act.5 Shinn


 


『そんなに恐ろしいものでも見たの?』

恐ろしいってなんだ?
怖いのか?
なにを?
なにが?
どうして!?

「ぅわっ!?……っ」

何かに躓いたわけでもなく、足がもつれて転んでしまった。
走っていた身体が悲鳴をあげてるように鼓動がうるさい。それと一緒に息切れと咳が邪魔をして、もう走れない。

意味もなく走っていたけど、まだ止まりたくなかった。
でも俺はこうして地面に伏して起き上がれない。
そう、転んでしまった。

「そんな……に、おそろしいものでもみたの、か」

あの人の言葉を口にした。響かずに飲み込まされるように。

「元気だったじゃないか、笑ってたじゃないか」

先程見たばかりの光景を思い出せば、彼女は笑っていた。
たとえ音のない世界でも、彼女は笑っていたんだ。

「なんでっ……」

起き上がろうと手をつく。でも起き上がるにはまだ足りない。

「どうしているんだ!ミーアは死んだんだ……死んだんだ」

ついた手の力はなくなり、額は地面についていた。まるで泣き崩れているようで。何度崩れても、積まれる事はない。

もう崩れるしかないのに。

本当は言い返してやりたかった。
恐ろしいものなんて見てない、と。
でも引き止めた手を離して逃げてしまった。言い返せなかった。

だって怖いのだから。
死んだ真実を受け入れて、まるで生きてるかのような彼女を認められない自分が怖い。
嬉しいはずなのに怖い。

「キラを知らないか?」
「どうして俺に聞くんですか?」

受話器から問い掛けられた声に問い掛け返した。
アスランさんが言うには会う約束をしていたあの人が来ないらしい。
連絡もつかず、こうして俺に電話をかけてきたというわけだ。

「知りませんよ」
「そうか、悪かったな」
「いえ……あの」

このまま通話を切ってもよかったはずなのに、言葉は続いていた。

「アスランさんはラクスさんの事が好きですか?」

答える必要はない。聞く必要もない。
でもこの二人の危うさに何となく気付いてたのかもしれない。
想像していたのとは違う二人。

何があったのかも知らないし知りたくもない。
でも生きているのに離れるのはずるい。嘘をつくなんてずるい。

「好きだったよ」
「……そうですか」

そう言って通話を切った。

「ははっ……あははははは!おかし……」

誰かにネジを取られたのかたまらなくおかしくなって笑っていた。
いや、あの人に余分なネジをつけられたのかもしれない。

嘘をつく理由もない。
まして、今の事実から真実を見る必要もない。
あるのは現実だ。
彼女はいる。

「どうして俺がいなくなる必要があるんだ」

ある現実からいなくなる必要なんてない。

また暗くなる今日にまた昨日の海へ行くために向かう。
一晩が経ち今日になった晩に、彼女に会うために。

立ち上がるから、その海に沈まずに笑っていて。


H20.1.30



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