華やかで神聖なクリスマスソングや賛美歌が、街を盛り上げていた。日の暮れた地上の世界は、いよいよ目も眩むほどのイルミネーションに彩られていって、遥か彼方の星空を映し出したようにまばゆい。

 「妖精横町」は、いつにも増して賑やかだ。

 ここは、駅に近いオフィス街を少し外れた小路を入っていったところに位置する繁華街だ。

 中心部に、こぢんまりしたビルがある。一階にコンビニエンスストアが、二階に『Spirit Twinkle』と記してある看板を掲げたアパレルメーカーの直営店が入ったビルだ。

 師走最後の火曜日の夕暮れ、つまり、まもなく聖夜が訪れる頃、羽風なぎ(はふうなぎ)は、この『Spirit Twinkle』に向かっていた。ついさっきまで同じ大学の同じ講義室にいた、桜神れお(おうがみれお)も一緒だ。

 『Spirit Twinkle』とは、つまるところゴシックアンドロリィタスタイルを好んでいる乙女達のためのメゾンだ。古き良きロリィタスタイルを始め、今風のデコラティブで華やかな甘ロリィタスタイルを展開している一方で、皇子ラインも定評がある。

 なぎはれおと、コンビニエンスストアを通りすぎて、狭い階段を昇っていく。

 なぎがステップを踏む度に、『Spirit Twinkle』のフェイクファーのティペット付きラメワッフルコートの裾に隠れたパニエの入ったスカートが、ふわふわ揺れる。
 なぎは件のメゾンを贔屓にしていて、今夜も、コートは無論、洋服も、『Spirit Twinkle』のふんだんにレースがあしらってあるブラウスに、こまやかな透かし編みのサックスのボレロ、そしてやはり同系色の、雪の結晶とリボンの総柄の入ったフリルスカートをとり合わせていた。緩く癖毛のついた栗色の髪は耳の近くで二つに結って、青い薔薇のブーケがとり付けてあるリボンコームを飾っていた。

 「いらっしゃいませ、……あ。なぎちゃん、桜神さん」

 「なぎ来てたんだ。どうりであの後、すぐ消えたはずだ」

 なぎとれおは店に着くなり、馴染みの二人に迎えられた。

 一人はここの従業員だ。明星あかね(みょうじょうあかね)、彼女は、ファッション誌のモデルも顔負けのポーズをとって、爽やかな秋波を醸していた。
 あかねの胸を覆う長さのある黒髪は、銀糸の輝きを湛えたエクステで彩ってあって、その風貌は、切れ長の目許にシャープな頬、悩ましげな唇は艶やかで、黒を基調とした皇子服がこよなく似合う。

 あかねこそ、なぎがロリィタになるきっかけをくれた従業員だ。

 もう一人の先客は、地守芽生(ちもりめばえ)だ。なぎの同級生で、あかねと同様、他のところでも縁がある。
 芽生も相当の美少女だ。儚げな面立ちに穏やかな目許、シャギーの黒髪はさらさらで、軽らかでありながら芯のある、清らかなソプラノの声が特徴的で、いつも『Spirit Twinkle』の洋服を、パンキッシュに着こなしている。今夜は、赤と黒のギンガムチェックのブラウスに、裾に綿混ラッセルレースで仕立ててある巻き薔薇が散りばめてあるサロペット、そのとり合わせは、聖夜に相応しい雰囲気があった。

 「あらあらイヴに揃ったわね。地守さんのはともかく、貴女のゴッドレスは?」

 「いくですか?仕事です」

 「んまぁっ、イヴに仕事なんて淋しい女!」

 「先生っ」

 なぎはれおにしがみつく。

 そのあでやかな唇を、指先か何かで塞いでしまえれば、どんなにか楽なものだろう。
 しかしながら、なぎはれおに触れるのを、未だに躊躇う。少し前まで、なぎはれおと、ただの教え子と大学教授、ならびにスピリーナとゴッドレスという関係以外の何でもなかった。あの頃なら平気だったのかも知れないのに、れおを女性として意識した途端にこれだ。

 「いくさんは明星さんのお友達なんですから、こんなとこで悪く言わないで下さい!」

 「なぎちゃんはあんな女を庇わないで頂戴!人の顔を見る度に、いちいちケチをつけてくる女よ?!」

 「──……」

 「…………」

 なぎは、れおの今にも半巾を引っ張り出しかねない剣幕に、対応しあぐねる。

 ざっくりカールさせてある栗毛にエメラルドの煌めきを帯びたグレーの双眸、甘く凛としたソプラノの声に真っ赤な唇、その身体は扇情的だ。れおの、リアルファーのコートを脱いだ身体は、そのラインをこれでもかと言わんばかりに強調したミニのスーツで固めてあって、豊満な胸の谷間もウエストのくびれも、惜しみなく露わになっている。スーツは、上品な程度にラメの入ったボルドーだ。クリスマスを意識したスタイルらしいが、学校で、いつになく目立っていた。

 れおは、見目だけなら文句のつけどころのない美女だ。
 それがひとたび、このあかねの親友が絡んでくると、毒舌女王に変貌する。

 火影いく(ほかげいく)。

 彼女も、ゴッドレスという特別な錬金術師の力を備えた、世界にたった四人いる人間の一人だ。

 ゴッドレスとは、同じく世界に四人いる、スピリーナを保護する使命を担う。
 ゴッドレスとスピリーナは、地、水、火、風、それら四大元素のいずれかを司っている存在で、いくは火のゴッドレス、あかねは同じく火のスピリーナで、なぎは風のスピリーナ、れおは風のゴッドレス、芽生は土のスピリーナだ。

 スピリーナは、ある条件を満たした人間がなるもので、ゴッドレスの術を受けて、生命そのものに精霊を宿す。そして、やはりゴッドレスの術によって、その力を発動させる。精霊バトルを行うためだ。

 四大元素は、常に世界の天命に影響を及ぼすものだ。地、水、火、風、それらは本来、くっつきすぎても離れすぎても好ましくない。それで、各々の精霊達を均等の距離に保つために、スピリーナが代行して、屡々、戦う必要があった。

 それが精霊バトルの大まかな原理だ。但し、精霊バトルは闇雲に幕が落とされるのではない。ある条件が揃った時、それは始まる。 

 「なぎに明星さんに、私。定期的に戦ってる私達より、桜神先生と火影さんの方がスピリーナに向いてるんじゃないっすか?」

 「二人がスピリーナだったら、冗談にならないんじゃないかと」

 「うーん、でも、桜神先生といくさんは、口喧嘩ばかりのイメージがある。スピリーナは四大元素の精霊の力を借りて、決闘ぎりぎりの覚悟で戦うんだから、二人なら、いつもの喧嘩に夢中になって、精霊バトルが成り立たないんじゃないかしら」

 「さすがなぎちゃん、桜神さんのこと分かってる!」

 「明星さんだって、いくさんのこと分かってるじゃないですか。それと同じです」

 「あーら、このキザな皇子様は、あの性悪女とあんなことやこんなことはしないと思うわよぉ?」

 「ひぁっ」

 なぎの神経がびくついた。れおの腕がいきなり腰に巻きついてきて、耳が、官能的な甘やかな吐息にくすぐられたのだ。

 「人前でエロい発言しないで下さい!」

 「良いじゃない。なぎちゃんが公私ともに私の妖精ちゃんだというのは公認だしぃ」

 「ダメですダメですっ、あっ、んんっ」

 「──……」

 「…………」

 れおは、おとなしくしていれば好き放題に触れてくる。

 なぎはれおを一生懸命に引き離して、芽生の座っているソファの隅にバッグを置いた。そして、芽生のいる左側の空いたところにれおと並んで腰を下ろした。

 「で、改めて訊くと、なぎちゃんと桜神さんはデートなの?」

 「ええ、まぁ。学校終わって、先生の教授室にちょこっと寄って、クリスマスケーキを食べに行って、お買い物にここに来ました」

 「ま、ケーキがクリスマスの限定メニューだったところ以外、いつものコースだったわね。贅沢したけど」

 「先生、本当に甘党ですよね。ビュッフェでもないお店で三つもケーキを食べた人、初めて見ました」

 「ふふ、私が甘党になったのは、なぎちゃんの所為よ。甘くて可愛くてふわふわで、少し触れるととろけちゃう。ケーキを口にしていると、なぎちゃんを思い出すわ」

 「そうなんですか?兄さんが、桜神先生は教員室のデスクにいつもクッキーの籠を置いてるって……」

 「それは、たまにツンデレななぎちゃんよ。ちょっと歯応えがあって、つつくとさっくりとけるでしょ」

 「先生、ちょっと尊敬します」

 「──……」

 今の会話の流れから、れおのどこに尊敬したのだ。

 なぎは、たまに理解不能な科白を口にする、大好きな親友を横目に見る。

 芽生は、やはり綺麗だ。

 なぎは芽生に、れおに対するのとはまた違った感情を以て、こんな風にどきどきすることがある。
 芽生は優しくて、包容力だってある。
 なぎは、大学生になった数ヵ月前まで、何もかも信じられなかった。世界の全てに怯えていて、ぬくぬくしたものに縋っているより、孤独でいる方が楽だった。春に芽生に出逢って、変わった。
 芽生は初めて友人になってくれた少女だ。そればかりか平穏な生活にピリオドを打って、れおと同じ学者にして教授の兄をゴッドレスとして巻き込んでまで、同じ生き道を選んでくれた。
 なぎは芽生の見目や気質に惹きつけられたのではない。おそらくその本質に潜む、たまらなく清らかなものに、雁字絡めにされたのだ。精霊バトルはゴッドレスの錬金術がある限り、命を脅かされる儀式ではない。それでも、なぎは、芽生なら命と引き換えに守ってもきっと悔いない。

 「……心歌ちゃん、どうしてるだろ」

 ふっと、あかねの、水のスピリーナの名前を呼ぶ声がした。

 水姫心歌(みずきこのか)。

 彼女もやはりここの顧客で、精霊バトルという非科学的な儀式の担い手だ。ただ、最近は危うい状況にある。

 「精霊バトルは、勝ったスピリーナが負けたスピリーナの感情の一部を回収する。一度や二度や三度なら、問題ないけど、心歌ちゃんみたいに負けが続けば、精神に支障をきたしてしまう。心歌ちゃん、皐月さんのおうちにしょっちゅう泊まり込んでるらしいけど」

 「あの状態じゃ、いくらゴッドレスの皐月さんが強くても、これ以上戦ったら……」

 「明星さんを裏切って、皐月さんとお付き合いを始めた時は、くたばれって思ったのに、私、心歌ちゃんだって好きだよ。本当にくたばらないでよぉ」

 なぎは芽生と頷き合う。

 心歌はあかねの元恋人で、否、正確には元恋人候補で、二人にとっても大事な仲間だ。

 心浮き立つ聖なる夜に、心歌は今もどこかで苦しんでいて、あかねも以前の彼女に比べて、今はどこか痛々しい。

 なぎは、れおとこんなに幸せなクリスマスを過ごしていても、身近にいる二人がこれでは、とても安心して笑えない。先代の風のスピリーナ、すなわちなぎの今は亡き姉の最期も、まるで今の心歌に通じているところがあった。

 「先生……」

 なぎの髪が、ぽんぽん、と、れおに優しく叩かれる。

 「私の妖精ちゃんにこんな顔をさせるなんて、本当、仕方のないお姫様」

 「せん、せぇ……」

 「なぎちゃんに、もう二度と悲しい思いはさせないわ」

 「…──っ」

 なぎはれおにしがみつく。

 この優しいパートナーに頼ったところで、風のゴッドレスが水のスピリーナを何とかしようなんて、無理だ。それなのに、れおの言葉は、無条件に説得力がある。

 異変が起きたのは、なぎがれおの開いた襟ぐりをぎゅっと握ったその時だ。

 「外、騒がしくない?」

 なぎとれお、芽生の一同、あかねの言葉に顔を上げた。







 なぎ達が外を確かめに出ると、『Spirit Twinkle』のあるビルの近くの噴水前で、二つ並んだ露店の店員達が、揉めていた。どちらもクリスマスケーキの限定販売をしている店だった。

 揉め事は、殴る蹴るに発展していた。
 交番から警察も駆けつけてきていて、事情を聞くところによると、喧嘩の原因は店同士のバッティングだった。両者はよく似たクリスマスケーキを販売していて、値段もまるきり同じだったらしい。そこで一方が場所を変えるよう求めたころ、もう一方が、それなら貴店が場所を変えろと要求して、両者一歩も引かない口喧嘩に発展した。挙げ句、とうとう騒ぎになったという。

 れおが各々の店員の生年月日を訪ねると、店員達のの星座が明らかになった。双子座と牡羊座、つまり風と火に属する星だ。

 そこそこ俗世の命運に関わるいさかいが起きて、その渦中にいる人間が、各々、異なるエレメントに属した星の下に生まれている。

 それは、精霊バトルが始められる条件だ。

 「こちらのケーキ屋の命運はなぎちゃんの勝敗に賭けて、こちらのケーキ屋はあかねに任せれば良いということね」

 「桜神さん。僕は仕事に戻らないといけませんし、いくも呼び出せませんけど。第一、精霊バトルは組織から指示が出なくちゃ行えないのでは」

 「大丈夫大丈夫。家族の数人が幹部だから、後で適当に言いくるめておくわ。貴女達のお仕事は、こっちで手を打てるし……喧嘩の理由も理由だし、おまわりさん達も困ってるじゃない。私達で解決してあげましょう」

 「まぁ、こう物騒だと、一つでも片付けておかないと、デートの続きも怖いですもんね……」

 「なぎちゃんは何も心配いらない、私が守るもの。ただ、こんな風に二人の時間を邪魔されるほど騒々しいのは、ご免だわ」

 「先生……」

 「なぎちゃん。早くこんな馬鹿げた使命から解放されて、貴女にお嫁に来てもらいたいわ」

 「ええっ?!」

 なぎは思わず声を上げた。

 こんな馬鹿げた使命から解放?お嫁?

 なぎは、精霊バトルがこの世からなくなる未来が想像つかないのと同じくらい、れおのあまりに気の早い言葉に驚いていた。

 なぎとれお、あかねと芽生、それかられおに呼び出されたいくと、例のケーキ屋の店員達、計七人で、『Spirit Twinkle』の入ったビルの屋上に昇っていった。普段は立ち入り禁止のここは、れおが裏ルートを使って、入場の許可を得てきたのだ。

 なぎ達は、店員達に、手品でも見ている顔で見守られていた。
 無理もない。なぎがれおに抱き締められて、あかねがいくの術のかかった化粧を施されると、辺りの空気が一変したのだ。はっきりとは目に見えない。ただ、なぎの中で風の精霊シルフィードが、あかねの中で火の精霊サラマンダーが目を覚ました気配が、ここら一帯に満ちるのだ。

 気体は、そこそこ動いている。空は朧月が見えるだけだが、今夜はイルミネーションがあちこちで瞬いている。火の力も、何とか作動するだろう。

 なぎはあかねと、壁際のれお達から離れると、屋上の一番広い場所に出た。

 いよいよ精霊バトルが始まる。

 この瞬間は、何度体験しても慣れない。躊躇いや恐怖が押し寄せてくる。それでも、ゴッドレスの力がある限り、この儀式で重傷を追っても一瞬にして清算される所以、さっさと割りきるに越したことはない。

 「お互い、どっちが勝っても恨みっこなしでお願いします」

 「こちらこそ。君を傷付けると桜神さんや芽生が怖いけど、精霊バトルは本気勝負じゃなくちゃ成り立たないから」

 なぎは手中に風を集める。体内に宿るシルフィードがそれを剣(つるぎ)に形成して、普段は優しく辺りをたなびく柔らかなものが、忽ち鋭い凶器に変わっていった。

 あかねの手にも、火で出来た剣が現れていた。

 なぎはあかねに斬りかかる。

 その白刃は、あかねの素肌に掠めもしない内に、彼女の剣に受け止められて、跳ね返される。

 「うっ、く!」

 風の如く軽らかな剣の柄から、衝撃がぶつかってくるのに耐えて、また、攻撃を繰り出す。

 精霊バトルは、どちらかが動けなくなるほどのダメージを受けて、初めて決着がつく。それまでは、ひたすら切り結ぶのみだ。

 なぎの白刃とあかねのそれがぶつかる度に、小気味良い金属音が立つ。地上から聞こえてくるクリスマスソングが、まるで遠くの別世界で聞こえているものに感じる。

 手首が痛い。普段は使わないところの神経を研ぎ澄ましていると、集中力が緩みやすい。

 なぎは、辛うじて掠り傷一つ負っていないが、攻防戦を続けている間に、追いつめられた。れお達とは真逆の方角にある壁に背を向けて、あかねの剣を受け止めていた。

 「はぁ、やるじゃん、なぎちゃん」

 「……明星さんこそ、でも、今日のお洋服をダメにするわけにはいきませんから、そろそろ終わらせてもらいます」

 なぎは剣を引っ込めて、すっとしゃがむ。ふんわり膨れたフリルスカートを押さえて、あかねの後方に回り込む。

 そのはずだった。

 「…──っ」

 なぎの剣を掴んだ右手が、手首ごとあかねに捕らわれた。腰を上げた勢いで、なぎの、あかねの後方に回り込む用意をしていた身体が、再び壁に押さえられる。

 あかねの手から、剣は消えていた。

 「手、離してもらえます?」

 返事はなかった。手の甲にキスが落ちてきた。

 なぎは、何事かと考えるより先に、風で出来た剣が消えて、両手首とも自由を失っているのに気付く。

 「なぎちゃんと僕じゃ、普通に戦っても勝負はつかない。ゴッドレスが治せるのは怪我だけだし、お洋服がダメになる」

 「分かりました、じゃあ、お洋服は狙わないことにしましょう」

 なぎは、いやな予感に迫られていた。あかねの、火の武器を使う以外の戦法を、心歌に聞いたことがあるからだ。
 あかねに限って、まさか心歌以外の少女にあの戦法を用いてくるかは不確かだ。しかしながら、精霊バトルは相手を動けなくすれば、その症状は問われない。実際、芽生は武器を使わない。土の力は精神攻撃で相手の戦力を封じるというものだから、怪我で動けなくさせねばならない決まりはないのだ。

 「…──っ」

 なぎが考えを巡らせていると、耳朶に、それから首筋にキスが落ちてきた。
 あかねの吐息を近くに感じる。少女なら熱を覚えるだろう芳しいものに、心身を侵されていく。
 だのに、泣きたい気持ちしか込み上げてこない。なぎはあかねがどれだけ優しくて、どれだけ甘ったるいものをくれても、自分自身に嫌悪感を覚えるだけだ。あの最愛の人のぬくもりを覚えてしまったからだ。

 「離して、いやぁ……桜神先生が見てますぅっ!」

 「やめるわけないじゃん。僕が躊躇うとでも思う?心歌ちゃんに逢うまでは、色んな女の子とこういうことやっていたのに」

 「んっ、あ、んんっ」

 ボレロのリボンがほどかれていく。ブラウスの上から鎖骨を撫で回されて、ボタンが半分ほど外れていった。

 「ひゃ、ああん、ちょ、マジで離して下さい!」

 「いやなら自力で抵抗しなよ。風の妖精さん?」

 本気だ。

 このままでは、なぎはあかねに、性的な方法で戦闘不能にさせられる。唇だけはキスされないのは、せめてもの気遣いというわけか。

 「なぎちゃんって、意外と胸ない?肌すべすべだ……とっても綺麗。額に入れて飾っておきたい」

 「私は騙されませんから!あっ……」

 「僕が勧めるまでゆるふわちゃんだったね、なぎちゃん。あの頃も可愛かった。今でも着てるんだろ?君の大好きな先生にプレゼントしてもらった洋服だけは」

 「桜神先生との思い出が詰まった洋服は、『Spirit Twinkle』のじゃなくても、宝物です……」

 「今日のも彼女の見立てた服。守りたければ、おとなしくしよ?」

 下着をまくり上げられて、スカートのホックを外される。
 なぎはあかねに胸をじかに揉みしだかれて、抱き締められる格好で、ドロワーズ越しに臀部を撫でさす
られる。肩や乳輪に舌が這ってくるくすぐったさに、身体がひくつく。

 あかねは、なぎがこの時点で何とかならなければきっとエスカレートする。

 なぎは泣きそうになる。れおの見ている前で、他の女性にもてあそばれて、だのにれおのキスや愛撫が蘇ってきて、身体が疼く。

 「い、や……」

 こんな自分は許せない。戦って洋服に傷をつけるわけにはいかないが、それでも、れおにも初めは身体を許すのを躊躇ったのに、将来を約束した彼女にだから許したのに、こんな戦いのために愛する人を傷付ける行為を強いられたくない。

 「…──っ」

 なぎは右手にシルフィードの力を込める。空気中から風を集めて、接近戦ならこれ以上の武器はない、短剣を形成した。







 なぎの渾身の力を振り絞った反撃で、精霊バトルの勝敗は決まった。

 一同、大量のクリスマスケーキを持って、『Spirit Twinkle』の店舗に戻った。それらは店員達からのお礼の品だ。特になぎ達がその命運を預かった方は、営業を続ける権利を得た喜びから、五ホールもくれた。

 『Sprit Twinkle』の店内は、あかねの代理で急遽出勤してきた従業員の、折原こずえ(おりはらこずえ)が、閉店作業をしている最中だった。

 「お帰りなさい。皆さんもご一緒だったんですか?お疲れ様です」

 こずえが、レジから屈託ない笑顔を上げた。

 くりりとした目に小さな鼻、自然に端の上がった口許、腰まである栗色の髪、こずえは、そんないかにも『Spirit Twinkle』のロリィタ服がしっくり馴染む風貌をしている。こずえは正統派から甘ロリィタの洋服まで幅広く着こなす少女で、今夜はれおと同じボルドーでまとめていた。無論、同じボルドーはボルドーでも、レースたっぷりフリルたっぷりの、豪奢で可憐なロリィタだ。

 「こずえちゃんありがと。これから皆でクリスマスケーキを食べるんだけど、一緒にどう?」

 「ご一緒して良ろしいんですか?」

 「一時間も僕の代理をしてくれた。君へのお礼は期待してもらって良いぜ」

 「ははははい!!」

 「てか、何でイヴまで、私が高飛車に会わなくちゃいけなかったのよ」

 いくが、毛先だけオレンジに染まった栗色のツインテールを靡かせて、キャンディのクッションが寝かせてあるソファに座った。
 この、プロのモデル御用達のプロのスタイリストは、今宵も賑やかな格好だ。いくの小動物を彷彿とする顔立ちは、カラフルなパステルメイクが施してあって、付け睫は二枚使いだ。サックスのスカラップの丸襟が付いたピンクのカットソーは、テディベアのアップリケが施してあって、提灯袖に、ギンガムチェックとドットという左右の柄が異なるアームカバーが被せてある。七段のフリルスカートは、一段ずつ色が違って、淡いレインボーが完成している。膝上丈で、サックスのショートドロワーズの裾のレースが、良い具合に覗いていた。

 もっとも、れおは、こんなに愛らしい有名人が相手でも、頑なだ。

 「誰が高飛車ですって?」

 「私、桜神さんのことだなんて言ってないわよ」

 「あんたの性悪なお顔に書いてあってよ」

 「何ですって?!性悪はあんたでしょ!?」

 「ああ、やだやだ。スピリーナはセクハラ常習犯だし、ゴッドレスは性悪だし。なぎちゃーん、ここは危険だから、貴女は先生のお膝にお座りなさい」

 「あんたのお膝が危険だわ」

 「何ですってぇ?!」

 「先生!」

 芽生がやにわに声を上げた。

 なぎが振り向くと、芽生の綺麗な双眸が、一瞬宙を彷徨った後、れおを捕らえた。

 「今日の講義で分からないところがありました。教えてもらえませんか?」

 「明日で良いでしょー?今日は閉店」

 「あんたいつでも閉店じゃない、真面目に働く気あるの?!」

 「何ですってぇ?!」

  れおといくの間に火花が戻った。

 なぎは、わざわざ二人の喧嘩を止めてくれようとした芽生に、心の中で手を合わせる。







 宴もたけなわの『Sprit Twinkle』から屋上に出ると、粉雪がしんしん降っていた。

 今夜だけ、この屋上は貸しきりだ。

 なぎはれおと、いつもより雪の故郷に近い位置から、その天からの贈り物を目で楽しんでいた。

 「寒くなくって?」

 なぎは、凛としたソプラノの声に振り向く。

 粉雪の中に天使がいた。奇跡だ。

 毎日毎日一緒にいる、今だってずっと一緒にいたのに、たった数秒ぶりにれおの姿を認めた途端、泣きそうなくらい感極まった。
 さっき、悲しくてここで泣きたくなったのとは全然違う。幸せすぎて、もったいなくて、鼻の奥がつんとするのだ。

 「桜神先生が綺麗だから、寒くありません」

 なぎは壁に背を預ける。

 漆黒の夜空から舞ってくる粉雪は、星も見えない聖夜の景色を、いとも清らかに彩っている。

 れおは、ひときわまばゆい。勝ち気でプライドが高くて露出度も高いが、それら全てをひっくるめて、この優しい女性が好きだ。

 なぎの肩に、リアルファーのコートが被さってきた。

 「先生、コートっ」

 「私はこうしているから良いわ」

 「…──っ」

 なぎの身体に、ぬくぬくした毛皮が密着してくる。れおが、コートごと抱き締めてきたからだ。

 「怖い思いをさせたわね」

 「……ごめん、なさい」

 「何故なぎちゃんがしゅんとするの」

 「だって」

 少しでも、身体が疼いた。あかねの言葉は無垢な少女が頬を紅らめるだけの甘みがあって、その愛撫は、生理的な性感に働きかけてくるものだった。
 抗えなかった。洋服を傷付けないで精霊バトルを成立させるためにあんなことをされたのでも、もし、あの反撃を繰り出せなかったらと仮想すると、ぞっとする。れおに、きっとこんな風に合わせられる顔もなくなっていた。

 「なぎちゃん」

 「──……」

 れおの、なぎを抱き締めてくれている腕に、力がこもった。

 「貴女が小さかった頃も、こんな風に一緒に雪を見たわね。あの子と」

 「…………」

 「あの子を失くして、貴女にもう一度逢えるまで、私、貴女のことでいっぱいだったわ。貴女が彼女の妹だからじゃない。貴女にもシルフィードを宿せる条件が揃っていたからでもない」

 「先、生……」

 「運命に理由はいらない。ただ必要なの。愛しているの。なぎちゃんと、またこうして雪が見られて、それ以上に望むものがあるとすれば、貴女の幸福」

 「…──っ」

 「それは、私が貴女にあげるものであって欲しい」

 なぎは、れおに振り向く。

 たおやかな腕をほどいて、代わりにその片手を握って顔を上げると、吸い込まれそうに澄んだエメラルドの双眸が微笑んでいた。

 ああ、好きだ。好きすぎて苦しい。

 れおは、いつだったか、なぎがスピリーナをやめたがるなら、自分もゴッドレスをやめると言ってくれた。

 なぎは、戦うことで、れおとの繋がりを守ってきた。だのに、封じられていた姉との記憶を取り戻して、この、かつての姉の最愛の人と交際するようになって、ようやっと、かたちではない想いを信じられるようになってきた。

 れおは、今夜だって吃驚するような言葉をくれたではないか。あれが戯言でも構わない。この想いだけは信じられる。

 「先生」

 「ん?」

 「雪、来年も、そのまた次も、一緒に見てくれますか?」

 れおがくすりと笑った。それから、そのあえかなかんばせが近づいてきて、唇を、とろけるような質感で塞がれた。

 この宇宙が滅びるまで、滅びても、貴女と共に。

 ひんやりした雪に見守られる中、熱い熱いキスの隙間から、れおの、極上に甘い言葉がこぼれた。







──fin.
妖精カテドラル