ゴールデンウィーク真っ只中の皐月の頭、観光地やレジャー施設は、どこも人で賑わっていた。

 神無月純(かんなづきじゅん)は、この国民的連休に、とある村を訪ねていた。昔から姉妹似ないと評判の妹、神無月澄花(かんなづきすみか)と、恋人の、同棲している仲でもある文月乙愛(ふづきおとめ)も一緒だ。

 村は、見渡す限り、山や田んぼが広がっていた。民芸やら農産やらが盛んで、隠れた観光名所が散らばっていることで有名だ。

 三人が宿泊している温泉宿は、建設されてまもないという。その佇まいは寝殿造を彷彿とするもので、盆栽や植え込みが所狭しと配置された日本庭園が構えてあった。

 純と乙愛、澄花がこの村を訪ねてきたのは、知人の企画したお茶会に参加するためだ。

 知人、すなわち湖畔あずな(こはんあずな)という名の女性は、いつでも手製の洋服やら小物やらで装って、クラシカルロリィタの姿をしている。流行に感化されないナチュラルな素材や色を好んでいるようで、その姿は、さしずめ森に棲まう妖精だ。
 あずなは、大学を出て一年後、個人製作ブランド『ドクイチゴ』を始めたという。そして近年、それが軌道に乗っていた。五年近く続けてきた甲斐あって、今年、実店舗をオープンした。

 そんなあずなが初めて企画したお茶会のドレスコードは、「気合いの入ったストリートファッション」だ。

 純は、この道三十年のゴシックパンクだ。途中、わけあって純白のゴシックロリィタに脱線したことを除けば、思春期の頃から、このスタイルが定着している。
 乙愛は純白のロリィタだ。大学に進学した時期、つまり三年前から、当時の純に憧れて、白をまとうようになってくれたらしい。あずなの『ドクイチゴ』のベーシックラインの洋服に出逢ったのもその頃で、以来、ずっと彼女のつくるものを身につけていた。

 つまり、二人、あずなの提示するドレスコードに該当出来る。
 澄花は全くファッションに無関心だが、純がインディーズアーティストをしていた頃、そのスタッフをたった一人で務めてくれていた。今回は、その辣腕に目をつけられて、あずなにお茶会の進行サポートを頼み込まれていたのである。

 お茶会は、今日、夕方始まる。そこで、三人、折角だから二日前からこの村に滞在して、観光を楽しんでいたのである。

 純と乙愛は宿の客室で、髪や化粧の相談をしていた。

 「うん、乙愛は、髪を下ろそう。ウィッグで巻き毛にしてみて欲しくて持ってきたけど、湖畔さんはこのヘッドドレス、地毛に合わせて欲しがっていたみたいだし」

 「純様も地毛ですの?あたし、純様のロングも好きでしたわ」

 「ああ、あれね……。髪、長いと、やっぱり邪魔だし」

 純は、自分の肩にかかるくらいの金髪を、手櫛でとかす。
 シャギーに鋤いた金髪は、ゴシックロリィタの姿でインディーズアーティストを生業としていた時分、ウィッグで長く見せていた。
 純は、生来の顔立ちがあまりにきりりとしていたために、澄花に、いっそ皇子になった方が板についたろうにとけなされた思い出さえある。ゴシックロリィタという甘い装いが定着しなさすぎた所以、髪だけでもたおやかに見せていたのだ。

 「あたし、どきどきして参りました」

 「緊張?」

 「お茶会なんですもの。それは、あずなさんは親しい方ですし、純様が前に主催されたお茶会で、里沙さんと田中さんだって、一週間ご一緒した仲ですわ。けれど、今回は初めて顔を合わせる方もいらっしゃいますし、お茶会自体、久し振りですもの」

 乙愛の清んだ双眸が、その膝元に広げてある、あずなの手製のワンピースとブラウスに向いた。

 ワンピースは、レースもリボンもコサージュも、全てが白で出来ていた。そのディテールはどこまでも奢侈でこまやかで、いっそ迫力がある。

 純は、その美しいワードロープより、それをまとう乙愛にそそられる。

 乙愛の濃く長い睫毛に縁どられた目許は、いにしえのプリンセスの光を彷彿とする崇高なものがあって、きめこまやかな真珠肌は、ともすれば世界中の美しいものをかき集めて出来たビスクドールのそれだ。高貴な雰囲気は、されど甘いあどけなさがまとわりついていて、肩にかかるくらいの黒髪は、綺麗に姫カットに整えてある。

 そこには、純のかつて愛した女性、今は亡き、彼女の母親の面影がある。

 もっとも、純が乙愛を愛したのは、あの女性の血を引いているからではない。

 「乙愛ははにかみ屋さんだね」

 純は、乙愛の白い姫袖から覗いた片手をとって、引き寄せる。

 「貴女は最高。乙愛が不安なら私が側にいてあげる。乙愛が眩しくて、もし貴女に色目を使ってくるやつがいても──」

 「…──っ」

 「私が貴女に、指一本触れさせない」

 顫える指先をふわりと上げて、櫻貝の色をした爪に、キスを落とした。

 淡雪の頬がぱっと染まって、大きな瞳が、うるっとたゆたう。

 「あっ、あの……あたし、緊張しているんですのよ。純様まで、どきどきさせないで下さいまし」

 「どきどきするの?」

 「当然ですわ!」

 「聞かせて」

 「え?」

 「乙愛の可愛い胸が、どんな風にどきどきしてるか、聞きたいな」

 「あぅっ、あぅ?!」

 「ねぇ、敬語、いつになったらやめてくれる?それとも私がもっとお願いしなくちゃダメ?」

 こうやって、と、乙愛のウエストを抱き寄せて、敏感な耳に囁きかける。

 「あぅ、純、様ぁ」

 その時だ。

 「おっとめちゃーん!サプライズプレゼントだよぉっ、お茶会参加してくれるお礼に、『ドクイチゴ』参考商品の、でもずーっと非売品になる予定の、クリスタルホワイトブーケチョー──……カー……」

 扉の開く音がして、神さびたメゾの声が、やけに大きく耳を打ってきた。

 純は、乙愛の片手に指先を絡めて、その身体をぬいぐるみよろしく抱き締めたまま、顔を上げる。

 「あっ、あああ……」

 開いたばかりの扉の側で、クラシカルロリィタの姿をした、ピンクブラウンのボブの髪の妖精が、口をぱくぱく開閉していた。

 そのまばたきがやけに多くて、チークに染まった頬が顫えて、色を深めているのは気の所為か?

 「お邪魔、しました?」

 この突然現れた妖精こそ、湖畔あずな、今夜のお茶会の主催者で、乙愛御用達のクリエイターだ。

 あずなの手許で、乙愛のためにこしらえられたらしい、クリスタルホワイトブーケチョーカーなるものが煌めいていた。

* * * * * * *

 あずなが主催のお茶会は、温泉旅館の裏庭にあるビアホールで始まった。

 午後六時になると、ここに、純と乙愛、主催者のあずな、司会進行役の澄花を含む、計八人の乙女達が集まっていた。

 「皆様、本日はお集まり下さいまして、誠に有り難うございます。いよいよ始まりました。我らが『ドクイチゴ』オーナーの、湖畔あずなの主催す──」

 「ちょっと待って!」

 澄花の早くもスイッチの入りかかっていた口上が、あずなの悲鳴に遮られた。

 あずなは、やはり今夜のドレスコードに相応しい格好をしていた。
 さらさらのピンクブラウンの髪はくすんだ赤や青の花の寄せてあるブーケを模したコサージュが飾ってあって、洋服は、オーガニックレースと共布フリルがふんだんにあしらってある水色のコットンの姫袖ブラウスと、生成のフリルスカートが合わせてあった。スカートは、ざっと七段あるフリルの波に、あえて緩く巻いてあるのだろう青いレースの薔薇がたくさん散りばめてあって、白いドレープがアシンメトリーに入ったデザインだ。スクエアカットの胸元は、三連のパールのネックレスが飾ってある。ネックレスには着色したレジンのウサギと花が盛りつけてあった。

 「何か問題が?湖畔さん」

 「田中!何であんたがここにいるの?!」

 あずなの視線の先に、やけに筋肉質な女性がいた。否、女性ではない。男性だ。

 男性は、縦ロールに巻いた黒髪に、黒いヘッドドレスに黒い洋服を合わせた、ゴシックロリィタの姿をしていた。

 彼は、名前を田中希壱(たなかきいち)という。二年前、純の主催したお茶会にも参加していた人物だ。

 「もちろん、イチコはあずなちゃんが参加を承諾してくれたから、ここにいるの」

 「田中イチコって、貴方のことだったの?!」

 「ほらぁ、イチコ、二年前に純ちゃんのお茶会に参加したでしょ。あの時は事件解決のための潜入捜査で、いやいやゴシックロリィタの乙女を演じていたのだけれど、イチコ、気付いたの。このお洋服が好き。美しいものが好き」

 「田中ノゾミって名乗ってなかった?名前が変わっているじゃない」

 「田中ノゾミはお仕事中のお名前ですもの。プライベートまでお仕事に縛られたく、ナ・イ・ワ。だからあずなちゃんがお茶会のメンバーを募集しているのを見付けた時、イチコ、新しいお名前でホームページの申請フォームにメールしちゃった」

 なるほど、それであずなは、イチコもとい希壱をメンバーから跳ねられなかったのか。

 もっとも純は、今回のお茶会に季壱が参加することは知っていた。しおりに記してあった名簿を見てぴんときたのだ。あずな以外、おそらく、二年前のお茶会メンバーは全員、気付いていたろう。

 「あずなさんに迷惑です。帰って下さい」

 やにわに、少女が一人、客席から立ち上がった。

 純が、今しがた聞こえてきた透明感あるソプラノの主を求めて視線を巡らせると、真向かいに座っていた松井里沙(まついりさ)の左隣に、金髪ツインテールの甘ロリィタの少女がいた。

 少女は、全身をピンク色のデコレーションケーキよろしく甘く甘くコーディネイトしていた。大きな目にピンク色の頬、そのかんばせは美少女と称するのに相応しくて、小柄な体躯は、貧相でこそないが、成熟しない瑞々しいドールを彷彿とする。年のほどは二十歳前後といったところか。

 「んまぁっ、最近の若い子ってば、何て無礼なの?イチコは刑事よ。年上を敬えない若者は、感心しないわ」

 「刑事なら刑事らしく分別をわきまえて下さい」

 「何ですってぇぇえ?!!」

 「心歌ちゃん」

 少女の左隣に座っていた女性がすっくと立った。

 女性は、はっとするほど臈たけた容姿をしていた。
 切れ長の目許によく映える、深い色を湛えた双眸、その真珠肌は目が眩むほどきめこまやかだ。形の良い唇は艶やかで、すっと通った鼻梁にシャープな頬、青の入ったグレーのメイクが、凜とした風貌に馴染んでいる。装いは、銀色のエクステの煌めくミディアムロングの黒髪を飾るコサージュから、洋服まで、全てモノトーンでまとめた皇子だ。

 「見ちゃダメだ。これ以上、君の綺麗な目は汚させない」

 「あ、あかねちゃん……あたし、あずなさんは同じ目標を持ってる先輩として尊敬してるの!初めて主催されるお茶会に、性別詐欺で参加してきたメンバーがいるなんて、気の毒で放っておけないよ。それにあたしが男の人無理なの知ってるでしょ?あたしの問題でもあるよぉ」

 「うん、だから、心歌ちゃんの澱んだ肺は、僕が後で洗浄してあげる。肺だけじゃなくて、目も鼻も、心歌ちゃんの隅々まで、辛いことは一緒に忘れよ?」

 「ほんと?あたし、いやな空気を吸っちゃって、苦しいよぉ……助けてくれる?」

 「心歌ちゃんは、僕だけを見ていれば良い。綺麗な目には、綺麗なものを映しているのが一番だ。可愛い身体が可愛いものにだけ包まれているべきなのと同じ」

 「──……」

 「…………」

 「……噂は本当だったのね」

 純の真向かいにいた女性、つまり里沙の唇から、憂いたっぷりの息がこぼれた。

 里沙も、二年前のお茶会に参加していたメンバーだ。

 彼女は某有名メゾンの直営店の販売スタッフをしていて、今やあずなの親友でもある。涼しげな顔立ちにすらりとした長身、黒檀の髪に白亜の柔肌をしていて、その優雅な身のこなしとクールな皇子姿がマッチしている、清楚だが華のある人物だ。

 「松井さん、知ってるの?」

 「黒髪の彼女は明星あかね(みょうじょうあかね)。私の職場のライバル社の直営店の一つの店長です。ピンクの彼女は水姫心歌(みずきこのか)ちゃん。明星さんの恋人です。二人は筋金入りのバカップルだと、業界では有名です」

 「──……」

 「…………」

 純は、とにかく澄花に司会を再開させようと判断する。
 心歌とあかねは二人の世界に入り込んでいるし、純だって、二年前、乙愛が側にいてくれるならどんな世界ででも生きていけると確信した。どうせ季壱に退場するつもりはなかろうし、構うだけ無駄だ。

 「澄花、司会──」

 純はあずなと澄花の落ち着いている一角を見て、ぎょっとした。

 あずなが、今にも泣き出しそうな顔をして、半巾を握っていたのだ。

 「どいつもこいつもリア充ばっかり……どうせ私は一人身よぉ……一生、いーえ、生まれ変わってもこの気持ちは気付かれないわよぉ……」

 純はあずなの口の動きから、見事にそのような泣き言を読み取った。








 澄花が開会の挨拶を再開して、列席者達の自己紹介タイムが終わった。それから各自、適当に席替えしながら談笑を楽しんでいた。

 純は乙愛と、椅子ごと移動してきた澄花を交えて、あずなの選んだお茶やお菓子を味わっていた。

 「そう言えば、乙愛はこのお茶とお菓子が置いてある店、行ったことなかったね。今度行かない?」

 「お店があるんですの?」

 「湖畔さんがお店を持つことになってこっちに引っ越してきた頃から、私、たまに会って話しているじゃない?いつもここで待ち合わせるんだ」

 「あずなさんのお気に入りなんですのね。行きたいですわ、純様」

 「お姉様。最近、湖畔さんと随分仲が良いけれど、どんなお話をしているの?」

  澄花がアイシングクッキーをかじりながら眉を潜めた。

 この、昔から装いより知識にこだわる妹は、かような宴の席でも質素ぶりが徹底していた。

 澄花の薄化粧の顔に今や定番の黒縁眼鏡と、片耳から垂らしたお下げの長い黒髪は、健在だ。それから今夜は、グレーの七分袖のカットソーに白いスカーフ、黒いデニムの膝丈スカートがとり合わせてあった。

 「『ドクイチゴ』のディスプレイを写メで見せてもらってコメントしたり、新作の案について相談に乗ったり、あと恋バナ」

 「なるほど」

 「恋バナって、どうせお姉様がのろけ話を聞いてもらうのではなくて、湖畔さんの愚痴をお姉様が聞かされるだけなんでしょう?」

 「湖畔さんも、悩んではいるみたいだよ。私がどういう経緯で乙愛と付き合うに至ったか、参考程度に聞かせてくれとまで言ってきたくらいだし」

 「答えて差し上げれば。しっかり者の妹にしつこく背中を押されて告ったんだって」

 「私は澄花のしつこさに折れたわけじゃない。それに、こういうのは十人十色。話しても参考にならないよ」

 純は、乙愛と馴れ初めた頃のことを思い起こす。

 乙愛と初めて顔を合わせたのは、二年前のお茶会だ。否、実際は、もっと前から、純は乙愛を知っていた。

 その昔、純は、最初で最後になるはずだった恋をした。相手は、乙愛の生母、聖音(さとね)という名の女性だ。
 純は聖音と十年近く交際していた。しかし、聖音が不本意の結婚をさせられた。二人の関係は変わらなかった。聖音が戸籍上のパートナーに無理矢理に組み敷かれて、一人娘を身籠った。それが乙愛だ。聖音の精神は、壊れていった。

 聖音は純を、あんなにも愛してくれて、自ら絶命した最期まで想ってくれた。

 それでも純は、あの女性と誓った生涯を裏切ってでも、乙愛の強い引力に囚われていった。
 純の中で、乙愛が聖音の娘でしかなかった頃は、その存在が怖かった。されど一人の生きとし生けるドールとして意識してゆくのに従って、抗い難い愛おしさが優っていった。

 「すみません、さっきから気になってたんですけど、一昨年頃まで歌手されてました?」

 やにわに、純の視界の隅っこに、ピンク色のシルエットが入ってきた。

 「貴女は……、水姫さん?うん、一応」

 「やっぱり!ネットで歌、聴いたことがあったんです。お名前一緒だし、声も似てるなぁって思ってました。あたし、あずなさんと、神無月さんにも憧れていたんです。オリブラされていたでしょ?いつも完売ばっかりで……、急にお辞めになった時は、もったいないの一言に尽きました」

 「有り難う。私の歌は、好きだった人に向けたものだったから。オリブラも同じ。必要なくなったんだ」

 「そっかぁ。乙愛さんに想いが通じたからですね!今はお歌の先生をされてるっていう噂は、本当ですか?」

 「うん、本当。……心歌さんこそ、聞くところによると有名人じゃない?あの皇子様だって、カリスマ店員でしょう?」

 「あはは、あかねちゃんは、調子良いところを接客に活かしてるだけですぅ」

 「そうだわ、水姫様!」

 純が心歌の力なく笑っている顔を見ていると、澄花の何やら閃いたみたいな声が割り込んできた。

 「司会のお姉さん!何ですか?」

 「不躾なことをお訊ねして良ろしいですか?」

 「難しいことでなければ」

 「実は、私達の友人に、二年近くだらだらと片想いをしている女性がいるんです。しかも、相手の方も満更ではないご様子なのに、双方、未だに他人行儀を貫いています。水姫様なら、この現状について、どう思われますか?」

 「最低」

 心歌の代わりに、別の女性の声が割り込んできた。

 「あら、明星様」

 「僕なら二年も片想いなんて生殺しも同然です。さっさと告って手に入れます」

 あかねの口調は、まるで簡単な数式でも解いている風合いだ。そして、その繊細な装飾の施してある黒い姫袖ブラウスから伸びた手が、いとも自然に、心歌の片手に絡みつく。

 「もし、告白してフラれたら?私達の友人は、強そうに見えて傷つきやすい人だから」

 「それは二度目の告白に備えるしかありません。ちなみに、二度目で失敗したら、三度目は強引な手段に出て下さい」

 「あかねちゃんお得意の、ベッドに押さえつけてキス?あれは効くねー。って、あたしの経験だけど」

 えへっ、と、心歌が可愛らしくはにかんだ。

 純と乙愛、澄花は、顔を見合わせる。

 ダメだ。自分達やあずなと、この二人とは、世界が違う。

 三人、無言の意見の合致を確信した。

 「お姉様!水姫様のお話が事実なら、一つ、方法があるわ」

 「何、昔の漫画みたく、事故でキスさせろって?自称刑事の田中がまた五月蝿いよ」

 「お姉様も乙愛ちゃんも、湖畔さんがマイクを握ると人格がお変わりになること、まさかお忘れではないでしょう?」

 「「あっ」」

 「そう。二年前のお茶会でカラオケした時、湖畔様と松井様は、ノリでキスなさったのでしょう?」

 「そっか……。またあの状況をつくれば」

 「お姉様、乙愛ちゃん。私、司会進行役として、この後のプログラムを書き換えます。『ドクイチゴ』の商品争奪ビンゴゲームをやめて、『ドクイチゴ』の商品争奪カラオケ採点勝負にするわ。幸い、機材はここの従業員の方々にお願いすれば、カラオケルームから運んできていただけるようだし」

 「わわっ、ご友人って、あずなさん達のことだったんですか?!」

 「あの妖精さんがどんな風に変貌するのか、怖い気もするけど……頑張って下さい」

 かくて澄花の働きで、もはや主催者より司会進行役が主導権を握りつつあるプログラムが始まった。







 澄花の思いつきで始まった『ドクイチゴ』商品争奪カラオケ採点大会は、二人一組のペア対抗戦で進んでいった。

 純は澄花の補助に回った。澄花が司会進行を務める以上、誰か一人がペアからあぶれることになる所以、率先して抜けたのだ。

 ペアは、あずなと里沙を始め、乙愛と心歌、そしてあかねと希壱に決まった。但し、あずなと里沙に関しては、澄花が裏工作した結果だ。表向きにはくじで決まったことになっている。

 「皆様、ここで1ラウンド目の順位をおさらいします。接戦です!最高得点は、湖畔様の見事なアイドルソングが九十二点!続いて二位は、乙愛ちゃんと水姫様のまさかのデュエット、神無月純のアーティスト時代の『楽園小夜曲』が八十六点を獲得しました!しかーしっ、明星様も油断出来ません!またしても神無月純の『ドールの恋人』で一点差の八十五点を獲得されています!これから2ラウンドに入るわけでございますが、まだまだ形勢逆転が見込めます!お姉様、今のお気持ちは?」

 「どうして私が?」

 「乙愛ちゃんペアも明星様ペアも、お姉様のお歌だったじゃないっ」

 「うん、そうだね……乙愛が可愛かった」

 「有り難うございます!乙愛ちゃんが可愛かったそうです!それでは今からラウンド目に入ります!皆さんも可愛く頑張って下さいねー!」

 澄花がマイクを握り締めて、この場にいる誰よりも盛り上がっていた。

 純は、二年前のお茶会を思い起こす。あの時も、ビンゴ大会やファッションコンテストを企画したものだか、澄花の司会進行の力の入りようは常軌を逸していたものだ。

 もしや澄花も、あずなに負けず劣らず、マイクを握ると人格が変わるタイプか?

 「里沙、次は任せた。里沙って歌劇以外だと何歌うのぉ?」

 「私もアイドルソングよ。最近は苺色ペンペングサや横断歩道渡り隊にハマッてる」

 「同感!私も苺色好きーっ」

 「心歌さん、次もデュエットしませんこと?」

 「賛成っ!神無月さんのぉ、あっ、『requiem』はカラオケに入ってましたっけ?」

 「入ってますわ。あたし、いつも歌いますもの」

 「あかね皇子ぃ、次はあたくしの番よねぇ?『札幌の女』で勝てるかしらぁ」

 「……良いんじゃないですか」

 純は、各々のチームから折り紙を回収して、そこに書いてある曲目を確認しながら、カラオケ機材に予約登録をしていく。

 乙愛と心歌は、純がかつてネットやライブハウスで披露していた楽曲を、延々とデュエットしてくれるつもりらしい。希壱は五十年ほど前に流行った懐メロを希望してきたが、幸い、機種に入っていた。里沙はあずなに引き続いて、アイドルソングを希望している。

 純がタッチパネルのリモコンを操作していると、悪魔の囁き、もとい澄花の囁きが、そっと耳に触れてきた。

 「そろそろじゃない?お姉様」







 乙愛と心歌のデュエットが終わって、希壱のソロが終わっていった。

 2ラウンド目最後の曲目のタイトルがスクリーンに出た瞬間、あずなが、あっ、と、声を上げた。

 「リクエストしたのと違います!」

 「そうですか?ちゃんと苺色ペンペングサです」

 「そうですけど、『禁じられた恋人達』って出てますよ。里沙がリクエストしたのは『ヘビーラブポーション』」

 「『禁じられた〜』は、思いっきりデュエットソングよね。神無月さん、一人では無理なので登録し直していただけます?」

 「ごめん、湖畔さん松井さん。リモコン操作、間違っちゃって」

 「どこをどうやれば間違うんですか!」

 純は、あずなと里沙が抗議してくるのもものともしない顔をして、ダマスクローズティーの入ったカップを傾ける。

 「ま、湖畔様、松井様。これも何かのご縁です。お二人でお歌いになって」

 「「はい?!」」

 「湖畔様。『ドクイチゴ』商品争奪戦カラオケ採点大会は、ビリになると罰ゲームです。一位の賞品は、湖畔さんにとっては無意味かも知れませんが、罰ゲームは私に任せて下さいましたよね?」

 「え、ええ……」

 「ビリの方にしていただく罰ゲームは、ここでスリーサイズの発表にしようかと思ってるんです」

 「ストップストップ、セクハラじゃないですか!」

 「嫌なら勝てば良いんです。全力で頑張って下さいね」

 純の傍らで、澄花がにっこり微笑んだ。

 そう言えば、最近、澄花が世話をしている政治家の人気が落ちたと聞く。もしや、このあまりに腹黒い策略家の助言か何かが、政界に影響でも及ぼしたのか?







 純の選んだ『禁じられた恋人達』は、血の繋がった姉妹の恋が描かれたデュエット曲だ。あずなと里沙には当てはまらないテーマだが、歌詞はがっつりラブソングのそれである。

 あずなと里沙のデュエットは、レベルアップしていた。

 二人とも、息ぴったりだ。おまけに、あずなも里沙も、公式の振りつけまで完璧だ。

 乙愛が涙ぐんでいた。心歌は大きな目をうるうるさせて、遠目からでも、鼻息を荒くしているように見える。

 「『♪この世に産み落とされた私に初めて微笑んでくれたのは 貴女でした』」

 「『♪きっと 私の最期の瞬間(とき)は幸せな貴女が側にいるね』」

 宴の席から、嵐のような拍手が起こった。

 あずなと里沙は、今にもキスしそうな顔の距離を保って、決めポーズをとっていた。純がいつだったか見かけたその楽曲の動画に出ていた振りつけと同じだ。伴奏がフェードアウトして曲が終わると、二人、名残惜しそうに、腕と腕とを絡みつかせながら、離れていった。

 「緊張……したぁ……」

 「あずな、可愛かったわ。デュエットは、やっぱりあずなが一緒だと歌いやすい」

 「そ、そう?里沙と一緒だから、アドリブは控えたんだ……」

 「そうだったんだ。あずなのアドリブ、私は好きだわ。今度はやってもらおうかしら」

 「今度?」

 「カフェやバーばかりのデートじゃ味気ないでしょ、お姫様?」

 「…──っ」

 あずなの顔が、ともすれば脳天を打たれたのではないかと見られる色に染まった。

 スクリーンの中で、採点ロールが回転している。

 良い雰囲気だ。しかしながら、この様子だと、また何の進展も望めないのではないか?しかも今回、キスもなかった。

 純が危惧していると、澄花がマイクを握り直した。

 「採点結果が出ました!九十点!ここで湖畔様と松井様に質問です。前回の神無月純のお茶会で、私が田中様とラウンジに呑みに行っておりました間、湖畔様と松井様は某歌劇団の歌を歌われて、ノリでキスなさった噂がありますが、その真偽は?」

 「澄花?!」

 「司会のお姉さん!」

 純は心歌と二人揃って声を上げた。乙愛もはっと瞠目している。あかねは澄花に拍手を送りたそうな様子だが、いくら何でも、今のは単刀直入すぎる。

 「んまぁっ、人前でそんなことするなんて、破廉恥!」

 「田中さんは黙ってろ」

 「さぁさぁ、では、代表として松井様にお答えいただきましょう」

 澄花がいかにも事務的に、里沙にマイクを向けた。

 里沙の佇まいは、禁断の恋をしている乙女より、やはり姫君を慈しむ貴公子を彷彿とする。一重の目許に煌めく双眸は清らかで、伊達にクリスチャンとして信心深いわけではないのだろう。その瞳は、隣にいる妖精国の姫君を捕らえる時、ひとしお優しい色になる。

 里沙の薄い唇が、そよ風に揺れる花びらみたいに、そっと動き出す。

 「ノリというのは、ちょっと違います」

 「「「…──?!!」」」

 「今も、しようか迷ったんです。実は」

 「あ……里、沙……」

 でも、と、里沙がちらとあずなを見た。

 「ノリに見せかけるのは、やめます。こういうのは、その、二人きりの時に……」

 里沙があずなの手をとって、二人の手と手がもつれあう。

 とろけんばかりの眼差しが、まるで紅茶にとかしたミルクみたいに交じり合って、切ないくらいに熱いものが二人をとりまく。

 「続きは、後でね」

 「うん」

 「──……」

 「…………」

 ああ、これで今度あずなの贔屓にしている件のカフェに行った時は、少しは甘ったるい話が聞けるようになるかも知れない。

 純は、たまらなく乙愛のいる定位置に戻っていきたい気分になった。







──fin.
妖精カテドラル