有限会社『バニージュエル』は、今年で創業十一周年の、アクセサリーの卸売り商社だ。
その品揃えは、ティーンから大人の女性まで幅広い客層を狙ったものが中心だ。それらはいわゆる量産品で、海外から輸入した製品が多くを占める。パーツを使った自社製だけが例外だ。
『バニージュエル』は、オフィス街の裏手に本社がある。倉庫や工房がいっしょくたになっていて、民家に紛れてひっそり構えてあった。
花桐真颯(はなぎりまそら)は『バニージュエル』に勤務して、一週間と少しが経つ。
真颯は倉庫の担当だ。ここの業務は、直営店を含め小売店から寄せられてきた発注書に従って商品を梱梱包して配送業者に預けるもので、他に五人の従業員達がいた。
「えっと、品番が二百二十で、色番がA……あ、あった。五つ入れて、次は……」
真颯は発注書のコピーを見ながら、片手に提げた籠の中に、商品ラックに所狭しと並んだアクセサリーを放り込んでいく。
服装自由、髪型自由という魅力に惹かれてこの会社に入ってきたのに、定番スタイルのロリィタ服の姫袖が、存外にあちこちで引っかかる。裾にリボンのアップリケが施してあるピンク色のスカートを膨らませていたパニエは、今日も既に脱いでいた。
作業そのものは単純だ。しかしながら、何時間も続けていると、だんだん品番が同じに見えてくるから厄介だ。真颯より二ヶ月前に入ってきたという宮都陽芽(みやとひめ)は、とうとうペットボトルから紅茶を注いで、勝手にティータイムを始めた。 課長の福部なめお(ふくべなめお)まで茶を馳走になっていた。
「いい加減にしてくれない?」
気だるけな婀娜っぽさを含んだメゾの声が、とりわけ静かな空間に、凛と響いた。
「あっ、ごめんなさい」
「陽芽は良いの。お前だ、なめお」
猫撫で声から一転だ。真颯も今や聞き親しんだ美声の主は、どうやら課長のなめおだけがお気に召さないと見える。
真颯は作業を休んで振り向く。
月ヶ崎杏佳(つきがさききょうか)が、なめおと睨み合っていた。
陽芽は優雅に紅茶の時間を続けていた。縦ロールのツインテールにピンク色のボンネット、白いボレロにピンク色のワンピースというコーディネイトが、とびきり豪奢だ。
杏佳は真颯より五つ歳上の従業員で、この部署で唯一、なめおにため口を利ける存在だ。短大を出てすぐにここに入ってきたというから、勤務歴は十二年か。代表取締役の相瀬志菜(あいぜしな)と遠い親戚に当たるらしく、一度は部長に指名されたものの、それを断ったという噂が、まことしやかに囁かれている。
その顔立ちは、悩ましげな眼差しを湛えた一重の目許に通った鼻梁、シャープな頬に甘ったるい果実を彷彿とする唇という、全てのパーツが整った、玲瓏なものだ。肩に触れるくらいのシャギーの髪はアッシュゴールドのメッシュの入ったダークブラウンの色をしていて、エアリー感のある軽いカールがかかっている。服装は、今日は、裾にラッセルレースのフリルの入ったアイボリーのジャケットに、銀糸で縦にステッチが入っているチャコールグレーのカットソー、黒いコーデュロイのハーフパンツにロングブーツというものだ。
杏佳は陽芽を気に入っている。それで、ことある毎に、彼女に必要以上に近付く社員に突っかかっていくところがあるようだった。
「月ヶ崎さんも飲みますか?お茶」
「お前何様?大きい顔するな。陽芽の紙コップまで使って紅茶をもらって、隣に座ってるんじゃねぇよ」
「分かりました。向かい側に座ります」
「いやいや、その前に紅茶をもらうとかありえないから。それ、陽芽が家から淹れてきてるやつだって分かんない?」
「……わー、嫉妬ですね」
真颯の近くで、本人の耳に入ればすぐさま逆鱗に触れよう科白が漏れた。
その時、扉の開く音がした。
「社長!」
「あら、もう始めちゃってるのぉ?」
そこはかとなく気品をまとったソプラノの声が、呟くほどの調子でこぼれた。
扉の側に、『バニージュエル』の代表取締役、志菜が立っていた。
志菜は大きな目にピンクとグレーが基調の化粧が印象的な女性で、その定番スタイルは、いわゆるハデカワというものだ。色素の薄いセミロングの髪はふわふわのカールに巻いてあって、あちらこちらに小さな造花のヘアクリップが散りばめてある。袖口が幅の狭いフリルで縁どってある黒のカットソーの胸元で、『バニージュエル』の人気アイテム、ラインストーンのぎっしり並んだティアラのネックレスが輝いている。膝丈のアイボリーのスカートは黒いドット柄だ。マーメイドラインになっていて、裾に大きな黒いシフォンのリボンが結んである。足許は、ピンク色の薔薇が巻きついたプリントの入ったバルキータイツとレースのソックス、黒いストラップシューズが合わせてあった。
「そろそろ三時も近いから、皆さんにお出しするお茶を準備しようと思うの。お菓子が足りなくて、どなたかにお買い物に付いてきてもらいたいのだけれど、工房や事務室の皆さんには断られてしまって」
「そっか。新商品出るんでしたっけ?どうしよー……うちは……」
「お仕事、押している?ダメよ、杏佳。なめお君をあんまりなじっては。彼では、どうせ陽芽さんの相手にならないでしょう。孫とおじいちゃんほどの差があるのだから」
「その孫くらいの年下の子を、ちょっと前、お茶に誘ってましたけど」
「なるほど、うちのマドンナねぇ」
「月ヶ崎さんよりおモテになる方がいらっしゃるんですか?」
「まぁ、花桐さんは、もう杏佳派になっちゃった?」
「いえ、別に……」
真颯が口ごもっていると、志菜が扉の枠に背を預けて、すっと脚をクロスさせた。小悪魔的な唇から、愉快そうな笑みがこぼれる。
「工房にいるマドンナは、ドSで好き嫌いの分かれる杏佳と違って、万人に愛されるタイプなの。美人で人当たりが良くて、ちょっと謎めいたところがあって、……お洋服は青文字系に近いかな。おとなしめのゴシック」
「多いですね、『バニージュエル』」
「そうそう、花桐さんと同い歳だわ」
「そうなんですか?」
「あと一つ、何かが同じだったような……」
志菜の華やかなかんばせに、難しそうな色が浮かぶ。
そんなに眉を寄せられても、志菜にも思い出せないことを、真颯が思い出せるはずがない。
「ああ、そうそう!」
「思い出したんですか?」
後方から陽芽の声がして、志菜がこくんと頷いた。
「森園さん、花桐さんと同じ学校だったのよ」
* * * * * * *
『バニージュエル』の倉庫の業務は夕方五時に終わる。
定時になると、真颯は隅っこによけておいたパニエを穿いて、さっさと荷物を持ち上げた。
業務から解放された心身は、帰路を目指して逸るばかりだ。早く帰って休みたいのは、ベテランの社員らも同様らしい。皆、我先にと退社していく。
杏佳や陽芽だけが、談笑して、なかなか倉庫を出ないタイプだ。
「お疲れ様です」
真颯は、当分帰る気配のない仲間達の脇を通りすぎて、出入り口に歩いていく。
「待って、花桐さん」
「何か?」
真颯は、自分を追いかけてきた杏佳の声に足を止めた。
「明日の金曜日、空いている?」
「空いていますけど……」
「夜、新人歓迎会したいんだ。会社全体でっていうのは、年に一度の春しか無理だけど。社長は来るって。この部署の皆でどう?」
「有り難うございます!是非!」
「じゃあ、今日ちょっと残って」
「え?」
「主役は花桐さん。お店を予約するの、好みとか訊きたいし」
「お店でしたらお構いなく」
真颯がたゆたっていると、陽芽が力んで振り向いてきた。
「どうせ社長の奢りです。私も遠慮しませんでしたから!」
「それでは……」
真颯は二人に頷いて、担いだバッグを肩から下ろした。
真颯は火の消えたみたいに静かな倉庫の簡易椅子に腰かけて、杏佳の携帯電話を覗き込んでいた。液晶画面に、よくあるグルメ情報サイトが映し出されていた。
「悩みますー。さっきのピッツアも美味しそうですけど、ここはカクテルが可愛らしいです。どっちが人気なんですか?」
「行った人のレビューからすれば、おんなじくらい」
「月ヶ崎さんならどっちにします?」
「可愛い店員さんのいる方」
「えー、店員さんについて書いてあるレビューを探さなくっちゃいけないじゃないですかぁ」
もっとも、杏佳がスクロールしてくれているディスプレイに目を凝らしても、そんなレビューは見付からない。
「時に、月ヶ崎さんのストラップ。それって『バニージュエル』のですか?」
真颯は気分転換に、さっきから気になっていたところを問ってみた。
杏佳のパールブルーの携帯電話にとり付けてあるストラップは、まるく削った角砂糖を聯想する石がメインに置かれてあって、大小のクリアのガラスビーズがぶら下がっている。それから、星座のチャームと青とレモンクリーム色のリボンが繋げてあった。
「正解」
「やっぱり!自社製ですか?」
「目が利くね。花桐さんが入ってくるより五年くらい前のなのに」
「星座のチャームは今も使われていますもん。お砂糖みたいなのは天然石ですか?」
「ラビットジェイド」
「これが噂の!」
「知ってる?」
「見たのは初めてですけれど、無欲の持ち主に幸福をくれるっていう不思議な石……。効きますか?」
「効く人間のが少ないかもね」
杏花の指先が、その名の通りウサギ色をした小さな石を小突いた。ガラスビーズがぶつかって、しゃらん、と、小さな摩擦音がこぼれた。
「珍しいですね。月ヶ崎さんや宮都さんって、うちのアクセサリーおつけにならないのかと思っていました」
「そうなんだ」
「宮都さんは明らかにお洋服と同じメゾンのか手作りだし、月ヶ崎さんのは、私、たまに立ち読みしている雑誌で見ます」
「気に入ったらつけるけど、陽芽も私も、『バニージュエル』の商品は、どっちかって言うと好みじゃないから。ストラップは社長にもらったからつけてるだけだよ」
「……正直ですね」
「ねぇ、花桐さん」
ふっと、杏佳の声が改まった感じがした。
真颯がストラップから顔を上げると、真っ正面に、傍らのデスクに片腕を預けていた杏佳の双眸があった。
吸い込まれそうな透明感を帯びた瞳に、頬がじんと熱くなる。
「花桐さんは、恋人いるの?」
「…………」
真颯は正直に首を横に振る。
「好きな人は?」
「──……。…………」
今度は、首をどちらに振るべきか迷った。横に振っても嘘にはならない。
「月ヶ崎さ──」
どうしてそんなこと、と、開きかけた唇が制止させられた。
「…──!!」
真颯の唇に、しっとりした柔らかなものが触れていた。両の二の腕を捕らわれて、動けない。
今日まで口にしてきたどんなスイーツより甘くて、どんなセレナーデより切なくて、こんな薬を飲んだことない、そんな甘美なものに冒されてゆく。
「はぁ、ふ……」
ふんわり、何度か角度を変えて与えられた口づけは、数秒の後に離れていった。
真颯は杏佳を直視出来なくなって、俯く。だのに送られてくる眼差しに呼応して、胸が五月蝿い。
「本当なんだ」
「──……」
「年齢イコール、キス未経験。試して得したな。そういう反応、好き」
「宮都さんに、悪いです……」
「付き合っているわけじゃないし」
「で、も……ぁっ……」
真颯の右腕が自由になって、杏佳のてのひらが、代わりに鎖骨に這ってきた。ブラウス一枚で肌が隠れているだけのそこは、ボレロが被さっていない。指先で触れられるだけでじんとする。
左腕をぐいと引かれて、ボレロのリボンをほどかれた。
頭の中が真っ白になる。
真颯の、二つに結ったミルクティーベージュの髪が後ろによけられて、肩からボレロをずり下ろされる。
「あの、何、まさか……」
「声、出す?叫んだって多分近くに誰もいないよ」
「や、月ヶ崎さ……うっ、いや……や、ですぅっ!!……」
真颯の後ずさろうとしたウエストが、杏佳に無理矢理引き寄せられた。ブラウスの前身頃を押さえた腕をほどかれて、ボタンを外されていく。
「それでもあんまり五月蝿くするなら口塞ぐから、気を付けて」
ふっと、視界の端に、白い小さな塊が触れた。ラビットジェイドのストラップだ。
森園あづほ(もりそのあづほ)。
杏佳のストラップを作ったのは、工房にいるという『バニージュエル』のマドンナかも知れない。
真颯の脳裏をふっとそんな予感が過った。
真颯は、件の女性を知っている。かつてのクラスメイトで、親友と呼び合う仲だった。
* * * * * * *
真颯はあの後、本当に声を上げかけて口を塞がれた。杏佳に二度目のキスをされて、「ごめんね」と官能的なメゾの声が耳に触れてきたかと思うが早いか、どこからか出てきたスカーフをくわえさせられた。それからは、杏花になされるがままだった。
相手が杏佳でなければ法に訴えていた。否、相手が他の人間なら、真颯は今頃、きっと冷たくなっていた。
翌日、真颯は気まずい思いを持て余しながら、努めて普段通りに過ごしていた。杏佳の態度は、何事もなかったと言わんばかりのものだった。
日が暮れて、一同、新人歓迎会の会場に移った。週末の夜は賑やかだった。真颯は主役の席を勧められて、そこで、志菜が『バニージュエル』を立ち上げるまでの話を聞いたり、杏佳や陽芽、なめお達の、日常の他愛ない話を聞いて笑った。
宴席で、またもや、社員らが「森園さん」と呼んで目をハートにしている女性の話題が上った。そのファーストネームは、もう、聞かなくても分かっていた。
あれから一週間が経った。真颯が『バニージュエル』に入って、早いもので半月と少しだ。
とっくに定時の過ぎた倉庫は、天井ライトも消えていた。辺りは、窓からこぼれてくる外灯の明かりに照らされていた。
真颯はカーテンの開いた窓に身体を向けていた。夜の帳に紛れた住宅街を透かしたガラスに、杏佳の立ち止まった姿が映った。
「誘えば必ず真颯は残る。こういうの、期待してるでしょ?」
真颯の上体が、後方から絡みついてきた杏佳の腕にすっぽり収まる。耳朶を舌で転がされながら、胸の膨らみをまさぐられ出す。
「はぁっ、んん、そな、こと……」
「息、荒い。こんなに厚着でもうくらくらきているなんて、どんなこと想像してたんだろうね?」
杏佳の手がスカートのベルトとブラウスの隙間に差し入ってきて、下腹を撫で回される。真颯の首筋が啄まれていく。
「やぁっ、そこ……、ぅんっ……」
「ドロワーズ……おねしょしてるんじゃない?……脚、がくがくに奮えてる。そんなに私に犯されたいんだ」
真颯は条件反射的に頷く。
杏佳に抱き締められてキスをされると、何も考えられなくなる。貞節やら誇りやらの価値も奪われて、羞恥の極みを開かれるのに、そこにある快楽が狂おしいほど欲しくなる。
「今夜はどこまで出来るかな。泣いて頼んでもやめないけど、良いの?」
「本望です……私を、杏佳さんのお好きなように……」
「まず脱いでるとこ見せて」
杏佳の身体が離れていった。
真颯は窓ガラスに肘をつく。杏佳が簡易椅子に腰かけたのを窓ガラスで確かめて、片腕で身体を支えながらボレロを脱いで、ブラウスのボタンを外してゆく。下着だけになって、それもさっさと脱ぎ捨てて、案の定湿ったドロワーズを下ろして、パンティを剥ぐと、一糸まとわない姿になった。
「綺麗だよ、真颯……」
「杏佳さ……あっ」
杏佳が立ち上がった気配がした矢先、細い布が頭に巻きついてきた。急に視界が覆われた。真颯の脱ぎ捨てたばかりのスカートの、ウエストリボンの片割れだ。
「お腹、気持ち悪い……も、ぉ、立てません、杏佳さん……」
「そう」
「きゃっ」
「十数えたら、膝ついて良いよ」
「…──!!」
胸にちくりとした痛みを覚えた。
きつくつねられた時に似たそれは、乳輪を囲って広がっていく。
「ぅ、あっ……うぅ、く……クリップ……?」
「洗濯ばさみの小さいやつ。白い肌を傷付けちゃもったいないから、スポンジ貼ってあって怪我はしないけど、目隠しあると怖いでしょ。ほら、もうすぐ十。……八、九、十。はい終わり」
「はぁ、はぁっ……あっ、……」
真颯の身体が崩れ落ちる。
すぐ側に、杏佳の屈んだ気配がした。真颯の顎が杏佳にくいと持ち上げられた。
「さぁ、仔猫ちゃん?もう鎖に繋がれたみたいに動けない。痛がってた割りに良い匂いが漏れてるよ。お行儀の悪い子」
顎から喉にしっとりした指先が伝っていって、それが首に巻きついてきた。喉がみるみる圧迫される。
「ん、んんっ……」
「柔らかな首。真颯が気持ち良いのも痛いのも苦しいのも、全部私が握ってる。どんな気分?」
「幸せ、です……怖くありません……杏佳さんに触れてもらうの、大好き……」
真颯は膝を立てたまま、杏佳に太股を開かれる。とろしたものがとめどなく滲んでいよう密壺に、無機的なものが触れてきた。
「あっ、っ!!」
ほぐれきった膣の中が、ほんのり冷たいものでいっぱいになる。スイッチの入った音がして、下腹部が突然の振動を得た。
「あっ、ぅっ、んんっ、ぁ、はっあっ、……」
真颯の中で、小刻みに震える異物が、上下してはぐりぐり回って、回っては上下する。
腰が自ずと暴れ出す。声だけが満足に出ない。締めつけられた喉の自由が利かなくて、スカーフをくわえさせられた時より苦しい。
「……っ、……はぁ、止めて、ああん、バイブやだぁ、くっ……、ぁっあっ、苦し、のに、気持ち、良すぎますぅぅっぅ……」
「大きい玩具に犯されて、ほんと、恥ずかしいネコだ。後ろは外だよ?」
「ん、んんぅぅぅ……ああっあ!!」
「ほらほら、もっと淫らに腰振らなくちゃ」
「はぁっ、ダメ、もう……あっあああぁっ……」
脳裏に閃光が走っていった。
真颯は、たった刹那のショックから、夢より甘美な夢にいざなわれる。されどすぐさま頬をぶたれて、はっとする。
ようやっと首が軽くなって、正常な呼吸を取り戻せた次の瞬間、洗濯ばさみでつねられたままの乳房を鷲掴みにされた。
「イッても今夜は休ませないから」
「あっ、ああっ!!?いや、だめ、もう抜いてぇ、あああっっ……」
乳首を垂直に練り込まれながら、膣内が、いっそう激しくかき乱される。
神経が均衡を失いそうだ。何が何だか分からなくなる。小さな絶頂が、何度も何度も通りすぎてゆく。
「真颯のいやって、良いってことでしょ。……そうだ。今夜は、これから嘘言ったらお仕置き」
「そ、っ、んなぁ……」
扉が開いたのは、その時だ。
「どなたかおいでなんですか?鍵、誰もいないなら戸締まり──」
「やばっ」
真颯は目隠しを外して、杏佳の肩越しに扉を覗く。
「…──っ」
脳天に氷水を喰らわされた感覚がした。
『バニージュエル』のマドンナ、森園あづほがそこにいたのだ。
真颯は目が逸らせなかった。
目隠しを外した自分を呪った。あまりに知っている声が聞こえて、身体が自ずとそうしていたのだ。
くっきりした目鼻立ちに凛としていながらたおやかな雰囲気、あづほのラズベリーピンクのメッシュの入った焦げ茶色の長い髪は耳の近くで一つにまとめてあって、腰に届く長さがある。彼女は、裾に白い蝶が編み込んであるボルドーのニットのタートルネックセーターに、同系色の荊のボーダーが入ったサーモンピンクのフリルスカートをとり合わせていた。スタッズの散りばめてあるショートブーツと絶妙なバランスだ。
ぞわっ、と、柔らかな気配が押し寄せてきた。安らぐのにかなしくなる。
そうだ。あづほがいると、触れられないはずの気体が、いつだってこんな質感になっていた。
「はぁっ、……」
「あんた、あの……」
「待っ──」
「お邪魔しました!」
振り絞らんばかりの声が聞こえてきて、扉がばたんと閉まった。
駆け足の音が遠のいていく。
「…──っ」
「……うっ……」
「真颯?!」
視界が滲んだ。胸の奥底に眠っていた、とうの昔に渇いたはずの何かが切れた。
「杏佳さん……わた、し……うっ、ぐす……」
真颯は杏佳にしがみつく。
この優しい人になら、これだけ気軽に縋りつける。このかなしい人なら、真颯がどんな風だって、受けとめてくれる。
されど、ここに愛はない。ラビットジェイドの力を封じられるだけの見返りはない。ただ一緒にいるだけで、ただ足りないものを埋め合うだけの関係だからだ。
「見られ、たくなかった……あづを、す……」
好きだったから。好きだから。
口にしてしまえば何かが壊れる。それで口にしなかったのは、自分に対する言い訳だったのかも知れない。
* * * * * * *
週明け、あづほが『バニージュエル』に出勤すると、工房はいつもとまるきり変わらなかった。
当然だ。親しい同僚達は、皆、他人のあんな場面を目撃したことがないのだ。
否、違う。あづほが見たのは、赤の他人のそれではない。あの女性は、似ているどころのものではなかった。本人だった。
花桐真颯。
彼女はあづほの高校時代、同じ手芸部で仲良くなって、クラスも一緒で、大学に進んでも一番の親友だった。卒業して、めっきり連絡が途絶えたものだ。
あづほから連絡は寄越さなかった。真颯から連絡をくれるのを待っていた。あづほは、自分が真颯にとってどれだけの存在だったのか、その時こそ確かめたかった思いがあった。
我ながら思い上がったことをしたものだと、今になって馬鹿馬鹿しくなる。そして昨夜、はっきり分かった。あづほの本当に望んでいたものを、真颯は他の女性に望んでいたのだ。
あづほは午後の仕事が一段落すると、志菜に買い物に誘われた。三時のお茶の菓子を調達するから、荷物持ちをして欲しいとのことだった。
昼食時を過ぎたスーパーマーケットは、良い具合に空いていた。
「今日、しけた顔をしているわねぇ。恋人と喧嘩?」
「恋人はいません」
「……そうだったわね」
志菜が、ぎっしり菓子の並んだ陳列棚から、ビスケットやらチョコレート菓子やらを放り込んでいく。あづほの腕にかかった買い物かごが、みるみる重みを増してゆく。志菜のあまりに早い選びっぷりは、何も考えていないようにも見てとれる。
「貴女をお茶に誘って断られたっていう社員の話、しょっちゅう聞くわ。お得意先の重役達だって、一目噂の美人に会ってみたいと仰るから、私、貴女に一応は持ちかけてみるのだけれど」
「申し訳ないですが、お受け出来ません」
「……そうよね」
「私がお断りすることで、相瀬社長のお仕事に差し支えが出るのでしたら、辞令でも何でも出して下さい。そもそも、私は、皆さんに興味を持っていただけるような器量を備えた人間ではありません」
「実は密かに想っている人が?」
「もう会うことはないでしょうけれど」
「初耳ね」
「私は彼女の他の誰のものにもなりません。あの人以外の誰かの意に従わなくてはならなくなったなら、それが社長でも、潔く首をくくります。好きになった人が、偶然、女性だったから。……そんな夢物語みたいな言い草も、嫌いです。偶然なんてありえません」
「似てるわ、そういうとこ。貴女とはまるで正反対のライバルと」
「ライバルですか?」
「倉庫にいるのよ。森園さんと人気を二分している社員」
「…──っ」
「彼女は、愛する人だって愛していると認めようとしないから、貴女とは違うかも知れないけれど。私、彼女に昇格を持ちかけたことがあってね。見事にフラれたわ。上の立場になれば、それだけ会社に貢献する必要がある。自分の心は自分だけのものだから、それは無理だって。恋人だって面倒臭い。何のために生きてるかって、その答えを特定のターゲットに押しつけるみたいで嫌なんですって。それなのに、役職なんて持たせないでくれだって」
「個性的なお考えの人ですね……」
「『バニージュエル』の代表として、私は、貴女達みたいな人材を、本当に欲してきたのだと思うわ。大抵の企業は、下に媚を売らせたくてうずうずしている。正直者は異端視される。何が楽しくて、おんなじような人間ばかりを集めたがるのか……。見返りがあって売らせた媚に、何の価値があるのかしらね。押さえつけて満足している。私は、独りよがりなあんな人間を反面教師にして、快感を得るの」
「そうなんですか?」
「だから、貴女も」
買い物かごが、ずっしり重たくなっていた。
あづほは、志菜のぱちりとした大きな目を向けられていた。
志菜のアップにした髪は、今日も色んなアクセサリーが盛ってある。『バニージュエル』の工房で出来たものがほとんどだ。あづほより七ほど年上なのに、あづほよりずっと可愛いげがある。
あづほは、何もかも話してしまいたい。志菜なら泣き言を受けとめてくれるかも知れない。
昨夜あんなものを見た所為だ。今なら素直になれる気がする所為だ。
「社長」
「んー?」
「もう会えないと諦めていた人がいます。彼女がどこかで幸せになってくれていること、願うことが、私の幸せでした」
けど、と、あづほは買い物かごを反対側の腕にかけ直す。
「本当のところを知るまでは、諦めては……悲しいですよね?」
「──……。……そうね」
* * * * * * *
とっくに諦めた恋だった。友情に見せかけていただけの恋だった。
それでも、あんな再会は酷すぎる。
杏佳が咄嗟にバイブレーターを抜いてくれたのは不幸中の幸いだったが、辱しめに濡れた身体は、いかにしてもあの美しい目を誤魔化せなかった。
真颯は、今朝から業務に身が入らない。初めて杏佳に身体を求められた翌日も、これほど体内がどろどろしていたことはなかった。
「真颯」
やにわに囁くようなメゾの声が間近で聞こえて、真颯のラックに伸ばした片手に、女性の手が重なってきた。杏佳だ。
「顔色悪い」
「……平気です 」
「…………」
真颯は、俯いて黒目を動かす。
杏佳の悩ましげな一重の目許にあえかな憂いを湛えた眼差し、通った鼻梁、シャープな頬と甘ったるい果実を彷彿とする唇は、相も変わらず妙なるバランスがとれている。日によって微妙に雰囲気の異なるそのスタイルは、今日はスカートをとり合わせたフェミニンなものだ。
あづほより先に逢っていれば、杏佳を愛していたろうか?そして、決して誰を愛することもしない杏佳にありったけのものを押しつけて、勝手に悩んで苦しんで、やはりこんな気持ちに切り裂かれそうになったのか。
もっとも、真颯は杏佳に、恋こそ面倒なものだと諭されたことがある。
人とは何もないところに生まれて、何もないところを生涯彷徨い生きるものだ。夢だの希望だの、何もないところで捏造されたきらびやかなものに指先だけ触れては、一時の享楽を幸せなものと錯覚して、明日に期待するものだ。が、結局、手の中には何も残らない。愛も同じだ。初めから何も持たなかった人間が、自分と同じものから出来ている人間に縋ったところで、自己満足でしかない。相手だって何も持っていないのだ。
杏佳が愛とは独りよがりな責任転嫁だと話していた表情(かお)は、悲しげだった。
あの時、真颯は杏佳が何を言わんとしていたのか、よく分からなかった。
「今なら、杏佳さんが恋を疎んじられる気持ち、少し、分かります」
「真颯……、そのことだけど」
「この世に意味のあるものはない。そうかも知れません。目の前にある楽しいことも、悲しいことも、個人がつくった幻想ですもん。……さきを好きになったのも、杏佳さんにどきどきするのも、実体としてのかたちがない。そんなものに支えられようとしては、やっぱり何も残らないかも知れません。私のこの先の生き道に、何も見付からないかも知れません」
「──……」
「でも、だから、……」
真颯は片手をくるりと返して、杏佳の片手をぎゅっと握る。
「今だけで構いません。この手を、繋いでいて良いですか?」
「…──っ、真颯……」
私は貴女が、と、杏佳の唇が小さく動いた。その時だ。
「仕事中にごめん、花桐さん、お借り出来る?」
扉が勢い良く開いたかと思うが早いか、志菜が、彼女にしては珍しい大股で歩み寄ってきた。
* * * * * * *
真颯は、志菜がいつも買い出しに利用しているスーパーマーケットへの道のりを、歩いていた。半日振りに顔を合わせたあづほも一緒だ。
意図してか、偶然か。
志菜の思惑が解らない。ただ、真颯は志菜に、買い損ねたものがあるから買ってくるよう、言いつけられた。そこで、折角だからと、普段は顔を合わせない工房の従業員と組まされた。それが幸穂だったのだ。
あづほの態度は、拍子抜けするほど変わりなかった。昔と同じだ。昨夜の現場を夢だとでも思っているのか。それとも、真颯がどこで誰と何をしていても、関係ないのか。
真颯はもどかしさに胸が詰まる心地がしながら、このまま止まって欲しいような時の中にいた。
「連絡、しなくなっちゃったね」
「……うん」
「さき、忙しいといけないし……私、不定休のお仕事してたし、休みとかも多分合わなくて、なんか……しづらくて」
「今と同じだよー。忙しくなんてなかったのに」
「……うん。──……」
本当は違うのだ、と、真颯は心の中で叫び出したい思いでいっぱいだ。あづほに連絡を寄越さなかったのは、彼女からのメールを待っていたからだ。
「…………」
「ね、真颯」
「あ、づ──」
「真颯は、月ヶ崎さんが好き?」
「…………」
「私は真颯をずっと待ってた。連絡しなかったのは、真颯の気持ちを知りたかったから。……友達同士だったけど、真颯以外に興味なかった」
「…──っ」
「可愛いのも、愛おしいって思うのも、真颯だけ。重たい?迷惑?……下心があって一緒にいたって思われたって仕方ないね。でも、言ってすっきりしたかった。聞いてくれて有り難う」
「…………」
真颯は、夢でも見ている気分だ。実際、これは夢ではないか。
「だ、だって私、あんなこと……私もあづを好きだったって言ったって、信じられるの?あづとおんなじ気持ちだったって言ったって、そんな……都合の良い偶然……」
「偶然じゃないよ」
真颯の、シャーリングの寄せてあるところから広がったレースの袖口が、ついと引かれた。
あづほが足を止めていた。
「偶然なんてありえない。この気持ちは誰かにつくられたものじゃないから。私自身の全てだから。真颯が私を好きじゃなくても、私は真颯が好きだよ。私が世界(ここ)にいる限り、真颯と過ごした時間は消えない」
「あ、づ……」
「真颯が私を忘れていていても、きっと、私は真颯を忘れなかった」
たった一人で生きていくことになっても。
あづほの、声にならなかった想いが聞こえた気がした。
「…──っ、……」
真颯はあづほの片手を握る。
顔を上げると、記憶よりひとしお綺麗になった親友が、否、きっとこの先パートナーと呼んでゆくのだろう女性がいた。
「む、胸が……」
「真颯?」
「苦しいよぉ……胸がいっぱいで、苦しいよぉ……」
真颯の上体が幸穂の腕の中に収まる。細い腕が絡みついてきて、懐かしいのにどきどきして、ただただその肩にしがみつく。
「あづ」
「ん?」
「杏佳さんにお別れ言ったら、虫の良い女だって思われちゃうかな。……いっか。付き合ってなんてなかったし、杏佳さんはカッコ良いけど、あづの代わりになんないよ」
こんなにも、こんなにも、満たされる。
真颯を抱いてくれていた腕の力が強まって、あづほが綺麗に笑ってくれた気がした。
──fin.
妖精カテドラル