今を彼女と生きていく。
「誕生日おめでとうございます、アウル」
朝食のあとラクスが座ってほしいと言うから向かい合って座った。すると祝われラクスが提案した僕の誕生日が今日だと言うことにやっと気がつく。
箱を差し出されラクスを見ると開けるよう促された。
「時計?」
箱を開けると古めかしい金の縁の時計が入っていた。
「昔両親に頂いたものなんです。時を刻んでいくのを見るのも聞くのも好きで」
「何で?」
「え?」
嬉しそうに話すラクスを見ていられなくて俯いた。俯いたら動き続ける針が視界に入る。進めば一瞬で過去になり、進めば一瞬で未来になる。不安定な自分を嘲笑うように思えて勢いよく立ち上がり音だけでも掻き消そうとした。
「僕に時間なんて意味がない!何が作られた記憶なのか消えたものか忘れてるのかすらわからないのに!」
「アウル」
ラクスも立ち上がって宥めるように手を伸ばしてくる。それを振り払うように乱暴に時計を掴み家を飛び出した。ラクスの声が聞こえても止まらない。
陽は高く砂浜をひたすら走る。微かに上がった息。目の前に広がる海を前に止まった。
「こんなもの……!」
強く握りしめ海に投げ捨ててしまおうとしたのに手からは離れなかった。そのまま力をなくしたように下げる。
ラクスには過去も未来もある。そこに僕はいない。なのに何で時計なんてくれたのだろう。
「……悲しいのかな、僕」
笑ってしまう。なくてもいいと思っていたのに過去も未来も、ラクスと一緒にいる時が欲しい。だから捨てられなかった。ラクスがくれた時計だから。僕にはラクスといる時なんてないのに。
一歩踏み出す。すぐに足から水が染み込む。構わずに入っていく。すぐに腰まで浸かり、やがて頭まで。目を閉じて構わずに進む。不思議と冷たさは感じなかった。温かい場所にいるような、懐かしい感覚に浚われていく。この一瞬と共に沈み、彼女の中で永遠になれるなら。
「大丈夫ですか?」
クリアに聞こえた声に目を見開くと幼い少女に顔を覗き込まれていた。長いピンクの髪が垂れて思わず掴む。
「きゃっ」
軽く引いただけなのに少女は声を上げて僕の胸に伏した。胸が温かく知らないはずなのにありえるわけがないのに過るのはよく知る彼女だった。
「ふふっ」
「何笑ってんの?」
笑い声が聞こえると少女は顔をこちらに向けた。
「何だかおかしくて。倒れてしまってすみません」
「……僕も引っ張ってごめん」
髪から手を離すと少女は顔を上げて首を振った。気にしなくていいというように笑って。
「苦しそうでしたが体調が悪いのですか?」
「別に特には……」
言われても体調は悪くない。記憶は海に沈んだあたりで途切れていた。どちらが夢なのか。こちらが夢に決まっている。だって目の前にいるのは僕の知らない彼女だ。
「名前を伺っても?」
「ない」
「名前を覚えていらっしゃらないんですの?」
「はっきり聞いてくるなー。名乗る名前はないんだよ」
わざとぶっきらぼうに目を閉じて言う。すると顔を掴まれたかと思うと陰り瞼を上げた。
「言いたくないのでしたら無理には聞きません。ですがお話しはしてほしいです」
「してる」
「顔を見てほしいんです」
会って間もない頃のやりとりを思い出す。他愛もない事でも目を見せて話してほしいと。話し合えるのだからと。
「わかった。起きるからどいて」
「はいっ」
言うと笑顔で離れる。身体を起こしただけでにこにことした顔を見られ気恥ずかしくなる。朝自分で起きてきただけで凄いと褒めてくれた日の事を思い出す。最初が肝心で続けることが大事だと。
目を見て話すのは自然になり、朝も自分で起きるようになった。ラクスの目を見たくて、ラクスに挨拶をしてされたかった。
「そろそろお茶の時間ですわ」
少女はポケットから時計を取り出した。この手に今はないプレゼントされた時計と同じ物。時間を確認する姿は嬉しそうでそれが大事な物を見つめる瞳なのがわかる。
「それ……」
「この時計ですか?」
「そう。何で時計なんて贈ったんだろう」
少女は少し驚いた顔をする。当然だ。よく知りもしない奴が持っているものが贈り物だとわかっていたら気味が悪い。でもラクスは微塵もそんな素振りも見せずに時計に視線を向け縁を指先でなぞった。
「流れ行く時を生きている事を忘れないように、でしょうか。常に現在しか生きられなくても繋がっていくものだから。私だけではなく色んな人の時とも」
「止まって置いていかれないの?」
「貴方は止まりたいのですか?」
柔らかく笑って問いかける姿を見て彼女と重なる。今の生活を後悔していないかと問いかけた時に選んだことを後悔しないと言われた時を。僕も自分で選んだのだろうと。
「止まりたくない。一緒に行きたい」
「では置いていかれませんわ。貴方の時は貴方の時なのですから」
「決めるのは自分、ってね」
笑ってしまう。海を前に笑ったときとは違う意味で。
「それ、触ってもいい?」
「はい」
時計を示すと彼女は両手に包んだ時計を差し出した。刻む針を見ても苛立ちはしない。そっと時計に触れる。
「大切にして」
ラクス自身をとは言わなかった。例えこの先のラクスが僕に出会わなくてもいいと思えた。彼女の時が、彼女の選んだ先が、止まらないことを願う。僕がいないことを恐れない。それが今僕といるラクスに対する想いだった。
「はっ……」
強い力に引っ張られて空気を吸い込むとうまく吸い込めずに咳き込んだ。膝をつき片手には砂の感触がする。息が落ち着きだし暗い砂浜に陽が落ちていることに気がついた。
「……ラクス」
顔を上げると同じように息を整えていたラクスが顔を上げ見つめてくる。そして勢いよく抱きつかれ倒れた。
「心配かけてごめん」
「はい……」
胸に顔を埋め頷くラクス。僕の片手には時計が握り締められていた。掲げると止まらなかった僕の時を示すように刻む。
「ラクスの大切なものと一緒に消えたらずっと覚えてもらえるかなって思った」
手を下げラクスを抱き締める。ラクスは顔を伏せたままシャツを握りしめた。
「ラクスの過去になれるって。でもそうじゃないって今までラクスと暮らしてわかってたはずなのに時計を貰ったら怖くなってさ」
顔を上げたラクスは申し訳なさそうな顔で瞳を潤ませ僕を見つめた。
「ラクスは一緒にいるから時計をくれたのに」
「はい」
「大事にする。今までもこれからも、この時計も」
うまく伝えられたかはわからない。でもラクスの笑顔で伝えられたのだとわかる。繋がっている。僕の知らないラクスもラクスなのだと。これからのラクスも。僕が知ることができなくなっても。だから僕は今を彼女と生きていく。
H29.11.13
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