※ 逆トリ設定
朝目が覚めると、まるで夢の続きのような現実が笑っていた。もう誰も使わない布団は、あの日の朝のままきれいに畳んである。部屋の隅に追いやるように、押し入れにしまえなくなったそれを視界に映して、漸く私は目を覚ますのだ。
息を吸う。塩辛い味がした。
はっきりと冴えているような、どこか微睡んでいるような、とにかくふらふらとした意識のままベッドから起き上がる。喉が渇いたので冷蔵庫からお茶を取り出して口を付けた。ベッド脇の時計に目をやれば、あの日から一秒も時を刻まずに止まっていた。
「寝坊助だね、名前は」
くすくすと笑う君の声が聞こえた。キッチンでお湯を湯呑みに注ぎながら、あ茶柱なんて馬鹿みたいなほど安穏とした台詞を吐いて笑っているのだ。そんな彼の名前を口に出しそうになって、すぐにつぐむ。この名前も、笑顔も、存在も。
最初からなかったのだと、忘れてしまわなければ。
それなのに、そう分かっているのに。君は一向に、目の前から丸ごと全部、消えてはくれないのだ。
まるでいなかったかのように、日々の生活からすっぽりといなくなってしまうなら。この行き場のなくなった苦しい思いも一緒に持っていってくれれば良かったのに。
ねえ。君は本当に、あの日々にいてくれていたの。
柔く握っていたペットボトルが手のなかから擦り抜けて、中身をまき散らして散乱する。指先を濡らした冷たさは、確かに夢などではない。
「……っ」
焼けるような痛みを、覚えた。じりじりと内から焦げていくような熱さに胸を押さえ、うずくまる。ひやりと冷たい涙が頬を伝い落ちた。
「……そ、うじ」
愛おしいと感じた思いも優しさも切なさも淋しさも、どれも本当だと。いまさら気付いてみたところで、あなたは戻ってなど来てくれないのでしょう。
ならばせめて、私が何の痛みも感じずに、あなたのいない明日を生きていられるように。
どうか、その声を殺して。
もう一度見上げた時計の針は、かちりと一つ左回りをした。
(エーテル:十九世紀以前に光を伝達するために必要と考えられていた媒質。今は否定されています)