焼骨されたらどうぞ優しく平らげて

文化祭も終わり、着々と二学期の期末テストの期日が迫っていた。一学期と二学期の中間テストを経験しているためか、心持ちは最初の頃に比べれば穏やかなものだが、それでもヒーロー科たるもの赤点ギリギリは避けたいところだ。


「名前、顔がやばいって」
「響香ちゃん…もう既に死にそう」


本日最後の授業であるセメントスの古典の授業中も至る所にテストの話がちらついていて、チャイムが鳴って彼がいなくなるのを確認するととすぐに机に頭を突っ伏した。教科書に頭を擦り付ければ脳に定着するかな、なんて馬鹿げた希望を吐けば案の定耳郎からはそうだったら苦労しないと笑われた。


「まあでも、名前には一番効率いい方法、あるじゃん」
「え、なにそれ二学期にして初耳なんだけど」
「だって付き合ってるって知ったのインターンの後からだし」


ガタリと思わず立ち上がって仕舞えばキャスターが転がる派手な音がした。クラス中の視線が集まったせいで、顔面が一気に熱くなる。何でもないですと手を振れば、何してるんだ名字はと尾白が穏やかにそれでいて呆れ笑った声を出したおかげで視線は散っていく。耳郎の背中に隠れるように机に張り付きながら、携帯をいじる彼女の背中に小言をぶつけた。


「突然なんの話かと思えば」
「いやだって、どう考えてもクラス上位に聞いた方が効率いいでしょ。前回何位だっけ、緑谷」
「う、ぐ…四位」
「まあそこら辺は一学期から変動なしって感じかー」


部屋行けばいいじゃん。
画面から視線を外して悪戯っぽく笑う彼女は、今までもお互いの部屋には不可侵だったことを知っているはずだというのに。
ちらりと右斜め後方の席を覗き見る。彼――緑谷出久は飯田や麗日と先程の古典の確認をしているようだった。相変わらず麗日と仲が良いが、流石に彼女にやきもちを焼くような程恋愛脳ではない。そんなことを言ってしまえばA組なんて全員きりがなくなる。視界の隅にあったそんな光景から耳郎のカーディガンの編み目に視線を移した。
――実際彼と付き合い始めたのは夏休みが始まる前の話で、彼女や芦戸などにも言おう言おうと思いつつ、合宿だ敵連合だインターンだとなんだかんだ色々ありすぎて、事が落ち着いた十月半ば頃にようやくそれは女子の間で周知の事実になったのだ。男子の間ではどうかは知らないが、上鳴や瀬呂あたりは知っているのかもしれない。
もうすぐ五ヶ月程にもなるのだろうが、如何せん彼はインターン組で補習もあり、なんて言い訳で、寮で堂々とお互いの部屋を行き来することが何だかとても悪いことをしているような気分にさせられ、とてもじゃないが心臓が持ちそうにないのだ。詰まるところ勇気がない。彼がどう思っているのかは知らないが、特にそういう話は出ていないので何かればメッセージ、会う時はリビングもしくは教室、のような状況が出来上がっていた。


「別に勉強しよっていうだけじゃん」
「しょ、精進しマス…」
「付き合って五ヶ月の科白じゃなくない?」


はい携帯つけて、アプリ開いて。
直接言ってきなよと直後に言われた案は即座に却下だ。何事も向き不向きがある。
身体をこちらに向けた耳郎は、名前の携帯の画面を慣れた手つきでタップすると彼とのメッセージボックスを開いた。やましいことは何も送り合っていないが何となく画面が見えないように立てると彼女は笑って、送って早くとリズミカルに机を小突く。
こういう時はなるようになれ、だ。
急かされるままに「勉強を教えてください」と打ち込んで、勢いに任せて送信ボタンを押した後に誤字に気づいた。文字盤がローマ字入力のせいでくだだい、になっている。まあいいかとちらりと横目でまた緑谷を見やれば、彼は通知音に気がついて携帯を取り出していた。
せこせこと意外と大きな手で画面に打ち込んでいる様が可愛くて笑っていると、了解とオールマイトの可愛くはないスタンプが返ってきた。すぐにリビングで大丈夫かと返ってきたので、ここは意を決して。
少しだけびっくりした顔を浮かべて、緑谷は名前の方に視線を向けた。携帯に顔半分を隠しながら手を振れば、相澤がタイミングよく教室に入ってきたので彼は――しまった、席が隣だった。


「…響香ちゃん、ちゃんと私の骨集めてね」
「どういう状況になってるわけそれ」


彼が着席するよりも前に最後の始末を確と耳郎に任せておく。これで何があっても悔いは残らないはずだ。祈るような気持ちで携帯を挟み込んでいれば、隣でガタリと椅子をひいた音に意表をつかれて肩を震わせる。――手が悴んできた。こんな様で生きて帰ることはできるのだろうか。

ホームルームが終わり、耳郎や芦戸、八百万とくだらない話をしながら寮への帰路に着く。急がなくても目と鼻の先で、どれだけゆっくり歩いても然り、だ。ハイツアライアンスの玄関を開けて靴を入れる動作さえ緩慢になりそうだ。
ピコン、とリビングに入る彼女たちの後ろを歩きながら画面を確認すれば、緑谷からだった。先に部屋に行っててもらってもいいかとのことで、心臓が既に最高潮だった。これ以上があるなんて、やはり耳郎には骨を拾いにきてもらわないといけない。
女子棟に四人で戻りつつ、教科書と筆記用具をまとめて抱えてまた階下に降りる。リビングを介さないと移動ができない設計が多少手間ではあるが、峰田がいると思えば妥当なところだ。いそいそとリビングを抜けて男子棟のエレベーターに乗り込む。常闇や砂藤に見られたが、彼らならば何も問題はいらないだろう。二階の奥から、二番目。緑谷のネームプレートをしっかり確認した上で、ドアノブに手をかける。お邪魔します、と本人不在を知りつつも声をかけながらそっと入った。


「分かってたけど、オールマイトの視線がえげつない…」


気が散りそうだ。言わないけれど。こればかりは彼が重度のオールマイトオタクなので仕方がない。むしろこれが減ったら彼が鬱になったサインと思っておこう。
外廊下用のスリッパを脱いで、ドアを閉めたはいいもののどうしていいか分からず結局緑谷が帰ってくるまで玄関で立っていることにした。十分程そうしていると、突然ノブが回った。


「ごめん名前、ちゃ――え、なんで立ってるの!?」
「あ、お疲れ様出久君…いや、なんか、座るとこわかんなくて…」
「えっあ、そうだよね、ごめん…オールマイトと話あって。クッションとかなくて、カーペット痛いよね」


背を押されるようにしてベッドと机の隙間に腰を下ろす。全然、と手を振れば彼はごめんねと困ったように笑った。


「でも、びっくりした、部屋がいいっていうから」
「あ、いや、その、策略…出久君の! そう、出久君の部屋行ったことないから行ってみたいなって思って!」


彼は折り畳み式のテーブルを引き出しながら、一瞬固まった。顔が向こう側にあるせいで見えないが、策略と言いかけてしまったのが聞こえてしまったのだろうか。勿論耳郎の策略だけれど。黙々とテーブルの足を引き出した緑谷は反対側に座り込んだ。


「――そーいう不意打ちやめてください…」
「えっ、」
「飯田君と話してる時どういう顔でいればいいのか分からなくて」


両腕で顔を覆うようにしている緑谷の顔につられそうになって古典の教科書で視界を遮った。勢い余って額に教科書が小気味よくぶつかったが、精神破壊の攻撃力が高すぎて最早そんな些事、寧ろそれで目が覚めてほしい。


「た、たた、他意はなくてですね、ほんと、古典が劇的に出来なさすぎて出久君成績いいし忙しいのとか重々承知で申し訳ないんだけどどうしても教えてほしくてほんと他意はないんです」
「――うん、じゃあ早速古典やろっか! 古文? 漢文?」


名前の視界いっぱいの古典の教科書を引き剥がすと、緑谷は眉尻を下げて笑いながら教科書をペラペラと捲り始めた。これは少し困った時の顔だ。彼は標準装備が優しいので、踏み込む一歩が難しい。押しすぎちゃったな、と肩を落としそうになって、シャーペンを握りしめる。時間は有限だ。
テーブルに身を乗り出すと、教科書をめくっていた緑谷と思いのほか近すぎて呼吸を止めた。
ワイシャツから覗く首筋が筋肉質だとか、睫毛が長いだとか雀斑に乾燥した唇が視界いっぱいに暴力を振るってくる。


(響香ちゃん、死因は窒息死でした)


視線を只管泳がせながら、古文の解説を始めてくれた彼の声に引き戻されたり息をつめたり、やることが多すぎて頭が回りそうにもない。なんとか細々と息を継ぎながら小テストの解き直しを終わらせて、一時間、だろうか。まだ生きている自分に感動しそうだ。
カリカリとペンを走らせている緑谷の指先を見つめながら、一旦の小休止を挟む。
左手と本当に指の形が変わってしまっていて、何度も何度も分厚い包帯に巻かれていた腕を思い出した。傷跡がたくさんだ。いくつあるのか数えていたら、不意に指先が動きを止めた。


「名前ちゃん、視線が、その、すごい、んだけど」
「え、あ、ご、ごめんなさい…」
「終わったの?」
「休憩してました…」


彼はペンをころりと手放して、顔を上げたようだった。――今ここで顔を上げたら絶対近い。かといって後ろに下がることも不自然で、これはこのまま顔を上げない選択肢が最善なのではないだろうかとさえ思う。テーブルの上に乗る緑谷の無骨な指先だけを見ていれば、咳払いが一つ。それから、そろりと、その指先が名前の指に触れた。


「…他意、ないの? 一ミリも?」


瞬きを忘れて、目が渇いていく。あんまりに予想だにしていなかった言葉に弾かれたように顔を上げてしまってから、後悔。丸い碧の瞳が、すぐそこにあった。


「少し期待したのは、僕だけ?」
「っ」


目元も赤い。彼の耳だって赤い。それなのに、真っ直ぐ射抜くように名前を見つめて逸らさない瞳に息を呑んだ。指先の皮膚だけが繋がっているのに身体の全部が熱くなる。ぎゅうと硬い皮膚で覆われた手を握りしめた。連動するように瞼をきつく閉じてしまって、息を止める。
ふっと小さく息をこぼすように笑った声。カサついた唇が申し訳程度に触れて、恐る恐る薄目を開くと同時にもう一度唇が重なった。唇の柔らかさに驚いて、リップくらい塗っておけば良かったなんて思考回路が逃げていく。パッと離れた彼は、今どれくらい自分の顔が赤いかなんて知らないのだろう。


「…出久君、顔真っ赤」
「名前ちゃんだって」
「…他意、なかったのほんとに」
「期待くらい、僕だってする」


まるで魔法のように緊張が解けて、ふふと二人して声を潜めて笑った。
詰めていた呼吸も、茹だるような熱も、破裂しそうな心臓も。落ち着きを取り戻しつつあるそれらとは異なる場所にある肺の裏側か心臓の上か、とにかく胸のあたりにある何かがきゅうと締め付けられて、死因は恋に関わる臓器不全かも知れないと思い直した。この調子では骨は拾われる前に食べられてしまうかもしれない。耳郎になんて送ろうと、彼の右手の傷を指先でたどりながら考えていた。

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