リネンとレースが妙なる波を描くカーテンに、昼下がりの柔らかな陽の光がほんのり透けていた。心地の良い風がそこはかとなく流れるここは、どこもかしこもオフホワイトとサーモンピンクでまとめてある一方で、ところどころに純金の装飾が施してある。

 カイル・クラウスは、この、氷華(こおりのはな)王国の王宮の中の一角にある、第一王女の私室にいた。

 カイルは、ミゼレッタ家の一人娘、リーシェ・ミゼレッタの専属護衛騎士の地位にある。リーシェの部屋に招かれて、今のように彼女が昼寝しているところを護るのも、公に認められていた。

 「リーシェ様?」

 触れれば幻となって消えていってしまいそうに崇高な、きめ細やかなビスクで出来たドールの如く姫君に、はたと気付けば呼びかけていた。

 「カイル……?」

 リーシェの緩やかなウェーブを描いた長い金髪がさらりと流れて、薄紅色のドレスをまとった華奢な肢体がもぞもぞ動く。

 カイルは、リーシェの灰色がかった碧の瞳に捕らわれた。

 リーシェの双眸は、心なしか焦点が定まっていない。まるで上の空のようだ。

 もっとも、カイルが絶対服従を誓っている主の眠りを妨げたのには、わけがある。

 「うなされておいででした」

 心当たりはある。リーシェの夢見が悪いのは、今に始まったことではなかったからだ。

 この姫君は、屡々、未来を予知する夢を見る。彼女のような能力を持って生まれる人間は、ミゼレッタ家に珍しくない。氷華にのみ咲く毒花、氷桜の匂いを吸っても身体に影響しないのも、一つの例外を除いては、その高貴な血筋の人間だけだ。

 リーシェの見る未来の夢は、歓迎すべきものもあれば、そうではないものもある。そして彼女は、後者にうなされた時、それを己の中にだけ留めておこうとするきらいがある。普段は優雅で良い意味でのマイペース、何を考えているのか分からないほどの彼女ではあるが、人一倍、周囲を思い遣る気質が強いのだ。
 カイルはそれを知っているから、なるべくリーシェに、一人で抱え込ませるような真似をさせたくなかった。

 「俺でよろしければ、お聞きしますが?」

 そして、内容によってはお節介でも何でもする。

 続いて喉元まで押し上げてきた思いを呑み込んだ。

 さすればリーシェは、きっと口を開かない。

 カイルは彼女の専属護衛で、人知れず愛の言葉を囁き合うような恋人の仲だが、こういう時、不用意に踏み込まないと決めていた。

 「夢を、見たの」

 リーシェがしゃんと姿勢を正して、幾分普段の彼女らしい、射られるような眼差しを向けてきた。

 誰もがうっとり耳を傾けずにはいられなくなる神さびた声が、彼女が今し方見たという夢の内容を、断片的に紡ぎ出してゆく。

 「また、未来の夢だった。よく分からない夢だった」

 少しずつ、少しずつ心を紐解くリーシェは、しかし本当に「よく分からない」夢を見たのか。

 カイルはリーシェの普段にも増して青白いようなかんばせに、怯えにも近い感情を垣間見ていた。

 言うなれば、認めたくない。

 リーシェの心なしか震えて見える指先が、声以上に、その胸中を代弁しているようだった。

 「それで?」

 護衛でも恋人でも、踏み込んで良いところとそうでないところがある。

 されどカイルにとって、そんな良識にこだわるより、リーシェを守る方がずっと価値のあることだ。

 「その、夢というのが……」

 リーシェの端然とした目許が、苦しげに細くなる。

 「全部、失くしてしまう夢だった」

 「──……」

 それは率直且つ完結で、それ以上のどんな問いも役に立たなかろうほど、明確だった。

 「そうですか」

 カイルは最愛の少女から視線を逸らせる。

 サテンのフリルがあしらってあるベッドスカートに、白いトーションレースの覗いたドレスの裾が重なっていた。

 「よく仰いました、リーシェ様」

 申し訳ありません、問い詰めたりして。

 カイルはリーシェの苦しみに、今回ばかりは関与出来ないと悟った。

 それ以上、何も質せない。

 言いたいことこそあるものの、それを自分から切り出せないほど、護衛としての自覚より、いつしか恋人としての愛情が優っていたのだ。

 ふっと、桜の花びらを彷彿とする唇から、世にも芳しい吐息がこぼれた。

 「貴方は、永遠とやらを信じるかしら?」

 「信じません」

 リーシェの、唐突でありながら重々しい口調に対して、あまりに軽い声音がこぼれた。

 何も考えず、適当に答えたようにさえ感じられよう。もちろん、始めから答えを持ち合わせていたからこそ、即答出来ただけのことだ。

 「永遠など、信じません」

 もう一度、リーシェと、そして自分自身に言い聞かせんばかりに口にした。それからカイルは、やはりはっとするほどの美貌のドールに視線を戻す。

 あたたかな場所で生まれ育ってきたリーシェ優しい瞳の奥には、いつだって強い光がちらついている。
 それはカイルの他にいるもう一人いる、リーシェの護衛の女官に通じるところがあるのではないか?

 「随分、はっきり言うのね」

 「失えば、その分、きっと得るものもあります。ですから俺は、信じたくもありません」

 「──……」

 「かたちあるものはいつかは消えます。リーシェ様には、それを受け入れる強さがあると信じております」

 リーシェのガラスの双眸が、はっと大きく見開いた。

 それからリーシェのまばゆいばかりの面差しに、得も言われぬかなしい翳りが差して見えたが、カイルは務めて気付かなかった振りをして、軽く微笑った。

 この身も心もリーシェのためにあるものと誓っているが、こんな時代だからこそ、ある程度の距離も置くべきだ。甘ったるいだけの愛に浸って、リーシェが冷たい風に耐えられなくなるくらいなら、突き放す方がましだ。

 カイルはリーシェに片手を伸ばして、刹那たゆたった後、その存在を噛み締める思いで手を置いた。
  






 奇妙なほど静かな午後だ。

 リーシェは城の物見台から、かつては栄華を極めていた氷華の大地を見下ろしていた。

 この王宮は、山を背に、町を前方に構えてある。

 両親や一部の家臣らは、視力が優れない所為かこの眺めもぼんやりとした色とりどりの豆粒が犇めいているように見えるだけだというが、リーシェには、ここから人々の暮らしぶりがよく見える。

 路地に並んだ町屋の多くは、今、店を閉めきっていた。

 冬も間近な冷気の中、微かな砂埃の匂いが混じっていた。

 数日前、長らく平和だった氷華の国は、唯一敵対していた隣国天祈(あまぎ)と戦を交えた。
 些細な揉め事から勃発した紛争は、みるみる規模を広げていって、打撃も、犠牲も、剰りに大きなものだった。

 いつか見た夢は、やはり未来から訪れてきた報せだった。

 母は以前のような明るい気質を失って、父王は戦乱のどさくさで、未だ行方が分からない。

 氷華は負けた。多くの貴族らや民達の命が奪われて、国力諸とも疲弊して、この王国は地理から消えた。天祈への降伏の条件として、国名を放棄することを誓約したのだ。ここも今や、王宮であってただの廃墟だ。

 本当に全て失くしてしまった。

 リーシェら母娘がミゼレッタが王族でなくなっても、多くの家臣らが、今も支えてくれている。事実上、この土地は天祈に明け渡してしまったが、民達は今も、哀れな母娘に親しげな笑顔を向けてくれる。

 それでも、本当に、本当に、いかにしてもあの時の夢がただの夢でなくなったのだと身に染みる。

 リーシェは、いつかのカイルとの会話を思い起こしていた。

 黒曜石の双眸に、夜空を彷彿とする黒い髪、少年にしては穏やかすぎるメゾの声──。

 カイルこそ、リーシェを守って、あまりに早くその命を散らせた彼こそ、リーシェの全てだったのだ。

 「リーシェ様」

 後方から、囁くような、それでいて芯のあるソプラノの声がした。

 振り返らなくても分かる。声の主はリーシェの今、最も親しい人間だ。

 否、彼女を人間と呼ぶには、些か語弊があるかも知れない。

 大きな瞳にあどけない面差しが印象的な、ロイヤルミルクティーの色を彷彿とする長い髪を下ろした彼女の存在感は、まるで妖精のそれだ。きっと今も、彼女は自由にたなびく雲の如く、女官の制服を華やかに着崩した風貌をして、控えていよう。

 彼女、デラもまた、カイルと同じ、リーシェに付けられていた護衛の仕官だ。

 リーシェは、ふと、デラにあの時の質問を投げかけてみたくなった。

 振り返っては、きっとまだ頬が涙で濡れている。渇いた素肌を撫でる風が、早くこの水滴をも乾かしてくれれば良いと思う。

 「貴女は、永遠を信じる?」

 デラなら、何と答えるか。

 リーシェが人知れず愛し合っていたカイルと、今や生涯を共にすることとなろう間柄のデラは、生まれ育ってきた境遇も、感情も、異なる。

 二人は、やはり持ち合わせる答えも違うのだろうか?

 リーシェの耳を、そよ風のように甘ったるい含み笑いがくすぐってきた。

 デラは天祈の王族の血を引いている。事情があって、リーシェの女官になったような彼女の幼少時代は、手放しに幸せとは称せない。
 されど今は、一時のことを考えると信じ難いほど、彼女は余裕に満ちていた。

 氷華の心ない貴族達の間では、デラが、故郷にいる貴族の娘と通じているだの愛し合っているだのという噂がある。

 リーシェには関係のないことだ。

 どんな事情があろうとも、リーシェの見えているデラだけが、彼女の真実だ。彼女ほど信頼出来る相手は、今は、他にいない。

 「リーシェ様は信じたいのでしょう?」

 リーシェの予測した通り、否、期待したと言うべきか。初めて耳にする答えが、すぐ間近から帰ってきた。

 「リーシェ様が信じたいのなら、私は信じます」

 一歩一歩、デラが距離を詰めてくるのを肌に感じ取る。

 虚ろに流れる日々を、ただただやり過ごゆく。そんな今、リーシェには、デラの確かな存在感が心地良い。

 デラがリーシェのすぐ後ろに立ち止まった気配がした。

 彼女だけは、他の誰とも全く違う気配を持っている。それはカイルと、何処か通じるものがありながら、やはり全く同じでなかった。

 「…………うっ………」

 求めていたはずの優しさが、振り返れば手の届く位置にある。

 心地良いのにそれが辛い。

 乾こうとしていた涙で、再び目尻が熱を得る。

 「リーシェ様」

 包み込まれように名前を呼ばれて、包み込まれるように抱き締められた。何も訊かずに、弱みも咎めず、デラはリーシェの涙を受けとめてくれる。

 「貴女のご所望が私なら、私は貴女の未来を護るために生きていきます。これから先、貴女が何も失わなくて良いよう、私がその分、何かを擲ちましょう」

 「デラ……私、でも……」

 「貴女の背負うものが大きいのは、きっと、私も背負わなければならないからです」

 リーシェはデラと、物心ついた頃から一緒にいた。思春期に差しかかってから側にいてくれるようになったカイルと違って、デラとは姉妹のように育ってきたし、一緒にいられて当然のような存在だった。

 それでも、それが永遠にあるものと信じきってはいけない。

 リーシェにとって、それは奇跡に値する。

 「……リーシェ様……」

 貴女は、何も心配なさらないで。

 花を撫でるそよ風のような声がして、視界を邪魔する涙で惨んだ曖昧な景色から、無限に広がる空を見上げた。そうしてリーシェは、仄かな朱色に染まりつつあるそれを眺めて、自分の最も愛する桜(はな)の色を思い出す。

 カイルはあの花を好きではなかった。愛されながらもほんの束で散ってゆくあの花を、ともすれば永遠に敬遠していたろうとさえ聞いたことがある。

 『永遠など、信じません』

 脳裏を、ふっと、懐かしい面影の語っていた言葉が掠めた。







──fin.
妖精カテドラル