そこは辺地にひっそりとある、某私立大学の講義室だ。

 いかにも放課後の雰囲気がたなびくその隅っこで、二人の少女達が語らっていた。一方は下級生、もう一方は上級生と見える。

 下級生と思しき少女の方は、ストレートの黒髪を耳より高いところで二つに結って、頭の天辺からつま先まで、華やかなフリルやレース、リボンで飾ってめかし込んでいた。
 もっともその風采は、巷でアリス族と呼ばれるタイプに属さない。くすんだパステルカラーや花やリネン、それらが至るところに取り入れてある装いは、自然界でまみえるニンフを彷彿とするものだ。少女のぱっちりした大きな目許、そして柔らかな曲線を湛えた頬に、薄紅色のシャドー、チークがそれぞれ刷いてあって、さして背丈もない成熟した女性のそれとは無縁の肉体は、それでいてとろけんばかりの色香があった。

 上級生の少女の方は、稀に見る臈たけた容姿をしていた。
 くっきりした垂れ目がちな目許に映える双眸は、丹念に磨いた黒曜石も色褪せようほど清冽で、愛嬌があるとも無愛想ともつかない表情(かお)は、されどあたたかみがある。そのオーラは白い。オフホワイトやら銀の混じった純白やらの洋服が、まるで身体の一部よろしく馴染んでいて、それらは奢侈なデザインでありながら、クールでどこかメランコリックなものがある。肩にすれすれかかる長さの黒髪は、絶妙なシャギーの効果所以か、軽すぎず重すぎない。

 『先輩。今日お昼いらっしゃらなかったので、先輩の分だけとっておきました。兄と一緒に作りました。良かったら受け取って下さい』

 ツインテールの少女の肩にかかっていたバッグから、巾着風の包みが出てきた。

 包みは、バレンタインデーという、いかにも浮かれたイベントを彩るのに相応しく、きらきらしていた。その見目は、袋口がサックスのリボンを留めたモールで絞ってあって、全体にハートを持った小さなクマが散りばめてある淡いピンク色のホログラムで出来ている、とびきり華やかなものだ。

 『ありがと。お兄さん、こんな可愛らしいの作るんだ』

 『はい。型抜きは私がやってたんですけど、お兄ちゃんは材料量ったりしてくれて』

 白をまとった少女の手が、包みを支えたツインテールの少女の手を包み込む。

 『あの、先輩……』

 『うさぎちゃん、そそりすぎ』

 『え?』

 『こんな人気(ひとけ)のないとこに来て、受け取れなんて、配り歩くようなチョコレートでやっていたら危ないよ』

 『あの、えと、あの……っ??』

 ややあって、白をまとった少女が件の包みを受け取った。ついでに、義理チョコレートの差出人のウエストを、引き寄せた。

 ツインテールの少女の耳に、媚薬の匂いをまとった息が吹きかかる。

 『それとも、危ない目に遭いたかったの?』

 『…──!!』

 ツインテールの少女の頬に、血色が浮かぶ。たゆたいやすい大きな瞳は、今こそ涙の膜が張って、気泡も針状結晶も含まない、無色透明の水晶の煌めきを帯びる。

 少女の肩が、仔ウサギみたいにふるりと顫えた。

 二人の少女の身体が、また、元通りの距離に戻った。

 『やっぱ可愛いよ、うさぎちゃん』

 『はは、うさぎじゃありませんってば』

 『そっか。卒業したらうさぎちゃんじゃなくなるね。もう遅いよ。婚約者が心配する時間じゃない?』

 『お姉様には、部活だって言ってありますから』

 妖精の姿をした少女の頭に、この世のものならざるような存在感をまとった少女の手のひらが落ちた。

 その手のひらは、さしずめ姉が妹をあやす優しさで、ぽんぽん、と、長い黒髪の分け目を叩いた。

* * * * * * *

 表通りに通じる駅前、その裏手はひっそりしていた。小路に外れて少し歩くと、石造りの屋敷を模した建物がある。
 その建物は、遠い海の向こうの童話の舞台にまみえるものを、聯想する。壁に黒とボルドーの中間色の薔薇を咲かせた荊が蔓延っていて、看板に、『レズビアンバー Fairy party』と記してあった。

 『レズビアンバー Fairy party』の店内は、異国情緒漂う空間だ。

 鼈甲色のランプに照らされた中、ゴブラン織りのカバーがかかったソファとラベンダーと木苺の木彫りがしてある木製のテーブルが、上手い塩梅に配置してある。アンティーク調の本棚は、レース編みの敷物がかかったところに、オルゴールやらぬいぐるみやらが並んでいる。小さな窓に、遮光カーテンと花柄のカーテンが重ねてかけてあって、ブーケを模したカーテンホルダーで、その両側が留めてある。会話の邪魔にならない程度に、ピアノのクラシック音楽が流れていた。

 大千里咲乃(おおちりさくの)は週末の業務を終えた後、さっさと定時に職場を上がって、この親しんだバーを訪ねた。

 職場で半ば強制的に着用させられている、襟やら袖やらにラビットファーがふんだんにあしらってある、それ以上にフリルやレースが惜しみなく盛り込んであるアイボリーのラメワッフルのコートを脱ぐと、ようやっとロリィタの姿から一変、心身ともにしっくりくるゴシックパンクの姿に戻れた。
 もっともこの普段着も、仕立てこそロリィタとは異なるだけで、パステルカラーが多くを占める。コートとの相性は、破滅的というわけではない。

 咲乃は、ここで、朗読劇の脚本を執筆していた。ここのオーナーに見込まれて、否、目をつけられて、屡々、この『レズビアンバー Fairy party』で開催されるイベントの余興に提供していたのである。今も三日後に迫ったバレンタインデーイベントに向けて、一作、手がけている最中だ。

 咲乃がカウンター席に腰を下ろすと、その真向かいで女性が一人、優雅にグラスを拭いていた。

 女性はきめこまやかな艶のある素肌に切れ長の優しい目許をしていて、そのまなこは吸い込まれそうに思慮深い気質が伺える奥行きがある。滲み出る知性とどこか謎めいた雰囲気のある面差しは、一見、中性的に見えるのに、危なっかしいほどたおやかだ。毛先だけ軽くウェーブのかかったミディアムの栗毛が、颯爽としたオーラをほんの少し甘ったるく和らげていた。黒いタートルネックのセーターに、グレーのシフォンのワイドパンツ、その肢体のまとうものは見るからに上質なもので仕立ててある。

 この女性こそ、小華波眞生(こばなわまき)、『Fairy Party』のオーナーだ。

 咲乃の手許に、いきなり、色とりどりの菓子の盛られた皿が出てきた。苺のモンブランを始め、市販で有名なビスケット、それから苺味のたけ○この山だ。

 「夕飯、まだでしょ。今スープも作るわ」

 眞生が身を翻して、調理場に歩いていった。

 但し、調理場とは、流し台と電子レンジがあるだけの簡易なものだ。

 咲乃はペンを走らせていた手を休めて、モンブランをフォークの先で崩し始める。

 眞生とは昔、一人の少女を巡ってひと悶着あった仲だ。さりとてここに毒など入っていまい。

 「脚本、どんな感じ?」

 「今夜には仕上がると思います。二月十四日、それまでにうさぎちゃんに目を通してもらえるかと」

 咲乃はモンブランを二口ほど味わうと、ビスケットをつまみ上げた。

 うさぎちゃん、咲乃がそう呼んでいる彼女こそ、小華波陽菜子(こばなわひなこ)、今ここにいる二人がかつて命懸けで取り合った少女だ。文字通り命を賭した戦いだった。

 あれから十年が経った。

 咲乃が大学を卒業した翌年、一学年下だった陽菜子もやはり卒業して、彼女は同時に、養女縁組みで眞生の家に籍を入れた。咲乃が日本初のロリィタ系アパレルメーカーに入社して一年後、同じ社内の別の部署にいた陽菜子と再会したのは偶然だ。
 咲乃は故郷を離れたこの町で陽菜子と、そして眞生と再会した。彼女らをとり巻いていた知人らも、このバーに集うようになっていた。実に賑やかな日々が過ぎていった。咲乃は気付けば少女とは呼べない年端になっていて、陽菜子も、大人びた。
 陽菜子は大学生だった頃、今で言うゆるふわだった。陽菜子は、今でこそ職場の洋服を気に入って、ロリィタの姿が板に付いているものだが、それがアリス族と呼ばれていた一昔前は、ヘッドドレスにもパニエにも、見向きもしなかったものだ。ただ、陽菜子の変わったところは外見的な要素ではない。まばゆくなった。陽菜子は年を重ねてゆけば重ねてゆくほど、いっそう美しく、そして純粋になってゆく。

 「陽菜子が放送部で咲乃が文芸部。あの子が貴女の脚本を読んで、貴女があの子の脚本を書く。……当時は気が狂いそうになるほど悔しかったわ。部活という私の入り込めないところで二人が競作していること」

 「妬かれるようなことなんて、何もありませんでしたけど」

 「私の前で陽菜子を抱いたわ」

 「小華波さんがそうしろって言ったからです」

 「──……」

 「…………」

 「でも、結果的に今、陽菜子と貴女の競作を、商売に使わせてもらってる。陽菜子もだけど……、この話を受けてくれた咲乃にも、感謝しているわ」

 咲乃の側に眞生が戻ってきて、ことん、と、菓子皿の側に白い湯気の立ち上るマグカップが落ち着いた。中身はどうやらインスタントのコーンスープだ。

 「温かそうですね、いただきます」

 「ねぇ咲乃。その脚本、明日会社で、陽菜子に見せてあげられない?」

 「会社でですか?分かりました」

 「それで、試し読みや打ち合わせも、会社で出来ない?」

 「それは……ちょっと」

 「そう。陽菜子は恥ずかしがり屋さんだから、難しいかも知れないわね。無理なら貴女の部屋で構わない。ホテルでも」

 「小華波さん?!」

 咲乃は耳を疑った。

 今、部屋だとかホテルだとか聞こえたのは、気の所為か?

 もっとも、これだけの動揺の種を撒いてくれた張本人は、実にあっけらかんとしている。

 咲乃は、眞生の秋波をまとった眼差しに捕らわれた。

 「もう正直に言うわ、咲乃。陽菜子を犯して良いわよ」

 「喧嘩でもしたんですか?」

 「まさか。たとえそんなことになっても、私から陽菜子に許しを請うわ」

 「あ。……三人で、とか、私はそういうのに興味ないですから」

 「普通で良いわよ。一対一で、ごくごく平凡に陽菜子を犯って」

 「なん、で……」

 咲乃から、菓子とスープを味わう気力も薄れてゆく。

 それでも相手が眞生だからか、実際、そこまで衝撃は受けていない自分を自覚していた。

 眞生は筋金入りのサディストだ。咲乃が十年前、眞生の前で陽菜子を抱いたのだって、彼女の加虐的な性癖が、発端だった。

 咲乃は覚った。眞生の、今夜の彼女らしからぬもてなしは、毒を盛られるより恐ろしい、見返りが求められるものだったのだ。

 「これは陽菜子への私からのバレンタインプレゼント。初恋の女と浮気している現場を見付かって、私というパートナーに、こっぴどく惨めなお仕置きをされる……。虐げられて快楽を得るあの子にしてみれば、最高のプレイだと思わない?」

 「断ります。うさぎちゃんは小華波さんと過ごせるだけで幸せですって。うさぎちゃんと両想いになって、ちょっとはましになったと思っていたのに、小華波さんは非道です」

 「それで欲しいものが手に入ってきたのだし、非道で結構。貴女、今でも陽菜子を好きでしょ。それなのに穢い手一つ使おうとしないから、損ばっかりしてるんじゃない」

 「口車には乗りません。あたしはたけ○この山を食べます。もう黙って営業の準備でもしていて下さい」

 「他人なんてどうせ自分を見ていない。つまりそれは、自分に素直になって誰が咎めてくるものか。貴女の昔の師匠はそう考えていらっしたんでしょうに、あの子が今の貴女を見たら泣くわね」

 「──……」

 咲乃の脳裏に、田舎で暮らしていた頃、世話になっていた女性の姿が浮かんだ。

 件の女性は、アリス族の先駆者で、その人気も影響力も、眞生と人気を二分していた。あまりの存在感所以、村の権力者に忌み嫌われて、表向きは殺されたことになっている。が、遠くの町に避難したという噂も、暫くの間はまことしやかに囁かれていたものだ。

 咲乃は彼女が好きだった。そこには、崇拝という感情があったのかも知れない。

 「小華波さん……卑怯です……」

 「卑怯に生きてきたから、欲しいものを得られてきたの。だって、女は皆、誰かのドール。裏を返せば、それって、女は皆、愛するドールを持たなくてはならないということでしょう?咲乃、陽菜子以外に誰かいて?」

 「──……」

 ああ、悪魔だ。

 眞生の寄越してくる受け売りは、その昔、天使の姿をしたドールが口にしていたものだったのに、今は優しいバイブルの言葉に聞こえない。

* * * * * * *

 咲乃は眞生と話したあくる日、陽菜子を職場近くのホテルに誘った。

 ホテルとはビジネスホテルだ。既に眞生に場所を知らせてあるここの立地は、賑やかすぎず侘しすぎない。その客層は、単身赴任中の会社員やら一人旅の観光客だ。

 咲乃と陽菜子はツインルームに通された。

 室内は、内装、設備ともに、極めて色気も素気もない。広さは十畳ほどあった。

 二人、コートを脱ぐと、丸テーブルを挟んで向き合った。

 咲乃が、やはり白が基調になったゴシックパンク服に身を固めているのに対して、陽菜子も相変わらず奢侈なロリィタの姿をしていた。
 陽菜子の、今やトレードマークのツインテールは、結び目にパステルピンクのリボンコームが挿してあって、小さな肢体は、リボンより淡いピンクのブラウスにジャンパースカート、それから、リボンの透かし編みが入ったアイボリーのボレロに包まれていた。ジャンパースカートは今年一番の新作だ。今はボレロで隠れているが、太めの肩紐が左右三ヶ所ずつ小さなリボンでキャンディーよろしく絞ってあって、背中にシャーリングと編み上げが施してある。スカートはティアードになっていて、苺ミルクの色をしたモヘア風のストロー編みが一面にプリントしてあるところに、ファーで出来た大きなリボンが無造作に結んであるのが描かれている。

 咲乃が『レズビアンバー Fairy party』の今年のバレンタインイベントのために書き上げた朗読原稿は、従来に比べてとりわけ明るい。

 語り手となるヒロインは、ある日、登録制の派遣会社から、バレンタインデー当日限定の仕事を提案される。就業時間はたったの二時間、業務内容はチョコレートファウンテンの宴でただ給仕をするというものだ。但し、報酬は、そこいらのアルバイトに比べて破格だ。ヒロインは好奇心に背中を押されて、それを引き受ける。そして当日、渡された地図を元に歩いていった先にあったのは、ピンクネオンの街に佇むファッションホテルだったのだ。ヒロインが事務所に断りの電話をかけると、業務内容に偽りはないとの一点張りだ。渋々、指定された部屋をノックすると、室内は、本当にチョコレートファウンテンパーティーが開かれていた。見たところ二十代後半ほどの会社員と思しき女性らが、チョコレートの滝にフルーツやらキューブケーキやらマシュマロやらを泳がせて、どんちゃん騒ぎをしていたのである。ヒロインは、女性の一人に一枚のエプロンを渡された。フリルやレースたっぷりの、実にロマンチックな一着だ。ヒロインは、洋服も下着も脱いで、じかにエプロンを身につけるよう命じられる。かくて淫らな給仕が始まったのだ。

 「…──一糸まとわぬ私の身体は、今夜初めてお会いしたお姉様方にいただいた、身を隠す役目はこれっぽっちもしてくれないエプロンだけに守られることになりました。私は心許ない姿になって、ウエイトレスを始めます。最初に私に指示をくれたのは、「みわこ」と呼ばれていたお姉様です。大きな目許にふっくらした桃色の頬、黒い髪に黒いワンピースのよくお似合いの、可愛らしい感じの女性です。私はみわこ様にマシュマロを取るよう仰せつかりました。私はマシュマロを串に刺して、チョコレートでコーティングしたものを、みわこ様に差し出しました。すると、みわこ様は仰いました。「そこのソファーに脚を開いてお座りなさい。M字型よ……マシュマロを股のお口に乗せて、私が食べてあげるまで、決して落ちないよう我慢なさい」』……」

 「お疲れ様、休憩しよっか」

 咲乃は陽菜子が原稿の三分の一まで目を通したところで、彼女の朗読劇にストップをかけた。
 たった一人での朗読は、ただでさえ、色んな面で負担がかかる。それを、こんな本番の場でもないところで、とても無理をさせる気にはなれない。

 咲乃が原稿から顔を上げると、陽菜子も顔を上げていた。

 「どうでした?」

 「完璧。タチを読む先輩がいなくなっても、うさぎちゃんあたしの理想のヒロインをやってくれる。本当すごいよ」

 「そんなこと言ってくれるの大千里先輩だけです。めいり先輩がお相手をして下さってた頃だって、私は棒読みだしよく噛むし、しょっちゅうお二人に迷惑かけていました。それは、昔からエロくて恥ずかしいですけど、先輩の素敵な脚本は、私なんかにもったいないです」

 陽菜子のマスカラに頼らなくても濃い睫毛が、薄紅色の頬に影を落とした。

 ホテルの個室独特の蜂蜜色の照明が、陽菜子のいとも可憐な姿に陰影をつけて、やけに悩ましげな絵が仕上がっている。

 めいり先輩、とは、かつて陽菜子が所属していた放送部の副部長だ。咲乃の親友で、陽菜子の相手役担当だった。

 「大千里先輩と二人きりで打ち合わせ、久し振りですね。最近はお姉様と、佳奈さんやとえりさんまで一緒にいらっしゃることばかりでしたから。昔に戻った気分です」

 「めいはたまに部活休んで、あたしに稽古の代役を押しつけてたもんね」

 「でも、大千里先輩は、本番だけは代役してくれませんでしたよね。綺麗な声なのにもったいないって、めいり先輩とよくお話ししていました。今回のもダメですか?」

 咲乃は陽菜子に上目遣いで顔を覗き込まれる。

 その愛称に相応しい、小動物みたいに愛くるしい双眸は、まるで他人を疑うことを知らない透明感がある。

 陽菜子は昔から無防備だ。恥ずかしがり屋のくせをして、誰とでも平気で密室で二人きりになるし、平気で思わせ振りな科白を口にする。

 さればこそ、たまに、その可愛いかんばせを、この手で歪ませたくなる。

 「今回は、やっちゃおうかな」

 「良いんですか?!」

 「うん」

 「じゃあ、早速、練習しましょう!わぁ、楽しみー」

 陽菜子の顔が、まぶしいほどきらきら輝く。眞生を巡って兄とぎくしゃくしていた十年前の夏の頃を思い起こせば、奇跡ではないかと思えるほどだ。

 咲乃は陽菜子に手を伸ばす。陽菜子の、テーブルの上に無造作に投げ出してあった右手の甲に手のひらを重ねて、やんわり握る。

 「見せつけてやろうと思うんだ。うさぎちゃんがどれだけ可愛いか」

 「またまたぁ」

 「あたしが、どれだけ貴女を愛しているか」

 「…──っ!!」

 「……うさぎちゃん」

 陽菜子の顔が、驚き露に固まっていた。

 咲乃はテーブルに身を乗り出して、陽菜子の今にも涙がこぼれ落ちそうな目尻に唇を寄せた。








 咲乃は丸テーブルに出来立ての原稿を広げたまま、陽菜子をベッドにいざなった。

 それから、扉の鍵を内側からかけて戻ってくると、陽菜子が不思議そうに首を傾げていた。

 「ごめん、うさぎちゃん。お姉さんにこの部屋の番号知らせてあったから、外から入れなくしてきた」

 「お姉様、いらっしゃる予定なんですか?」

 「うん、けど、ちょっと無理な頼み事をされていて、入ってこないでもらいたいって言うか」

 「あわわ、そんな、お姉様がまた先輩にご迷惑を?!えと、その、ごめんな──」

 咲乃は、瞬く間に涙で濁りかけたソプラノの声に封をした。陽菜子のリップグロスで煌めく唇に、自分のそれを重ねたのだ。
 綿レースの袖を握っていた右手を陽菜子の左手に重ね直して、空いた方の手を、その小さな肩に添える。びくん、と、小さな愛玩動物から伝わるものにも似通う震えが、指先に伝わってきた。

 陽菜子の甘い唇は、幻みたいに柔らかい。

 咲乃は、それが確かにここにあるものだと確かめるようにして、角度を変えて何度も啄む。リップグロスがなくなるほどその唇を舌でしゃぶって、また、キスを重ねる。

 「ゃ、せんぱ、い……?!んふっ……んんっ」

 陽菜子のとろけんばかりの声と、唾液の水音が混じり合う。

 咲乃は陽菜子の唇をこじ開けて、歯列をなぞってその柔らかな舌を味わっていく。

 握った片手が汗ばんでいた。陽菜子が力を込めた気がした。

 「やですぅ、はぅ、……あぐ……」

 キスを離して顔を離すと、視界いっぱいに、今度こそ泣き出しそうな陽菜子が映った。

 「何が嫌なの?」

 「お姉様とじゃなくちゃ、いやです」

 「ふぅん?そっか」

 「先輩?!」

 咲乃が陽菜子のボレロのリボンをすっとほどくと、扇情的な悲鳴が上がった。

 陽菜子の、この泣きそうな表情(かお)が憎らしい。世にも残酷な言葉を寄越す、世にも可憐な声を奏でる唇を、いっそ食して抹消してしまいたい。力もないのに暴れようとする小さな肢体が愛おしい。

 咲乃は陽菜子のツインテールに留めてあったリボンを外して、たった今までこの可愛い女性の身体の一部だったそれにキスをした。リボンをはらりと床に落として、黒髪を二つに結っていたヘアゴムをとくと、たったそれだけのことで、陽菜子の顔がひとしお官能的になった。

 「恥ずかしいこと……しないで下さい」

 「昔、うさぎちゃんに言ったはずだよ。無防備なことしてたら危ないよって。あの時はお姉さんのとこに帰してあげたけど、今日はダメ」

 「冗談……やめて下さい……」

 「可愛いうさぎちゃんを冗談で脱がせたりなんかしないって」

 「ひぅっ」

 陽菜子の首筋に息を吹きかけて、舌先でその味を探りながら、ワンピースの背中のファスナーを下ろす。
 咲乃は、キャンディみたいな肩紐をずらして、それからブラウスのボタンを外しにかかった。

 「綺麗な肌。あの日より白い。……うさぎちゃんがあたしの下で、鳴いてくれたあの夜。今日は、もっとちゃんと見てあげる」

 「思い出させないで……下さい……私なんか忘れて下さい……」

 「うさぎちゃんが存在している限り、あたしは貴女に誘惑される」

 「…──っ」

 ブラウスを下ろして鎖骨にキスして、なよらかな素肌を吸い上げる。ブラジャーの上から記憶よりふっくらしていた乳房を揉むと、頭上から、悲鳴にも近い声が降り注いできた。

 「はやぁあっ、あん、あっ……」

 陽菜子の身体が後ずさる。

 咲乃は陽菜子の二の腕を捕まえて、その身体をシーツに倒す。ブラジャーを強引に引っ張ると、肩紐が本体のループから外れて、白い胸が剥き出しになった。
 荒い息を送り出しながら上下するその胸の一番高いところに、しゃぶりつく。

 「ああんっ!!ぅっ、あっ、ああ……」

 「ずっとうさぎちゃんが欲しかった。幸せになって欲しいから、小華波さんを信じて、あたしは貴女を諦めた。……けど、あの人は貴女を、初めから……」

 「そ、です……私はお姉様が私を愛してくれたから、好きになりました……大好きだった大千里先輩に失望させるような気持ちを、止められなくなって……あっ、ああっ……」

  「うさぎちゃん」

 夢だったのではないかと疑るほどの遠い記憶が蘇る。

 咲乃は、一度は陽菜子と愛を交わした。眞生の陽菜子をサディスティックに扱う様(さま)に耐えかねて、彼女に、陽菜子の身体を満足させられることが出来たなら、身を引くように約束させた。咲乃は眞生との賭けに勝って、陽菜子の本心を聞いた。しかし、その本心は、泡沫だった。恋人と呼べる仲になって、その日に別れを告げられた。

 「うさぎちゃん、あの後、話してくれたね。何故、小華波さんを好きになったか……がむしゃらだったからって。傷付けてくれたからって。利己的な愛がうさぎちゃんにとって優しい想いなら、あたしにもそれを捧げられる」

 「……ほん、とに、私なんか……」

 「忘れない」

 咲乃は陽菜子の今にも逃げ出そうとする腕をシーツに押さえつけて、まばゆい素肌に血色の花を咲かせながら、上体が起こせる隙を封じる。ハードチュールを重ねた裏地ごと、ティアードスカートをまくり上げて、パニエに潜んだドロワーズをずり下ろす。

 陽菜子にこんな無理強いをしても、その代償は負わせない。

 何故、これだけ惹かれていったのか、自分で自分が分からない。

 人間なんて星の数ほど存在していて、どれも似たり寄ったりだ。それなのに、咲乃は十二年前、陽菜子と初めて顔を合わせた春の日、他の誰にも感じなかったものを彼女に覚えた。理由はなかった。
 眞生の昨夜の頼みなど、最初から聞き入れるに値しない。咲乃に、陽菜子の気持ちを蔑ろにしてまで、あのサディストの欲求を満たす理由はどこにもない。眞生は口が達者だ。その話術に嵌まって、感傷に流されかけたところはあるが、それだけで実行には移さない。眞生だけではない、世界中の全てを敵に回しても、陽菜子以外に、大事にしたい人はいない。

 咲乃は、眞生がどんな仕置きを企んでいるかは知らないが、陽菜子を愛するのはあの女神の皮を被った悪魔に頼まれたからではない。








 「パニエ、邪魔かも」

 「せん、ぱい……っっ……」

 咲乃は陽菜子からパニエを脱がせて、とっくにパンティを外していた股を開かせる。陽菜子の膝を、その状態で天井に向かせると、濡れた蜜壺がありあり見えた。

 「うさぎちゃんって、いつまであたしが好きだったの?」

 「今夜の先輩、意地悪、です……」

 「答えによっちゃ、可愛い身体を針で留めて標本にするよ」

 「あっ、ああっ……」

 咲乃は陽菜子の内股と内股の間に顔をうずめて、淫猥な匂いを放つ泉に吸いつく。肉襞を舌先で隅々まで味わって、熱くぐっしょりした膣口から溢れ出すものを飲み尽くさんばかりに啜る。陰核を撫でたり押したりしていじくって、また湿り出す襞に、キスを注ぐ。

 「うさぎちゃんの味は甘いね。お汁ごと、肉片も、ちょっとくらい食べたくなる」

 「見ないで下さい……味なんて、しませ、ん……あっ、はぁっ、そこ、やぁ、そこ苦手です……舐めないで下さいぃ……ああっ!!……」

 「うさぎちゃんのおねしょかあたしのか、分かんないほどべとべと。お花みたいに綺麗で、ずっとキスしていたくなる……」

 「先輩どこまで本気なんですか!」

 「全部」

 咲乃は甘い甘いキスをやめて、顔を上げる。陽菜子に覆い被さって、いつの間にか涙だらけになった頬をそっと拭った。

 「泣くのは早いよ」

 「お姉様……が……」

 「これは預からせてもらう」

 「あっ」

 「うさぎちゃん重そうだから、ここに嵌めるね。あたしが小華波さんに咎められることはないし、怒られるとしたらそれは神様。うさぎちゃんの分まで怒られとく」

 「先輩……私……」

 「そんなに物欲しそうな顔して、やめろ、なんて言われても、説得力全然ないから」

 「立ち、上がれません……」

 「それは期待しろってこと?」

 「…………」

 咲乃は陽菜子の左手の薬指から抜いた指輪を自分の右手のそこに嵌めた。

 陽菜子の体温を覚えたプラチナは、あたたかい。

 「うさぎちゃん」

 「ん……」

 咲乃は愛液と自分の唾液でほぐれきった陽菜子の蜜壺を指先で探る。膣口に吸い寄せられるようにして、熱い熱いそこに辿り着く。

 「あっ、んんっ」

 陽菜子がしがみついてきた。

 咲乃は陽菜子の唇をキスで塞いで、膣に指を滑り込ませた。中指の次は人指し指、薬指、と、陽菜子の中を広げてゆく。指の付け根が膣口を塞ぐと、柔らかな下腹部の内側をかき回し出す。

 「はぅ、あっああっ、やぁ……やだぁ……恥ずかしいです……脚が顫えて……怖い……怖いです……ああっ……」

 「うさぎちゃんまじ可愛い。怖いことなんかしてないってば」

 「どうなっちゃうのか怖いです……先輩だと、お姉様の時と、違って……私が私じゃなくなりそ、で……はぁぅぅ……」

 膣の中をかき回すのは、ペンを走らせるより体力が削がれる。
 相手が陽菜子だからだ。もとより咲乃は、陽菜子の他に知った身体はない。が、少なくともこの女性は、その全てで挑発してくる。何もかも忘れて乱したくなる。壊れ物に触れるみたいに手を伸ばしても、気付けば、殺したいほどの愛おしさに浮かされている。

 陽菜子の悶えもヒートアップしていた。寝台のスプリングが軋んで、細い腰が、身体ごと、嵐に揉まれた海原の如く踊る。

 「はぁ、はぁ、あぁぁ……ああっ……あっあああっ……」

 「うさぎちゃん……うさぎちゃん……」

 「ん、はぁ……あっ、はぁ……」

 何度キスしても足りない二つの唇は、いっそ一つになりたがっているのかも知れない。

 咲乃が陽菜子に唾液を注いで、陽菜子からこぼれてしたたるそれを、咲乃が掬う。咲乃は陽菜子に、その腹の中にあるもの全てをかき出さんばかりの愛撫を続けて、マゾヒストの気が強い仔ウサギを、何度も失神させかけた。

 愛の遊戯を終えれば夜まで終わる気がしていた。

 陽菜子は声を上げて泣きながら、もっともっととせがんできて、咲乃は途中で自分の着ていた服も脱いだ。着替えの用意がなかった所以、やむを得なかった。

 二人してのぼせても抱き合って、貪って、久しく携帯電話の電源をオンにして、初めて日付が切り替わっていたことを知った。

 咲乃は陽菜子とシーツにくるまって、その片手を握っていた。

 「着信通知と留守電、すごく入っていたね……」

 「お姉様には、寝ていて気付かなかったって言います」

 「バレるでしょ」

 「──……」

 「…………」

 咲乃の右手が、陽菜子に強く握られた。

 「夢を見ていたって、言います」

 「うさぎちゃん……」

 「大千里先輩」

 咲乃が黒目を動かすと、陽菜子の官能的な双眸が、たゆたっていた。

 「ずっと、先輩が好きです。いつまでだったとか、過去の話にしないで下さい」

 「うさぎちゃん、何言って……」

 「私は生きてる限り、お姉様を慕ってしまいます。だから殺して欲しいのに。夢なんていらない。先輩を好きになれたこと、どんな夢より大事な記憶……。幸せなまま終わらせて欲しいのに。今日こそ終わらせてくれるって、どこかで空想してました。お姉様のくれる優しさじゃなくて、私は──」

 「うさぎちゃん」

 咲乃は陽菜子の左手を握り返した。薬指を探し当てて、さっき無理矢理外したリングを戻す。

 眞生と揃いのリングは、やはり、この指が最もしっくり収まる。

 プラチナに固められた指の根本を、ガラスを扱う力加減で撫でさする。

 「ずっと待ってる。一生待ってる。うさぎちゃんが幸せでいてくれること、この世で……ずっと見ていたい」

 陽菜子がどこを見つめても、ただただその幸せを祈っていたい。

 咲乃はサディストでもマゾヒストでもない。それでも、陽菜子や眞生の気持ちは分かる。

 愛故に壊したいし、愛故に壊されたい。

 咲乃は陽菜子が背徳と咎められるなら、その罪だって肩代わりするつもりでいる。本当に陽菜子が眞生との縁(えにし)を疎むなら、連れて逃げるか、望み通りその命を摘んでやる。

 ただ、今は、かなしみも痛みも苦しみも、夢のひとひらに過ぎない。

 「おやすみ、うさぎちゃん」

 咲乃が陽菜子のリングを嵌めた手に力を込めると、濃い睫毛が涙袋に下りた。







──fin.
妖精カテドラル