酔いどれシガー
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 イーストブルー、始まりの街ローグタウン。故郷でありながらもその街の独特な雰囲気というものに慣れず、いつの日かもう少し海賊の少ない場所に移住したいと常々思っていたなまえはどうしてそれをもっと早くに実行しなかったのかと半分泣きながら過去の己を呪っていた。
 四つの海の中では比較的田舎で平和だと言われているイーストブルーだが、グランドラインの入り口に位置するローグタウンは海賊王が生まれてそして処刑された場所として海賊にとってはある種聖地のようなものだった。イースト出身でグランドライン入りを目指す海賊は当たり前だが、わざわざ他の海からローグタウンを見にくる輩も少なくはない。海軍が駐屯しているといえど海賊が常にいると言うのは変わりなく、なんなら街中で戦闘になることだって日常茶飯事だ。
「おい、いつもの」
「ひゃい」
 そしてよりにもよってなまえはタバコ屋だった。それも街の中で一番品揃えのいいタバコ屋である。イーストブルーで一番と言っていいほど船の往来が多いローグタウンにて一番となれば、すなわちイーストブルー一番と謳っても差し支えないと言うのは街の住人の話だ。そんな噂が一人歩きしているせいか、なまえの店には善人悪人問わずにタバコや葉巻、パイプを求める客がやってくる。売上的には有難いが心労的には大変迷惑である。
 ここ数年でローグタウンに配属となったスモーカーも例に漏れずになまえの配合する葉巻を買いに週に一度はやってくるほどの常連だった。こんな荒れくれものの街で生まれ育っているがなまえは平穏無事を心から求める戦闘力皆無な一般人である。そのため常人よりもずっとガタイが良く、いかつい顔つきをしているスモーカーがそれはもう怖かった。住人からはなんだかんだと優しいところがあると慕われているスモーカーの一面を垣間見る機会がなかったために全く知らず、なんなら血走った目で海賊を追い回しワンパンで沈めたところを目撃してしまったことしかなかったなまえは海賊以上にスモーカーに恐怖していた。そんな人物が正義を提げて週一で葉巻を大量に買い求めていくのだ。死んでも欠品させるものかとなまえが全力を注ぐことになるのもすぐだった。
 おまけに重度のヘヴィースモーカー。部下のたしぎを使いっ走りに走らせることも稀にはあるが、基本的に自分のことは自分でやる性格であるスモーカーは大量の葉巻を求めなまえの元へと通っている。常に2本葉巻を咥えているのだ、そりゃ消費も早いでしょうとなまえはガタガタに震えながら紙袋にカートンを詰め込む。
「先日」
「ひゃい!」
 話しかけられたなまえの背筋がしゃんと伸びた。
「海賊に荒らされたと聞いたが」
「だい、大丈夫です!海軍の方にたす、助けてもらい」
 かみかみなのはご愛嬌である、なまえは必死に笑顔を貼り付けて応答した。
「いつもありがとうござウィます!!」
「……ああ」
 最後まで元気に噛みまくるなまえから袋を受け取り、これでもかと頭を下げるなまえを見下ろしたスモーカーはため息をつくようにふうと息を吐く。ふわりとなまえの頭上に葉巻の煙が降ってくるのが視界に映った。
 なまえがスモーカーを苦手な理由の一つにこれがあった、どう言うわけか毎度煙をわざと吹きかけられるのだ。なまえもタバコ屋の店主であるためタバコの煙を異性に吹きかける意味は知っている。だがその行為とスモーカーの態度、そしてなんで自分のようなちんちくりんでなんの取り柄もないしがないタバコ屋に?と疑問が先行しどうにもこうにもスモーカーを理解の及ばない謎の生き物のように捉えてしまっていた。すっかり宇宙人扱いである。いつ頃からこの行為が始まったのかなまえもはっきりを覚えていないがきっかけらしいものも思い出せない。今日も今日とて吹きかけられた重く白い空気に目を回しそうになりながら「なんでぇ?」と泣きかけた。すっかりタバコが視界から消えてから恐る恐る顔を上げれば、普段通りスモーカーはいなくなり代わりにカウンターに代金とチップが乗せられていた。

 スモーカーがなまえと会ったのはローグタウンに赴任してすぐ、街の細かい道などを覚えるために巡回と称し夜に1人歩いていた時だった。
「アレェ、お兄さん珍しい葉っぱだね」
 ふらふらとあからさまに千鳥足で歩いていたなまえは近くの酒場で飲んでいたらしく、すっかり出来上がった状態でニコニコと話しかけてきた。言われた意味が理解できずに顔を顰めれば「それ」と口元を指差されたため葉巻のことかと合点がいく。グランドライン出身であるスモーカーは、確かにこの辺りでは売っていない銘柄の可能性もあるのかと口から葉巻を取り眉間の皺を深めた。吸えればなんでもいいと思う半面、それなりに長くこの銘柄を吸っていたためないとなると途端に口惜しく思えてしまったのだ。
「サウスブルーと冬島の葉っぱ混ぜてるんだぁ、いい匂いだね」
「……どうしてわかった?」
「タバコ屋だもん」
 その配合は試してなかったなぁと呑気に笑うなまえに犬かよと少しだけ笑ってしまう。物騒な街だ、女の1人酒など危険極まりないはずだ。にも関わらずスモーカーが説教を垂れる気すら失せるほどなまえは平和そうに笑ってヘラヘラとしている。それは紛れもなくなまえが街の住人と築いた信頼とそして自衛のお陰なのだろう。こういう女が1人でも増えればこの街も捨てたものじゃなくなるのかもしれない、漠然とそんなふうに思ったスモーカーはポケットから一本、新品の葉巻を取り出す。
「ほら」
「ん?」
「くれてやるよ」
「ええ?」
「似た葉巻を作ってくれ、買いに行く」
「ええ?匂いで覚えたよ?」
「酔っ払ってても記憶残るのかお前」
「残らないって言われる」
「じゃあダメだろ」
 なまえに葉巻を押し付けて平和ボケと言われてもいいほど能天気な女に目を合わせる。身を屈めたスモーカーになまえは顔をあげ、嬉しそうに葉巻の煙に手を伸ばした。
「葉巻はやっぱり煙が濃くって重たくて楽しいね」
「送ってやるから大人しく帰れ」
「はぁい、かいへーさん」
 下手くそに敬礼の真似事をしてあっち、と指差す方向に歩くなまえの後ろを進む。軍服を着てはいなかったが海兵だとわかっていたからこその態度であったらしい。それにしても不用心であることには変わらない、スモーカーは海軍も善人ばかりではないことを痛いほど良く知っていた。
「今度から1人で酔うのはやめろ」
「ええ」
「危ねぇだろ、俺が海兵だとしても警戒心はもて」
「かいへーさんいい人でしょ?」
「全員がそうじゃねぇだろ」
「んん?違うよあなたの話だよ」
 立ち止まって振り返った女の目は真っ直ぐとスモーカーを射抜いていた。夜の中、何処かの住宅から漏れるランプの灯りにぼんやりと照らされる黒曜石のような色の瞳がやけに印象深くスモーカーの中に残る。
「人を見る目はちゃんとあるもの」
 一拍をおいて、得意げに笑う女に呆れてため息を吐き出したスモーカーはうんざりとした顔をした。それに気がついたなまえはムッとした顔で「じゃあ」とスモーカーに詰め寄る。
「葉巻の匂いで守ってよ」
「はぁ?」
「だってこんなに強くてかっこいい匂い、その辺の輩ならすぐに逃げちゃうもん」
 ふふ、と笑ったなまえは手の中で遊ばせていた葉巻をパクリと咥える。タバコ屋というが常時吸うわけではないのだろう、小さな口にはとても余る葉巻の隙間から真っ赤な舌が覗いていた。とんでもない酔い方だとスモーカーはガシガシと頭を掻いて大きくため息を吐き出す。
「酔っ払いは碌なのがいねぇな」
「それはそうだよ、責任とって送ってくださぁい」
 送った先が住宅兼タバコ屋であったため、折を見て店へと葉巻を求めにきたスモーカーだが案の定なまえが出会った夜のことをすっかり忘れていた。しかしながら、しばらくした後に約束通りきちんとスモーカーの求めていた葉巻を作っていたものだから、なんとも言えない妙な心地を味合わされた男は、その苛立ちとあの夜の約束に従ってなまえへとマーキングのように匂いを吐き出していくのだった。

2022.08.29