act.11 Shinn


 


「ありがとう。夢を……見せてくれて」

宥めてくれる腕が恋しくても俺は抱きしめる身体を引き離した。
不思議そうにする彼女の手が頬に触れる。
曇った表情で首を横に振る。

「なに?」

頬を撫でられて泣いているのだと気がついた。
気がついてしまうと視界が歪む。

これは夢で目覚めたら彼女が頬を撫でていてくれるのだ。

そして俺は涙を拭い、笑顔で別れを告げた。

もう会う事はない。
人魚姫は泡にならずに帰ったんだ。王子に恋をする事もなく。


別れた頃は暗かったはずなのにいつのまにか日が昇っていた。
ただ砂浜を歩いていただけ。
何も考えたくなかった。

「アスラン!」

聞き覚えのある名前と声がして顔を上げる。
少し先にラクスさんがアスランさんに向かって叫んでいた。
必死に何かを言いだげに。でも伝わらなくて悲しいのかもしれない。
当のアスランさんは動けずにいる。

“好きだったよ”

電話での会話が思い起こされる。
過去にしなければと嘘をつく。もう終わった。終わってしまったのだと。
優しさなのかもしれない。でも過去になってしまっているという恐れもある。
このままでいればいい。怖いから。
あの二人はどこか似ている。どうして変化を恐れるのだろう。
目の前にあるのに。伝えたい人はいるのに。
夢か幻かなんて疑う必要もない。
でもそれは彼らが持っていて、俺が持っていないものがあるからそう思えるだけ。
実際持っていたらそうは思えないだろう。
ないものを執拗に羨む。
このまま傍観しているだけでもよかった。
でも足は歩き出していた。


「ただ怖いだけなんですよ」
「シン?」

ラクスさんが振り返る。
アスランさんがこちらを見たまま佇むだけなのを確認してラクスさんの腕を掴んだ。

「シン!」
「あんたは結末が怖いだけだ!もし過去にされていたらと考えたら動けないだけなんだ」

言葉をぶつける。
追い込みたいわけじゃない。動いてほしい。
この手を振りほどきに来てほしい。
ラクスさんは俺を見ると腕は振りほどかずに、アスランさんに向かって口を開いた。

「アスラン、私は」
「ラクスっ!」

ラクスさんからでは駄目なんだ。
あの様子からだと待っていたに違いない。アスランさんが差し出した手を取ってくれるのを。
悪いとは思っても、俺はラクスさんの言葉を阻むように走り出した。

「ずっと探せばいい!そして後悔すればいいんだ!」

アスランさんに言っているのにまるで自分に言っているように感じる。
何を探しているのだろう。何を後悔しているのだろう。
別れ際に彼女が俺を見上げた。

『さようなら』

そう告げて歩き出した。
本当は沈んだっていい。望むならすぐに。
それでもできなかった。
彼女が彼女であって彼女ではなかったからだ。
空の箱を抱いては沈めない。今までを置き去りにはできなかった。
だから告げた別れに後悔はない。


「ラクスさんは……どうしてあの人じゃなきゃいけないんですか?」

しばらく走ってアスランさんが追い掛けてきていない事を確認して、立ち止まった。

「どうしてそう思うのですか?」
「あんなふうに叫んでたらそう思いますよ」

わからないほうがおかしい。普段のラクスさんからは考えられない悲痛な叫び。
どうして伝えないのかではなくどうしてあの人ではないのかが気になった。

「はじめは決められた関係で私達は私達なりに育んでいこうと思いました。だけれど一つ欠ければそれも見えなくなってしまうのです」
「婚約者なんですよね」
「“だった”ですわ」

振り返るとにっこりと告げた。
ずっと掴んでいてしまっていた手を離すとゆっくりとラクスさんは波打ち際へと近づいた。

「私もアスランの気持ちもわかるつもりです。終わらせなければいけない。あの時とのけじめをつけなければいけない」
「だから伝えないんですよね」

わかるから伝えられない。
アスランさん自身が動かなければ結局また繰り返してしまう。迷ってしまう。

「ならもう終わりにしたほうがいいですよ。今までを否定しかねないのなら尚更……そのままにしたほうがいいんです」

風がラクスさんの髪を靡かせる。その姿は彼女を思いだたせて苦しかった。

「わかっているのに気持ちは納得してくれません。あの人でなくてはいけない理由なんてないのです。今までを過ごしてきて私がここにいるのはアスランが戦っていたからなんです。それを否定する事もできなければ、思い返せば返すほど思いは募るばかり」

悩んできたのだろう。
穏やかな表情でそう言えるまでを俺が想像できるわけもない。
ただ好きなんだという気持ちはわかった。その気持ちを知っているから。

「でもただ臆病なだけなのかもしれません」
「似た者同士ですね」
「そうかもしれません」

ラクスさんは微笑んでこちらに顔を向けるとしばし考えこんだ。
何かを言いかけて口をつぐむ。

「シン」
「はい」
「今までがなくなってしまっても、それは全て消えたわけではありません」
「どういう事ですか?」

知っているはずがない。
それはまるで今までを持たない彼女の事を知っているような口ぶりだった。

「ラクス!」

タイミングを見計らったような呼び声。
それは先ほどまで佇むだけだったアスランさんだった。

「遅いですよ」

もう来たなら俺はいないほうがいいだろうと歩き出そうとした。

「シン!キラから伝言だ」
「あの人から?」

予感がした。
アスランさんの言葉にラクスさんも反応して確信にかわる。

沈めた思いは今までの思い。
君はもうそれを持っていない。
それでも君自身が沈む思いだと信じたい。



H21.8.1



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