昔から大嫌いだった。妙に馴々しくて人をおちょくったようなわざとらしい言葉を選んだり、飄々として無関係を装った態度だったり。とにかく、彼奴のすべてが気に食わなかった。真性の加虐主義者でその被害者という毎度の事ながらの関係も、少なくとも彼嫌いの要因となっていることも自覚している。
大嫌いだった。それなのに、昔馴染み――周囲はそれを幼なじみといっているが認めたくない――という切っても切れない腐りすぎて最早異臭を放つ勢いのこの腐れ縁は、彼と私という至って単純な赤の他人の関係をこうも不条理に繋ぎ合わせてしまうのだ。全くの知らない顔見知り程度の付き合いで終わっていればどれほど良かっただろうか。
「まあいやよいやよも好きのうちなんてよく言ったもんだよね」
ずご、と中身のなくなったカフェオレを机に置き、腕を交差させて伏せた。目の前にいる鳥肌の立つような台詞を吐き出した友人は、コンビニ弁当に入っていた揚げ物を食べながら笑った。いや、笑い事ではない。こちらとしてはもう中退を考えるほどの死活問題だ。
「でもあの沖田くんと幼なじみなんて羨ましいわあ――と、取り巻きは皆般若を背負って言うでしょう」
取り巻きに劣らぬ般若を浮かべた私に彼女は咳払いをする。あくまで彼女の好みのタイプは眉目秀麗な笑顔にこやかな男児ではなく、ちょっと――私からすればかなり――真面目すぎる眼鏡男子であるから、もとより例の幼なじみなど最低限の認識しか持ち合わせていない。寧ろ私がこんな話をしなければ同学年ということも危うかったかもしれない。
「だって朝から携帯に空メールばっかり送り続けてくるししかも一分ごとね。それに朝の五時! よくそのためだけに起きれるわあほくさ」
「まあ予約送信というのも手だろうけどね」
「殺伐なう」
箸袋に置いてけぼりを食らう爪楊枝で厚焼き卵を攫う。ほんのり甘くてなかなかに美味しい。ご馳走様と微笑めば「そういうところが似てるのよ」などと聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが、私がわざわざ問い掛ける前に第三者が告げた。
「ペットは飼い主に似るっていうしね」
「おいたがすぎれば噛み付かれて見事下剋上だね」
「自分が下だっていうこと、ちゃんと理解してるんだ」
最後の言葉に悔しくも言葉が詰まる。残念ながらこの脳内に犇めくポキャブラリーは常人より応用が利かず、内容量も極端に少ないときた。というよりも寧ろこの男の脳が屁理屈の倉庫になっているのだからもう仕方がない。不本意ながらこの十数年顔見知りをしていれば、嫌でも彼の皮肉に屁理屈の大合唱が吐かれる様を見てしまう。そのたびに、思わざるを得ないのだ。
「口だけはよく鳴くよね」
「名前はわめくのが好きだよね」
「沖田は吠えてばっかりじゃん」
机に肘を突きながらばちばちと一方的に火花を散らせば、当然見上げる形となる彼に再びの嫌悪。二十センチは縮めばいい。
「あ、そういえばさっき井町君が体育館でバスケしてたよ」
「なんですと! 名前わたしはいってくる頑張り給え井町くーん!!」
「うえちょっ、ばかやろ!」
井町のいあたりで猛然と駆け出した友人はこの最悪な状況をより深刻化させて消え去った。諸悪の根源である彼は悠々と友人が座っていた席に腰掛け、さも当然のようにおにぎりを銜える。
「何故貴様が飯を食う」
もしここにカフェオレが残っていたとしたら、私は迷わずこの顔面に吹き掛けていたことだろう。沖田は親指についた米粒を食べ、お茶を喉に流した。彼の存在に気付きはじめたクラスの女子やら野次馬が騒つき、私は後ろの壁に背をついて足を組む。踵の踏み潰した上履きが頼りなく爪先に引っ掛かり、ふらふらと揺れていた。
「もうまじ帰れ私の平穏な昼休みをかえせ」
「僕だって好きに昼休みを過ごしてるだけなんだけど」
「あんたといると絡まれんの私なの」
この顔面だけは芸能人並みの所為であらぬいらぬ誤解を招きに招き、今までどれだけ苦労してきた事か。私にとって、彼が隣にいること以上に面倒なことはない。弁当の蓋をしめて包みを縛り、カフェオレのストローを中に押し込んだ。
鮭の色が白い米粒の合間からのぞく。既製品とは違う不恰好なそれは、未だにおにぎりのひとつもまともにつくれない不器用な大きい手によって握られたもの。私は、その手を知っている。
「……ミツさんは?」
捻くれた弟とちがい可愛らしい彼の姉がいつもつくる弁当を、そういえば彼は食べていなかった。
「いま寝込んでる。今日は早く起きれたから」
遅刻常習犯とは思えない台詞に、彼の姉を思う声が聞こえた気がした。私はふぅんと返事を返して、カフェオレの蓋を意味もなく開閉させていた。
「名前ってさあ、馬鹿だよね」
「往ね」
「口悪いし、足癖も寝起きも最悪だし」
いきなり罵詈雑言を投げ付けてきたこの男は、ただのおにぎりさえも豪華なそれの如く輝かせて最後の一口を口に運んだ。ぱきり、とプラスチックの蓋が割れる。人差し指に刺さって指の腹の皮が裂けた。
「僕は、そんな馬鹿みたいな君がいれば、それでいいんだけどなあ」
「きもい。てか確実に貶してるでしょ失せろ」
「言うと思った」
彼は私の手の中からカフェオレをかすめとり、席を立つ。騒々しく床を滑る椅子の音が、教室の喧騒のなかで浮いていた。
「ねえ」
予限のチャイムが鳴り響く。彼の声が隠れてしまいそうで、身を乗り出した。
「前髪、跳ねてるよお洒落?」
「っ寝癖に決まってんでしょチャラ野郎!!」
ぴしりと頬に立つ青筋を面白そうに指を差す彼はひらりとそれだけ言い残して翻る。あまりに意表を突かれ言葉が出てこず、腰を半分浮かせた状態で置いてけぼりを食らった。
「慣れない化粧なんてやめたほうがいいよ」
そのままのほうがまだ見れる。
最後にじゃあねと振った手とともに投下された爆弾に、私は不本意にも顔が熱くなるのを感じた。興味本位と練習のつもりで伸ばしたチークは、さっきの友人にも気付かれない程に薄いものだったのに。
「……やっぱ嫌いだわ、あいつ」
全てが唐突すぎて不可解でついていけない。
私はがたんと荒っぽく椅子に腰を下ろし、ぶるぶると震える携帯を取り出す。メールの通知が画面に表示されており、その宛先を見て思わず顔面が歪む。
『そういえば土方先生が昼休みに来いって言ってたんだけど伝えるの忘れてた』
画面斜め上に表示される時計は、五限開始二分前を知らせていた。
――紛れもない。
私は、彼が大嫌いだ。
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