赤い実をつけた苺の蔦のあちこちに、無地やドット、ギンガムチェックの赤いリボンが結んである。そんな春めいたプリントが一面を覆い尽す、目に鮮やかなカーテンは、やはり苺ミルクの色をしていた。

 水姫心歌(みずきこのか)は、そんな可憐極まりないカーテンのかかったリビングで、炬燵にもぐって雑誌の頁を操っていた。
 ロリィタにゴシック、パンクロックに青文字系ファッションを愛して止まない多く女子らの支持を得ているこの月刊誌を、心歌は毎月、欠かさず読んでいた。贔屓にしているメゾン『Spirit Twinkle』が、必ず取り上げられているからだ。

 『Spirit Twinkle』──。

 甘ロリィタでも特に斬新で、夢見る少女の魂を具現化したような洋服や服飾雑貨を多様に展開しているメゾンだ。そして、皇子やパンクの路線も展開しているために、その客層は幅広い。

 心歌は雑誌の表紙を閉じた。

 携帯電話を開いてみると、待ち受け画面の端っこに、十二月三十一日という日付が出ていた。ついでに、時刻は午後八時を示している。

 「…………」

 二つに結った金髪を、もてあそぶ。

 心歌はめかし込んでいた。

 ツインテールに飾ったキャノティエは、今日のために作ったものだ。そして、綿レースがふんだんにあしらってある白いブラウスと、コーディネイトの主役となるジャンパースカートは『Spirit Twinkle』で最近新調したばかりのもので、ことに形にこだわりがある。特にジャンパースカートは、肩口の共布フリルがまるで天使の羽根を彷彿とするし、ドットチュールのフリルを重ねた胸元は、上からレースリボンで編み上げにしてあって、やはり同じチュールで出来たフリルと共布のそれが交互に広がるスカート部分は、あちこちにリボンが結んであった。パニエも、歩けば裾のレースがちらと覗くだけだが、ハードチュールもオーガンジーも、全てピンクで仕立ててあった。

 大好きなものを身につけて、大好きなものに囲まれて、大好きな女性(ひと)と暮らしている1DKの部屋にいる。
 そうして、彼女、この部屋のもう一人の住人が帰ってくれば、気心知れた友達の家を訪ねて、年越しの宴を楽しむ予定だ。

 それなのに、虚しい。気持ちが晴れない。

 "あかねちゃん……"

 心の中で、愛おしい名前を呟いてみた。

 明星あかね(みょうじょうあかね)。

 彼女こそ、この部屋の本来の住人だ。そして『Spirit Twinkle』の従業員で、心歌の最愛の女性、交際してまもなく九ヶ月になる同棲中の恋人だ。

 心歌は雑誌を枕にして、寝そべった。

 表紙で頬がひんやりしたが、炬燵が暑いくらいだから、丁度良い。

 静かな時間がたなびいていた。

 外は、きっと、極寒だ。

 二年前も、三年前も、大晦日の夜は雪が降っていた。

 今年も降っているのだろうか?

 昨年のことは分からない。
 心歌は長い長い眠りの中にいたし、目が覚めると年が明けていた。世界が新年を迎えた瞬間のことは記憶にない。たとえ覚えていたとしても、思い出したくなかった。眠りにつく間際のことも、目が覚めた後のことも、悪夢を見ていたことにしたい。

 否、悪夢なら、三年前の今日にも見たか。

 心歌は大晦日が嫌いだ。

 正確には怖い。好きか嫌いか判断するより、恐怖が先に迫り来る。

 今日が一年の最後の日だと、やはり実感したくない。日付が見えなくなるように、携帯電話は閉じていた。

 年が明けるなら、知らないところで勝手に明けろ。どうせ良いことなど何もないのだ。

 暑い。寒い。暑い。寒い。

 あかねは、ちゃんと、あたたかくして店を出たろうか?

 『Spirit Twinkle』は八時で閉まる。しかるに今頃、心歌の美しい恋人は、きっと帰路にいる。

 「寒い、よぉ……」

 その時だ。

 心歌は、こめかみに不思議な感触を覚えた。

 柔らかい。あたたかい。そして、くすぐったいのに安心する。

 寂しさが、とけてゆく。

 これは何だ?

 状況を把握出来ない間にも、頬に、腕に、続けざまに、その不思議なものが降ってくる。

 ああ、大晦日に降る雪は、意外にあたたかかったのか。

 心歌の中に、とりとめない感覚が広がっていく。

 光と闇の狭間で、夢と現を彷徨っていた。

 「心歌ちゃん」

 「ん、んんー……」

 「ただいま」

 「はぅぅ……」

 「マカロンみたい」

 「ん……」

 ダメだ。美しい、女性の声の幻聴まで聞こえてきた。

 メゾより少し高いくらいの、しっとりした大人びた声だ。たおやかで、ぞくりとするほど色気があって、それでいて中性的な響きがある。

 大好きな声に少し似ている?

 「こーのーかーちゃん」

 「う……むぅ……」

 心歌は炬燵の布団を抱き締める。

 その瞬間、唇に、何かが触れた。

 「…──!!」

 心歌はがばりと身を起こす。

 「あかねちゃん?!」

 飛び上がる勢いで顔を上げると、黒をまとった貴公子が、側に座り込んでいた。

 「おはよう。キスで目が覚めるなんて、さすがは僕のお嬢様」

 「き、きききっ」

 「ごめん。驚かせちゃったかな?」

 夢を見ているのか?

 心歌は、ただただあかねを見つめる。

 やはり雪に降られたのだろう。粉雪が、あかねのまとうフロッキーの小花の舞い散る黒とグレーのストライプリボンタイのブラウスや、同系色のジャケットに、くっついていた。辛うじて無事なのは、黒い燕尾ベストとメタルブラックの聖母マリアのペンダントトップ、裾にレースがちらと覗くワイドパンツくらいだ。

 凛とした目許を華やかに彩っている、深い色をした双眸が、心歌に真摯に微笑んでいた。

 「あ……あ……」

 「舌、噛んだ?」

 「平気。お帰りなさい」

 心歌は炬燵の布団を握る。

 その手に、あかねの手が重なってきた。

 「残念だ」

 「え……?」

 「心歌ちゃんの舌に、痛いの痛いの飛んでいけって、やる機会を逃した」

 「──……」
  
 心歌は携帯電話を見つめる。

 何となく、あかねを直視したくなくなったのだ。

 「あはは、何それ」

 「気になる?」

 「別に──…っ!むふっ」

 視界が、綺麗な顔でいっぱいになった。

 心歌の唇が、また、息を失っていた。

 柔らかに、強く、あかねの唇に塞がれていた。

 「こうしたかったの」

 唇を無理矢理開かれて、舌が、絡めとられてゆく。

 心歌は何か文句をつけてやりたいのに、あまりに甘美なキスに思考がぼやけて、なされるがままになっていた。
 否、身体が勝手に反応している。
 あかねの滑らかな舌の質感を、もっともっとと求めている。
 何度も重ねた唇は、いくら味わっても足りないし、自分のものではない唾液の味が、麻薬の如く心歌の欲望を誘う。

 「んっ、は……あかねちゃん……」

 「心歌ちゃん」

 「好き、好き、好きだよぉ……」

 「ん、愛してる……僕は君だけのものだ……」

 二人の重ねていただけの手が、一つになってしまうのではないか。

 怖くなるほど、絡み合っていた。







 心歌は大晦日が嫌いだ。

 好きか嫌いか判断するより、恐怖が先に迫り来るほど、おぞましい思い出しかなかったからだ。

 三年前の大晦日は、『Spirit Twinkle』で初めて心歌の担当になってくれたスタッフの女性が、退職した。綺麗めなロリィタスタイルがとびきり嵌まる、見目だけではなくとても親身な女性だっただけに、あのショックは大きかった。
 昨年はあかねと、精霊バトルという非科学的な儀式を強要されて、そして負けた。当時交際していた上級生とは色々あったし、心歌自身、何もかも嫌になって、世界を疎んで自分を疎んで、心がくずおれていた時期でもあった。

 新年や、変化など、いらない。
 ただ甘いだけの毎日が、変わらないだけの毎日があれば、時間は止まっていた方が良い。

 大晦日を実感したくなかったから、今夜の宴も、出来るなら不参加にしたかった。

 それでもめかし込んだのは、少しだけ、信じてみたかったのかも知れない。辛い先に良いこともある。孤独の向こうに温もりもある。
 大嫌いな今日という日も、あかねと一緒に出かければ、何か見つかるかも知れない。

 「芽生とれおさんが、蕎麦作ってくれてるらしいよ」

 「あのお二人が?!」

 「なぎちゃんは、お義母さんに着付けしてもらって動けないから。あの二人も、可愛い妖精さんの晴れ着姿が見られるならって、休戦したんじゃないかな」

 あかねが炬燵の台に鏡を立てて、髪をチェックし始めた。

 銀色のエクステの混じったシャギーの黒髪が、さらりと流れる。

 心歌も、さっき寝転んで乱れた髪に、手櫛を通す。

 地守芽生(ちもりめばえ)と羽風れお(はふうれお)は、誰もが認める恋敵同士だ。
 知らないのは、多分、彼女達の諍いを起こした張本人、羽風なぎだけだ。何せ彼女は、れおと事実婚した。れお以外、眼中にない。
 三人共、心歌やあかねと同じで、共通点は精霊バトルだ。あの戦いが終わった今でも、今夜のように、屡々集まっては馴れ合っていた。あかねとなぎに関しては、同じ社内の先輩後輩の仲でもある。

 「芽生さんは、強いなぁ」

 「芽生が?」

 「なぎさんとれおさんのこと認めてる。好きな気持ちは変わらないはずなのに、幸せそうな二人の前で、幸せそうな顔してるもん」

 心歌ならきっと顔に出る。

 実際、あかねが少し他の女子達に優しい態度を見せるだけで、不安で胸がいっぱいになる。世界にたった一人きり、取り残される錯覚に陥る。

 今だって、怖い。

 新しい年を迎えて、世界の色が変わってしまえば、この大好きな人の心の色も移り変わるのではないか?

 「──……」

 「心歌ちゃん」

 心歌の頬が、あかねの肩に乗っかった。
 優しく優しく肩を抱かれて、上体を引き寄せられたのだ。

 「年が明けても、どれだけ月日が流れても、変わらない」

 「え……」

 「生まれ変わっても、僕の気持ちは変わらない」

 「──……」

 ああ、また、甘い言葉に惑わされる。

 心歌はあかねの腕の中で、小さく笑った。

 「あたしは、嫌だなぁ。生まれ変わりたくないよぉ。生まれ変わって、寿命の短い蝉とか、汚い野郎になってたらやだもん」

 「だったら」

 「…………」

 「君を殺してあげる」

 「──……」

 「心歌ちゃんが苦しいなら、君の悪夢は、僕が終止符を打つ。今までも、これからも」

 「…………」

 ああ、そうだった、と、心歌は思う。

 心歌を暗闇から救い出してくれるのは、いつだって、あかねだ。

 大好きだった従業員とは会えなくなったが、あの別れの後、新しい担当としてあかねに逢えた。
 心歌が精霊バトルで傷ついた時、あかねが、がむしゃらなくらい必死になって救ってくれた。

 心歌の優しい恋人は、胡散臭いほど格好良くて、信じられないほどキザだ。

 それでも、信じる。

 あかねのくれる真心は、いつだって、甘くて優しいだけの愛ではなかった。

 それを受け取れるのは、今までも、これからも、心歌の他に誰もいない。

 「あ、あかねちゃんの綺麗な手を……汚させたくないよ……」

 心歌は炬燵布団を握る。

 空いた片手で、あかねの、帰路で冷えたのだろう片手をそっと握った。

 この手を固く結んでいれば、怖くない。

 心歌の温度を知っている。柔らかなところも硬いところも覚えてくれているこの手は、いつだって、変わるはずのないものをくれる。

 「いなくならないで」

 「もちろん」

 「ずっとあたしの側にいて」

 「喜んで」

 「年が明ける瞬間は、抱き締めていてくれる?」

 そうすれば、変われる気がする。

 世界の色が変わった瞬間、心歌自身も強くなれる。

 あかねのくすりと笑った気配がした。

 心歌の耳に、極上の砂糖菓子の匂いをまとった甘い言葉が降ってきた。







──fin.
妖精カテドラル