その日は穏やかな風が吹いていて、照る太陽は暖かった。
学校の屋上でいつものように古典の授業をボイコットし、漂うばかりの雲にため息をこぼす。
つまらない、んだろう。
変化のない日々が。
それが幸せなんだと言われたところで納得させるような事はなかったし、ただの詭弁でしかないと。
二度目のため息をこぼしたとき、ゆらりと視界の端で何かが動いた。
ぎぃと重たい音を軋ませて現われたのは、いつからかサボり仲間となった沖田だった。
「またサボり」
「お互いにね」
沖田――いや、彼はカーディガンのポケットに手を突っ込んで、寒いなあなんて一人ごちる。
――彼の名前を知ったのは極々最近の話で、二人の中では何も聞かないことが暗黙の了解になっていた。
名前も学年も、そんなの聞いてもただ煩わしいだけなのだから。
――と言ったって不可抗力で知ってしまうことはある。
靴の色なんてものは一番良い例だろう。
現に私の靴は黄色で、彼の靴は赤色だった。
とにもかくにも屋上でのこの奇妙な出会いは、何故だか居心地が良かったのだ。
「君も暇だねー」
「どうでもいいし、あーゆーの」
「あ、頭脳明晰ってやつ」
「あははっだったらいいけどね。
残念だけど、ご期待に沿うことはできないかも」
猫目できれいな緑色をしたその双眸を細めて笑うと、彼はゆっくりと私の近くに歩み寄る。
一メートルくらいの距離を置いて座るのが私たちの常識。
だから、やっぱり私と彼との間には一メートルの隙間がある。
その距離が煩わしいのか心地いいのか、ただ少しだけ胸の奥がきゅうと苦しくなった。
「あ、飴あるけど食べる?」
頂戴、と手を伸ばすとカラフルな包みに包まれた小さな飴玉が、ころんと手のひらに転がる。
それを口の中に放ればやけに甘ったるい味が広がって、お世辞にも美味しいとは思えなかった。
「……何これ」
「飴だけど」
「見て分かるわ、そんなの。この味は何って聞いたの」
「マンゴープリン味だけど?」
ガリ、と砕ける音がして、それからごくりと飲み込んだ。
粗い欠片が喉を掠めて痛い。
私は一際厭な顔をして舌を出した。
「まっず」
「人が折角あげたのに可愛げないね。
嘘ついてでもおいしいとか、オブラートに包むものじゃない?」
「私の口には合いませんデシタ」
「まどうせもらい物だから良いけど」
彼はさして興味もなさそうに言った後、ごろりと左腕を枕に横になる。
どうせ可愛い後輩にでももらったんでしょうに。
喉にまで出てきた言葉を、口元を右手で覆うことで飲み込んだ。
――彼の口から本人の名前を聞いたことはない。
しかしその顔立ちの所為で、こちら側が普通に生活していたとしても耳に入ってしまうのだ。
剣道部二年の沖田総司。
クラスの友達曰く、女子の間で専ら噂になっている剣道部の中でもとくに人気がある生徒で、恐らく校内で彼を知らない者はいないだろう、と。
――そういった類の話に興味のない私にとって、遠い世界のものだと思っていたのに。
「……いつの間にかさぼり仲間に……」
ぽつりと零した独白に、楽しそうな声で言葉が返ってきた。
「そのさぼり仲間って、やめない?
すごく不本意なんだよね」
にこにこ。
彼の方をむけば、ただ底知れない笑顔を浮かべていた。
何を考えているのか全くもって分からない、分からせない笑顔。
ぞくりと一瞬寒気がして、頬が引きつった。
彼はむくりと起き上がり、私の方に寄ると後ろに突いていた左腕を掴む。
「割と好きなんだよね、」
「……は?」
なにが、そう言おうとして口をつぐんだ。
このまま会話を続けてしまえば、この関係は崩れてしまいそうで。
変化がほしいというわりに、何かが変わってしまうのは酷く怖いのだ。
「ねぇ、先輩?」
あ、禁句。
掴まれた腕が熱くなる。
「名前だってもうとっくに知ってるくせに」
呼んでくれないのは、何で?
悪戯っぽく笑むその表情は、まさしく確信犯の勝利に満ちた笑み。
「……君から聞いたことはないよ?」
「僕は沖田総司、君は名前でしょ」
先輩後輩とかそんなのは今更どうだっていい。
今の私の顔はきっと、見たこともないくらい見開いているだろう。
だってそのくらい意外というかありえないことだと思っていたから。
「左之せんせーから聞いたんだ、知りたかったから」
「え、左、之……?」
「うん、だって名前のクラスの担任でしょ?」
なんでクラスまで知っているんだ。
そこまで分かっていたのかと知ると、羞恥よりも疑問の方がはるかに勝った。
「古典とか、あとは体育のときサボってたりとかで何となく分かるよ。
あ、でも小さい頃からマンゴーが嫌いだってこととかは左之さんが喋ってただけだから」
「……」
クラス担任の左之とはいわゆる幼馴染で――なんてそんな解説はこの際どうでもいい。
いいたいのはそんなことじゃなく、
「って、え何。ストーカー?」
「死にたいの? ストーカーなんてするわけないでしょ。
そんなことするんだったら堂々とやるよ」
「いやそれ根本的に変わりない…!」
そんな茶番を繰り広げれば、目の前の沖田ははあと一際盛大な溜息を吐いて。
私の首筋に手を添えるとそのままぐいと引っ張った。
――反射的に目を瞑った私は、それがすぐ理解できなかった。
身体が急速に冷え込んだ気がしたと思ったら、それが理解できていくと今度は熱いほどの熱を感じた。
「っ…!? っ、ん、ー!」
ぱっと離れた距離を更に後ずさり、私は言葉にならない声をあげる。
それに対して彼はいたって平然に、当たり前だとでも思わせるような口ぶりで爆弾を投下した。
「だから、好きなんだってば」
くらりと眩暈がした気がした。
――あきらかに変化した日常を素直に喜べる勇気がなくて。
「……惚れた弱み…デスカネ」
「諦めなよ、名前」
「君がいうなし」
ただこれからいろんな女子に追い掛け回されるであろう絶対的な未来を、憂うことしか出来なかった。
不 変 に さ よ な ら