唇にはまたあとで
“風邪をひいた”
「いや、マスクして咳こんでるんだから書かなくてもわかるよ?」
“ど〜う〜し〜よ〜う〜”
「……よっぽど切羽詰まってるんだね」
メモ用紙には今書いたよれよれの文字があった。それを見れば見るほどどうしていいかわからなくなってくる。
「マスクしたままなら会いに行っても……」
「だめだっ……げほげほっ」
少し話すだけでこの有様だ。しかも声も聞けたものではない。
「そんな事言われてもね。ラクスもそんな柔じゃないと思うし」
キラの言い分に俺は力強く書いてメモ用紙を見せる。
“歌姫は声が命なんだ!何よりラクスを苦しませたくない”
「アスランの言う事もわかるけど……そんなに言うならこんなのはどう?」
そして俺はすぐにラクスの家の前にいた。風邪で調子は良くないとはいえ2階にのぼるぐらいはできる。
ラクスの部屋のベランダに出るとキラから貸してもらったスケッチブックを出す。あらかじめ書いておいたページにしてから、窓をノックする。
カーテン越しに見える桃色の髪が揺れて、こちらに近づいてきた。
カーテンが開かれると少し驚いたように名前を呼んでいるようだ。声はくぐもってよくは聞こえない。
スケッチブックを見えやすいように窓に押し付けて、笑む。
それに視線が移ると喜んでくれたのか手を合わせて笑ってくれた。
“誕生日、おめでとうございます”
大きくはっきりと言えない気持ちを託すように書いた祝いの言葉。
「あっ」
ラクスが窓を開けようとしてくれてるのがわかり、慌ててページをめくる。
ラクスは少し首を傾げて俺を見た。
“窓は開けないで下さい”
そう書かれていたからだ。
窓越しなら平気だろうとキラが考えてくれたが理由を話さないかぎり不審に思われそうだ。
できれば風邪だとは知られたくない。心配をさせたくないし、ラクスならこの窓を開けてしまうだろう。
「……?」
ラクスが軽く窓を叩いてきた。にっこり笑って窓に顔を近づける。
ま、まさか窓越しで……?窓越しなら風邪は移らないだろうけど何だか恥ずかしいような、でもラクスとなら!
と、考えているとラクスは息を窓に吹き掛けていた。
勘違いかと少し残念に思っていると、息で曇った場所に指で何かを書きはじめた。
“来てくれて嬉しいですわ”
書いてからまたにっこりと笑む。
ラクスに風邪をうつさないためとはいえこの窓が憎い。そもそも風邪が憎い。
いや、風邪なんかひいた自分が悪いのか?
再びコンコンとラクスが軽く窓を叩く。ラクスから視線をはずして考えこんでいたようだ。
先程と同じように息を吹き掛けた。でも少し戸惑うように指が止まる。
視線が俺と合うと微笑んで止まっていた指を動かした。
ラクスはそこにハートマークを書いた。
ただのハートだ。でもラクスの指から俺に宛てられたハートは暖かい気持ちにしてくれる。
いつもラクスと一緒にいるときのような、触れ合ってる時のような、唇を交わしてる時のような。
俺もその場所に息を吹き掛ける。ラクスが書いたハートは薄くなってしまったがそのハートをなぞるように書いた。
ラクスも再び息を吹き掛けてまたハートマークを描く。俺が書いたハートが薄くなった。そしてまた息を吹き掛けてハートを書く。
「っ!?」
何度が繰り返していたら吹き掛けていた窓が消えた。
「アスラン」
「ら……っ」
ラクスは窓を開けて俺に呼び掛ける。“ラクス”と言おうとして口を片手で押さえた。
「大丈夫ですわ、うつってもアスランが看病して下さいますでしょう?」
知ってたのか気付かれたのかはわからない。でもラクスは俺が風邪をひいていると知って窓を開けた。
窓越しの逢瀬は思っていた以上に辛かった。めのまえにいるのに抱きしめられない。普段はあまり言えないのに好きだと言いたくなる。
だから俺は頷いた。
もしラクスの体調が悪くなったならラクスの看病をするように、ラクスもそうするだろうとわかったからだ。
「声を聞かせて下さい」
「……ラクス」
ひどい声だったがラクスは笑って抱き着いてくれた。
抱きしめると今まで冷たかった身体と共に右頬に温かみを感じた。
唇には今はできないけど頬になら。
唇にはまたあとで。
H20.2.7
book /
home