近似していると思うこと
※ 57 救出後〜駅前モニター前までの移動中のお話
じんわりと温かな背中で揺られていた。厚い筋肉の裏側で鼓動を重ねる心臓の音が、肩口に凭れた耳に届いている。
つい先程敵の迫りくる手から逃げ果せ、緊張に足を竦ませて血管がはち切れそうな感覚を味わっていたというのに、この背中に担がれて間もなく、そんな息苦しさなどどこかに消えてしまった。目の前を走る出久と切島、そして飯田の後ろ姿をぼんやりと目で追いかけながら、徐々に廃退した住宅地から駅前の眩しさに背景が流れていく。
「…勝己くん」
「あ?」
周囲の騒然とした声に掻き消えてもおかしくはないだろうに、爆豪は律儀に声を拾い上げてちらと視線を寄越した。
流れる血などないというのに、ずくずくと脳が圧迫されていくような気持ちの悪い痛みに、思わず目尻に浮かんだ涙を擦った。痛むんか、と聞いたこともないほど穏やかな声が降ってきて、驚いてしまったことが気に食わなかったのか「んだよ」と不機嫌な声が返ってきた。
「ごめんね…さっき、右手ばっかりで、痛かったよね、」
「なめんな、痛かねーわ」
「……。ずっと、夢、見てて」
人集りに歩みが遅くなる。揺れていた背中は次第に、呼吸のために上下を繰り返すだけとなった。
頭を持ち上げる気力も最早なく、彼の首筋越しの景色を呆然と眺めていた。
「勝己くんは…いつも、見つけて、くれるね」
ぼんやりとする視界に、舌を転がす音もふやけていく。
返事はなかった。ただ、なんとなく聞いてはいるのだろうなとは思う。
膝の裏を掴む彼の手は個性のせいで汗ばんでいて、今がひどい夏だということを思い出させる。夏の方が爆豪は元気だったな、なんて夢の続きに思考がもたげた。
「…あの時も、すぐ、見つけてくれたから、」
熱に溶ける手のひら。皮膚が爛れていく。酸素が絶たれていく。外側からも内側からも渦巻く熱に怯えていた廃材置き場。
――爆豪の皮膚を覆う熱は平生の彼に似つかわしくないほど穏やかだ。形容するならば陽だまりであるといつも思う。まるで小さな子供に似た高い体温が引きつれるのは、熱に苛まれ続けた恐怖ではない。
「…病院で、目が覚める前、いてくれたの勝己くんだよね」
ぴくりと肩が跳ねた。
大通りを何台ものパトカーが通り過ぎていく。歩道からもあふれでた通行人や野次馬を整理するヒーローの声が響いていた。
爆豪は名前を抱え直す素振りをして、じとりとこちらを見下ろしてから何もなかったかのように前だけ向いた。
「――俺が行くわけねえだろ」
「…勝己くんはあったかいから、すぐ、分かる」
「知るかよ。つか黙っとけや、耳元でウゼェ」
それきり口を開かなくなった爆豪の背中で縮こまる。言葉はもうないというのに、心臓の音ばかりが雄弁だ。
――小さい頃、名前を見つけるのはいつだって爆豪だった。出久ではない。どんくせーなと呆れたような声とともに差し出された手のひらの温かさを、覚えていた。
覚えていて、そうして無個性となった四歳の頃から、ついこの間まで、その手のひらは嫌いだった。名前自身の中で燻っていた熱と似ていて、どうにもならない思いを吐き出すこともできずに、結局傷つけることしか選ばなかった爆豪と少しの違いもなかったのだ。
「…無関係に、なりたく、ない」
思考がうつらうつらと揺れていく。
何度も繰り返す瞬きは次第に増えていって、このぐずついていく意識が果たして正しいのかが分からない。勝己くん、と曖昧にこぼした声に、彼は気怠そうな母音を一つ、落とした。
「…勝己くんも、いずも、私ばっかり、一番安全なところで、遠巻きに、ただ守られて、見ているだけなんて…いや」
できることなど何もないと彼は言った。
ぽろぽろと目尻から頬を伝っていくものは、傷が痛いからなのか、それともそれが綺麗事で全くの事実だと身に染みたからなのか、擦っても擦っても止まることはなかった。
駅前のビルに取り付けられたモニターからアナウンサーの焦燥をにじませた声が聞こえてくる。切島たちは誰かと電話をしながら辺りを見渡していた。
「…守れてたろ、自分の身くらい」
「……?」
「その個性で」
大通りも相まって人の波に埋もれた。見知らぬ人たちの猜疑の視線と声に混じって吐き出された言葉は、名前にようやく届くほどの声だった。
いつもよりも随分と高い視点で、爆豪の振り向かない横顔をみた。
無個性だと嘘を吐いて、嗤ってたんだろ。そう、彼はUSJの後も炭谷との授業の後も、いっていた。
――出久と同じように、爆豪も生まれてから今までこんな風に隣にいた。ずっと無個性だった幼馴染みが続け様に有個性だったことが分かって、雄英にきて足元を突き崩されて、それでも前に進もうと足掻いていた。
名前も爆豪も、近しい誰かの気難しい隣人に左右されながら、ここまで来たのだ。――つくづく、思う。
「…個性、役に立った…?」
「調子乗んな。もう使うこともねーわ――」
最後に付け加えられた言葉がなんだったのか、それだけが雑踏に紛れて聞こえなかった。聞き返したところで答えてもくれないだろう。ぽすりと背中に額を預ける。
涙は、いつの間にか止まっていた。