あれだけ構えて迎えた年も、実際に明けると、何でもなかった。
毎日は、ただでさえめまぐるしい。そこに拍車がかかるようにして、特に儚く感じられるから、多分、年末は胸が騒ぐのだ。さりとて変わるのは年号だけだ。実際は、今日が明日に、昨日が今日になるだけだ。
それでも、新年最初の一日は、やはり世界が、真新しい空気にとり巻かれる。世間が世界をそんな風に仕立て上げているからか、それとも、この冬の寒気がこの時ばかりは華やぐからか。
別段何をしたわけでもない内に、三が日も終わっていった。
新年最初の土曜日の午後、乙守つきは(おともりつきは)は「妖精横丁」を訪ねていた。同じ大学に通う同じ寮のルームメイト、そして同じ演劇部に所属している颯天千早(はやてちさき)も一緒だ。
「妖精横町」とは、駅に近いオフィス街を少し外れた小路を入っていった辺りにある繁華街だ。
初めて訪ねてゆくには若干迷いやすいここは、古着屋や雑貨屋、駆け出し中のクリエイター達の露店や、カラオケルームに喫茶店、洋服屋が所狭しと並んでいて、ごちゃごちゃしている。そして、青文字系ファッションを好む若者達の、いわゆる聖地だ。
ここには、実はひっそり神社がある。
「妖精横丁」の東側、ここらもやはり雑多としていて、所狭しと続いた店屋の店先は、インポートやらヴィンテージやらが並んでいるのがことに目立つ。
その一角に、鳥井が紛れて建っているのだ。
つきはは千早と、この神社で初詣をしていた。ここならこの後、初売りバーゲンに回れるからだ。
「せーのっ」
つきはと千早、二人同時に、紅白のめでたい鈴緒を掴んで、本宮の本坪鈴を揺らす。
からん、からん、と、いかにも神の呼び鈴らしい重厚な音が、真昼のざわめきにとけてゆく。
賽銭を投げて手を合わせる。
つきはは、住所と名前、それから願い事やら日頃の感謝やらを心の中で唱えると、千早と一緒に、さっさと社を離れていった。
「つき長ーい。また住所と名前を呟いてたの?」
長蛇の列を離れたところで、つきはの耳に、悩ましげな透明感をまとった声が触れてきた。
つきはが黒目を動かすと、今日のデートの相手、もとい初詣の相手ならびに初売りバーゲンの戦友が、そこにいた。
千早の化粧で目尻を垂れがちに見せかけてある甘ったるい目許はどこか憂いを帯びていて、通った鼻梁に小さな鼻、薄い唇、それらのパーツはいとも甘ったるい官能的なものがある。長い黒髪はストレートともウェーブともつかない妙なる線を描いていて、その出で立ちは、いつも、そのファッションドールなど比べ物にならない肉体美を引き立てる、あえかなものだ。
今日も、千早は、くすんだ水色のフェイクファーのショートコートに、一昔前にもてはやされた、絶対領域を叶えるシフォンのミニスカートを合わせていた。コートの下は、確か、チョコレートカラーの小花柄の入ったカットソーだった。開いた襟ぐりが色っぽくて、きゅっと締まったウエストから脚にかけてのラインに、目のやり場に悩まされたものだ。
つきはは売店に向かって歩きながら、千早に話す。
「お詣りする時、住所と名前を心の中で呟くと、神様にちゃんと覚えてもらえるんだって。お母さんが言ってたの」
「まじ?……やだな。いくら相手が神様でも、つきのプライバシーが守られないの」
「心配してくれるの?ありがとぉ。でも、こんなにたくさん人がいるんだもの。お願い事や感謝だけを伝えても、神様は誰が誰だか分からなくなっちゃうんだって。でも、千早ちゃんは美人だし、こんなことしなくても印象残ると思う」
「またお世辞言うー。私が覚えやすい顔なだけでしょ」
「うそうそ」
つきははぴたりと足を止める。
絵馬やらお守り、おみくじやらが扱われている売店も、まだまだ行列が出来るほどの盛況だ。
年が明けてはや四日、皆、考えることは同じらしい。
「千早ちゃんが美人なのは本当だけど、神様の世界には神様のルールがあるんだろうし。千早ちゃんがお願いしそうなこと、代わりにお願いしちゃったぁ」
つきはは、えへ、と、千早に笑う。
一陣の風がふわりと吹いて、つきはの着ているワンピースの裾が、たゆたった。
今日は、初詣で初売りバーゲンのために出てきたものだが、新年が明けて、千早と初めて会えた日でもある。
つきはも千早も冬休みは帰省している。実家は二人とも圏内にあるが、それでも、年末年始は会えなかった。
だからめかしこんできた。
ただでさえ保つのに手間のかかるチェリーピンクの巻き髪は、昨夜念入りにカラリングをかけ直したし、大好きなロリィタメゾン『Spirit Twinkle』の洋服は、この日のために新調したものを今日まで着ないでとっていた。
つきはは、色とりどりの小さなリボンが襟やら胸やらにあしらってあるパステルピンクのブラウスに、白いレースプリントのチェックをベースにストロベリーピンクのドットが散りばめてあるワンピース、そしてAラインのふかふかの白いコートを合わせていた。ついでに、ストラップシューズと大きなウサギの背中にファスナーの付いたポシェットも、新品だ。
「可愛いのは外見だけにして欲しいわ。どんなことお願いしてくれたの?」
「えっとねぇ、無病息災に家庭円満、交通安全、それに世界平和でしょ、商売繁盛に、皆が幸せになれるようにと、千早ちゃんが次の舞台でもヒロインに決まりますようにって、ここは強調したよぉ」
「ヒロインはつきだよ。演目何に決まるかまだ分からないし、今度こそつきな予感」
「そんなことないよぉ、千早ちゃんだよぉっ」
つきはは、大分短くなってきた売店の列に並びながら、拳を握った。
演劇部で公演する舞台の配役は、通常、部員達の投票で決められる。つきはは千早と、一回生の時から一緒にいるが、この美しい友人は、当時から同級生にも上級生にも人気があって、初舞台から娘役一番手を連覇してきた。キャスト投票に備えて、かたちばかりは皆の前で台詞を読むプレゼンテーションの機会はあるが、千早が今後も記録を絶やすことはなかろう。つきはは三番手くらいがしっくりくるし、家族には向上心に欠けているものだとけなされるが、千早と同じところを目指そうという気はしない。
「つき」
当たり前みたいに名前を呼んでくれる、優しい優しい声が笑った。
「一つお願いし損ねてる。一番大事なお願いだよ」
「えっ、何なに?!」
「つきが幸せでいられますように。……こうお願いしておけば、つきのキャスト入りや健康、厄払いとか、こまごまとお願いしなくて済むでしょう?うっかり祈願漏れする心配もない」
「…──っ、も……もう……」
「でも」
「…………」
「やっぱり、お互い今の一番の願いは、次の新歓の舞台のオーディションね。私は、たまには裏方も経験しておきたい気もするけれど、将来のために度胸は欲しいし、なるべく経験は積んでおきたくない?」
「あ、うん……そうだね」
千早はいつでも真っ直ぐだ。
つきはと千早、二人揃えば、大抵芝居の話題になるものだが、千早の場合は役者一本を志していて、そのための心構えも器量も備わっている。
一方、つきはは表現するという行為そのものが好きで、そこが千早と大きく異なる。
つきはは演劇部にいて、自分なりに真剣に芝居を極める努力はしている。それでも、目指しているのは千早と同じレールの上ではない。それで中途半端になるのか。こんな時でも、一番に神に願うのは、芝居に関することではない。
千早とずっと一緒にいたい。
本音を言えばそれだけだ。
「あ」
「どしたの?」
「つき、自分の商売繁盛もちゃんとお願いした?」
「ああ、一応」
「『乙女ドロップ』、来週は久し振りの出展だもんね。つきと舘花ちゃんの個人製作ブランド、応援行くわ」
「また?!嬉しい!」
「二人の作風好きだから、また休日の楽しみが増えるわ」
「ありがとぉ……さやかちゃんも喜ぶよぉ……」
『乙女ドロップ』とは、つきはが、舘花さやか(たちばなさやか)という友人と営んでいる個人製作ブランドだ。
さやかも同じ大学に通っている同級生で、学部は別だが、やはり入学してまもない頃、知り合った。つきはは甘ロリィタ、さやかは皇子で、何より『Spirit Twinkle』を好いている者同士、意気投合したのである。
「芝居は大根だし、色んなとこ不器用だけど……あたし、千早ちゃんやさやかちゃんと一緒だから、楽しく続けていられるんだと思う。カリスマロリィタ、……は無理だけど、演じて作れる表現者目指して今年も頑張る!」
売店の窓口が近付いてきた。
つきはは、やはり今年も、絵馬にしたためる願い事は例年と同じになるのだと思った。
* * * * * * *
つきはと千早は初詣の後、『Spirit Twinkle』の直営店を始め、若者向けのファッションビルや路面店を見て回った。
この大売り出し期間のチャンスは逃さない。
つきはも千早も好むものは全く違うが、各々、悔いの残らない買い物をした。そうして戦利品で両手がいっぱいになると、お茶が恋しい気分になって、行きつけのファーストフード店に立ち寄った。
二人が平素から行きつけているのは、「妖精横丁」の中心部、『Spirit Twinkle』の入ったビルの一階にある『Bunny Scramble』という店だ。
ここの『Bunny Scramble』はコンビニエンスストアが閉店した後に入ったテナントで、チェーン店も乏しいニューフェイスだが、その人気は絶大だ。
店内はフリーサービスの店舗とは信じ難いほど洒落た内装をしていて、学生でなくても入りやすい。メニューはなるべくオーガニックな素材が使ってあって、サラダやデザートも充実している。ドリンクは茶葉やトッピングまで客に選ばせるシステムだ。ハンバーガーが苦手な客にも、リピートされやすい傾向にある。
つきはは千早と、カウンターでメニューをテイクインすると、窓際の二人席に落ち着いた。
開放感ある店内は、白と暖色のパステルカラーでまとめてあって、流行りの歌がBGMに流れている。三が日を過ぎたばかりなだけあって、混雑していた。
「つきはさん?千早さん?」
やにわに鈴を転がすような声が聞こえた。
甘ったるくて、そして落ち着いた響きがあるその声の主は、すぐ脇を通りかかろうとしたウエイトレスだ。
「うさぎさん!」
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございますー」
「おめでとうございます」
来代うさぎ(きただいうさぎ)、ここの従業員の一人である少女が、にっこり笑った。
うさぎは言わずもがな業務中らしく、『Bunny Scramble』の制服に身を包んでいた。白とサックスのストライプのワンピースにネイビーのエプロン、その制服は、制服というより童話でまみえるエプロンドレスを彷彿とするものだ。
うさぎは、さような格好をしていても、ピンク色のイメージがある。その髪や瞳の所為だ。毛先だけベージュに染まったくすんだアッシュピンクの髪に、ワインレッドのコンタクト、私服もつきはと同じで『Spirit Twinkle』のピンク色のロリィタスタイルを好んでいるから、尚更だ。うさぎは、容姿もその名前に相応しく、ツインテールにくりりとした目許、そして小柄な体つきという、小動物を彷彿とする愛らしさが備わっていた。
「つきはさんスピツイ行ったんですかぁ?どうでしたぁ?」
「お買い得でしたよぉ。冬前に出たので恋するユキウサギシリーズ。あたし、それと花と乙女とリボンシリーズで迷って、当時は結局、花とリボンに決めたんですけど、ユキウサギがセールになっていて、しかも全色残っていたので、ピンクをお迎えしました」
「私も元旦ピンクお迎えしました!」
「ほんとですか?!」
「ブログ見て、これは逃せないなぁって。休憩時間に制服のままダッシュしましたー」
「そっかぁ、一階と二階の距離ですもんね」
つきははうさぎと盛り上がる。
うさぎは昨年まで専門学校に通っていて、卒業後、目標を目指しながらここに勤務している少女だが、好きなものも似通っていて、年も同じ、屡々、こんな風によく話すのだ。
「では、私は仕事に戻ります!お二人とも今年もよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いしまーす」
つきはは千早とうさぎに手を振る。
二人、今度こそお茶の時間を始めた。
今日は、よく顔見知りに会うものだ。しかも親しい友人に、よく会う。
つきははローズヒップティーと苺のミルフィーユ、千早はロイヤルミルクティーとシフォンケーキを味わっていた。
そうして二人の皿も底が見えてきた頃、また、『Bunny Scramble』のフロッキースプレーでウサギが描いてあるガラスの自動扉が開いて、見知った少女が入ってきたのだ。
少女は『Spirit Twinkle』の白の皇子服で身を固めていた。そのとり合わせは雪の色をした燕尾のコートに、銀と白の中間色で薔薇がプリントしてあるロングパンツというもので、袖口から覗いた銀糸の混じったフリルレースが、少女のいとも白い手の甲に、淡い影を落としていた。
その風采は、歌劇やら童話やらから抜け出てきた貴公子の如くだ。ショートともボブともつかないまばゆい金髪、そして完璧に化粧した顔は、どこまでも穏やかな眼差しを振り撒く双眸、通った鼻筋、甘ったるい台詞がいかにも似合いそうな口許、そんなパーツが揃っていた。
この少女こそ、舘花さやか、つきはが千早と同じくらい仲良くしている友人だ。
「さやかちゃん!」
「つきはちゃん、千早ちゃん」
「お買い物?」
「これからね。スピツイ行こうとしてたら、ここから二人が見えたから」
つきはは、立ち上がって側に積んであった椅子の一つを持ち上げる。
「あっ、つき──」
「つきはちゃん」
つきはが持ち上げたばかりの椅子が、千早とさやかに受けとめられる。
千早の手とさやかの手が、まるで一昔前にドラマやらCMやらで見られたバーゲンシーンよろしく、椅子の上で触れ合った。
「つき、ダメ。貴女はリボンより重たいものを持ってはダメ」
「えっ、えっ……?」
「つきはちゃんに重たい思いをさせるくらいなら、私は立つ」
「いや、あの、そんな大袈裟なものでは……」
つきはがおどおどしていると、手から椅子が離れていった。
千早とさやかが、示し合わせてでもいたように、つきは達の九十度隣に椅子を置いた。
「…………」
得も言われぬざわめきに、否、悪寒に近いものに迫られたのは、突然のことだ。
つきはは条件反射的に自分で自分の腕を抱く。
また自動扉が開いたようだった。
つきはは、恐る恐る、自動扉に視線を巡らす。
いとも愛らしいウサギの絵が描いてある扉の側に、女が一人、立っていた。
女は、目も眩むほどのカラフルな巫女服に身を包んで、鏡餅を積んだカートを引き下げていた。
「…──っ」
つきはだけではない。店内にいた客や従業員ら皆、女の姿を認めるなり、目を瞠っていた。
カラフルな巫女服に鏡餅を積んだカート、それだけなら、正月らしいセールスレディが訪ねてきたのだと解釈出来る。七色の髪に黒い口紅、それだって、「妖精横丁」では決して見かけないヘアメイクではない。
だが、女は、人間とは明らかに違った気配をまとっていたのだ。
「鏡餅はいかがですか?」
「何でこっちに来るわけ?!」
「千早ちゃん知り合い?」
「舘花ちゃんこそとりまきでしょ」
「君のが怪しいって!」
新年早々、つきはは悪夢の中にいた。
ここは間違いなく現実だが、例の鏡餅のセールスレディが、こともあろうにつきは達のテーブル席にやって来たのだ。
「結構です」
「便利な小分けと、正月気分を満喫出来る、大サイズがございます」
「結構ですってば」
「今なら松竹梅のストラップもお付けします」
「──……」
「…………」
つきははさやかの後方にいた。 そして彼女と、千早が女に対応しているのを見守りながら、ただただ小さくなっていた。
千早もさやかも大事な友人だ。
つきはも、ここは人情ならびに友情を働かせて、女に対応するなり通路側に座っているさやかに席を代わってやるなり、するべきところだ。
気持ちはある。あるのだが、動けないものは動けない。
つきはは、単純な恐怖だけに責められているのではなかった。
胸騒ぎがしていた。良くないことを思い出す。これ以上、この女の運んでくるオーラを肌に感じては、思い出してはいけないものを思い出す気がしてならない。
「千早ちゃん。つきはちゃんを守るのは私達の使命。ここは私達で鏡餅を買って、お姉さんに帰ってもらおう」
「……不本意だけど、仕方ないわね。おいくら?」
千早が、さやかと囁き合った後、女を見上げた。
「一つ○○万円です」
「はい?!」
「このサイズで?!」
つきはは、今度こそ言葉を失った。女の提示してきた金額が、鏡餅の値段の相場の何百倍も上回っていたからだ。
「ぼったくりだわ、そんなの売れるはずないじゃない」
「他のお客さんにお勧めすれば?物好きが買ってくれるかも」
「とにかく私達はバーゲン満喫中。お金ないから」
しっ、しっ、と、千早とさやかが女を追い払う仕草をする。
女のこめかみに青筋が立った。
その時だ。
「ヘイトリッド!また侵入してきたんだねっ、つきはさん達を狙うなんて、させないわ!」
甘ったるいソプラノが、厨房から聞こえてきた。
それはつきはのよく知る声、無邪気さと気品とを併せ持った声だった。
「うさぎさん?!」
つきはは、うさぎが女をねめつけているのを目の当たりにした。
ヘイトリッド?このセールスレディは外国人か?
うさぎは、この邪悪な女と知り合いか?
つきはの頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。そうしてつきはは、カートに積み上げてある鏡餅の山が黒い煙をまとい始めるのを認めた。
まもなく、ふっと、つきはの意識が遠のいていった。
「……っ……」
つきはは、自分の身体がびくんとしたショックから、目が覚めた。階段から落ちる夢を見た時に似た感覚だった。
「つき!」
「良かったー。具合どう?」
つきはが身体を起こしたのとほぼ同時、千早とさやかが駆けつけてきた。
「ここは?」
「『Bunny Scramble』のバックルーム。つきはちゃん倒れて、うさぎさんの教育係の莉代さんに手伝ってもらって運んだんだよ」
「つき軽いし、私がお姫様だっこしても問題なかったけれど。お姫様を落とす危険は避けたかったんだ」
「つきはさん、ごめんなさい。まさか失神されるほど怖がるお客さんが出るなんて、想定外で、ごめんなさい!」
うさぎががばりと頭を下げた。くすんだ桜色のツインテールがさらりと揺れた。
「あの……話が読めないんですけど……」
つきはは、とにかく泣きそうになっているうさぎに頭を上げさせて、説明を求める。
「鏡餅をセールスしていた女の人、実は『Bunny Scramble』からお呼びした、パフォーマーの人なんです」
「そうなんですか?!」
「この辺りは三が日を過ぎると、どうしても客足が落ちるそうなんです。そこで、『Bunny Scramble』の記念すべき初めてのお正月営業、四日目は、お客さんが吃驚するようなパフォーマンスを披露して、注目を集めることになりました」
「うさぎさんカッコ良かったよねぇ。正義のヒロインみたいな登場だった。それに後から入ってきた、泡沫めびな(うたかためびな)さん?あの子はアイドル事務所の子でしょ?」
「うさぎさんが鏡餅のお姉さんに『決着は正々堂々とお茶会で!』とか言い出して、お姉さんが『めびなのいないお前達に私に刃向かえない』って手から煙を生み出して。あのマジックもよく出来ていた。そうしたら、噂のめびなちゃんが登場。あの辺から、どうりで話が上手すぎると思ったわけ」
「うさぎさん。上の人に伝えて下さい。パフォーマンスは素晴らしかったけど、告知や宣伝はしておかなくちゃ。そうしたらもっと観客も集まりますし、つきはちゃんみたく倒れる人も出なくなるかと」
「本当、すごい完成度だったわね。私、自信なくしたわ」
「千早ちゃん来年は友情出演で挑戦すれば?」
「つきと一緒に出ようかなぁ」
千早とさやか、二人、頷き合っていた。
つまり、さっきの女はパフォーマーで、あのセールスも、芝居だったというわけか。
つきはは少しほっとしていた。
反面、やはり腑に落ちない。うさぎの話が本当でも、さすれば、あの悪寒や胸騒ぎ、それに目覚める間際のものは、どう説明つけられるのだ。
「──……」
つきはの片手に、昼間、本坪鈴を一緒に鳴らした以来に触れた手が、そっと重なってきた。
「千早ちゃん……」
「怖い夢でも見た?」
「何で分かるの」
「分からなくちゃ困るもの。つきが一人で怖い思いをしている時に、側にいて、大丈夫よって言えなくちゃ、困るもん」
千早の世にも甘ったるい目許がやんわり微笑む。凛とした煌めきを湛えていながら、穏やかで、それは天使の双眸の色を映したみたいな目だ。
「ごめんね。あの女の人が本当に怖い人だったら、千早ちゃんとさやかちゃんに迷惑かけてた。あたし、何も出来なくて。隠れてばかりで」
「つきは怖いのによく我慢したわ」
「ううん、うさぎさんにまで気を遣わせちゃって。うさぎさんのパフォーマンス、見たかった」
「私のは大したことないですぅっ」
「つきはちゃん」
つきはは千早と緩く指先を絡めたまま、さやかにすっと抱き寄せられる。
抱き締められる、とまではいかない抱擁は、とても温かくて優しくて、うっとりする。
「怖い夢、どうしたらつきはちゃんの中から消える?」
「さ、さやかちゃん……」
「千早ちゃんにはどうしてもらってるの?寮の部屋で、つきはちゃんが怖い夢にいじめられたら」
「あっ、ああああの、別に何も……!!」
というか、ここ、公共の面前だよ?!
つきははさやかに叫びたくなる。
そうだ。この女たらしの異名を持っても頷けるタイプの相方は、時々、脇目も気にせずこんな風に甘い言葉をかけてくるのだ。そして、時々、こんな風に恋人みたいに触れてくる。
いやではないが、素直に喜べないものだ。
「つき」
つきはの身体ががくんと揺れた。千早に腕をぐいと引かれて、さやかから引き離されたのだ。
「つきは、甘ぁいお菓子を食べれば元気出るのよね?それともハーブティー?以前、寝つきが悪かった時、カモミールのお茶を飲んでいたね」
「有り難う。でもあたし、もう十分寝たから……」
「じゃあ、うさぎさんに何かお菓子を持ってきていただくわ」
「あの、今日はもう、……」
大丈夫だ、と、つきはが口を開きかけるより先に、千早がうさぎに何か指示をした。
ピンク色のツインテールのウエイトレスが、ぱたぱた厨房に駆けていく。
ああ、いつもの日常だ。
つきはにとって、この日常こそ、自分をいやなものから守ってくれる、極上の薬だ。そして孤独から守ってくれる、あまりに愛おしい繭だ。
千早とさやかと、ずっとずっと一緒にいたい。
つきはは二人とは違うものかも知れない。ここではないどこかから来て、やはりここではないどこかへ向かっているのかも知れない。
物心ついた頃から、つきはは自分が人間にはないものを持っている感じがしていたものだ。
妖精になりたい。人間みたいにかたちばかりに囚われないで、何にも繋がれない存在でありたい。
つきはが『Spirit Twinle』に惹かれたのは、この甘くて軽らかな世界観が、妖精に焦がれる心身に、しっくりきたからだ。
それでも、年が重なってゆく度に、どんどんこの世界が好きになる。
つきはが妖精に焦がれるのは、人間を疎むからではない。譲れない自由への憧れ所以だ。
「千早ちゃん、さやかちゃん」
つきはは千早の右手が覗いた袖を、ぎゅっと握る。
「有り難う。怖い夢……見た気がしたけど、気の所為だったみたい」
こんなにもこんなにも、大事に想える人達がいる。
心の中に悪いものが入ってこられる隙なんて、ありえない。
──fin.
妖精カテドラル