青い花の群れを燃す

考えるよりも先に体が動いていた。優れたヒーローとして名を連ねる彼らの逸話の中に、そんな言葉が残っている。
――爆豪にとってその言葉はむしろ嫌いであると表現する方が正しい。何かに勝たなければならない状況というものが、圧倒的な力でねじ伏せられでもしない限りは無策で挑むことなど無謀もいいところだ。敵の数、周囲の状況、個性との相性。あのオールマイトでさえ、救護の瞬間は何かしらを思考している。飛び出す瞬間の一歩が思考よりも先だったとしていても、必ず考えることを止めはしないだろう。だから、ただ言葉ばかりが先行するその逸話が、嫌いだった。まるであのヘドロ事件の出久のようで、あれがすべて正しいものだったのだと、言われているようで。
――だというのに。つい三、四十分ほど前に降りたばかり駅のホームの反対側に立っている。ホームドアが開いたことで人混みをかき分けながら電車に乗る。右手に持っていた携帯が数度震えた。



入学式の当日に芦戸が作ったというグループメッセージには招待されても入らなかった。くだらないメッセージの通知音程煩わしいものはない。唯一教えたのが切島や上鳴、瀬呂で、この、"緑谷出久”の表記など、一生だって表示されるはずのないものだった。
家のベッドに寝転んでいた最中に届いたメッセージの相手は切島で、緑谷が緊急で教えてくれっていうからという最新の一文が表示されたその上に、緑谷出久のメッセージボックスが新設されていた。


『切島君に聞いて、ごめん、でも、名前がどこにも見つからなくて』


要領を得ない文面。それでも、なんとなく察しがついた。



電車のドア付近の手すりに寄りかかりながら、暗証ロックを解除する。


『実は、今日授業に来てたグランファのフォロワーからずっとストーカーみたいなのされてて、電車に一人で乗れないのに、どこにもいなくて』


二十分前のメッセージ。既読だけつけて、まだ返事はしていなかった。


『かっちゃん、いつも名前を見つけてくれるから』


いつの話をしているのか、思わず舌打ちがこぼれる。たかだか範囲の狭い公園でしていた隠れん坊と同じ土台に乗るわけがない。
ごめん、と立て続けに送られてきた文章のあとに、先程通知がきた最新のものがあった。


『職場体験に行く前の週に、グランファの活躍と引退の記事、青い押し花が届いてた』


次いでグランファの六年前の事件の詳細が載ったサイトURLが送られる。ざっと目を通してから、キーボードに指を添えて、やめた。ネット検索画面を開いて、関東県内の新聞社と大手新聞社のロゴと字体を漁る。
フォロワーによるストーカー被害がいつから始まっているのかは知らない。爆豪が知っているたった一つの事といえば、彼女が体育祭で出くわしたあの新聞記者だ。
面識のない全く赤の他人にちらつかされた恐らくグランファの六年前の事件。敵犯罪の被害者は往々にして、同情される場合とヒーローが引退を迫られた無実の責任を押し付けられる場合とがある。あの記者はそんな敵犯罪の被害者である名前に対する脅迫的な取材をしようとしていたのではないかとも思ったが、もしかしたら違うのかもしれない。六年前の記事に今更取材をしたところで、何の得があるとも思えない。そうであるというのなら、寧ろその記者はグランファのフォロワーで、最近になってようやく被害者を特定でき、そしてそれが雄英高校一年の緑谷名前だったという方が随分しっくりくる。
体育祭のあの日、彼は腕章をつけていた。社名は忘れたが、その下にあったロゴマークはうっすらと覚えている。マークの一覧が載っているページを開き、画面をスクロールさせていく。栃木、群馬、茨城、千葉、埼玉の可能性は限りなく低い。東京と神奈川の項目まで下りたところで、見覚えのあるマークが通り過ぎた。画面を引き戻して詳細をタップすれば、雄英高校にほど近い場所に本社を構えているようだ。
マップアプリを開いて、最寄駅からの図面を頭に入れておく。
それから漸く、出久のメッセージに返信した。
体育祭で名前と話していた新聞記者のこと、そしてその社名を送信する。――あとは、警察とヒーローに任せるべき案件だ。一生徒が、それも索敵能を有さない個性の爆豪ができることなどなにもない。
分かっている。これでは無策にもほどがある。
――分かっている。ただ、泣き腫らした顔を思い出した。
駅に着くまであと十分。彼女が教室を飛び出したのが四時半を少し越えた時分だったと思うので、そこから今まで二時間が既に経過している。


『…勝己君、あの公園に行く時ってある?』


あの日、下駄箱の前に座っていた彼女は不細工なほどひどい顔で言った。


『……勝己君も、誰かに恨まれないといいね』


あの公園、と言った彼女がどれを指していたかは明確にはわからないが、思い起こされる場所は一つだ。青い花。初夏に一面咲き散らかす青の群れ。勝己君"も"、とわざわざ同列を装った言い方。
――名前が誘拐された資材置き場は撤去されている。あの日を想起させる記事、青い花。
もう一度、マップアプリを起動させた。新聞社の周辺三キロ圏内に、資材置き場が一つある。もう少しはずれに二つ。こちらは廃材を一時的に保管する場所。
恨まれないといいね。
ぞわりと、背筋が粟立った。



   *     *     *



改札を抜けるな否や、駆けだした。
爆破でもできるような裏路地があれば時間短縮もできたが、そうはいかない。表通りで個性使用など誰彼に引き留められる。息を弾ませながら、マップで見た通りの最短経路を選ぶと閑静な住宅地を抜けて、大通りに面する。そこから道なりに坂を上り、左手に大きくはない地元新聞社があった。
肩口で汗を拭い、正面のガラス扉を押し開ける。エアコンからそよぐ送風に、額の汗が乾いていった。


「君は、雄英の」


雑然としたデスクが並んでいる。コピー機の印刷音に低い笑い声、唸り声、キーボードをたたく音が充満していた。僅かに漂う煙草の臭いに目元が歪む。
手前にある受付に腰かけていた中年の男が、パソコンから顔を上げて眼を瞬かせた。


「雄英の体育祭、取材にきてた記者に話がある」


彼は薄っすらと眉間に皺を寄せた後、席を外して左奥のデスクへと向かった。爆豪を指さしながら、同じ年頃の男と二、三言話を済ませるとデスクの合間を縫って戻ってきた。


「その記者、今日は珍しく早上がりでとっくに帰宅してるそうだ。何か用でも――あ、ちょっと!」


目当ての男がいない時点でこの場所を経由した時間が無駄だ。踵を返して新聞社を出ればじめじめとする空気が肌にまとわりついた。雨でも降りそうな気配が漂っていて、無意識に舌打ちをする。一つ目の資材置き場まで再び走り出した。
珍しく早上がりをしたのが偶然だというのなら、あまりにタイミングが良く出来過ぎている。
走りながら携帯を見やれば出久から、名前からの連絡はなく、オールマイトや警察に連絡したとのメッセージが入っていた。
頭の中で広がっている思考に根拠はあるだろうか。明確なものはない。
名前と接触した記者は早々に帰宅していた。連絡のない名前。恨まれているという自覚。青い花。古い記事。火を吹く個性。炭谷の首元に覗く火傷痕。内臓を貫いた傷。痩せた下半身は殆ど車椅子で生活していることを物語る。炭谷の笑い顔に反して、塞いでいく名前。
――おそらく、名前は記者の許にいる。そしてその記者は見つかりたくないという強い意志を持っていない。見つかることを前提にしている。そうでなければ名前に会うこともせず、記事も、押し花も送らない。
胸糞悪い。無傷でいられなかったヒーローこそ、いや、そもそも誘拐に至った敵がいたことが、一番の原因だっただろうが。



   *     *     *



二つ目の廃材置き場に辿り着いた頃には日は沈んでいて、時刻は七時半に差し掛かろうとしていた。今なら盛大な爆破をかませそうなほどには汗腺は熱を孕んでいて、首筋を伝う止め処ない汗に思わず悪態を吐いた。
雄英から大分離れたこの場所は、車であれば二十分とかからず到着するだろう。事件性を判断して動く警察がどの程度で駆けつけてくるかは分からないが、機動性のあるヒーローが要請に応じているのならもう見つかっているかもしれない。そんなふうに思いながら、プレハブ倉庫の裏手に回る。何故だか、突き動かされるように足が動く。腹の奥がまだざわついている。


「――、――」


足元の換気口から漏れる、かすかな声。低い声だ。穏やかな声音でとうとうと話しているような雰囲気だった。
――中の状況も分からないまま正面突破は流石に能がない。
手近な倉庫の窓を確認するも、施錠されているうえに積み上がったコンテナやら何やらで視界は阻まれ暗く分からない。爆破して突入でも仕掛けたいところだが、廃材置き場である以上、引火の危険性がないとは否定できない。苛立たしさにくそ、と吐き捨てたところで、声がした。


「――っ――〜っ!!」


名前の声だと思った。不鮮明な悲鳴に似た高い声。
足元にあった石を掴んだ。パリン、と冊子付近だけガラスが割れる音。手早く鍵を下ろして窓を開けて乗り込んだ。


「ああ、やめてくれ――」


男の声が響く。どうやらこちらに微塵も気づいていないようで、まるで火にくべたような真っ赤な両手だけが、暗闇の中で浮いていた。積み上がったコンテナの隙間から彼女の姿を探す。涙をすする声と短い呼吸が聞こえる。


「っあぐ!」


どうして、と何度も反復する男の冷静な声。名前の、かすれていく声。
状況が分からない。それでも飛び込む一歩を無謀だと諫められていた丸まった背中。彼と、爆豪のこの一歩に、果たしてどれだけ違いがあっただろうか。
熱の滾った両腕が戦慄く。恐怖ではなく、腹の奥底からせり上がってくる不快感に、全身の熱が両手に集まった様な気がした。
――救けての一言も、彼女は言えなくなったのか。救けを求める声の一つも、彼女は上げなかった。


「――ッソがァァア!」


両手を合わせる。暗闇に慣れた両眼にはとても耐えきれない眩しさが弾ける。それとともに耳をつんざく轟音。閃光の瞬間、男の顔を見た。どいつもこいつも、涙ばかりを浮かべていた。


「名前!」


男が地面に倒れたのを確認してから、振り返る。返事はなく、ただ息も絶え絶えの呼吸の音ばかりが聞こえた。遠くからサイレンの音が反響している。名前を背負って、正面シャッターの脇にあった勝手口のようなドアの閂を引き抜いて、外に出た。
ぽつぽつと、雨が降り始めていた。



   *     *     *



あれから名前を駆けつけた救急隊員に引き渡して、爆豪はUSJの時に見た塚内と呼ばれていた警察官とともに警察署へと向かった。やりすぎだよ、とパトカーの中で塚内に諫められた声は、ヘドロの時に出久にかけられていたものと同じようなものだった。
当該敵に外傷のない状況だったこともあり、爆豪は聴取を受けるのみで一時間ほどで帰路に着いた。母からの着信に半ば――いや八つ当たりもかねて盛大に食って掛かれば、家に着いた途端思い切りよく頭を叩かれた。あんたはまだヒーローじゃないでしょ、と眦を引きつらせる母は、それから少しばかり口ごもった後よくやったと笑った。
煩い小言の一つも聞きたくなく、早朝に家を出て向かった先は名前が搬送された病院だった。
病院の正面玄関にあるロータリーで時間を潰して、面会時間になってから受付を通る。どうせ寝ているだろうとノックもせずに彼女の部屋を開けて、案の定寝息を立てて横たわる彼女の近くに寄った。
幾重に巻かれた包帯が首を絞めている。左腕を刺すチューブを目で追いかける。点滴パックから滴る音が秒針を刻んでいくようだった。
焼けた口角。うっ血痕の滲む唇。固く閉じた瞼。昨夜、背負った彼女の体温の冷たさを覚えている。
――無個性のくせに。そう嗤っていた。彼女よりも、出久よりも、爆豪が秀でていることを信じて疑わなかった。それが雄英に入ってどんどん崩れていく。一番ではないと突き付けられた。建物の崩壊が中にいる救助者の、あるいは加害者の無意味な傷を増やすことを知った。増えていく傷をどうとも思わなかったというのに、彼女が出久の傷を見るたびに馬鹿みたいに泣きそうな顔を浮かべるので傷つけない手段をとった。ついでに爆豪にとっても無害な手段だった。
するりと、白い左手の甲を撫でた。昨日より温かかった。
――ヒーローなんかなれない。大嫌い。そう言っていた去年の春。爆豪が向かわずとも、彼女は救い出された。嫌っている相手に救けられることほど腹立たしいものはないだろう。その方が、良く分かっている。
それでも、"考えるよりも先に体が動いていた"。
彼女が痛みや恐怖に泣かないで済むのなら、それがいい。それだけの話だ。
左足を引いて背を向ける。
包帯の白さの下に、もしも拭いきれない何かが残ってしまったら。次こそは、必ず無傷で救けられるように。ただ、誰よりも強いヒーローを目指す他なかった。

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