私たちには有り触れている

親の転勤に合わせて東京から兵庫に越してきたのが、小学三年生になる春が来る少し前のことだった。行動範囲の狭い小学生にしてみれば、東京の郊外と兵庫の違いなどさしてわかるはずもなく、ただ教室中に溢れる異国語のような言語の群れに戸惑った。
友達など当然誰もいない教室の中で一人だけぽつんと他言語を話してるかのような名前は誰彼からも注目の的で、引っ越してから最初の三日ばかしは逃げ道がどこにもなかった。そんな中、一際よく話しかけてきたのが隣の席の宮治だった。東京には何某という美味しいものがあるんだってといつかのテレビで放送していたグルメ番組の話を唐突に持ちかけてきては、いいなあと勝ち取った欠席者の分の給食パンを頬張りながら言っていた。
それから、気がついたら隣に他クラスの宮侑が並ぶようになった。家もそれなりに近かったことと、二人が通っていたバレーのクラブの手伝いだか何かで、バレーが趣味の母が顔を出していたことも重なって、見分けのつかなかった顔が分かるほどには隣にいた。
それからというもの、喧嘩ばかりの二人のセーブ役のようなポジションで隣にあり続けた。
中学の卒業式になっても二人には高校の話の一つも伝えなかったのは侑からか治からか、どちらかの悪戯心が移ったからだ。二人の高校は聞かなくてもファンだというクラスメイトたちが騒いでいたので、随分と最初の頃から知っていた。


『名前、お前ほんまどこ行くん。就職でもするつもりなん?』
『中卒でそれはしんどいやろなぁ』
『残念、私は現実主義なのでそれはないかなあ』


ひらひらと桜の花びらが沿道も校庭も染めていて、体育館脇の駐車場には卒業式後のざわめきだつクラスメイトたちの声で溢れていた。宮くんたちは、と甲高い声が外から聞こえてくるのを、当の目の前の双子は窓枠に肘をつきながら見下ろしていた。
そよぐ風に髪が攫われる。陽の光に白くぼやける二人の頬の輪郭や長い睫毛の下に収まる瞳がまるで映画のワンシーンのように様になっている。顔ばかりは黙っていれば可愛らしいのだけれど、口を開くと粗暴な言葉が空気を壊してしまうので完璧な理想像というものは存在しないんだなと中学生ながらに理解した。
先程までけらけらと笑っていた侑が不意に真面目な顔をして、くだらないことを考えていた名前に四月からの話を切り出した。まだ、いうつもりはない。
治がポケットから小包を取り出して飴玉を口に放り込んだ。


『名前、手ぇ出し』
『?』
『選別。初任給でうまいもん買うてくれるん待っとるわ』
『ただのゴミ!! ていうか就職じゃないから進学するから!』


桜色のパッケージの小包を名前の手のひらに落として「ツッコミおもんな」などと笑う彼も、どことなく寂しげであったのは見間違いではないのかもしれない。


『何も言わんから稲高やと思っとったのに、裏切られたわ! サイテーやん!』
『何それ、ウケる』
『ウケるちゃうわ! 折角輝かしい高校生ライフにお前おらんくてどないすんねん、つまらんやろ!』
『やだ、治聞いた? こーこーせーライフとか言っちゃう中身入れ替わったおっさんいるんだけど』
『ほんまきしょいなツム。俺も今から名前んとこに変えよかな。で、どこ行くん?』


頬袋を飴玉でコロコロと膨らませながら治は椅子の背もたれに両肘を置いて、その上に顎を乗せて名前を見やる。こうすることでようやく同じ目線になるのだから、あんなに小さかった二人が、と思わず笑いそうになった。


『まあそのうちわかるよ』


卒業証書が収まった黒い筒で隣に座っていた侑の頭をぽこんと叩いた。空洞が響いた音がして、侑の頭は空っぽだななんていう冗談を、彼は十倍の勢いで反論してきた。その騒々しい声に、体育館脇で屯していた女子生徒の何人かが振り仰ぐ。宮くん、と嬉々とした悲鳴に、名前は我先にと教室から飛び出した。

それから、数日が経って高校の入学式の当日。ブレザーに袖を通して中学の頃よりも丈の短いスカートを翻しながら、宮家のインターホンを一度だけ鳴らした。ピンポーンと高い音が家の中で反響していて、スピーカーから宮家の母の声がノイズ混じりに流れてきた。


『名前ちゃん? どないしたん?』
『おはよーございます。双子のお迎えにあがりましたー!』


ややもしないうちに、乱暴に玄関のドアが押し開かれた。体格のいい男子高校生が口いっぱいに朝ごはんを詰め込ませながら、ドアから二人して溢れでている。
名前はスクールバックを肩にかけ直して、右手を振った。


『さ、学校行こ!』
『んぐ!? ッ!!? 何やねんお前!!! いえや!!!』
『まじか、うちの制服やん』


目を見張った双子は名前と似たデザインのスラックスとワイシャツを着ていて、きっとソファにかけられているのであろうブレザーは同じ色で、同じ校章があしらわれている。


『そのうち分かるよって言ったでしょ!』
『いらんねん! その無駄な演出!』


待っとれよ、と侑の凄んだ顔に腹を抱えて笑えば、ややもしないうちにカバンを抱えて出てきた彼に思い切り両頬をつねられた。
サプライズじゃん、と頬を引っ張られているせいで発音の怪しい言葉に、治が心臓に悪いと整えた髪をぐしゃぐしゃにするように頭を撫でてきた。ふわふわとカールさせた髪が台無しだ。朝からぎゃあぎゃあと玄関前で言い合っていれば、宮家の母からお叱りを受けたのでそそくさと通学路を歩き始めた。
右側に侑、左側には治が連なるこの光景が、一番好きだった。
背の高い二人に挟まれて頭上で繰り広げられる軽口にも、金髪になった侑からの嫌味な攻撃にも、反対に銀髪になった治の腹が減ったと数分おきに溢される主張にも、何のことのない日常としてまた三年間続いていくものだと思っていた。
それがどうしてだかこうなった。


「侑君と治君の彼女って本当…!?」
「宮君たちの何なんですか?」
「幼馴染とか言って、ぶりっこぶってんの?」
「邪魔なので別れてください」


ある日は先輩から呼び出され、またある日は同学年にすれ違いざま悪態をつかれ、さらにある日は下駄箱に投げ入れられた可愛らしいメッセージカードで脅迫された。
中学の頃にもこの双子は他の追随を許さないほどには人気であったし、かといって中学生が何をするわけもなく、年相応の憧れと不純が入れ混じった目で済んだくらいだったというのに。高校に入ってこうまでも変化するものだろうか。
多少の悪戯くらいは耐えられるものを、不特定の少数から浴びせられる理不尽すぎる暴挙に頭を抱えていた。


「あんたらの彼女かどうかとか、もー聞き飽きたっちゅーねーん!!」


入学してから早くも一年が過ぎようとしていた。来月には二年生になる。平々凡々の高校生活は最初の半年間だけで、あとは度重なる恫喝になけなしの対策を取ったところで徒労に終わった。
作戦会議と称して集まっていた二人の部屋に置かれているテーブルに、だらりと両腕を広げて突っ伏すと、邪魔だとばかりに侑に容赦なく数学の教科書で頭を叩かれた。治は治でベッドフレームに腰をかけて携帯をいじっていて、幼馴染だというのに泣き言の一つにも興味がないとは薄情が過ぎる。


「下手くそな関西弁やめえや、腹立つな」
「あんたらのせいで私の生活が脅かされてる方が腹立つわ!! 私が否定しよーが距離取ろーが無駄だしもうどうしろと!? これはもう三つ子ですって設定で進むか!?」


テーブルに散乱していた教科書やノートを押し潰しながら拳を握れば、うるさいと後ろの治から小言が飛んできた。


「この間のあれはそういう意味やったんか! 突然すぎて意味わからんかったわ!」
「三つ子はやめようや。笑えん」


唇をへの字に曲げて顔面いっぱいに不満の顔を浮かべる治に、侑がそうやなと頷いた。そんなところで意思疎通を図らないでほしい。問題はそこではない。というか地味にボディブローが入った気がしたのだがどう意味だろう。
治はどこから出したのかバウムクーヘンをもさもさと頬張っていた。


「中三の私はどうかしてたんだ…双子と同じ高校選ぶとか…」
「むぐ。しかも入学式まで教えんっていう徹底ぶりな。もう諦めぇや。たらればの話なんかしても虚しいだけやで」
「腹立つ、しかもそれ私のだし!」
「うまかったわ」


小学校中学校と続いているこの関係性は自他ともに仲がいいと評するような、例えるなら冬の布団の中に似た心地よさで、それを高校には持っていかないなんていう思考回路の一切をあの頃は持っていなかったのだ。


「次なんかあったらすぐ呼びや」


呼び出されたところで実害はない――授業の間にずっと腹が立っているくらい――ので、生返事が舌先で転がった。わざわざ問い質されている渦中の人間を引き連れてくるなど事態が余計にややこしくなるだけだろう。都合の良いように双子を使う女というレッテルが増えそうだ。解決策にはなりそうにないなと、彼の優しさには申し訳ないが余程ではない限り採用されない。
侑は大きな手に似つかわしくない小器用な指先で頭頂部の髪を一房摘むと、なぜか編み始めているようだった。折角の台詞が浮いていて、彼の格好のつかない挙動に馬鹿馬鹿しくなって溜息を吐く。
双子と幼馴染なんていう関係性に理想を押し付けているのだ。彼女たちの目には、彼らの端正な顔面と背格好とスポーツしか映っていないのだ。そんなに神聖視するほどに好きならば、いっそマネージャーでも何でもすればいいというのに。
携帯の画面を注視していた治がはっと顔をあげて、いかにも閃いたとばかりにおかしそうに目を細めた。


「思いついた。いっそ俺のカノジョってことにせえへん?」
「はあ? 何寝ぼけたこと抜かしとんじゃサム! すんなら俺やろ、なあ名前!」


彼は弄んでいた髪を放って両肩を掴むと、がばっと勢いよく名前をテーブルから引き剥がした。
双子の自称ファンだという女の子たちと泥沼化していく未来しか見えない。というか、どうしてこう彼らは事態を悪化させるような案しか言ってこないのだろう。後ろから刺されろとでも暗に言われているのだろうか。
おもんな、と治を真似て顔を顰めると、何でやと侑の盛大な声が響く。うっさいねんと治の方から投げられたクッションが侑の後頭部に直撃したのでナイスキーと笑った。
騒々しい双子の言い合いに紛れるようにテーブルに置いていた携帯が震えたので液晶画面を見やれば、同じクラスの角名からメッセージが届いていた。


「あ、角名君だ」
「はあ!? 何勝手にやりとりしとんねん!」


肩から手を離して携帯を掠め取ろうと伸ばされた腕から回避するべく後退りをすれば、侑は許すまじと何に腹を立てているのか目を眇めている。勝手も何も、角名と話すことが侑の許可制など知りもしないし通そうとも思わない。角名の彼女かと唇を尖らせると、あ、と不機嫌極まりない母音を一つこぼされた。
大体、バレー部以外で異性の友達の一人もできそうにないのは双子の存在が何かしらに関与しているからだろうとは中学の頃から薄々気付いていた。話しかけたら青い顔をされて首を振られるなんて、双子が関わってなければ彼らにとっては名前は猛獣の類にでも見えているのかとでも言いたくなるものだ。交友関係を潰してくるのは本当にやめてほしい。孤立させたいのが目的だとしたら相当にこの双子の性格は歪みすぎている。早々に転校を視野に入れるべきかもしれない。


「いや、同じクラスだし。課題終わった? だって、双子に邪魔されてできてません…と」
「むしろ邪魔しとんのお前!! 見てみいこの折れたページ!!」


テーブルに広げていた物理基礎の教科書を眼前に突きつけてくる侑に、角名に返信をしながら冷ややかな眼差しを向けた。


「元からくしゃってたよ」
「教科書は大事にせえへんと北さんに怒られんねんで!?」
「たまに聞く北さんってお母さんか何か?」
「お前ほんま北さんは恐ろしいねんで…」


治は頬張っていたバウムクーヘンから手を離すと一気に顔を硬らせた。
バレー部の部長である北という人は、どうやら双子の手綱をガッチリと掴んでいるようだ。全くもって面識はないが、これは双子について何かが発生したら北に相談しに行ったほうがもしかしたら事が済むのではないろうか。ついでに二人の精神的な攻撃にもなりそうだ。作戦会議だと言っているのにも関わらず案を練ってくれない双子が悪い。
ぽこんぽこんと角名との軽快なメッセージの往復を報せる通知音にじわじわと侑の眉間に皺が寄る。角名の彼氏かと言えば、「そのボケ二回目やしなわけないやろ」と適切な言葉が怒号とともに返ってきた。


「もーいーや。なるようになれー」
「せやで、名前。悩んでもしょーもないからコンビニ行こや。アイス食いたい」


彼の近くのゴミ箱がプラスチック包装で溢れかえっているのは最早見慣れた光景だ。治は名前の携帯を握りしめる腕を引いて立ち上がらせようとする。ぐっと抵抗してみたところで意味もなく、ひょいとそのまま引き上げられて立つほかなくなった。


「買ってくれる?」
「ツムが」
「何でやねん!」
「この前俺の食うたやろ」
「う、ぐ…!」


食べ物の恨みは怖い。とくに治に関しては二次曲線並みに倍になって仕返しが返ってくる。
治が椅子にかけていた名前のマフラーを手に取って首に巻き始めたので、侑がぐぐぐと歯を食いしばりながらも諦めたように腰を上げた。こればかりは自業自得だ。
にしても彼に黙って巻かれていたが、このマフラーの独創的な巻き方はボケているのか素なのか今ひとつ計りかねた。なかなか隙間が埋まって温かそうなのでこのままにしておくことにしよう。
三月なかばといえど寒いので、適当にハンガーにかけられていた侑のジャンパーに袖を通した。


「治の食べ物に手を出した侑が悪いなあ、それは。私ハーゲン」
「俺クリスピーの方」
「お前ら調子乗ってんとちゃうぞ…!! あと俺のさらっと着とんなや名前!」
「あったかいわあ。おおきに」
「どーいたしまして…って貸してないわ! 俺が着るもんないんやけど!」


厚めのパーカーにマフラーを巻いたちぐはぐな侑の背中を押して部屋を出る。廊下さっぶ、と振るわせた彼があんまりに可哀想だったのでマフラーを解いて彼の首に重ねれば、そっちやない、と文句は言いつつも名前のマフラーを広げ直して肩に掛けていた。
コンビニまで徒歩十分の暗い夜道を歩いた。時折横を通り過ぎていく車のヘッドライトが足元を眩しく照らしていく。
冷たい風が吹くたびに右隣でさっぶ、と肩を摩る侑には悪いことをしたなとミジンコほどの後悔をしつつも、ジャンパーは脱がなかった。


「あー肉まん食べたい。治半分こしよ」
「えーじゃあ名前あんまん買うて」
「え、俺は?」
「ピザまん一人で食べなよ」
「ピザまん食っとればええやん」
「二人で結託すんのやめろやほんま。あと俺も肉まんがええ」


大抵のものは三等分だ。三人で揃っていないことの方が数えられる。奇数なんて面倒で、侑や治のどちらかがいなくても面倒だ。ある原子の外殻は八つの電子で安定するけれど、きっと名前たちは三つで安定するのだと思う。
何を食べるかとコンビニに着いても決まらない論争はいつものことで、結局侑も肉まんを買って、侑の金が足りないおかげで求めていたアイスよりも安いものを袋に提げて、家路に着いた。
散々双子の文句を言って、文句を言われて、それでもここまで隣にいることを選んだのだから、詰まるところ名前もまだここに収まっていたいのだ。作戦会議だなんだとしたところでこの関係性や距離感が微塵も変わることなんてないのも、初めからそんなものは分かりきっている。
半分こせな寂しいやんと、中身の同じ肉まんを侑と半分に割って分ける。馬鹿じゃないのと笑いながら、右手に押し付けられた中身の同じ肉まんを頬張った。

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