「もうやだ」
そういって私は手の中にあった何か大切なものを投げ捨てた。
それがなんなのかなんてもう覚えてない。覚えてない程のどうでも良いものだったのかと言われると首を縦に振る自信はなかった。
ただ、投げ捨ててしまいたいほどとても重かった事だけはよく覚えている。
「もういいの?」
いつの間にか目の前にいた秋は笑いながら首を傾げた。私はもういらないと目を瞑る。
「捨てちゃうの?」
「いらないの」
「本当に?」
本当に本当にいいの?
何度もそうしつこく聞いてくるものだから私は思わず叫んでた。
「私にはいらない必要ない重た過ぎるの!」
そう、と彼は顔を俯けて。もう一度秋が顔を上げたとき、その表情に私ははっした。
――さっき自分が何を捨てたのか、気付いてしまったから。
「それじゃあ、さよならだね。×××」
待って。
そう言いたいのに声が出なくて。あれ、私の名前ってなんだっけ。
もう呼んでくれないの?
ねえ秋、冗談でしょ。私本当に捨てちゃったの?
秋のこと好きだって、全部捨てちゃったの?
そこで何にもなくなって。私は目が覚めた。
「……夢……?」
なんて嫌な夢を見てしまったんだろう。好きな人をいらないだなんて。
――でも、私は人間だったから。
そんなことを考えながら昨日は寝てしまって。だからきっと、こんな下らない夢を見たんだ。
(早く秋に会いたい)
壁掛けの時計を見れば九時を少し過ぎたところ。リビングに行けば、座木さんが笑っていてくれるはずだ。
そう思いながらロフトを下りて、着替えようと袖から右腕を抜いたとき。蝶番が軋む音がして振り返れば胸が高鳴った。
「秋、」
「寝坊助」
まだ九時だよ。
少しムッとして言い返せばもい九時だよと笑う。
ああ、良かったいつもの秋だ。そう思って内心ほっとすれば、秋は不意に声の音量を下げて話す。
「……いらないの?」
どきりとした。見開いたまま何も言えなかった。
「いらないの?」
私は一生懸命首を横に振った。いらなくない、絶対。そう言おうとしたけど喉が渇いてうまく喋れなかった。
「人間だから? 妖怪だから?」
「……あ、き。秋、秋違うよそんなことないだって私――」
「いいのなら、もういいよ」
そういって秋は身を翻す。私は腕を袖に通して背中に抱きついた。
――なんて冷たい体なんだろう。
「好き、大好き。秋はもういや?」
我ながら切羽詰まったような声だった。夢の続きが脳内でチラつく。嫌だ、離れたくなんかない。
「……秋、」
どうして返事をしてくれないのどうして名前を呼んでくれないの。
ねえ。
「……、っふ」
「――……へ?」
静かに秋は笑い声をもらすと、次には腹を抱えて笑いはじめた。
当然追い付いていけない私は大笑いする彼の背中に抱きついたままというなんとも滑稽な体勢のまま固まっていた。彼は未だ笑いながら首を捻って私を見ると、
「必死だな、冗談だよ」
ぽんぽんと頭を撫でてから私の腕を解くと向き直る。
「名前、重い?」
重くなんてない。むしろ重たくたって構わない。例えば二人を隔てるものが種族なんだとしたら、そしたら私は。
「……百歳になっても生きるから。しわくちゃのおばあちゃんになっても、ずっと生きてるから!」
捨ててしまったのならまた拾い上げてみせる。夢の中の馬鹿みたいな私にならないように何度だって。
そう宣言すれば秋は目を丸くして、それから口元を変なふうに歪めた。
「…名前、朝ご飯。食べるだろ?」
いつもみたいに笑って。さよならが怖くないように。悲しくないように。生きてるうちに笑ってて。
「うん!」
君がいるなら、弱い自分とさよならできる気がするんだ。