食べるということ

夜の冷たい風が頬を撫でていく。夏の盛りも終え、あたりには虫の鳴き声が響いていた。陽も昇る昼間は未だに暑さを残してはいるが、夜ともなれば随分と冷え込んでいる。
羽織を手繰り寄せながら、無意識に寒いなあとごちてしまったようで、同じ歩幅で隣に並ぶ彼は何故だか面白そうに笑った。


「秋めいては来たが、君がよもや寒がりだったとは!」
「……いえ、気の迷いでした。煉獄さんが隣に居られて、寒いわけがありませんね」


夜を往く鬼を狩る仕事をかれこれ四年ほど続けているが、彼、煉獄杏寿郎と組むことは珍しいことではなかった。今日も今日とて何度目かもわからぬ任務の依頼を受け、鎹烏を追いかけてここまでくれば、目の前を走る派手な髪を見つけたのだ。こんなところですれ違うなど、同じ任務地でなければ到底ない。声をかけて、二人で鬼を探しながら今に至るというわけだった。
羽織りに埋もれていた首を伸ばして、彼を見上げてからくすと笑みを溢した。こてんと首を傾げる彼は年相応の幼さを残している。


「それは、どういうことだ?」
「貴方が…、熱いお人だということですよ」


煉獄は炎の呼吸を使う。そのためなのかは分からないが、季節気温を問わずとかく暑い。隣に立っているだけで暑い。以前胡蝶にそうこぼせば相槌が返ってきたほどには、やはり彼は人よりも体温が高いのだろう。そしてその大きな声や性格も相まって、余計に暑く感じるのだ。煉獄と任務が重なるときは大概が冬に多いため、名前としては非常に助かってはいるのだが。


「そうか! 名前とは冬場が多いからな、君が寒い思いをしなくても済むようになるのであれば願ったりだ!」


にっこりと嬉し気に笑みを向けられれば、思わず逸らさずにはいられない。
――先程の意見に、少しの訂正を加えたい。彼の隣が暑いのは、一概に彼のせいだけとは限らないのかもしれない。
月明かりに照らされた夜道を歩きながら、こほんとひとつ、咳払いした。今宵は鬼を討ちに来たのだ。気の緩みは死につながる。


「……煉獄さん。今日の任務の確認ですが――」


いつもよりも少し声音を落とせば、煉獄も同じように意識を腰に提げた刀へと落とした。
山裾に広がるこの小さな町で、ひと月に十人の人が消えている。そして、小高い山を挟んだ隣町でも同様に十人程の人が消えており、恐らく鬼はこの二つの町を行き来しているのだろうと想像がついた。人の足でもそんなに距離はないのだ。鬼にしてみればより近い場所にそれだけの餌場があるということになる。しかし、どちらの町に現れるかは不確定であり、だからこそ二人での任務なのだろうと踏んでいた。そうであるならば、二手に分かれたほうが得策だ。
今回の任務の情報を共有しながら、そのように提案すれば、煉獄はしばしの思案を挟む。
彼は次期炎柱となるであろう男だ。一人でも苦ではないだろう。この場合、不信がられるのは名前の方だが、彼女とて、彼に勝らずとも劣らない水の呼吸の遣い手である。二手に分かれることは市民の迅速な安全確保のための最善手だといえる。鬼殺の仕事は、誰かの幸せな夜を守ることにあるのだから。
煉獄も同様の思考を辿ったのか、ようやくしぶしぶといった風に頷いた。


「……何かあればすぐに鴉を飛ばしてくれ。そう時間はかからずこちらに戻ろう」
「それは煉獄さんもです。戦闘になり次第、飛ばします」
「わかった! それでは、また後程!」


そう言うな否や、煉獄は家屋の屋根を二棟ほど飛び越えたのち、森の中に消えていった。名前の頭上にはしっかりと自身の鴉が旋回していた。
しん、と眩しい月夜ばかりが足元の影を暗くしていて、静謐な夜をたたえている。
先程までのにぎやかさを想えば、一人になると途端に心細く感じてしまう。単独任務の回数もそれなりにこなしているというのに、このひ弱な心はすぐに竦みあがるのだ。
冷たい風が服の隙間から入り込んでくる。ぶるりと身震いをしてしまえば、少し前までの熱を自覚してしまうような気がして、刀を強く握ってから駆けだした。

まずは高台に登り気配を探してみよう。こうした小さな町には大概、昔の名残の物見櫓が立っている。すっかり聞こえなくなった自身の足音では、静かすぎて夜は一層濃く感じた。
櫓の上から、意識を集中させる。鬼の臭いをかぎ分ける人もいるというが、生憎そこまで鼻はよくない。培ってきた経験から、気配を辿っていく。
つい一昨日の夜に、この町で十人目の行方知れずが出てしまったのだ。話を聞くに、彼らが忽然と消えたのは屋敷の中の事もあれば、自宅からすぐ近くの出先であることもあった。
騒ぎが広まったお陰か、こんな夜半に今のところ歩く人の影は見えない。鬼の残す重たい空気だけが、そこら中に残っていた。


「……っ!! 今日もこっちってわけね」


見つけた。これ以上紛れ込ませない。もう、誰も殺させない。櫓から飛び降り、鬼の気配が濃い方へと距離を詰めていく。
月の影がいっとうに濃いその昏い場所に向かって刀を突き立てた。明らかに、玉砂利の地面を突いたような感触ではなかった。柔らかくも密度のある何かから刀を引き抜けば、彼女の三倍はあろうかというほどの巨体がその影から顔を出す。この町に巣食っていたのは、どうやら影に潜む鬼のようだ。鬼はこちらを認識するな否や、再び影の中に身を潜める。


「煉獄さんに! 鬼が出たと伝えに行って!」


伝言んんー、と間延びした声を響かせながら、頭上の鴉は羽ばたいていく。四半刻としないうちに駆け付けてくれるはずだ。名前は刀身を再び鞘に納めて身を低く構えた。
影が水面のように揺れている。
肺に入り込んだ空気が、全身に巡っていった。



*     *     *



「鬼ガ出タ! 鬼ガ出タ! スグサマ#苗字#名前ト合流セヨ!」


隣町の方で索敵を始めていた煉獄の頭上でわめく鴉の伝令を、最後まで聞かずして森へ戻った。よもや彼女の方に現れてしまうとは。かすり傷の一つも、できてほしくはないというのに。
折り重なる葉、木々の合間、それから斜面を下りながら全速力で駆け抜ける。彼女に限って負ける姿など想像もできないが、この二つの町だけで二十以上の人を食った鬼である。二人で宛がわれた理由は単純に出現場所が不特定であることと同時に、その鬼がより多くの人を食っていた可能性があるからだろう。たったのひと月でこの人数なのだ。
こちらの方に出てきてくれれば、と言葉を漏らしたところでしようがない。兎にも角にも鬼の歯牙によって傷つけられる前に、彼女のもとに馳せなければ。薄暗い森の先に、隙間からもれる明るい光を見る。森を抜ければ、町はすぐだ。そこから気配を辿っていけるので、四半刻と経たずに合流できる。
ようやく明るい月のもとに出れば、濃い鬼と血の臭いが鼻を衝く。不愉快なにおいだ。いつまで経っても、慣れたくはない臭いだ。
勢いそのまま山を下り気配を辿りながら走っていれば、一際に大きい屋敷の影で、薄青の、裾にかけて濃紺になっていく名前の羽織が赤く染まっているのを見た。ひゅと細くなった喉の隙間を空気が通る。けれど、彼女が動き回っている姿を見るに、大きなけがはしていないのだろう。返り血か。少しの安心に胸を撫で下ろし、それから息を吸った。
キインと刃が鞘を滑る音が高く響く。振り返った名前が笑う。


「壱の型――」


不知火。踏み込んだ一歩。地面に逃れようとした鬼の肩口から振り下ろした一閃はいつもより浅い。背後から、軽やかな音が聞こえた。


「水面斬り!」


ふわりと跳びかかる名前の刃先は空を滑り、鬼の首をさらっていった。
――煉獄の炎とは対照的な彼女の呼吸は、柔らかくて優しい。水は慈しみの象徴だと誰かがそう言っていたような気もするが、まさに彼女の物はそうであった。
名前は刀を振り払ってから鞘に収めれば、灰のように消えていく鬼の骸を眺めていた。


近くに藤の家はなく、仕方がないので進みながら休むこととなった。獣道を軽くはない足取りで進む名前は開けた川辺で歩みを止めてから、藤の家までの算段を立てようと言った。
流れの良い川に手を晒し、冷たいと文句を言いながらも清めている彼女の隣で、同じことをしながら水を掬って喉を潤した。
つまりは単純に休みたいという申し出に、無論異論などある筈もなく、息をついた名前につられて木の根に腰を下ろせば、隣から腹の鳴る音がそれはもう盛大に響いた。


「……聞かなかったことに、してください」


向こうをむいてしまった表情は分からないが、今日の月明かりのおかげで、耳まで赤くなっていることはよく見えた。両手でまるで隠すように顔の横に壁を作った彼女の腹と同じくらいに笑ってやれば、わなわなと肩までも震えだした。
このまま見ているのも面白いが、確かに呼吸は疲れる上によく戦っていたのは名前だ。煉獄は懐を探り、彼女の両手首をとらえて翻せば、その上に握り飯を二つ乗せた。


「え……あ、あの」
「よく頑張ってくれた! 名前に怪我がなく何よりだ! それに、道中腹も減るかと思い、握り飯をこさえてきて正解だったな!」
「いえ、これは煉獄さんのごはんで……!」


男の手でつくるそれは、彼女の手の上では異様に大きく感じた。


「右が鮭で左がさつまいもだ。どちらがいい?」
「う、えと…鮭がいいです。ありがとうございます」
「うむ。俺たちも、腹が減ったら食べなくては生きていけんだろう」


名前は太い幹に背を凭れながら、小さな口で米を齧った。


「今日をよく生き抜いたからこそ、飯が食える! 咀嚼し飲み込むことができるのは、今君に怪我がないからだ。だからこそ、俺は今こうして名前と食べていることを嬉しく思う」


三口ほどで平らげた握り飯を、横で彼女はまだ食べていた。
煉獄はよく食べる。というよりも、全集中の呼吸の遣い手は大概が大飯食らいだ。この生身の身体一つで、鬼に向かっていかなければならず、呼吸も常に気を張り続け、体力を尽く消費していくためだ。
煉獄も名前も、かすり傷に始まりひどい時には骨は折れ肉は裂かれ腹に穴が空いたこともあった。そういった時は流石に血を流し過ぎて気を失いかけたこともあり、現に数か月前ほどに名前は鬼との戦闘による出血多量で蝶屋敷で世話になっていた。
よく食べ、よく寝て、それから最後によく動くこと。
ただの人が身体を癒していくには時間がいる。そして、その間に食べたものは体内を巡り、肉を作っていくのだ。


「煉獄さん、おいしいです」



鬼殺の彼らは、生きている。どれだけ過酷な境遇があろうとも、どれだけの怪我を負おうとも。
最後に大きく口を開けて噛み込んだ名前は、唇の端に米粒をつけながら、嬉しそうに笑った。


「また今度も、お仕事一緒に頑張りましょう!」
「ーーこういうところが、君らしいな」
「え! あ、すみません…」


米粒を指ですくって食べれば、先程よりも真っ赤になった彼女の頭を撫でてやる。
今日の食べたご飯が、明日の名前の血肉となっていくのだろう。
そうして、彼女はまた生きていくのだ。それがなにより、幸せなことなのだと、そう思う。

企画>> relief 様 君と夜半の喫飯幸福論 提出