仄かに積もった淡雪の如く白い空が広がっていた。畑地は師走の寒気に締められて、この間まで燃えるような紅葉をまとっていた木々も、今や冬眠に入ったようだ。
まばらに見える家々は、早くも年末の気配をとり巻いていた。人々は、各々の本来の業務を離れて、年末の準備に追われていた。
ここは、古くから農村として盛んな土地だ。
春から秋にかけて土地は肥えて、つい十数年前、すなわち賤民と呼ばれる階級の人々がまだ残っていた時分も、密かに富を蓄えていた農家は珍しくない。その暮らしは長閑なものだ。元号が明治から大正に変わった昨今、街は民本主義の提唱だの新結社の社会運動だのでもの騒がしくしているのに、それをものともしないでいた。
聖マリアリリーズ女学校。
それは、この村の山の麓にある、ミッション系スクールだ。日本が外交を再開して、まもなく来日してきた修道女らが建設した教会に附属している。
庄路まつら(しょうじまつら)は、聖マリアリリーズ女学校の寄宿舎で、小間使いとして住み込んでいる。尋常小学校を卒業して、二年間は家業を手伝った後、一年前、実家近くのここに移ってきたのである。
冬休みを控えた学舎は、緊張した空気が漂っていた。
定期試験が迫っているからだ。普段はよほどのインテリジェンスでもなければ、授業も適当にこなしておく程度の少女らも、この時期ばかりは参考書と仲良しになる。どこぞの雑貨屋で洒落たリボンを見付けただの、今度新しい甘味処が出来るだの、さように浮かれた話題で賑わうサロンも、めっきり人気(ひとけ)がなくなっていた。
師走も半分を過ぎた火曜日の午後、まつらは同じ小間使いの瀧仁菜(たきにいな)と、この、エントランスにほど近いサロンにいた。
レースを敷いたテーブルが、紅茶を淹れたティーセット、それからサンドイッチに彩られていた。
「本当に美味しい。仁菜のおうちで穫れるお野菜。貴女のお料理の腕が巧みだから?それにしても、サンドイッチは美味しいけれど、こんなに新鮮なレタスやジャガイモを調理してしまうなんて、もったいないわ」
「有り難う。色んな楽しみ方をした方が、お野菜も喜ぶのではないかと思って……。まつらはたまにだからそんな風に思ってくれるのでしょうけれど、私達なんて、冬の間、秋に獲れたものをほぼ毎日口にするでしょう?煮たり茹でたりするだけでは飽きてしまってよ」
「ふぅん、そういうものなの」
まつらはカップをソーサーごと取り上げて、ベルガモットの匂いを楽しむ。
ティーカップの側面を、右の手のひらで包み込むと、そこからじわじわ温(ぬく)まってくる。
毎日毎日、寒い。
腰にまで届く長さに伸ばした黒髪を、こめかみの辺りから細い三つ編みを垂らす他には全て下ろして、しっかりした麻素材の着物に身を包んでいても、全く寒気をしのげないものだ。
まつらと仁菜は、同じ農家の生まれでも、随分、違う。
まつらの家は僅かな借地で米を作っているだけで、野菜を育てる余裕はない。一方、仁菜の実家は、使用人を雇わねばならないほどの土地があって、冬を除けばあらゆる農作物が獲れる。
まつらは、仁菜が何故、この寄宿舎にやって来たのか聞かされたことがある。
仁菜はかつてここの入学を志望していて、その試験に落ちた。そして両親に他を受けるよう勧められたのにも関わらず、よほど思い入れがあった所以、聖マリアリリーズ女学校で在学が無理なら働こうと決意したらしかったのだ。
「こう寒くて定期試験も近いと、あれだけ人気の七不思議もおいてけぼりね」
仁菜のあえかなソプラノに、笑可しそうな息が混じった。
まつらが同い年の仲間を見ると、そこに、一つ一つのパーツは薄いが欧米風を聯想する、エキゾチックなかんばせに、藍色のリボンを飾った黒檀の艶を湛えた束髪、こざっぱりした白菫色の着物から、すらりとした手足を伸ばした姿があった。仁菜の一重の目許は伏せがちで、ただ斜め下を向いているだけなのに、憂いを帯びた色香がある。
「七不思議、かぁ。……お嬢様達も好きなのね。あんな子供騙しのお話、尋常小学校を卒業すれば、サンタクロースと同じで作り話だって見限るものと思っていたわ」
「あら、サンタはモデルがいらっしゃるじゃない。小アジアの聖人ニコラス。随分昔の方だけれど」
「どのみち今の人じゃないもの。それに、もしとっても長寿の方でも、雪車(そり)に乗ってこんなとこにまで来られっこないわ。しかもたったの一晩で」
「現実的なのね」
まつらは仁菜の指摘に頷く。何せまつらはこんなところで働いていても、正真正銘、神も妖精も信じていない。
人間が、修道女達の説くように、神に天から見守られているのなら、とっくに救われているだろう。
だのにこの世は苦渋だらけだ。何のために人は生まれて終わってゆくのか、強いて得られるものを挙げるなら、努力や苦労を繰り返して、その末の、忍耐力くらいではないか。
「けれど、七不思議の中でも『大聖堂の祭壇』は、気にならない?」
「『大聖堂の祭壇』……」
「教会の大聖堂の祭壇のどこかに隠し扉があって、地下に繋がる階段がある。降りていくと、そこは悩める子羊達の楽園。この女学校のシスター達が、日本の駆け込み寺に感銘を受けて、それならここは、結婚生活に限定しないで、あらゆる苦悩から逃れてきた乙女達を手助けする救済施設を設けましょう、と、彼女達を住まわせるための場所をつくったお話」
「そして、続きがあるのだったかしら?」
「ええ。乙女達は現世の楽園にかくまってもらっているのではなくて、あの世へ送り出されているのかも知れない。そんなミステリーがあるの。何故なら、夜な夜なあの祭壇の近くから、いいえ、ミサの最中だって、時々、悲鳴や呻き声が聞こえてくるから。実際に耳にした人は、ほんの一握りだそうだけれど、それがこの七不思議のおおまかな内容。ちょっとリアリティを感じない?」
「それは、まぁ」
まつらは返事を寄越しあぐねる。
修道女達が本当に乙女達の駆け込み寺もとい救済施設を備えていたとして、それでわざわざ、かくまってやっている彼女らを殺める必要がどこにある?
「まつら。その声、本当に聞こえるのか行ってみない?」
「えぇっ?!」
「深夜零時。もし、シスター達が本当に後ろ暗いことをなさっているなら、それくらいの時間の方が、人目を気にせずことをなしていると思うの。まつらは、気にならない?」
「──……」
正直、この手の話は苦手だ。
まつらがたゆたっていると、エントランスから、がんがんと扉の叩かれる音が鳴り出した。
けたたましく扉を叩いていたのは、案の定、寄宿生ではなかった。
寺苑さと(てらぞのさと)、年のほどはまつら達よりやや上の、洋装の少女だ。
さとは見るからにやんごとなき生まれ育ちの令嬢らしく、その穏やかな目許は、美と穢れとを同時に映してきたものにありがちな、思慮深い色があって、上品な微笑を湛える薄い頬、鈴を鳴らすような声を奏でる小さな唇、とても二十歳に満たない少女に見えない臈たけた風貌をしていた。黒檀のように深い艶をした黒髪は、流行りのウェーブがかかっていて、そこそこ背丈はありながら柔らかそうで小さな身体は、素人の手製らしからぬ、生地も仕立ても粋な洋服にくるまれていた。
まつらと仁菜は、さとをサロンに案内した。それから紅茶を淹れ直して彼女に出して、その事情を聞いていた。
「ここに来れば、キリシタンでなくても助けていただけるところがあると聞きました。知人がこちらの卒業生で、そんな噂話があったと……」
「──……」
今日は、この話をよく耳にするものだ。
「一年と少し前、私は女学校を中退しました。結婚のためです。嫁いだ良人の家は、卸し業を生業としている農家です。自身の土地で獲れるもの、またはこの村で収穫されたものを仕入れて街に出荷して、利益を得てきました。その関係で、私の、商家を営んでいる両親が、寺苑と交流を持ちました。お見合いが成立して、籍は、当初は私が女学校を出た後に移すという話になっていました。ところが、あちらのお義母様が、花嫁修行なら学校に通わなくても自分が面倒を見てやると申し出て下さって、学校を去ってここに来ました。しかし、お義母様の私に対する接し方は、とても悲しくなるものでした」
「花嫁修行がスパルタ授業だったということですか?」
「お義母様は、ことあるごとに、私に心ないお言葉を寄越されて、それに暴力を振るわれます。先ほどもお話ししたように、私が少しでもお義母様の気に障ることをすれば、この通り」
「…──っ」
「わ……」
まつらは目を覆いたくなった。
さとが白藍の地に淡い小花柄が散りばめてある提灯袖をまくると、彼女の露になった腕に、見るも無惨な傷が蔓延っていた。関節辺りの打撲痕が一番酷い。どこまで広がっているのか分からない、痛々しい怪我の形跡は、軽いのから重いのまであちこちにある。
「よく知らない殿方の許に嫁ぐため、学校を去る……このご時世、珍しいことではありません。けれど、私は毎日こんな仕打ちに遭うために、親許を離れて、お友達と気軽に会えもしない、故郷から遥々この土地にやって来たのではありません。良人は守ってくれません。むしろあの人はあの人で、──…」
さとの頼りなげな二つの腕が、彼女自身を抱き締めた。その顔色は蒼白で、おぞましいものでも思い出したように歪んでいる。
まつらは、裕福な家庭に生まれ育った少女達の内情をほとんど知らない。
やんごとなき生まれ育ちの少女達は、華やかな世界にいて、汗水を垂らすような労働とは無縁の両親と、たくさんの召し使い達に世話をされながら、のんびりぬくぬく暮らしている。綺麗な洋服や洒落た小物を集めたり、親友とは違う、互いに気に入った少女と密やかな想いを交わし合ったり、そうしてやがて家の決めた縁談に、甘い恋を砕かれて、さながら活動写真の悲劇のヒロインの気分を味わう。
その生涯は美しいものが溢れている。地位も名誉もあればこその、穢い人間の世界を間近にしていながら、それで尚更、自身は無垢でいられるのではなかったか。
「新しい時代とか、女性が自由に生きられる社会だとか、そんなものを夢見られるのは一握りの人達です。私のように古い家に生まれ育った人間は、鳥籠の中の小鳥と同じ、温かいお部屋で幸せに飛び回っているつもりでも、そこに代償がつきまとうのです。飼い主の意向で羽根はもがれて、甘いお菓子もふかふかの巣も、いつ取り上げられるか分かりません。私は、本当は故郷に──」
愛し愛してくれていた、生涯を約束したお姉様がいました。
さとの唇から、両親に呼びかけるより、もちろん伴侶に呼びかけるより、ずっとずっと切なく甘ったるい声がこぼれた。
「寺苑さん」
まつらの隣で、仁菜が久しく口を開けた。
「寺苑さんが、『大聖堂の祭壇』のお話を信じてまでここにいらっしたお気持ちは分かりました。……残念ながら、噂の半分はでっちあげです」
「半分?」
「困った人を門前払いになさるようなシスターも、ここにはいない。そういうことです。一緒に来ていただけませんか?まつらや私では力になれませんから、今のお話を、もう一度シスターになさって下さい。何とかして下さるかも知れません」
「…──!!」
さとの顔が、今日一番の輝きを帯びた。
まつらは一抹の不安を覚える。さっき仁菜と、あんな噂話をしていた所為だ。
修道女が悩める少女にどうこうするなんて、本当に馬鹿げた噂話なのに、いかにしても『大聖堂の祭壇』が、頭から離れない。
「まつら」
「えっ、な、何?」
「寺苑さんを学校長室に案内してくる。本当に申し訳ないけれど、後片付けお願い出来る?」
「う、うん……」
「有り難う。押しつけてしまって堪忍してね」
まつらは、仁菜にやっとの思いで頷くと、仁菜とさとのサロンを去ってゆく後ろ姿を見送った。
* * * * * * *
まつらは真夜中に目が覚めた。
同室の小間使い達はすやすや寝息を立てているのに、隣で眠っているはずの仁菜の姿がない。
もしや、本当に大聖堂に行ったのか?
まつらは、昼間の仁菜との会話の終始を思い起こす。さとという、思いがけない悩める子羊も訪ねてきて、噂の真偽を確かめるなら、今夜は絶好のチャンスではないか。
さとの処遇がどうなったのかは聞き出せなかった。寄宿生らが帰ってくる時間になって、また、慌ただしい業務の夜が始まって、消灯時刻になる頃は、くたくたになっていたからだ。
まつらは布団からそっと抜け出る。壁にかけてあるガウンを羽織って、六人部屋から廊下に出た。
「…──ゃ、う、うぅ……ぁ……!!」
「…──!!」
やにわに悲鳴に耳を打たれた。しかも、大聖堂に訪ねてもいないのに、噂に聞いていたような、少女の微かな悲鳴だ。
まつらは疎んだ足を動かせないで、耳を済ます。
「あっあっ……ぁあああっっ……」
少女の苦悶に耐えかねんばかりの声は、大聖堂から聞こえるのではない。大聖堂のある教会に隣接している、修道院から漏れてきていた。
立ち聞きや盗み見を試みたのなんて、生まれてこのかた一度もなかった。
だのにまつらは、今、初めて修道院の窓の隙間から、一階にある大部屋を覗き見ていた。
まつらは最初、悲鳴を上げそうになった。慌てて口を両手で押さえた。
すぐ目先に見覚えのある少女がいて、彼女らが真っ裸で後ろ手に縛られて、こちらに背中を向けていた。その向こうに、修道服姿の女が白い脚を露にして座っていて、下着もつけないで、下腹部をむき出しにしていた。全裸の少女が、女の恥丘より向こうにしゃぶりついているようだった。更に視線を巡らせると、やはり他にも、日頃親しくしている教職員や修道女らの姿があった。皆、大半が下着姿か裸だ。
ある少女は、恥じらいもなく別の少女に臀部を突き出して、鞭打たれながら恍惚とした顔を緩ませている。教職員がその様子を写真に収めていた。またある少女は、両腕と乳房を天井に向けて吊り上げれて、やはり一糸まとわぬ格好で粗末な木馬に跨がって、女達にくすぐられたり裏腿をつねられたりして、荒い息をこぼしていた。
あちこちに、マニエリズムの絵画の中や、異国の歴史書の拷問が説明してある頁で見かけるものと酷似しているオブジェがあった。
ややあって、まつらは、昼間あのサロンでティータイムを共にしていた二人を見付けた。仁菜とさとだ。
そして見知った二人の側に、女学校に在籍していると思しき別の少女の姿もあった。
「仁菜は女の子を見る目があるわ。彼女を新入りさんに迎えた貴女の判断、シスター達も誉めていらっしたわ。けれど……、やっぱり私には、仁菜。貴女が一番可愛いわ」
「有り難うございます、加弥お姉様」
「今晩は、来橋加弥(くるばしかや)さん、仁菜。貴女が昼間のお嬢さんね?」
「シスター・サラ・アルデリーナ、ご機嫌よう」
仁菜達と、そして加弥という名らしい少女の側に、シスター・サラ・アルデリーナ、つまり理事長兼学校長が現れた。平素の修道女の姿だ。
アルデリーナも、やはりその生まれ育ちは遠い異国だ。その、ヴェールから時折覗く髪の根本はブロンドに輝いていて、初老の女性ならではの優しく無邪気な大きな目許を彩る目は、くすんだアクアマリンの色をしていた。
学生達に慕われていて、保護者達の信頼も厚い。
まつらは今日まで、アルデリーナにそんな印象を強く持っていた。
だのに、アルデリーナのさとを頭の天辺からつま先まで吟味する双眸や、その肉体を洋服越しに検分する手つきは、とても教育に携わる人間の、ましてや聖職者のそれとかけ離れていた。
「シスター、これは、どういうミサですの?」
さとがアルデリーナから後ずさる。
すると、そのか細い肩が後方の壁にぶつかって、いよいよ二人の距離が詰まった。
まつらは、アルデリーナが鼠色の衣裳を自ら脱いでゆくのを眺めていた。
さとの驚きと動揺に揺れる双眸の前に、鍛え抜かれた腕やウエスト、肩や太股、そして弾けんばかりの豊かな胸に、くびれたウエスト、締まったヒップ、そんな、健康的な肉体美が現れた。黒いレースで仕立ててある、いかにもエロティックな下着がつけてあっても分かる。アルデリーナの肉体は、日本の女性のたおやかなものとは違う。他の修道女らも同様だ。未知の国で生まれ育った神に仕える女の身体は、育ち盛りの少女に引けをとらない、はち切れんばかりに瑞々しい美を備えていた。
「あ……ああ……」
アルデリーナが加弥に何やら目配せをした。
すると、仁菜を愛しているという、この高貴な少女が、さとの洋服を脱がせにかかった。アルデリーナがオブジェの塊から怪しげなベルトを引っ張り出す。
まつらは、アルデリーナがベルトを自分自身に装着した時、いつだったか女学生らの話しているところで耳にした、見世物小屋の手品の一種を彷彿とした。アルデリーナの、いかにしても女のパーツの揃った身体に、男の性器が付いていたのだ。
「殿方は便利なものね。女性を抱くのに片手が塞がらなくて済むのだもの。加弥さんは大変ねぇ?仁菜が指を好くものだから、こんな玩具も使えないでしょう」
「ゃっ」
アルデリーナがさとを壁に押しつけて、その真珠色の乳房を掴んだ。
さとの、この部屋の少女達と同じように素っ裸にされた身体は、案の定、昼間に見た痣や傷が蔓延していた。光と共にある影が、辛うじてそれらを、痛々しくない程度にぼかしていた。
アルデリーナの指と指の間に、さとの形の良い胸の肉が入って、また、その指の腹と腹で、脹れた乳首がつまんで揉まれる。
「ふっ、ぅん、はあっ」
「あらあら可愛い反応ね。貴女、レズビアンなのに殿方と婚姻させられて……お気の毒だったわね。久々に女を楽しませてあげましょう」
「シス、タぁ……私は、女性や男性関係なく、都でお別れしたおねえ、さまが……」
「今にそんな綺麗事、馬鹿らしくなってよ」
「あああっ」
さとの苦しげな顔が反り返る。アルデリーナが腰に着けた紛い物の男根を、さとの膣に押し込んだのだ。
「いっ……あっあっ、いや……はぁ、怖い、シスター、怖い、あっ、はぁぁんっ……!!」
「立ったままだとぞくぞくするでしょ。下手に力が抜けなくて、皆、この格好だと、貴女みたいに脚をがくがくさせるのよ。可愛らしくしがみついてきたりして……」
「うっ、あん、あっ、んん!…──っ」
「貴女のようなお嬢さんの、こういう顔がたまらない。さとさん、貴女は戸籍上パートナーになった殿方と、夜の生活が上手くいかなかったのよね?貴女にとって男の肉体はゲテモノ同然。こまやかで優しい、けれども燃えるような愛を忘れられないでいた貴女は、男性器を押し込まれる度に、いいえ、武骨な指に触れられる度に、ご自分でご自分の身体に傷を付けていた」
「…──!!」
「この国の女学校というものは、面白いものね。幸せな、まるで甘美な巣の中にいられるようなものなのに、それは女が、特定の殿方と婚姻関係を結ぶまで、自立出来ずにする檻。学生同士の恋は大目に見られても、大抵、卒業すればなかったことにされるのだもの。だけどね、今の日本の自殺の理由、数パーセントは何だと思う?エスの相手と添い遂げられなかったから。少女の友愛なんかではなくて、一人前の愛だったから。新聞やラジオはそんなこと隠したがるものだけれど、そちらの加弥さん達だって、将来をお約束なさっているから、わたくしの保護を願って、この女学校を選ばれたのよ」
「その、通りです……だから離して下さい!私はお姉様以外の方に、身も心も許しません!……あっ、ああっ」
「大丈夫。これはセックスではなくて、儀式だわ。貴女をこの男性社会から、一生かくまってあげるのだから……これくらい、むしろ有り難いお礼でしょう」
「いやっ、あっ、あああんっ……あ、あぁぁ……」
アルデリーナがさとの身体をひしと捕らえて、その肩や胸を撫で回しながら、腰を激しく上下に動かす。さとの悲鳴が高らかになって、部屋に充満していた女の匂いが濃度を増す。
まつらは、ふっと、振り返ってきた仁菜と目が合った。
盛大に覗き見が白日の下に晒されて、まつらは加弥に、修道院の表口にある教会の大聖堂に連れられていった。
アルデリーナは、聖職者にあるまじき遊戯にすっかり夢中になっていたようだった。それで、手近にいた二人の内、加弥に、何やら指示を出したのだ。
真冬の夜半の大聖堂は、魔物でも潜んでいるのではないと思えるほどの静けさだ。祭壇に掲げてある十字架が、ステンドグラスから差し込んでくる月明かりに照らされている傍らで、大理石のマリア像が青白く浮かび上がっていた。
加弥が祭壇の内側にある引き戸を開けると、今日まで収納棚に見えていたそこに、狭い階段が続いていた。
本当に、祭壇に地下があったのだ。
まつらは、加弥の後に続いて階下に下っていきながら、この年上の少女の後ろ姿を観察していた。
恋人と同じ、加弥の腰まである長い黒髪は、うなじの近くで束ねてあって、藍色のリボンの蝶がたゆたっている。矢絣の着物に海老茶の袴、その格好は、一見、女学生らに人気のスタイルだ。それでいて、着こなしはまるで西洋らしいものがあって、襟元やら袖口やらから、錦糸の混じったトーションレースが覗いている。すらりとした体躯は、されど貧相とは違う。腕や腰は良い塩梅に筋肉質で、ほど良い具合にまるみがあった。面立ちも、無論、端正整っていた。
やにわに加弥が足を止めた。階段が終わったのだ。
まつらは加弥がランプを点けると、その肩越しに向こうを覗く。
そこはセメントと砂利が混ざった壁に四方を囲まれていて、天井と地面も同様だった。そして、やはりあの部屋で見かけた類いの、物騒なオブジェも備えてあった。
「庄路さん」
「え……っ、…──っっ?!」
まつらは加弥に、胸ぐらをひょいと掴まれたかと思うが早いか、寝間着のボタンを小刀で千切り取られていった。
フリースで仕立ててある、この洋服の形をした寝間着は、昨年だったか、舎監の修道女にもらったものだ。それが、前身頃をとかれて肩からするりと脱がされてて、あっと言う間にただの布切れになった。
まつらは、鉄筋の十字架に磔にされていた。但し、その格好は、いにしえのメシアがゴルゴダの丘で冤罪を課せられた末のものとは別物だ。
十字架に固定されたのは、頭から下腹、腕だけだ。まつらは、自分の手で自分の乳房をアンダーバストから持ち上げるような格好で、無理に曲げさせられた肘から手首を、腕ごと縄で巻かれてくくりつけられていた。首に乳首をつまんだクリップから繋がる首輪を嵌められて、胴は、腕と同じ麻縄で、鉄筋に固定されていた。脚は開かされている。足首を、鉄板に空いた二つの穴に嵌められていた。
「いやらしいわ、庄路さん。丸裸でご自分の胸を私に差し出して、愛液の匂いでいっぱいの蜜壷を無防備にも閉じられない……。まだどこにも触れていないのに、あのお部屋で濡れたのね。これでは、誰にでも身体を好きにさせる奴隷同然」
「お許し下さい。このことは他言しません……だから……」
「分かっていてよ」
まつらの直角の方向を向いた乳首の右側が、加弥の口に含まれる。クリップごと生暖かい柔らかなものに転がされて、全身に電流が駈けてゆく感覚に迫られる。
「あっ、はあっ……」
「うずうずしていたのね。こんなことがされたくて、仕方なかったのでしょう?シスター達の所有物になる人が、勝手に濡れて感じるなんて……いけない子」
「あっ、んんっ、…──っ」
胸から腹、みぞおちに、加弥のキスが散らされていく。時折、痛いほど吸い上げられて、かと思えば優しく優しく舌が這ってくる。細い指先が恥丘の陰毛に触れてきて、執拗に撫で回されながら、膣口にその中指が辿り着く。
「貴女の話、仁菜から聞いていたわ。貴女は、いずれ必ずこの駆け込み大聖堂に来る。貴女から訪ねてこなければ、無理にでも誘う価値はあるし、理由もある……と」
「りゆ、う……価値?」
「そんなことより初めてでしょう?ここ、私もう待ちきれなくなっちゃった」
「え、何の──…っ、やっ!!あっ、あああぁああああっっ……!!」
まつらは気が違いそうになった。膣口をとんとん、と、軽く叩かれた次の瞬間、その指先が、突然、中に入ってきたのだ。
「ひぃぃっ……抜いて……指、増やさないで……いやぁああああああ、はぁっ、いやいやぁああっ!!!」
まつらは首を横に振る。されど否定の意思を示せば示すほど、首輪から繋がった乳首を飾るクリップが揺れて、余計に惨めなありさまになる。
ひとたび異物を押し込まれた膣口は、どんどん広げられてゆくようで、恐怖が優って何がどうなっているのか考える思考が停止する。
生理的な涙が溢れ出す。麻痺していると言い聞かせても、感じずにはいられない、これが単純な痛みではないからだ。
「ふふ、こんなポーズで私に泣き顔を見せるなんて、もっとやって下さいとお願いしているようなものよ。貴女の中、とっても熱い……他の子達より狭いわね。指、全部入れてもう限界。仁菜なら手首までいけるのに」
「はぁぁ、あっあん、いや、いやぁぁぁ……」
「ほらほら、そんなに腰、振ってもしんどいだけでしょ?動くわよ。……ああ、良いわ。貴女、これで今日まで生娘だったなんてもったいない」
「ぐす……うっ……も、やめて……あっあっあああっ……」
まつらは加弥の、いつ終わるのかも予測出来ない強引な愛撫を、ただただ受け入れるより他になくなっていた。
* * * * * * *
冬休みになった。今年も残すところ二日になって、女学生達の帰郷していった寄宿舎も、火が消えたような静けさだ。
まつらと仁菜は、明日の大掃除を終えれば、久しい実家に帰る予定だ。もっとも仁菜に関しては、しょっちゅう家族が、野菜やら衣服やらを届けに訪ねてくる。ことに感慨もないようだ。加弥も、帰郷は明日だ。
午前零時が迫った深夜、まつらは、例の如く修道院の大部屋にいた。そこで仁菜と連れたって、二人、十日ほど前、訪ねてみようと話していた場所に出かけた。大聖堂の祭壇だ。
「ここの地下は二人部屋なの。一対(いっつい)の人と二人きりになったり、お仕置きされる子羊が、シスター達に連れてこられるための場所」
「仁菜は、『大聖堂の祭壇』の本当のところを知っていたのね。それで私を怖がらせて、意地悪ったら」
「怖かったの?七不思議のお話。まつらは神様だって信じないって、すましていたじゃない」
「そうだけど……」
あんな人気(ひとけ)のない昼下がり、同い年の少女とたった二人きり、気味の悪い話題になれば、平気でいる方が無理だ。
まつらは、祭壇に頬杖をついた仁菜を軽くねめつけて、側の長椅子に腰を下ろす。
仁菜は、小間使いらしからぬ格好だ。薄紅色の着物は全体に淡いかすり柄が染め込んであって、橙色の蝶が舞うところに、袖や裾に梅の花が散りばめてある。毎日色んな髪型になる、その豊かな黒髪は、今日はガバレットに結って着物と同じ色の簪が挿してある。白いケープはラビットファーか。あの加弥も着物に合わせていた、外国のレースがあしらってあった。
「ここは本当に駆け込み寺……救済をもたらす大聖堂よ。ただここは、東慶寺や満徳寺と違って、どんな苦しみからも逃れられる楽園。髪を下ろす義務もない。ただ気が済むまで、シスター達がかくまってくれるの」
「神様は、やっぱり、いないんだわ」
「そうかしら」
「…………」
「さとさんが話していらっしたように、少女にとって、良家の暮らしは社会に出るまでの収容所。ぬくぬく暮らせはするけれど、永遠に自由に生きてゆくことは出来ない。令嬢は親の決めた生き道に、庶民は庶民で、未だ残る格差社会に、一生繋がれていくんだわ。シスター達の庇護下に入れば、そんな枷から解放される。狭い視野でしか物事を見られない大人達のお話に付き合うことも、不本意の結婚だって免れられる、不当な労働は課されないし、思想を強制されることもない。シスター達の子羊になれば、魂は自由でいられるの。加弥お姉様は、おうちが多額の寄付金をなさっていてね、子羊達をお楽しみの相手に出来る権限がある。あすこに、シスター達以外に教職員や寄宿生のお姉様方がいらっしたのは、加弥お姉様と同じだから。駆け込んできた少女達は、あの方達に、お礼に夜伽のお相手をするだけで良い。私は、こここそが、神様のご意志に従った場所だと思っているわ。お姉様はご卒業後、ここに身を隠されるおつもり。元武家のお姫様だもの……身分の違う私を愛して下さってこそのご判断だった。私は、お姉様と、ここで幸せになりましょうってお約束しているの」
「っ、……」
「加弥お姉様と私がお知り合いになったのは、四年前。村人達も招かれる、新年のミサのことだったわ。お姉様は当時一年生で、私は尋常小学校最高学年、進路に悩んでいた頃で……。縁あってお姉様とお話しして、一目惚れというものね、お手紙を交わすようになったの。瞬く間にエスの関係に、ううん、将来を約束する関係になって、私はここに入学しようと決めた」
「初めて聞いたわ」
「私は庶民だし、誰を選んでも誰にも口出しされない。だけれど、お姉様は違うから」
「ここなら二人、とやかく言われないと考えたのね?」
「シスター達は、愛慾を禁じられている。もとより、キリスト教は未だ同性間の恋愛を禁じているところがあるから、修道院の人間でなくても、キリシタン国の故郷にいれば風当たりは冷たいのね。一方で、ヘテロ観念や男性社会に嫌気が差して、修道院に入る女性の数はそこそこある。……そこで、ご自分がありのまま生きられる術をお考えになったのね。あるいは押さえつけられてきたものを発散する捌け口を求められたのかも知れないわ。ご自分のものになる、俗世を見限った子羊達を愛でるなら、神様もお許しになる、と」
「庇護していれば、所有物も同然だから?神様は人間をものだなんてお考えではないはずよ」
「もちろん。でも子羊なの。御自ら、守り愛でるべき子羊。私達だって、シスターの庇護は必要だし、持ちつ持たれつと思うのよ」
「そ、う……」
そうかも知れない、と、まつらは思う。まつらだって、揺るぎない美しい場所にいたかった。
まつらの生まれ育った家庭はあたたかかった。生活は少々苦しかったし、幼い時分より、両親の働いている姿ばかりを見てきたものだ。それでも不自由なかったし、幸せだった。
変わっていったのは、街にいる叔父が、商売に失敗した頃からだ。
叔父を、一度、援助したのが間違いだった。叔父は、それからことあるごとに、血縁のよしみを理由にして、金銭を始めとするあらゆる援助を求めてくるようになった。優しく優雅だった母は変わった。富みこそ人生の全てであるような考え方を信じ出して、裕福ではなかった家庭は、本当の意味で貧しくなった。
あの冷たく荒んだ空気に耐えかねて、二年前、ここに来たのだ。
目に見える美しさではない。豊かさではない。ただただ、持って生まれた魂を、ありのままのかたちでいさせて欲しかった。
ここは少女がありのままの自身でいられる場所だ。異国という、鎖国で時代にとり残された日本とは違う世界で生まれ育った、新しい女の支配している楽園だ。
「お役人に告発すれば、すぐにでも立ち入り調査が始まるでしょう。それなのに、私は逃げもしないで、あの日からもここに来ている。加弥お姉様の指が忘れられなかった。あの人の酷い言葉責めが、気が付けば、愛の言葉に耳を傾けているような、それ以上に恍惚とした気分になっていた。私は怖くて痛いことを、求めても求め足りなくなっていて……、だけれど、あの方は貴女以外を愛さないから、私はシャンなお姉様方に、代わる代わるお相手していただいてきたわ。……私もおんなじだったんだわ。あの夜、シスター・アルデリーナのお言葉に共感して、救って欲しいと願っていた」
「ええ、きっと」
「おとなしくぬくぬく生きているだけが、幸せじゃない。幸せだと定義づけられている生き方だけを、そうだと信じてはいけなかったわ。神様はいらっしゃるのね。シスター達は、私達が知らず知らずにかかってしまったマインドコントロールを見抜かれて、それを解き放って下さるのだもの」
そして、永遠の楽園を、この世に授けて下さった。
まつらが祭壇に歩んでいくと、仁菜の束髪を飾った簪の鮮やかな紅のぼんぼりが、しゃらんと揺れた。
──fin.
妖精カテドラル