を横に振る。

 幸せになってはいけない。

 リゼットは、母や姉さえ笑顔にしてやれない落ちこぼれだ。こんな自分にエメの手をとれる資格はない。肩を並べて生きてゆけるはずがない。

 それなのに、今日は、エメの言葉を素直に受け入れようとしている。

 貴女は幸せになるべきだ。

 リゼットの胸の奥底が、あの優しい声のくれた言葉の余韻に顫えていた。







──fin.
妖精カテドラル