砕くは鮮やか、枷は色:4
忘れないように
忘れないように
細い針一つに託す
滴る赤で思い出せ
「早くっ」
僕は彼女の細い腕を引っ張って走っていた。
何も言わずに彼女はついてきてくれた。
「辛くても走れよ?できるだけ早く遠ざからないといけないからさ」
「大丈夫ですわ」
プラントの奴らは身体能力も頭脳も秀でていると聞いた事がある。
大丈夫という言葉のとおり、ラクスは僕の足についてきていた。
「このへんでいいかな」
一時間も経っていないがここまで追う事はないだろう。もはや厄介なものにすぎないのだから。それでも逃げたものは追わねばならない。ただし逃げきられたと判断すればもう追わないだろう。
「前のとこからそんな離れてないし歩いていける範囲だからさ」
手を離したつもりが離れておらず、今度はラクスに掴まれていた。
「アウルはどうするのですか?」
「どうするって、戻るよ?」
不安げに見つめてくるラクス。手を握り返してから今度こそ離した。
離れた手に冷たい風があたって一瞬にして温もりがなくなってしまう気がした。
「忘れちゃうから」
「忘れる?」
「そ、思い出したのが奇跡的」
僕は忘れたはずの彼女との記憶を、彼女の枷をはずした時に思い出した。
「アウル……怖い顔」
「へ?べつに怖くねぇよ」
ステラに横から覗きこまれながら言われ、目の前のスクリーンから視線を逸らした。
この艦にいる誰もが驚いている。ここにいるはずのラクス・クラインが目の前のスクリーンに生中継で映し出されているのだから。
では彼女は誰なのか。みんな困惑してるのがあからさますぎて笑える。
やっかい事ならたまったものではない。捕らえた彼女はあまりにも似過ぎている。
「どっちかが偽者という可能性があるな」
「ネオ……」
いつの間にか僕らの後ろに立っていたネオが画面を見ながら呟いた。ステラが嬉しそうにネオの腕にしがみつく。
「普通偽者をこんな堂々と出すの?」
やはり誰もが思う疑問。ネオは意味深に口を歪めた。何かを企んで入る顔だ。仮面に隠れてる目がどんだけ歪んでるかも見てみたいもんだ。
「ステラ、スティングを探してきてくれ」
「ここに……連れてくるの?」
「いや、部屋に待機。アウルもだ」
「は?」
ならステラに探しに行かせずに僕に言えばいいのに、あえてステラに頼むネオ。ステラは喜んで頷いてからスティングを探しに行ってしまった。
「ステラがよくからまれんの知ってんだろ?なのに何で……」
「お前は問題児だからな。部屋に待機だ」
「ちょ……!」
腕を引っ張られて通路に連れていかれる。自業自得と言わんばかりの目で他の奴等がそんな僕を見ていた。
「離せよ、部屋にぐらい一人で帰れるっつーの」
「感謝しろよ〜」
この状況をどう感謝しろというのか。掴む手を振り払おうとした直前に離れた。
「最後の逢瀬だ」
「だから何の話だよ」
「俺はお前らには戦闘以外では普通に生きてほしいと思ってる」
僕らの状態を知っていながらよく言えるものだ。別にこの状態は異常だとも思ってないし、そう思う余地すら僕らの中にはない。
「だからナニ?」
「ここからはお前が考えるんだな」
「はぁ?」
言い逃げかよ!と言う前にネオは行ってしまった。まさに言い逃げだ。
“最後の逢瀬”
思い当たるのはただ一人。
まるで仕組んだように誰もいない。いや、ネオが仕組んだのかもしれない。
あれだけ入るまでがめんどくさかったあの人がいる部屋に簡単に来れてしまった。
「あんたさ、俺と会った事ない?」
扉が閉まって真っ暗な空間。そこにいる人に向かって聞いていた。
「……あなたが、知らないのなら会った事はありませんわ」
「そんな言い方まるであんたは知ってるみたいじゃん」
しんと静まり返る。
これ以上こうしていても仕方ないと、携帯しているライトに明かりをつけた。ポケットにあったピンを取り出す。
「アウル?」
「ここにいたら証拠消すのに殺されかねないからさ、逃げてよ」
ライトを口にくわえて手足の枷をはずそうとピンを差し込む。変なとこだけ旧式な鍵で助かった。
あっけなくはずれた枷。数日はめられていたせいか赤い跡がついていた。そのあとは枷の跡と歪な何かの跡。右手につけられているブレスレットがライトに反射して光った。
「あ……」
ライトが口から落ちた。光を失ったはずなのに、光は消えない。
「アウル……?」
「ごめ……ラクス、ごめん……」
あっけなく無様に目が覚めた。眠りも無様なら、目覚めも無様。
僕は泣くのを堪えてラクスに抱き付いた。安心するぬくもりがここにあって、手が届いた今が悲しい。
どうしてこんな所にいるんだろう。そんなの僕のせいだ。
「大丈夫ですわ、アウル。だから泣かないでください」
優しい声に、おそるおそる肩に押しつけていた顔を上げた。
あの時に渡すはずだったブレスレットをした手が頬に触れた。暗がりに慣れた目が彼女の微笑みを暗闇の中で映す。
「行こう、ラクス」
「もう忘れちゃうんだ」
「忘れませんわ……」
「忘れるんだよ!!忘れないなら今までだって覚えてたはずなのに……」
こんな話している暇はないのに別れたくなくて、動けずにいる。
二度と会う事はない。なら思い出して、思い出に想いを馳せればいい。僕にはそれもできない。
ならずっと一緒にいたい。それもできない。
じゃあどうすればいい!?どうにもできないんだよ!!
答えはわかりきってるのにどうにかしたいと願ってしまう。捕われて動けない。鮮やかすぎて白黒の世界に戻るのが怖い。この気持ちを、温度を知らない自分になるのが怖い。
「行けよ……」
「アウル」
「行けって言ってるだろっ!」
少し、期待してた。
ここから二人で逃げ出せるんじゃないかって。
そんなの望んでないのに。
だから安心した。
叩かれた頬が熱くて、安心した。彼女の泣き顔が綺麗で安心した。
「私はあなたの事を知りません。でもあなたが私に向けてくれた気持ちは知ってるつもりです」
「気持ち……?僕だってわかんないのに?」
泣きながら僕の頬を打った手が今度は頬を撫でた。そしてどちらかともなく抱き締める。
「何度会っても大丈夫ですわ。あなたの気持ちは消えないと……信じてます」
記憶は消えても、気持ちは残る。消えない気持ちは記憶を残す。
そんな可能性に賭けてみる。
そして別れた。
「あれ?なんでこんなとこいんの?」
歩いて帰るようかと憂鬱になりかけた時見覚えのある人影が見えた。
車が停められていて脇に二人立っていた。その二人はスティングとステラだった。
「ドライブ……?」
「ドライブついでに買い出しに行って迷子になったアウルの迎えだ」
「迷子!?」
ステラならともかくこんなとこで迷うほど方向音痴じゃないと言いかけてまたネオにやられたと気がついた。悔しいから感謝の言葉は言ってやらない。
「大丈夫か?」
「何が?」
本当は何がなんてわかってる。自分でもよくわからないからはぐらかした。実際、あまり良くはないだろう。この分だとゆりかごに入ったら消えてしまう。いらないものだと判断されてしまう。
「ちょっと急いで」
可能性ができるだけ高くなるようにと願い、僕はスティングを急かした。
「アウル・ニーダ、その耳はどうした」
「何だよ、んなとこまで見てんなよ」
揺り篭に入る手前で呼び止められ腕を掴まれた。耳を隠していた髪を払いのけられる。
「離せよっ!」
まだ痛みの残る耳朶に触れられ、乱暴に振りほどいた。
痛む。できるなら逃げ出したいと胸が痛む。
覚えている自信がない。また白黒の世界に戻ってしまう。自分は白なのか黒なのかをはっきりとさせたいだけに戦う日々に戻ってしまう。
「別にネオからは何も言われてないんだ。だから問題はないだろう?」
僕を守るように腕を引き寄せるスティング。ステラもいつの間にか僕の前に立っていた。
「行き過ぎた行為はしないように」
最近めだった行動が多かったせいかやたらと突っ掛かられていた。揺り篭の時間に来ずに遅れてきたせいもあるのだろう。
覚えていられないなら残しておくしかない。それがいつまで残るかわからないけど。
急いで帰ってきて、針一本で耳朶に穴をあけて、あの人へのプレゼントと一緒に買ったピアスをして。
「アウル、大丈夫……?」
「……大丈夫だって」
僕以上に不安な表情を見せるステラの頭を2、3度軽く叩いた。
こんなにも普通なのに。どうして覚えておきたい事は覚えておけないんだろう。
慣れた揺り篭。暖かくて何かを思い立たせて安心する。それが今はたまらなく怖い。
それでも逆らう術もなく、僕は揺り篭で眠る。人の体温かのように温い空間は心地よくて。
気付けば恐怖はなくて、ただあったのは……泣きたいという気持ちだったのかもしれない。
「アウルはああいうのは好きじゃないのか?」
ザフト軍を偵察にきたら突然の音楽と派手な機体と共に踊る女が現れた。一応偵察だからと暇潰しに見てるけど全然楽しくない。
「別にー。興味ないだけ」
どうしてそうも楽しめるのか。戦闘に戦闘以外は必要ない。自分が勝つか負けるか。勝てば自分でいられるし、負ければいなくなる。ただそれだけ。
「そういえばピアスつけるのやめたのか?」
「は?え、ない!?」
あるはずの物を探して左耳に触れてみると、そこにはあるはずの感触がなかった。
いつ開けたかも忘れてしまったピアス。でも気付いた時には酷い痛みを感じていて、こうなったら耐えて付け続けてやると半ば意地になって付けていたもの。痛みに負けるなんて嫌だし。
「アウル……落ちてた、はい」
騒ぎ出す寸前でステラが手を差し出してきて、僕も差し出すと手のひらにそれが落とされた。
小さな蝶のピアス。飛ぶ事もせず、ずっと耳に留まり続ける。なのに落とすなんて……。
「それじゃあ帰るか」
「……うん」
ピアスを握り絞め、もう一度音楽のする賑やかな方へ視線を向けた。必要としたいものはそこにはないのに。何が欲しいのかすらわからないのに。
「アウル……?」
「行こっか」
ステラに呼ばれ、後部座席に座ると車は走り出した。
沈んだ海は冷たくなかった
沈んでいく身体は冷たいのに
包む水は暖かい矛盾
ゆりかごに似ている矛盾
いつだかに感じた恐怖と安心感
視界は段々と赤に染まっていく
これは僕の赤
この耳朶に穴を空けた時にも目にした赤
記憶を砕いて少しでも覚えていられるようにと
滴る赤は鮮やかで
痛みと重みを覚えていられるように
枷をつけるように
そして色はついた
まだ色のついた世界に慣れずに
拾われた空の下で
僕はまだ瞳を閉じたまま
H19.6.21
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