間違いは正すものなのでしょうか

名前ちゃんと出久君って無個性なんだって。
そんな言葉は、もう聞き慣れた。何度も何度も、色んな子達に指を指されて生きてきた名前にとって、個性というものはどうしようもできないものだった。個性は隣人なんだからと笑っていったヒーローは、個性というものを身に抱えながら、どれほど傷ついてきたのだろう。どれほど、傷つけてきたのだろう。


「なあ、人を傷つけるっつったって、ヒーローも同じだろ? どうして俺たちの暴力は悪くて、ヒーローなら許されるんだ? 理不尽だろ?」


オールマイトを、この世界をぶっ壊したいのだと言った彼は、死柄木弔というようだ。突如として連れてこられたこの薄暗い部屋の、色とりどりの瓶が壁一面に所狭しと並ぶバーカウンターに肘をつきながら、彼は薄く笑っていた。愉しそうだとも、反対に苛立たしそうだとも思えた。足元に転がされたままの爆豪は目を開ける様子もなく、名前は痛んだ床に手をついて身を起こす。


「…貴方たちは、誰かを傷つけてるだけじゃないですか」


生唾を飲み込んでようやく喉から吐き出た声は情けないほどに震えていた。


「じゃあ、優れた個性のやつは、無能な個性を、もしくは無個性を傷つけたっていいのか? 言葉であれば、許されるっていうのか?」


腐敗した左手に覆われた顔面の、わずかな指先の隙間から紅い瞳をのぞかせる。


「おかしいよなァ、個性が優劣を決める。ヒーローが優れている。ヒーローらしい個性も、優れている。お前も、お前を嬲った平凡な男も、馬鹿なフォロワーも、みんな個性に、ヒーローなんてものに、踊らされてやがる」


――個性は、ステータスだ。個性の質が、個人の質を決める。誰かが始めたそれは、もしかしたらあの自警団時代から始まったヒーローというものから来ているのかもしれない。爆豪の個性も"ヒーローらしくていい個性"だと褒められていた。心操の個性は、"敵のようで恐ろしい個性"だと貶められていた。


「俺たちは、全部、ぶっ壊したい。気に入らないものは全部だ」


個性が、あるから。この凶悪で強大で異形の個性を振りかざしてしまうのだ。それを収めるために、力が必要になってしまうのだ。


「…なあ、俺が今まで話したことは、間違ってるか?」


彼の無味な白髪が、光を屈折させる瓶の色に染まっていく。何色にも染まる白は、彼の飄々とした目と同じだ。
間違っていたかと聞いてきた割にはそんなことはどうでもいいんだがと付け足す。
――間違って、いるのだろうか。
個性がなければ、ヒーローは存在しなかった。彼らがいなければ、今までのような敵というものは存在し得なかった。名前と出久に決定的な違いは生まれなかった。名前は誘拐されなかった。オールマイトは存在しなかった。出久は彼を目指すこともなく、そしてあんなにも傷を負うことはなかった。グランファの人生は、あんなにも凄惨な瞬間を迎えることもなかった。
個性がなければ、誰も傷つかなかった。彼らも、傷つけることを選ばなかったのかもしれない。
じゃり、と靴底についたままの砂を踏みしめる音がした。背後に立っていた男が一人、目の前にきてしゃがみこんだ。爛れた皮膚を繋ぎ合わせたような彼の外層は、今にも鮮やかな血を零しそうなほど膿んでいる。


「……痛い、?」
「ああ? 別に。でも、あんたの傷は痛そうだなァ」


俺と同じだ。
半月をかたどった唇の隙間からこぼれた声に、思わず彼を見つめてしまった。焼け爛れて、腐りかけた顔。指も、腕も、首も。


「…個性があったから、みんな、傷だらけだ」


この人も、こんな世界じゃなかったら。
まるで生きている世界とを繋ぎ留める金具の反射も存在しなかった。
ぱたぱたと、涙が落ちる。


「もう、こんなふうに作られちまった世の中をさ、変えるにはぶっ壊すしかねえだろ」


くすくすと、誰かが笑った。


「……でも、貴方たちがしていることで、いずは、勝己君は、傷ついて、」
「彼らが卒業するまでに、そうならない世の中にすればいいんじゃねえの? それができるのは、今のうちだぜ」


卒業すれば、ヒーローになっていく。
傷ついて、傷つけて、増えていく傷に見向きもせずに。


「……わたしの、大切な、人たちは、傷つけない…?」
「仲間の意見は、できるだけ尊重するさ」


カウンターに背中をあずけていた仮面の男が、おもむろに手を差し出す。
――出久たちが卒業するまでに。個性もヒーローも、そんなもののない世界に。そうしなければ、また傷ついていくだけだ。また、母が涙をこぼしてしまうだけだ。ここで、終わりにしないといけない。


「…できるだけ、関係のない人は、傷つけないでください」
「とんだ我侭姫だな」


仮面の男が、宙を彷徨う伸ばしかけた手を掴んで立ち上がらせた。


「――ようこそ、緑谷名前」



   *     *     *



「あいつは、どこに隠した」
「まあまあ落ち着けよ、爆豪勝己君――」


テレビから流れてくるもう一人の被害者。ヒーロー科ではなく、ヒーロー科に兄妹がいる誰か。そんなもの、一人しか知らない。
両手も両足も拘束されたままでは探しに行くこともできない。それでも、彼女は確実にここにいる。死柄木によって連れ去られて、この場所にいるはずだ。
どれだけ力を込めようとも枷が外れる気配もなく、焦燥と苛立ちが募っていく。目の前の男たちは、誰かを殺すことも甚振ることも躊躇がない。全て、オールマイトに帰結するだけのゲームだ。それに巻き込まれた彼女が、――名前が、五体満足で生きている可能性がどこにある。


「…ヒーロー"らしく"、賢明な判断ってやつをさ。人質取られた時とか、そんなんでどうすんだよ」


人質、死んじまうだろ。
くくくと喉を潰して笑った死柄木は、まあ後ろにいるんだけど、などと突然所在を吐き出した。


「俺たちはさ、一応目的持って戦ってんだ。ヒーローとは、正義とは何か。この社会が本当に正しいのか、ひとりひとりに考えてもらう! ……そいつもさ、俺たちに賛同してくれた仲間ってわけだ」
「はァ?」


緑谷名前は、個性を嫌っている。それでも、ヒーローを目指す緑谷出久がいる限り、それと敵対する――傷つけなくてはいけない相手の懐に入るほど馬鹿じゃない。だというのに。死柄木の妙な自信が気になる。そんなわけがない。彼女が、死柄木の仲間になるだなんて、そんな馬鹿げた話があるわけがない。
――なんの言葉にもなりきらない音が喉元から弾けた。


「この状況、雄英生なら、わかるよな?」


にんまりと笑った死柄木の顔。背後から、赤いスニーカーで床を踏みしめながら現れた、名前。その隣に並ぶ黒霧に、両隣りを挟まれた。


「……ざけんなよ、名前」


勝己君、と辿たどしい唇が、それでもはっきりと呟いた。


「私、もういずの隣には立てない」


開いた口が、塞がらなかった。
いつもいつも、後ろをついてきていた。この双子は、二人揃ったところで鈍臭く、彼女など特に手を離せば姿が見えなくなってしまう。小さい頃はよく、手を引いて歩いていた。今でも時折思い出す。――迷子になった彼女を見つけるのは、爆豪の役目だった。


「なに、言ってやがる…! ああ!? お前、どういう意味か分かってんのかよ!!」
「どうどう。落ち着けよ少年。女の子相手にそうがなるなって」


仮面の男が揶揄うような素振りで爆豪の背もたれに腕をかけた。


「この状況って言葉を、しっかり噛み締めたか?」


――わかってる。言われなくとも、ここで名前とまともな話は望めない。黒霧に挟まれている以上はどれだけ爆破させても助けられない。仮面の男の手が先に触れられれば爆豪は再び無力化される。


「…それ、外せ。コンプレス」
「お? いいのか?」
「雄英生っていうのは、エリートの集団だろ? …それに、一応スカウトしてんだ。対等じゃなきゃ、おかしいよな」


八対一。ついで、連合に与した名前。
コンプレスと呼ばれた仮面の男に鍵を投げて寄越した。
がちゃりと開錠した音。スツールチェアから立ち上がった死柄木が三歩、歩み寄ってくる。


「ここにいる者、事情は違えど人に、ルールに、ヒーローに縛られ…苦しんだ。君ならそれを――」
「――!?」
「死柄木!」


疼きやまない左手で爆破をかましながら薙いだ。コンプレスは爆風に吹き飛ばされて、振りかぶった右手で死柄木の顔面めがけて爆破させた。煙が立ち込めた瞬間に、名前の腕を掴んで引き寄せる。バランスを崩して縺れかかった身体に腕を回して距離を取った。


「っはな、して…!」
「うるせェ黙ってろ!! また同じクソみてえな台詞ほざいてみろ、ぶっ殺すぞ!」


左腕に抱えた名前が手足をばたつかせてもがいたところで、離す気もなければそんなもので緩む腕でもない。ただ離してとか細い声で喚く声に心底頭に血が上っていく。牽制にもう一発、右手で盛大に爆破させた。


「怪我すんな死ぬなって吐き散らすお前が俺らの敵になれると思っとんのか! あ!? 感傷浸ってんじゃねえぞクソが!」


爆豪の言葉にかぶさるように、背後のドアがノックされた。
名前はひたすらに、ずっと黙っていた。



   *     *     *



オールマイトたちの救援虚しく、ワープじみた個性で再び飛ばされた先は荒れ果てた住宅街だった。そこで出会した死柄木たちの司令塔に、オールマイトが飛びかかって間もなく、爆豪たちも狙われた。
逃げる気もない名前をなんとか抱えながら距離をとり続けた。途中引き剥がされそうになりながらも、腕だけは離さなかった。
右手で続けざまの爆破に顔が歪む。ビキ、と右腕の汗腺なのか筋肉なのか、不快音が連続して起こっている。それでも、攻撃の手をやめない以外の選択肢があるわけがない。
――絶対、このクソみたいな思考に捕まった名前を連れ帰る。出久からでも母親からでも、言葉を重ねればこの下らない念慮などすぐになくなるはずだ。緑谷名前に、他人を傷つけられる力はない。
爆豪では、無理だ。何せこの双子を無個性だと罵り続けてきた張本人だった。個性への劣等感も憧憬も、恐らく発端にいることは自覚している。何より、名前は爆豪のことを嫌っているのだ。そんな奴からの言葉を誰が飲み込むか。


「名前!!」


開けた空を裂く大氷壁。エンジン音を辛うじて拾い上げる。来い、と叫んだ切島の手。その先に、出久はいる。


「行くぞ!」
「――緑谷名前、必ず、迎えに行ってやる」


死柄木の伸ばした右手を断ち切るように、既に焼き切れそうな汗腺から大爆破を引き起こす。掴まってろ、とかけた言葉に、名前は迷いながらも首に腕を回した。だから、安心していたのかもしれない。
守ると決めた。絶対に、もう二度と、あんな場所に連れ去られることも、隣に立てないと泣かせることも、もうさせない。

――三日後。出久の家から電話が入った。太陽は疾うに沈み、辺り一帯が暮れなずんでいた頃。
名前が病室からいなくなった。
出久の、涙ももう涸れたようなしわがれた声で告げられた言葉に、右腕が軋みを上げた。

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