これからも彼女と共に。
意識が戻り体を起こすと目の前には真っ白な世界だった。壁は見える。狭い部屋のようだった。
「ラクス?」
視線を感じて振り向くとラクスは角に身を寄せ佇んでいた。俺に訝しげな目を向けて。こんな目で彼女に見られたことはない。まるで見知らぬ誰かを警戒しているようだった。
「自分の名前は認識していますか?」
先程呼び掛けた際に強張った様子から見知らぬ相手に名を呼ばれ警戒していると予想はできていても確認する。すると頷いた。それがわかり一歩下がり近づかない事を示す。
「ここに連れてこられた経緯を覚えていないんです。ラクスは覚えていますか?」
首を横に振られる。辺りを見回して見ても扉はない。真っ白な立方体の中に閉じ込められていた。
「……貴方が閉じ込めたのではないのですか?」
「まさか!俺は貴方の……」
脱出口はないかと天井を見上げているとそう聞かれ慌てて否定しようとすると彼女の瞳に言葉を飲み込んだ。警戒と怯えた瞳。今何を言っても信じてはもらえない。
「私は……覚悟はできています」
「犠牲になってもいいと?」
「はい」
その瞬間怯えは消えた。知るかぎりでも彼女は昔から捕らわれの身になることが多い。立場上狙われる事が多かった。それでも視察や表に出ることはやめなかった。それは父親の志を受け継いでいるのもあったのだろう。今のラクスはまるでその時を彷彿とさせた。
「私以外の者を捕らえているのならば解放して下さい」
「君を助けに行けた事はなかった」
いつも連絡で無事であることを聞くだけ。一度だけ捕虜の受け渡しとして赴いたが助けたのはキラだ。
「今なぜこんな状況に至っているのかはわからない。けれど俺は君を助けた、い……」
目の前がぐらつき足元がふらつく。立て直そうと思っても膝をつくのが精一杯で床に伏していた。ラクスからは目を離さないように。離したくなくて俺を見つめ戸惑ったまま動けないラクスに大丈夫だからと伝えることはできずに意識を手放した。
頬をくすぐるように何かに触れられ目を覚ます。目の前には見慣れた懐かしい景色が広がっていた。頬を撫でていたのは草で草地に身を投げているのだとわかりすぐに起き上がるとやはり思い当たる場所だった。
緩やかな風に乗るように歌声が聞こえ立ち上がる。不自然な機械音と共に。その音を目指し歩き出すとすぐに姿が見えた。
「お友達が大変そうですよ」
「え?あらあら」
オカピに乗った幼いラクスは目を閉じ歌っていた。幼くてもラクスだとすぐにわかる。俺と出会うよりも前のラクスだとしても面影がある。
「オカピ、大丈夫ですか?」
「工具はありますか?」
見ず知らずのはずなのにラクスは警戒するでもなく、けれど不思議そうに見上げた。
「はいっ」
そして笑った。
「凄いですわ」
「散歩をするなら一緒に歩いた方がいいかと」
オカピの修理は何度かしたことがある。テラスに移動し床にラクスが持ってきた工具を広げオカピを修理した。俺が初めて見たときよりも綺麗で真新しい。
「来たばかりの頃は乗っても大丈夫でしたのに」
「ラクスが成長してるんですよ」
しまったと気づいた時には遅かった。名を聞いていないのに知っていては怪しまれてしまう。しかしラクスはふっと笑うだけで何も聞かなかった。
「紅茶は飲めますか?お好きな銘柄とかは?」
「特にこだわりは……」
「そうですのね!では私の好きな銘柄をよかったら飲んでいってください。オカピを助けてくれたお礼に」
立ち上がり紅茶の仕度を始めるラクスに頷き席についた。見慣れた光景。ここは彼女とよく逢瀬を交わした場。俺は次第に彼女の心象と重ねるようになっていたのだろう。憩いの時間。時が経ち失ってしまってから振り返ればだけれど。
彼女は何も聞かない。物分かりのいい子供。それを寂しく思ったのは勝手だろう。彼女は生まれながらに自分の役目を理解していたのだろうから。
いつ意識を手放したのかの記憶がないまま意識が戻る。俯せに倒れ白い床を見つめ体を起こす。
「ラクス?」
彼女を呼ぶのを何度目だろう。角に座り込みこちらを見つめていた。とにかく話をしなければと一度立ち上がり頭を振ってその場に座る。
「……気分はいかがですか?」
「大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」
体調に異変はない。ただ不思議な夢を見ただけ。この状況がそもそも不可解だからか夢に対しても慌てることがなかった。
「どれくらい俺は意識をなくしていたかわかりますか?」
「2、3時間でしょうか。はっきりとはわかりません。長時間ではありませんわ」
夢にいた時間と同じくらいということとラクスが時計のない状態でも慣れていることがわかる。
「俺をテロリストか何かだと思いますか?」
「わかりません。貴方は悪い人には見えません。けれど……」
目を逸らされ立ち上がりかけたのを留まる。俺は何も持たない。彼女の物を何も。彼女の特別である何かを。どうしたら伝えられるのだろう。
「……オカピには乗らないで下さいねと言ったのに乗るのが好きでしたね」
「オカピはもう、いなく……いるのでしょうか?屋敷と共に大切な……」
オカピはもういない。だが彼女の記憶はまだクライン邸のある、父親が生きているような。しかし俺のことは忘れているようだった。オカピのことを話すと記憶の混乱が見られ頭を押さえ屋敷にあった物、人の名を呟き出す。
「ラクス」
辛そうな顔を見ていられなくて呼ぶと彼女が俺を見る。するとまたぐにゃりと視界が歪んだ。今度は身体が倒れた感覚はない。何かに引き込まれるように暗転した。不安そうな瞳をしたラクスを残して。
歌が聞こえる。優しい歌声が。
「ラクス!?」
「はい」
歌声が途切れ返事をされる。視界に覗きこむ幼いラクスが映った。空を背景に。
「すみません!」
すぐに幼いラクスの膝の上に頭を乗せているとわかり起き上がる。そんな俺に首を傾げながらも笑った。
「ここで眠っていらっしゃったので」
「起こしてくれてよかったのに……」
「起こしたら消えてしまいそうで」
それは小さな声だったかもしれない。寂しそうな顔に手が伸びかけるもラクスはすぐに笑みを浮かべ手を合わせた。
「お茶の時間にしましょう」
テラスに移動しラクスが用意する。先程も、彼女にとっては幾日か経過していそうだがお茶菓子があったが今並べられているものは俺が見てきたものとも違う気がした。
「見たことがないものですね」
「今日は父の誕生日なんですの」
紅茶が注がれたカップを差し出される。彼女が家の者と一緒に作ったものなのだろう。だから見たことがない。
「寂しいんですね」
「いいえ」
問いかけではなかった。彼女は否定する。俺の誕生日の時の彼女の手紙、映像での通信を思い出す。カップを手にし飲み干した。
「寂しいんですよ。俺は今の俺だから、言ってくれない事が寂しいし、気づけなかった自分が不甲斐ない」
この状況は自分が招いたもの。立ち上がりラクスに手を差し出した。
「ここにいてくださいますか?」
「え?」
ラクスは笑う。堪えるように。手は膝の上に乗せたまま。
「寂しい、と言えば貴方は私といてくださいますか?」
それはできなかった。俺は戻らなければいけない。彼女はそれをわかって手を取らない。手を取る素振りさえ見せない。
「……ラクスはそのままでいてください。これから出会う婚約者は厄介な奴ですがそんな貴女だから」
言い終わる前に視界が白く覆われる。これからも彼女は彼女のまま生きていくのだろう。だから変えろとは言えない。無理をしないで言えとも言えない。
差し出した手は取られないまま俺の意識は戻っていく。先程の体勢のままラクスは不安そうに俺を見つめていた。
「ラクス」
立ち上がりゆっくりと歩を進める。今日は俺の誕生日だった。後日会う約束はしていた。当日に会えたことが一度もない事に気がつかないまま。
「言わなくてもいい、言えなくてもいい。でも俺は鈍感だから気づけない事が多くて」
ラクスの前に膝をつく。ラクスの瞳からは警戒の色は消えていた。隠れた寂しさを見つけるように覗き込む。
「少しでもわかるように示してほしい。俺も貴女と会えなくて寂しいんですから」
どうしたら伝わるかなんてわからない。
「私は……言ってもいいのでしょうか?」
手を伸ばされ手を取り指を絡める。
「いいんですよ」
額を合わせ目を閉じた。彼女のタイミングで、今まで言えなかった事を言えるように。
そうして箱の夢は終わりを告げた。
「誕生日おめでとうございます、アスラン」
後日約束をした日。食事をしたあとラクスの家を訪れていた。お茶の用意をしているラクスを見つめる。
「来年は当日に会えるようにスケジュール調整をします」
背を向けているラクスに言うとラクスは振り向いて驚いた顔を見せた。
「ラクス?」
笑みを浮かべ優しげな眼差しで見つめられる。
「これからも一緒にいるのですからお祝いできる時は何度も来ますわ」
「そうですね」
まずは一歩。あの夢の終わりに寂しいと告げたラクス。何だか同じ夢を見ていたような気がして、それを確認することはしない。一緒にいるのだから今はいいだろう。これからも彼女と共に。
H29.11.12
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