市内の某所にある邸宅は、異国情緒溢れる佇まいだ。
芳しいブーケの匂いたなびく庭先は、色とりどりの花が咲き乱れていて、瑞々しい緑が溢れ返っている。邸内は、ともすればゴシック&ロリィタ系のファッション誌のロケ地になろう雰囲気があって、使用人らが動き回っていた。
希宮莢は、この、どこか浮世離れした邸宅の一室にいた。
そして昼間からフェイクスイーツの製作に専念していた。同じ学校にいて手芸部でも同じの同級生、美咲さくら(みさきさくら)も一緒だ。
「文化祭まであと一ヶ月半。お洋服の展示やファッションショーも良かったけれど、たまにはこういう小さなものを準備するのも楽しいわ」
「さくらちゃんあんまりこういうの作らないもんね。贅沢を言えば、家庭科室じゃない時くらい、BGMは横断歩道走り隊とか聴きたかったとこかな」
「そうね。うーん……私は、今の気分なら苺色ペンペン草かしら」
「あっ、新曲出たから?歌詞にスイーツ出てくるよね」
莢はフェルトにあてた型紙をチャコペンでなぞりながら、隣にいる親友をちらと見る。
さくらの栗色の巻き毛に端然たる顔かたち、日焼けとは無縁の素肌は白亜の如くきめこまやかで、ほんのり桜の香りがする。その装いは、今日は、レースのたっぷりあしらってあるアイボリーのブラウスに、くすんださくらんぼ色のビスチェ、それから裾に二段のフリルが重ねてある、白地にサーモンピンクの花柄がプリントされたスカートというものだ。こめかみに、ケミカルレースの小花のヘアピンが飾ってあった。
さくらの小さな唇から、くすっと、神さびた吐息がこぼれた。
「だけどやっぱり、今はこのままでいたいわ。スイーツは出てこなくても、私にとっては」
さくらの透明感ある緑がかったグレーの双眸が、部屋の一角に向く。
少女達が二人、架空のラブシーンを繰り広げていた。
弦祇このは(つるぎこのは)と銀月流衣(ぎんつきるい)、二人とも、同じ学校の上級生だ。ただし、所属は演劇部だ。
「『浮かない顔。見ていたんですか?』」
「『あの女性はどなたなんですの?優しい眼差し、柔らかな物腰で、いつも貴方のお側にいらっしゃる、美しい人……ただ、お声だけは、誰にも聞かせようとなさらない』」
このはが流衣に進み寄るのに合わせて、そのロイヤルミルクティー色のツインテールがぴょこんと揺れた。
サックスのボレロに花柄の白いワンピース、このはらしいナチュラルガーリーテイストの洋服が、彼女のヒロインらしさを際立たせていた。
「『心配をかけてしまったようですね。彼女はシェルティー。貴女の来られる少し前、海に一人ぼっちでいたところを連れてきました。可哀想に、帰るところがないらしい。妹のように想っているだけです。貴女の気掛かりになるようなことは何もない』」
「『──……。私は、幼い頃から、この国に嫁ぐことが決まっていました。特に何か思ったこともなかった。一国の姫として、貴方とお父様の国を繋ぐ架け橋として、ここに参るつもりでいました。けれど、……』」
このはのぱっちりした黒曜石の双眸が、中性的なドールを彷彿とする少女を捕らえる。
栗色のショートヘアに透き通るような陶磁肌、流衣のくっきりした目許は甘ったるくて玲瓏たる力があって、その容姿は校内中の生徒達を騒がせるだけのものはある。
流衣は、上品な感じの青文字系スタイルで、今日はひとしお王子めいていた。
「『…………』」
「『今はただの道具でありたくない。私は、私の意思で、貴方のただ一人のパートナーとして歩いていきたいと望んでおります。貴方があの方に優しくされているところを見ると、胸が引き裂かれる痛みに震えます』」
「──……」
「…………」
このはと流衣の絡みついていた腕が、ほどけていった。
「うーん……どうでしたぁ?」
「可愛かったよ、このは」
「一般論をお願いします」
このはがひらりと身を翻して、壁にもたれた。
莢の視界の隅っこで、さくらの目にも、流衣と同じ愛おしそうな熱が浮かんでいた。
「先輩の仰る通りだわ……このは先輩、素敵……」
「──……」
「と、とにかく、ダメです」
「そう?このはは顧問の言ったことを気にしすぎ」
「『人魚姫』のヒロインは、もも先輩、シェルティーです。先生曰く、私のやらせていただく婚約者リルダは、シェルティーより切実な愛が伝わるとNG。それが、何故か、王子とのシーンが下心むき出しでえろいえろいって言われるんです。この連休で、私は爽やかな自分を手に入れます」
「ま、元々その目的で泊まり込みの稽古を始めたわけか」
「そうです。さくらちゃんまで心配して付き合ってくれて……。これで私に進歩が見られなければ、さくらちゃんに合わせる顔がありません」
「父さんなら問題ないのにね。このはには、私が付いてる。美咲や希宮がいた方が危なくない?」
「あ、それは……でも、あっ、団体行動は大事だって言いますし」
「莢ちゃん、莢ちゃん」
ふっと、軽く袖を引かれる感じがした。
さくらが声を潜めてきた。
「私が心配しているのは、銀月善満(ぎんつきよしみつ)のことではないわ」
「うん」
「こんなお手伝いさんもほとんどいらっしゃらないお部屋に、流衣先輩と二人きり。このは先輩に何かあってからでは遅いから、心配してお邪魔したんだわ」
「うん……」
莢は、さくらに言いたいことがたくさんあるもどかしさを呑み込んだ。
流衣がさくらの意図をとり違えても仕方ない。
莢やさくら、それから隅っこで甘く戯れている二人には、遠い遠い前世の記憶がある。
いにしえの時代、さくらは今は亡き国氷華(こおりのはな)の王女リーシェ・ミゼレッタだった。
ミゼレッタは、その血族ないしは彼らと深く結びついた人間に、不思議な力が備わる家系だ。さくらにも、やはり同じ体質がある。
さくらは、その最後の王女の生まれ変わりとして、いにしえの国家を蘇らせようとしている組織に狙われている。このはもさくらとの絆の深さ所以、同じ体質を持ち合わせている。
そして、問題の組織のトップこそ、流衣の養父、義満だ。
「さくらちゃん」
「なぁに?」
「私はさくらちゃんが心配で付いてきたんだから、無茶しないようにして欲しい。特に、この家の人達の前では、目立たないように」
「ええ、有り難う、莢ちゃん」
さくらが可愛らしく微笑んだ。
「言ってる側から」
莢はフェルトに印を付ける作業を再開する。
隣から、さくらの首を傾げる気配がした。
「さくらちゃんは、ここにいるだけで目立っちゃう。生まれながらのプリンセスで、綺麗で、眩しい。どんなに隠したって、隠しきれない」
「そんな、莢ちゃん、こそ……」
「決めた!」
莢の耳に、突然、このはの声が飛んできた。
「流衣先輩。私、今から、リルダになりきって携帯で話している演技をします。口調だけでも掴みます」
「分かった、やって」
「ついでに男の写メあります?それ眺めながらやります。使用人さんでもクラスメイトでも良いんで」
「これで良い?……って、このは男が相手だと、愛想なくなるじゃん」
「ああ、あの執事さん。十分です。……くどさをなくすには、やりすぎなくらいが良いんです」
「──……」
「…………」
このはが流衣の携帯電話に向かって、彼女自身の携帯電話を耳に当てた。
そうして即席の一人芝居が始まった。
このはの始めた一人芝居は、一昔前に流行った女子高生言葉がこれでもかと言わんばかりに盛り込まれたものだった。
莢は、それがようやっと幕を閉じると、ほっとした。聞きたくなくても聞こえるものは、聞こえるからだ。
「ごめん、このは。微妙」
「やっぱりですか」
「……ギャルっぽい」
「そこまで?!何で?!」
どうしてかはこっちが訊きたい、と、莢は思う。
下心むき出しの印象をなくす試みをして、何故、砕けた女子高生口調になるのだ。
「分かりました。流衣先輩が美しいからダメなんです」
「ちょっと待て、顧問はえろいって言ってたじゃないか。君が愛らしすぎるから、シーン全体が濃厚に見えるんだ」
「それは流衣先輩の偏見です。流衣先輩こそ、立ってるだけで色気振り撒いてますよね」
「キザオーラは振り撒いてる」
「そもそもっ、爽やかなラブシーンなんて、この台本からどうやって演出しろって言うんですか!」
このはがキレた。しかも、滅多に本気で牙を向けない流衣に向かって、牙を向けた。
莢は、改めてテーブルに散らばった色とりどりのフェイクスイーツを眺める。そして、このは達の問題は、別世界で起きていることだと自分自身に言い聞かせる。
フェルトで出来たスイーツは、パンケーキやクッキーを始め、チョコレートやキャンディまで、たくさんあるといっそう華やかに見える。特にマカロンが多くを占めていた。
「ねぇ、莢ちゃん」
ふっと、おっとりしたさくらの声が、囁いてきた。
「マカロン、二人で進めると早いわね。マカロンタワーが完成したら、トッピングはどんな感じが良いかしら。私、こういう単調作業、好きだわ。楽しい考え事をしながら作れて、いくらやっても疲れない」
「そ、そっか」
「ただ、問題はクリームを挟む作業。タワーにすれば目立たなくなるかも知れないけれど、微妙にずれてしまうのだわ」
確かに、マカロンの生地に同じくフェルトで作ったクリームをサンドすると、微妙にずれる。クリームがはみ出るところもあれば、クリームが窪むところもあった。
「縫う時、しっかり押さえるコツさえ掴めれば……ね」
「このは先輩のお声が素敵すぎて、手許に集中出来ないわ」
「──……」
本当に、今の破壊的な一人芝居を聞いていたのか?
「決めました!」
チェストの側から、またしても嫌な予感をさせてくれる声が聞こえた。
「流衣先輩、私の代わり、やってみて下さい」
「このはほど可愛く出来ないよ」
「構いません。視点を変えるには十分です。その間、私が王子をします」
「…──!!」
莢の手から、途中までクリームを挟んでいたマカロンが転げ落ちてゆきかけた。
「このは先輩が、王子様……。一度、莢ちゃんみたいなゴシックパンクでご登校された時のことを思い出すわ」
さくらの手許が、今や完全に止まっていた。どうりで、さっきから莢の持ち寄ってきたフェルトから出来たマカロンばかりが増えていたはずだ。
「やるぜ」
「いつでもどうぞ」
「『王子様──」
流衣の、彼女にしてはしとやかな声がこのはを呼んだ、その時だ。
突然、扉を叩く音がした。
「あ、どうぞ」
「捗っているか?流衣。お客様がいらっしていると聞いてな、今日の夕飯のことなんだが──」
「…──っ、さっ、あわっ」
「ひゃうっ」
莢は、すかさずさくらをソファに押し倒した。
さくらの花柄のスカートがブーケの舞う如くたゆたって、そこに、莢の赤いチュールフリルを重ねた黒いフリルスカートが重なった。
莢の亜麻色のロングヘアが、さくらの肩に、淡い影を落とす。
「……ごめん」
莢は、それでもさくらをソファに押しつけたまま、バランスを崩した振りを貫く。
入ってきたのは銀月義満、まさしく、さくらに注意するよう釘を刺していた人物だからだ。
莢は、遠目に流衣とこのはが義満に対応している様子を窺う。
ぎょろりとした大きな目に、微笑みを湛えたへの字の口許、その体格は年齢にしては健康そうで、白髪の混じった黒髪は、ふさふさだ。ついでに眉もふさふさだ。
義満は、外面だけはニュースや新聞で見かける通り、人の良さそうな、平凡な中年男性のようだ。
「ってか、どうぞじゃなくない?!」
「仕方ないわ。ノックだけではどなたか分からないもの。莢ちゃん、私もご挨拶しなくては」
「しなくて良いからここにいて」
「他所様のおうちにご厄介になる時はご挨拶するよう、お母様に言いつけられているの」
「さくらちゃんのお母様には、今度、私が言い訳しておくから」
二人、あまりに近い。なるべく声を潜めて囁き合っても、二つの吐息が一つに交わるようだった。
「はぁ、……」
さくらの手首を押さえていた手を、少しずらした。
今にも顫えそうな指先が、ほんのり汗を帯びていた。
莢は、さくらの目から、自ずと視線を逸らせていた。
エメラルドの如く澄んだ瞳が寄越してくる眼差しは、清らかで甘ったるくて、官能的な誘惑があった。
さくらが惹かれているのはこのはだ。莢は、親友に過ぎない。この、物足りない、されど安定した関係を守りたければ、こんなところで顔の熱を覚られるわけにはいかない。
こんな時にこんなもどかしさに責められるとは、不謹慎だ。
されど莢は、あと少し、一秒でも長く、義満にこの部屋にいて欲しい気さえし出していた。
「ところで、今日は他に二人お客様がお越しだと聞いているが?」
「疲れたみたいで寝てるから、静かにしておいてやって」
「そうか。流衣は友人想いだな。……ん?こんな時期に桜の匂いが」
「あ、私のボディスプレーです。今校内で流行ってて、科学部の友達に作ってもらったんです」
「おお、そうか。若い子の流行りは何がくるか分からんなぁ」
このはの苦笑いがひきつっている。
莢の組み敷くさくらの腕から、甘辛い、春に咲く故郷の花の芳香が匂っていた。ミゼレッタ家の人間であった証が、そこにあるからだ。
さくらの腕に浮かんだ青い花の形の痣と、このはの胸に浮かんだ同じもの、それこそ、この芳香を放つ元だ。
義満の部下達がリーシェを探し出す手がかりにしている証だ。
「おお、そうだ。本題に戻ろう。夕飯は何を作らせよう?このはちゃんはデザートは激甘だったね?今日はパティシエが出勤している。後で買い出しに行かせるから、期待しておいてもらいたい」
「はいっ、お砂糖たっぷり楽しみにしてます」
「お昼寝中のお二人は──…っと」
「っ……」
「あっ」
「父さん!」
莢とさくらの真上から、このはと流衣の悲鳴が聞こえた。
「そ、そそそっ──」
「このは落ち着けっ」
「ん?これは苺味だと思ったのだが、味がしないな」
「…──!!」
莢のすぐ側で、とても軽いものが落ちた音がした。
このはのものと思しき殺気がヒートアップしていって、肌がじりじり焼きつけられる感じがする。
「おじ様!それはフェイクスイーツです」
「ふぇ……フェイス……?」
「フェルトで作ったスイーツ。……布で作ったスイーツ」
「何?それで味がしなかったのか」
「第一、マカロンを一口で食おうとしたやつは、聞いたことがない」
「私が人類始まって以来か。二人とも、歴史の記念すべき瞬間に居合わせられて、幸運だったな」
「…………」
「父さん。もう仕事に戻ってくれない?このはの稽古、立て込んでるんだ」
「このはちゃんがスランプだと?」
「……いきなり片仮名使わないでくれる?」
「よーし、おじさんが見てやろう。試しに二人でやってみろ」
「──……」
ああ、家に帰りたい。
莢は義満の座った気配に続いて、流衣とこのはがさっきのシーンを始めたのを聞きながら、おそらく雑菌だらけになったマカロンの処置をいかにすべきか考えていた。
苺の味のしそうなマカロン、そしてさっきのこのはの殺気から察するに、犠牲になったフェイクスイーツは、さくらの手がけた一品だ。
「もう一度やり直しだ!!」
「ひぃぃっ……」
「このはちゃん。君はなっとらんよ。何だね、そのやる気のない発声は。腹に力が入っとらん!」
「……ごめんなさい」
「全く不安定だ。三度やらせて分かった。君は、全く同じ言い回しが出来んだろう。三度、全てに、微妙な違いがあった」
「……自覚しております」
「流衣を見習え。芝居に必要なのは、清く正しく美しく、だ」
「そうなんですか?」
「ごめん、このは。父さんこの前、接待でどっかの芝居に連れていってもらったそうなんだ」
莢達から離れた後方で、流衣がこのはに耳打ちをした気配がした。
「大体、君には娘役の愛らしい気品がない。まずはその根性から鍛え直す必要がある。今から五丁目まで三周走ってこい!!十五分以内だ!!」
「父さっ……」
流衣が抗議の声を上げかけた瞬間、莢の身体が押し返された。あまりに強い反動に負けて、ソファから転げ落ちかけた。
「あっ、さくらちゃん……」
「横暴ですわ!お父様!!」
「──……」
莢とこのは、そして流衣、三人同時に固まった。
怖れていたことが起きたのだ。
クラシカルロリィタ姿の姫君と、よりによってアジアを牛耳る悪徳議員が、睨み合って対峙していた。
さくらと義満の激しい口論が始まってから、一秒一秒がとてつもなく長く感じる。
莢は、お化け屋敷に入った時でも押し寄せてこなかった恐怖を、おそらく一生分、味わっていた。胃が痛い。
このはと流衣が居合わせていることだけが、唯一の保険だ。
「……君は、随分派手な格好をしているな。それで芝居を語ろうとは、ふざけている」
「私は何と見られても、構いませんわ。けれどこのは先輩を悪く仰らないで下さいまし」
「つまり美咲さんは、流衣よりこのはちゃんの方が魅力があると言いたいのかね?」
「芝居に優劣はありません。比べようとなさる方が、ふざけています。私は、お父様が、このは先輩に向けられた暴言をとり下げて下さるようお願いしているんですわ」
「このはちゃんが好きだからか?」
「ええ、その通りですわ」
「さくらちゃん、もう良いから昼寝に戻って」
「お願いだから喋らないで」
莢は、このはと珍しく意見が一致していた。普段は恋敵と睨み合ってるのに、今は二人、力を合わせてさくらに引き下がらせるべく尽力している。
義満の濁った双眸に、ぎらりと陰気な光が宿った。その口許の端がにやりと上がる。
「君は、暢気に昼寝をしていて、ことの深刻さを分かっておらん」
「何ですって?」
「このはちゃんはスランプだ。そこを私が手を貸してやった。これは親切ではないかね?」
「親切で暴言をお吐きになりますの?私はこのは先輩を愛しています。お色気でもギャル口調でも、このは先輩は何でも素敵です」
「くっ……小賢しい……」
「美咲、少しくらい空気を読め」
「さくらちゃん」
「そこまで流衣をおとしめたいなら、貴様が芝居をやってみせろ。下手なら近所十五周だ!!」
「ダメっ」
このはが義満とさくらの間に割って入った。
「さ、さくらちゃんは……下手じゃありません。ド下手なんです。さくらちゃんの一芸を見て、夜うなされた子、学校にたくさんいます」
「そうなのか?」
「ええ、そうです。銀月義満さんともあろう偉い先生が、悪夢をご覧になっては、ダメです」
「美咲は、棒読みどころじゃないんだ。トラウマに残る表現力を備えてる」
莢は、流衣と二人して、このはに話を合わせた。
本音を言えば、この世で最も美しいさくらを罵ってまでこんな嘘をつくのは、辛すぎる。
「では、方法を変えよう。流衣とこのはちゃん、どっちが優れているか、もう一度貴様の目で確かめるのだ」
「望むところですわ」
「さぁ、二人とも。もう一度さっきのシーンをやれ。流衣、この娘の生意気な口を止めてやるのだ」
「──……」
「…………」
「希宮」
莢は、ふっと、流衣と目が合った。
「さっきフェルトが足りないって言ってなかった?買いに行こっか」
「言いましたっけ」
「言ってた。だから行こう」
「えっ、ちょっと、先輩っ?!」
莢の右腕が流衣にぐいと引っ張られた。
そうして二人、さくらと義満が口論している前を通りすぎて、張り詰めた空気の充満した部屋を出ていった。
* * * * * * *
莢は流衣に外に連れ出されて、五丁目まで歩いていった。それから二人、また夕まぐれの帰路に引き返して、豪邸に戻った。
「結局、先輩と私が、五丁目まで歩くことになりましたね。どうせならさくらちゃんを連れて逃げて欲しかったです」
「このはと私のどっちかがいなくなれば、あいつは出ていく。悪いけど、私は美咲と気まずいから」
「──……」
それは、大いに共感出来るところだ。莢とてこのはと二人で残りたくない。
「とにかく、これでまだいたら、今度はこのはに出ていってもらいましょう」
莢が流衣の私室の扉のノブに手をかけた時、向こうから、世にも愛おしいメゾの声が聞こえてきた。
「私は、皆に嫌われてしまいましたわ。莢ちゃんにまで、私をいつも大切にしてくれる、大事なお友達なのに……あんな言葉を向けられて。私は、そんなに空気を読めないロリィタでしたのね」
「さくらちゃん、それは」
「お二人とも、愛想を尽かして出ていかれましたわ」
「──……」
「…………」
「希宮。さっきのやりすぎだったんじゃない?しかもプリンセスじゃなくてロリィタなんだ」
「間違ってないと思います。……悪夢発言がまずかったんでしょうか」
「あの美咲に嘘も方言は通用しない」
「あ、思い出しました。流衣先輩こそ、トラウマ発言は堪えます」
「このは先輩。私、……」
莢の声が、扉越しからこぼれてくる天使の声に、遮られた。
「私は我慢出来ませんでしたの。このは先輩は世界で一番、いいえ、宇宙で一番、私にとって素敵な人です。身体が勝手に飛び出して……このは先輩を何も知らないあんな人が好き勝手を仰るところ、黙って聞いていられなかったんですわ」
「さくらちゃん……」
「ご心配おかけして、ごめんなさいまし。あの……」
衣擦れの音が耳をくすぐってきた。
締め切った扉の向こうで、このはがさくらを抱き寄せるような気配がした。
「さくらちゃん、可愛い。綺麗なのに、私には、さくらちゃんはさくらちゃんだけど、やっぱりリーシェ様で、でもあの頃よりずっと好き。言うことなすこと大好き。私はたくさんの人に共感してもらえなくて構わないの。そこにさくらちゃんがいてくれなくちゃ、意味ない。さくらちゃんが見てくれること、今は一番の幸せ。……無事で良かった」
「っ……」
「皆、さくらちゃんに困ってたんじゃないよ。さくらちゃんが好きだから、心配だったんだよ。何もなかったならそれで良いの。何かあっても、良いの。さくらちゃんがここにいてくれるなら、私、貴女を何があっても守るから。さくらちゃんが、側にいること許してくれる限り、ずっとずっと側にいて、盾にもなる」
「──……」
得も言われぬ吐息がこぼれて、また、何かがすれ合う音がした。
莢の手が、握ったノブから下りていた。
「手のかかるお姫様だ。ちょっと妬ける」
「さくらちゃんはそういうとこが良いんです。……リーシェ様の頃は、あんなに天然じゃなかったんだけどな」
「希宮とこのはに安心しているからじゃない?」
「──……」
「私はこのはと争いたくなかった。あんな馬鹿馬鹿しい理由でも、このはと競うこと自体に、拒絶反応起こすみたい」
「さっきのですか?」
「美咲の言った通り、芝居は比べて優劣つけられるものじゃない。けど、そういうのを差し引いても、このはとは」
「…………」
莢の脳裏に、いつだったかいにしえの時代の最後の歴史を研究している人物に、聞かされた話がよぎっていった。
「私も」
「…………」
「どんなかたちでも構いません。さくらちゃんの側にいたい。……さくらちゃんのためなら、近所一周くらい、いいえ、十五周だって朝飯前です」
リーシェの側にいたかった。与えられた以上のものは望まなかった。ただそれだけの望みも叶わない、さだめに討たれた。
今生で、ようやっと探し求めてきた面影にまみえた。
「そうなんだ」
「はい」
「じゃ、行こっか」
「え?」
「近所十五周。ほんとにやることになった時、出来なくちゃ困るだろうし」
「…──!!」
莢は耳を疑った。否、実際、今のは聞き間違えに違いない。
「あの、お構いなく。私のために先輩にお時間をとらせるなんて、滅相もない」
「どうせこのは達、終わりそうにないから。こんなとこで立ち聞きするより、健康的な時間の使い方じゃない?」
「──……」
ああ、今度こそ家に帰りたい。
嘘も方便が通じないさくらは愛おしいのに、流衣に言葉のあやが通じなかったとは、計算外だ。
莢は、初めてさくら以外の神に救いを求めたくなった。
──fin.
妖精カテドラル