青い色の呼吸

埃にまみれてぼさぼさになった髪を解き、指で梳く。何度も何度も引っ掛かっては指に抜けた髪が絡まった。
あの人に比べたらなんて地味で平々凡々な髪色だろう。闇夜に紛れてしまえるほど暗い髪は、まるで自分自身そのもののような気がして好きではなかった。
はあとため息を一つ零して視線を下ろす。その先にある両手は指先が赤く荒れて年老いたそれのようにしわくちゃだった。つめも割れて形が悪く、同年代の女の子たちと比べたら笑ってしまうほど醜い。
中庭の隅にひっそりと隠れるようにしゃがみこめば、渡り廊下から忙しない文官たちの足音が聞こえた。


「…シン! どこにいるんですか!? また仕事サボりやがって……っ!」


まさしく鬼の形相をしたジャーファルが離れた彼女にさえも届くほどの皮膚を刺すような殺気を放ちながら、二、三人の文官と歩き回っている。今にも眷属器を振り回しそうな勢いの彼の殺気をものともしない我らが王もすごいと思うけれど、やはり仕事を放り出すのは頂けない。


「……と、私は思うのですが」
「いや、ジャーファルの追っ手を振り切るのもなかなかに楽しいぞ」
「そんな大それたことをしてまで――」


会いに来て下さらずともよいのですから。そう呟こうとして背後にいつのまにか潜む彼を見上げた。目元近くに飛び出す木の枝を手で追いやる彼――シンドリア国王は彼女が言わんとしていることが分かったのか少し眉尻を下げて微笑んでみせた。


「そうでもしなければ、名前に会うこともできなさそうだからな」


両膝を抱えていた手に力がこもる。砂と汗で固まった前髪の奥で隠れるように目を瞑った。肩を竦ませて背をまるめれば、大きくて骨張った手が背筋に触れる。


「……何故、」


彼の煌びやかな装飾品が、夜の光に青白く反射する。両手を胸の前で絡ませ、額を膝頭に押しつける。気道をつぶす体制の所為で、声が擦れた。
夜の中でこそ映える彼の髪が、ふわりと微風になびく。


「なぜ、私などに話し掛けてくださるのですか……っ何故、シン様は私などに会いに来てくださるのですかっ?」


左隣の彼を振り仰ぎ、まるで責めるかのように問い掛けた。悲痛な叫びにも近い声は、もはや自分ではどうにもならない痛みが隠れている。
じわりと熱くなる目頭から今にもこぼれ落ちそうになるそれに耐え、噛み締めた唇が震えた。強く握り締めすぎた手は白くなった。

――私が見目麗しいどこぞの王族の娘であれば、こんな思いもしないですんだのに。

シンはその金の瞳を瞬かせ、困ったように眉を下げて微笑を浮かべる。


「…確かに俺は、この国の王である以上責任は在る。それでも、心安らぐ場所くらい欲しいんだ」
「……私には、シン様にそういって頂けるほどに相応なものを持ち合わせておりません」


彼がたかだか王宮に仕える女官を好ましく思うこと自体、可笑しなことなのだ。この人目を忍ぶ逢瀬こそ、何より明らかなことではないかと。
――日頃感じる現実は、どちらが夢なのかさえ朧にさせてはくれないのだから。
この距離は触れられる程近く見えて、本当はどこまでも遠い。
握り締める彼女の手を、彼はそっと包み込んでその甲に唇を押しあてた。


「容姿や肩書きといったものはただの付加価値でしかないだろう? そんなものより、俺は毎日洗濯物を洗う冷たい水のせいで荒れてしまった手のほうが、温かくて好きだよ」
「っし、ん様」
「そんな悲しいことを言ってくれるな。俺は名前が名前だからこそ、好きなんだ」


揺るぎない双眸が笑む。シンはもう一度甲に口付けをすると、名前の手を彼女自身の頬に当てがわせた。少しだけ冷えた指先は、彼の匂いがした。


「俺が好きな君を、否定しないでくれ」


緩んだ口元をきつく結び、目を閉じる。ふわりと香る香の匂いとともに柔らかな唇が触れた。いつにもまして優しいそれは、まるでさようならと告げられているような気がした。