毒牙たれ
▼ ▲ ▼



※倫理観皆無、家入が若干気持ち悪い言動をとっています

 一見すると家入硝子という少女は至極まともに見える。それは比較対象として横に並ぶ同級生が、五条悟と夏油傑という人格破綻の代表のような輩だからだ。優秀ゆえに過激発言や問題行動を黙認されているが一度でも対面し口を開いた彼らを目撃した人間は口をそろえて「やばい」とただそれだけの感想を抱く。規格外の強さはもちろんのこと、数々の所業やあくどい言動、ぶっとんだ思想に対しての感想である。だからこそ、そんな二人に挟まれる家入は比較するとまともに見えた。
 それが間違いだと知るみょうじは涙で睫毛をひたひたに濡らしながら嗚咽が込み上げるままにひっくと身体を震えさせた。五条、夏油、家入というスーパーレアな術式持ちが同学年にそろった黄金世代のその一つ下に、肩身を狭くして在籍していたみょうじは同姓というだけの理由でなにかと家入と組まされることが多かった。だからこそ家入のまともではない部分を多く目にし、心にダメージを受ける機会が多かった。耐えきれずに同級生に相談すらしたほどである。同学年である灰原と七海は上の学年と比べるととても常識的で善性を持つ人たちではあったが、どうにも第一印象に根付いたイメージが強いのかなんなのか、家入に関することをみょうじがいくら訴えようが「何を言っているんだ」と信じようとしなかった。灰原と七海が常に五条と夏油に訓練をつけられているため、彼らからすればみょうじの言葉を気に掛ける余裕がなかったというのも大きい。
 みょうじの持つ術式の特性上後方支援に回ることが多く、訓練となると組む相手はそれこそ家入一択となってしまう。おまけに家入は他二人に比べればまともに見えるせいで、同級生二人から「家入さんと一緒でなにが不満なんだ」という意味合いの言葉をぶつけられる始末。五条と夏油と比べれば確かにそうなるためみょうじもそれ以上は反論できない。でもそうじゃなくってと言い訳がましく思いながらもみょうじ心はすんすんと鼻を鳴らして家入の元へと自ら足を運ぶしかなかった。
 なにがそんなに不満なのか。そりゃ不満だ、不満というか嫌だ。家入の術式の練習と称して一体どれだけみょうじが怪我をしたと思っているのか。一瞬で治されるとはいえその痛みは相当で、治された後も脳が混乱するのか幻覚のように痛みが続く。最初の頃はまだよかったのだ、家入も申し訳なさそうにしていたことに加え「無理をするな」と遠慮すら見せていた。みょうじの為でもあったため気丈に「大丈夫です」と言い張っていたみょうじも悪かったのだろうか、いつから家入の対応は変化していき今ではすっかり真逆の状態にあった。
「うう〜」
「もう治しただろ」
 おもったるいため息すら落としてジトっとした目で家入はみょうじを見つめる。申告なくいきなり腕の骨を折られれば驚くし痛いし泣く。鬱陶しいと言わんばかりの家入の発言にさらにみょうじの涙腺は緩み大粒の涙がごろごろと零れた。折った場所をするすると両手で触診する家入はそんな態度でありながらみょうじから目をそらさない。いっそ睨むくらいの眼力でみょうじを見て観察している。それもみょうじにとっては恐怖を煽る、せんぱいこわい。余談だがみょうじの術式が痛みを蓄積して結界として出力するなんてものであるため、怪我をすること自体は合意なのだ。ただもう少しアフターケアなり、優しくしてほしいというのがみょうじの主張である。
 怖がる後輩をジッと観察する家入は、なにもみょうじが嫌いでこんな態度をとっているわけではない。むしろその逆、みょうじがかわいくてしょうがないのだ。表情にこそ出さないもののみょうじと組まされるたびに内心ではそれはもう歓喜していた。どこで、といわれれば明確なタイミングは分からないがみょうじが泣く度にどうにもそわそわとし、痛みで顔をぐしゃぐしゃにしてそれでも家入のために我慢しようとする健気さにグッとさせられ、ごろんと家入はみょうじに落ちた。転がった先で自覚したのは「こいつ虐めたらかわいい」というなんともひん曲がったものだったせいで、現状の地獄が出来上がってしまったわけである。痛いことをする以上に家入が冷たい態度をとるとさらにみょうじがそそる表情をするものだから家入の言動は瞬く間にして悪化した。欲望に正直すぎる家入は何のためらいもなく後輩を言葉や態度で詰った。そのせいでみょうじは自分が何かしてしまったのではと暫く悩むことになったのだがみょうじは何も悪くない。悪いのは家入のひん曲がった性格と性癖、感性である。めったに表面化しないだけで家入も立派に五条、夏油の同級生だった。
 真顔ながら内心でうっとりしている家入は、冷や汗をかいて少ししっとりしているみょうじの腕を掌全体で舐めるように撫でてその熱を余すことなく感じては悦に浸っていた。家入が手に力を入れたり少しでも爪を立てるとびくっと震える後輩を見てはあんなことやこんなことを脳内で連想させて逆切れしている家入は、舌打ちと共にタバコを口に咥える。その舌打ちにすらびくつくみょうじに「いい加減にしろ」と言い捨てたが、補足すると「その可愛い仕草いい加減にしないと部屋に連れ込むぞ」がセリフの全貌だった。それはそれで怖い。
 タバコに火をつけた家入は、ふとこれは試していないなと細い指先で摘まんだタバコを眺める。するりとみょうじの指に指を絡ませて下から持ち上げた家入は無表情のままみょうじの手を見下ろした。白く細く、けれど鍛錬の為か皮膚が硬い。中指の爪でみょうじの掌を擽るようにひっかけばみょうじが上目遣いで家入の顔を覗き込んできた。涙で潤み、目尻と頬が赤く染まっている、痛みに耐えるために噛んだのだろう、唇がぽってりと赤く腫れているのを目に止めた家入の眉間に深いしわが寄る、クソ可愛いなおい。
「火傷の治療、やったことないんだよね」
「ひ」
「いちいち鳴くな」
 その口塞いでやろうかと危険思考を過らせながら、家入はタバコをみょうじの左手へと寄せる。火をつけたばかりとは言えいつ灰が落ちるかもわからない恐怖と、間違いなくこのまま根性焼きをされるであろう避けられない未来にみょうじは顔を真っ青にした。可愛そうで哀れで、みっともなくて。家入は思わず感嘆のため息をほぅと零す。家入のせいだというのに、家入の手をきゅっと掴んで耐えようとしているみょうじのいじらしさたるや。万が一にもこの可愛い生き物の様子を同級生に知られてしまえば確実に孕まされるなと家入は確信している、同級生への信頼の持ち方が尖り過ぎである。
 みょうじの指を三本、ぎゅっと逃がさないように握りしめて家入はふむと思案する。じわっと手汗で滑りそうなほど緊張しているというのに冷え切ったみょうじの指を見て、どうせならと家入は笑った。久しぶりに家入の笑った顔を見たみょうじは一瞬呆ける、怖い嫌だなどといいながらもみょうじは優しかった頃の家入を良く知っており、いつも大変そうな家入を嫌いになりきれなかったのだ。
 ぎゅ、とみょうじの指――左の薬指の付け根に容赦なくタバコを押し付けた家入は痛みで手を引こうとするみょうじを咎めるように「こら」と叱る。あらかじめ暴れないようにと肢体は椅子に縛られているため一見するとただの拷問にしか見えない光景。家入とて、みょうじの泣き顔がかわいいとは思うものの好んで痛めつけたいとまでは思っていない。ただ反転術式という家入の術式の性質上、訓練するには怪我の用意が必要であるし、今後万が一にもみょうじや他の後輩たちが大怪我をしたときに「できません」と泣きを見たくないからこその試行だ。
だがこの時ばかりは家入はいつになく上機嫌にみょうじを嬲った。
「ひぐ、い、あつ」
「うんうん」
「しょうこさ」
「そうだね痛いね」
 優しく柔らかい声と表情を浮かべる家入は、そっと押し付けていたタバコをみょうじの肌から離す。鼻につく独特な匂いは肌が焼けたせいで発生したのだろう、みょうじから気化したものだと認識した家入は深く空気を吸い込んでから目下の惨状を見下ろす。きれいに丸く、真っ赤に爛れたみょうじの薬指の付け根。いとおしむように指の側部を擽った家入はその出来栄えに満足気にほくそ笑む。
「いい痕だ、私のって感じがする」
「へ」
 痛みと混乱と、そしてその言葉に脳がバグったみょうじはどういうわけかうっかりきゅんとする。呪術高専に入学できるものは総じて一般社会から隔離される所以なのか、どこかしら狂っているというのが五条悟の談であるがみょうじもそこに当てはまっていた。危機感がずれているみょうじは丁寧な仕草で術式を施す家入を凝視してドキドキとはやる心臓に首を傾げた。七海がみょうじの心情を聞いていればストックホルム症候群だと教えてくれただろうが残念ながら丁度その時五条に連れまわされており不在だった。家入といえば一瞬とはいえ大切な場所に傷をつけられて満足し、せっせと治しにかかっていたのだがその数秒後今度は家入が混乱することとなる。
「ん?」
 治らない。反転術式によって火傷が治らないというのは呪術界では常識であったが、家入もみょうじも一般からの入学。担任である夜蛾もまさか無断で火傷の怪我を負い治そうとするなどと思ってもみなかったため不幸なことにみょうじの薬指には丸いケロイドが残ることとなった。すっかり混乱した家入はみょうじの手を両手でガッと掴んで涙でぐっしょりと濡れているみょうじの顔を真剣な眼で差した。
「責任取る」
 訓練中の事故、致し方ないことだとみょうじは震える声で断ったのだが、どういう意図で家入が責任という言葉を吐いたのかまでは理解できていなかった。その結果、焦れた家入は大暴走を起こしみょうじをさらに振り回すことになる。七海と灰原からの「まともな人」という認識を綺麗に覆し、五条と夏油からドン引かれるほどみょうじをぶんぶん振り回し「モノ」扱いする言動をとるのであるが、補足すると「私のたいせつなモノ」扱いだった。ちなみに家入の内心が判明するのは一年以上も先のこととなるため、みょうじは同級生に泣きついて今度こそ慰めてもらえたのだった。

20230223