抜け殻の楽園


 


「眠れないのですか?」
「眠れないっていうか……」

ノックの音もなく開かれたドア。暖かい声が窓から入る冷たい風との温度差を感じさせてくれる。これは現実なんだと一時でも思わせる。

「月が綺麗ですわね」

濁した言葉のあとを無理に続けさせようとはせず、ラクスは窓枠に背を預けて座りこむ僕の側に佇んだ。
月は綺麗だ。でも綺麗なだけのものなんてないと押しつけるもの。本当は輝けない寂しい塊。
まるであれは現実ではなく、夢を見させるために輝いているかのよう。幻を見せて一瞬の楽園を見せてくれる。いつかは誰もいなくなる抜け殻の楽園。

「アウル」

その呼び掛けが眠りを誘う。優しく夢の中へ。悪夢など知らない胸の中へいっそ行けたらいいのに。
でも綺麗なものはない。これが現実であるかぎり、時にラクスの抱かれて眠っても悪夢は見るだろう。

「とても、悲しそうですわ」
「別に悲しむ事なんてないし」

ごまかすようにラクスから月へと視線を移す。月はラクスのよう。ラクスは月のよう。
僕はいつまでも何もわからないまま湖に沈むのを望むのだろう。冷たい水の中で、呼吸を望むのだろう。
僕は現実に生きていけない。この抜け殻の楽園に気付かないふりをして夢を見る。

「時に人は夢を見ない事もあります」

無造作に投げ出していた片手が暖かい両手に包まれた。でも視線は月の方へ向いたまま。

「夢の中にいたら夢も見れないって事?」
「現実に生きているから夢を見る事も見ない事もあるのだと思いますわ」

夢は選べない。現実は選べる。選んだ結末は選べない。

「何で夢は選べないんだろ……」
「どこがはじめで、どこが終わりかわからないものですから……」

選ぶ場所がない。
なら、選ぶ場所のあった僕は現実に生きてしまったということ。

「あの月も選んだのかな……綺麗でいる事も自分で輝く事もできない現実を」

残酷な現実を。

「……そうかもしれませんわね」

気付けば暖かかった両手は窓から入り込む風のせいで冷えていた。
視線を戻せば変わらない微笑みを向けてくれて、寒いはずなのにここにいてくれて。
身体を引き寄せて抱き締めれば、身体も冷えていて。でも抱き締めてくれる腕の力が暖かかった。
月のように、冷たく暖かかった。
抜け殻の楽園は確かに現実で。喜びも悲しみも何もかもがここにあった。



H19.6.14




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