memo


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2024/11/01 (Fri)

なんか色々書きたいことあったのでメモ代わりに書かせてください

レコードを加工してオリジナル時計にしたり、灰皿にする文化が流行っていると知り、レコード収集が好きな僕は白目をひん剥いて倒れた。まだまだレコードは現役なのに、正規の使用用途ではない使い方をされるのはあまりにもグロい。そういった新しさを受け入れることが出来ず、取り残されていく僕のような人のことを老害と呼ぶのでしょうか。

久々に本屋さんに行ったら気になる本がたくさんあって、時間と金さえ許すのであれば端から端まで全部買いたかった。久しく活字を読んでいないが、原稿と向き合うにあたってインプットしたいものはたくさんあるので、これはからは活字の時間も作っていきたい。新しい本を買うためにも、今ある本と向き合おうと思います。

追記にフォリ・ア・ドゥの軽いネタバレ


ジョーカー フォリ・ア・ドゥを見た。僕は前作ジョーカーのファンだったので、鑑賞の前の賛否の意見は小耳にしつつ、核心に迫るネタバレには一切触れず鑑賞した訳だが、ジョーカーに憧れる厨二病共に冷水をぶっかけて大笑いする映画。そんな感想。あれはジョーカーの続編ではなく、アーサー・フレックという道化の続編。ジョーカーという道化を演じた男のその後だったので、ジョーカーを期待した人には確かに物足りない映画だっただろう。かく言う自分も、きっと今作は前作で匂わせたバッドマンが出てくるに違いないとワクワクしていたが、そんなことは一切無く、寧ろバッドマンとジョーカーの対決は永劫見れないであろう終わり方をした。ジョーカーとしてこれで良いのか?そもそもこれはジョーカーである必要があったのか?なんとも考えさせられた。
結局、社会的弱者など道化のフリでもしなければ誰にも見向きされず、必要とされない。みんなが好きだったのはジョーカーという道化で、ただのアーサーなんて誰も必要とはしていなかったと突き付けるのが残酷だった。唯一必要としてくれたリーですら、ジョーカーしか見えていなかったわけであって。悲しいね。誰も幸せにならない映画だった。ある意味二度と見たく無いかもしれない。
アーサーの夢物語として、ジョーカーはジョーカーで終わらしておくべきだった。フォリ・ア・ドゥは些か辛すぎる。


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