あきを踏む

朽葉が積もる。幾重にも折り重なっては層を作り、踏み鳴らす音は柔らかい。ふわりふわりと重なる葉の隙間から漂う光の連なりに瓶を傾け、蓋をした。


「何かいたのか」
「然程珍しくはないね。ただ、触れれば皮膚がしなびていくだろうな」
「……ついでに上の方で放してくるか」


ふわりと蟲煙草の煙が立ち上る。頭上に生い茂る青々とした緑を見上げながら、その小瓶を袂にすべらせた。ちりちりと不可思議な音を放ちながら、枯れず出られない瓶の中で蠢いていた。


「もし、私の気のせいだったらそう言って」
「ん?」
「見えにくいのなら私が先頭に立つ」


ギンコの足元で、小枝がパキリと音を立てた。振り返らずとも、わかる。彼の足跡は蛇行していて、木の幹に頼る手がいつもより不確かである。
振り向いていた翠の瞳が、罰が悪そうにそらされた。頬を人差し指で掻く仕草は愛嬌があるが、こんな山奥で迷えば笑い事では済まされない。何しろどちらも命が掛かっている。冬ではないとはいえ、自然はひどく容赦がないのだから。


「……それこそ、気のせいだと思っていたんだがな」
「蟲が多くなってきているから、とくに頭部に」
「悪かった、代わってもらえるか」


およそ遠しとされしもの。存在は目に見えて不透明であり、自らの意思は持たずにただ有るがままそこに在る蟲というものを、互いに寄せ付けやすい体質をしている。一人ならまだしも二人も集まれば数は単純に倍になっていてもおかしくはない。どちらかというと、この白髪の男のほうが蟲を寄せているようだ。
立ち止まったギンコを追い越し、腰元に下がった薬箱を背負い直した。


「残念ながらギンコほど勘は働かないんだ、違えば言って」
「お前さんの方向音痴ぶりは体感してるよ」
「だからいつも後ろを歩いているんだろうに……根に持つ男は嫌われるぞ」


小さく聞こえる笑い声に咳払いをしてから、一歩を確かめるように踏みしめる。
――あれはたしか春も終わり夏の盛りが近づき始めていた頃だった。先の蟲退治で主に動き回っていたギンコが名前より疲労を感じるのは当然で、しかし休むわけにもいかず気張る先頭の役目を負った。そこまではよかった。しかし常時後ろを歩いてばかりいたことで自身の方向感覚の鈍感さを忘れていたのだ。棒のような足を叱咤して歩けども山の麓にあるという里は見えず、気づけば夜も更け道は見えなくなっていた。恐らくそれが、覚えのあるうちで一番大きな喧嘩をした時ではなかっただろうか。痺れを切らしたというか、その場所で野宿とするには危険過ぎると判断したギンコが動こうとした矢先雨が降ったり獣と出くわしたりと、要するに名前が先頭に立つと命の危険にさらされる。
彼女がひとりそう思い起こしていれば、後方で続くギンコの足音が止んだ。


「どうした、――!」


振り返りざま、呼びかけた名を飲んだ。彼は右目に集る蟲に目を開けることも適わず、その場に膝をついていた。痛みもあるのか表情を歪めており、蟲の放つ光に目がくらんだ。
素早くギンコの指に挟まったままの煙草を奪って口に含み、蟲を散らす作用のある紫煙を吐き出す。直接吹きかけたからかある程度払えたあとは、残る蟲を採集瓶の中に捕らえて息を吐いた。


「っんだその蟲の集り方は…! 蜜でも塗って昆虫採集でもする気か!」
「……いや、俺も初めてだこんなのは」


痛みが引いたか右目を押さえるギンコに驚きで高鳴っていた心臓が止まる。


「――私が先頭を歩くからか」
「……そりゃとんだ笑い話だな」
「ごめん。もう、見えそうなら前を歩いて」


俯くしかできない彼女の頭に手を置いた彼は、紫煙を燻らせる煙草をするりと抜き取った。


「ありがとな」
「……」
「名前が前を歩くだけで何かあるなら、もう二人共雪の中か谷底にでも落ちてるだろうよ」


頭から手が離れていく。それに合わせて見上げれば、彼は煙草を銜えかけてやめた。それも名前と目があった後、一瞬の躊躇いがなんだったのかはかれないままもう一度唇に煙草をはさんで燻らせる。


「気にすることじゃねえよ。そうと決めつければいくらだって良い事もあるだろう」
「……ああ」


ざくり、ざくり。枯れた葉を踏み鳴らす音に続く。夏の中、秋の景色を踏み歩く。白い髪だけがまるで冬のように、そこにあった。


「……ねえギンコ」


振り返らずに声だけで返事をしたギンコに、ぼそりと告げた。


「……それ、さっき私も銜えた」
「……」


なんの声も返ってこなかった代わりに、がしがしと乱雑に後頭部を掻く手だけがひどくおかしくて小さく声を上げて笑う。声に釣られて奇妙な顔をしたギンコが余計に面白くて笑っていれば、いつのまにか秋の景色はどこにも見えなくなっていた。