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「ねえリドル」
うわ。そう声に出さなかったのはそうしてしまうと目の前の彼女が泣きだすことをよくよく知っていたからだった。だから努めて、まるで生まれたての子猫に触れるかの如く慎重に「なんだい」と声をかける。なんだ、なんて聞いているが次にくる言葉も予想出来ているくらいにはこのやり取りは繰りかえされていた。
「トレイって、彼女できたの?」
悲しい気持ちを詰め込み過ぎたせいで溢れてしまいそう、そのせいで震えているんだと言わんばかりの声は小さくて、それでもしっかりと耳に届くんだから質が悪い。ため息と「またか」という言葉を一緒に胃の中に沈めて僕たちの幼馴染みの為に言葉を選別していく。
「いつ?何を見た?」
「え……この前のマジフト大会の時に」
「来てたのか」
うん、と何でもない様に頷いているが結構危ない場にいたのではと少し背筋が寒くなるような心地になったが取りあえずは話を進める。
「どんな子だ?」
「……赤毛で」
「(ボクだ)」
「目が大きくて」
「(ボクだ)」
「小柄な子」
「リリア先輩だな」
「え?」
「いやこっちの話だ」
ここにいない一つ年上の幼馴染みに向けて、呆れを込めたため息を盛大に吐き出した。律儀というか、よくあんな場面でだとか思うところは色々あるがまたも“騙されている”目の前の子の誤解を解かなければ。
「まずその子はボクも知っている子だ」
「そうなの……?」
「断言するが彼女でも何でもない、あり得ないから心配しなくていい」
「すごく仲がよさそうだったし、似てる服着てたよ……?」
「ボクだった……」
「え?」
「いやこっちの話だから気にしないでくれ…」
体質なのか、彼女はとても魔法への耐性が弱い。耐性というよりいっそ影響を受けやすいといってもいいくらいには魔法にかかる。ボク、チェーニャの魔法は勿論だが、それ以上トレイとの相性が最高に良かった。いや、ここは悪かったと評するべきか。本来一時的にしかかからないはずの「上書き」が彫刻で削ったのかと言うくらいに残るといえば分かりやすいだろうか。その上、本来ならば味や匂い、魔法に作用するだけのそれが彼女には五感全てに対して上書きがされるものだから、傍から見ていればいっそ洗脳の域だった。
例えばトレイが「これは猫だ」といって渡したリンゴを三日経っても猫だと思い、ミルクを飲まないと泣き出したり。例えば「お前は3歳だ」と魔法をかけた時なんて、言動が幼くなってしまい挙句すぐに解けなかったため彼女の両親に謝りに行ったくらいだ。ちなみにこれは一週間続いた。
許容範囲が凄まじく広いこの子は、トレイのその悪戯をすべて許している。ボクがやられたら絶対に許さないし首をはね続ける。まあ、惚れた腫れたの類の許しなのだろうけれど。
そういった背景がある中で、先ほどまでのやり取りの真相について説明すると。トレイ・クローバーという奴は、目の前の彼女にユニーク魔法をかけ続けることに全力を注いでいる。そのためならば例えオーバーブロットしたレオナ・キングスカラーが目前にいたとしてもユニーク魔法をわざわざ彼女にかけに行くくらいには徹底している。ある時から彼女に会う度、見つけるたびに毎回同じ上書きを行っているのだ。
「(近くの人間を女性に見せる、ね)」
今回もそうだが大抵はボクが女性に見えているらしい、「彼女が出来たみたい」と悲しそうに聞いてくるたび、特徴を聞いてああ自分が塗り替えられていると気が付く。彼女には毎回違う女性に見えているらしいが特徴を上げると毎回同じものが上がるのだから不思議なものだ。
「とにかく、本当にトレイにそういう相手はいない」
「……」
「ボクの事を疑うのか」
「あ、ごめん信じる」
ぴっと背筋を伸ばした彼女を胡乱げに見つめ返しながら、結局真実を告げない事を選び続けている自分にも少し呆れてしまう。どうしてこうも拗れてしまっているのか、原因は「どこまでなら干渉できるのか」という彼女をつかった実験じみた発想をトレイが抱いてしまったところにあったのだと思う。感情の上書き、気持ちの書き換え。今思えばボクもそれを聞いた時点で止めるべきだったのに、それを咎めずに見守ってしまった。
『きらい』
顔を歪め、短くそう言い捨てた彼女に信じられないようなものを見るトレイ。「トレイ・クローバーが嫌いになる」なんて、本当に馬鹿な事を思いついたものだ。それまでトレイにべったりだった彼女は見る影も無くなり、これでもかとトレイを避け、遭遇すれば冷たい言葉をぶつけ続けた。魔法が解けるまでは何でもない様に振る舞っていたトレイだったが、解けてから可笑しくなった。よっぽど堪えていたらしい。自分は嫌われていないことを確かめたい、けれどもう二度と感情の上書きはしたくない。恐らくはそんな思いからなんだろうがこんなにも面倒なやり方をしなくてもと思わずにはいられない。「つい確かめたくなるんだよな〜、不安になるんだよ、きらいってまた言われるかもって」なんてしおらしく言っていたが、妬いているか確かめるためにこんな事をしているトレイは、ユニーク魔法を嬉々として彼女に振りかけている素振りがあるので、本心がどうなのかボクでもわからないが。
「いっつもトレイに振りまわされる……」
「キミがそれを言わないでくれ……」
本当に厄介な幼馴染みたちだと、心底思うけれど。それでも最終的に二人が一緒にいられればなんて思っているからボクも付き合ってしまうのだ。
投稿日:2020/0808
更新日:2020/0808